第六十話 松代浩太 Ⅵ
ようやく過去編終了しました。お付き合い頂きありがとうございました。ある程度書きたい事も書けたし、個人的には結構満足。
さて、来週はちょこっと検査入院があったりしますので投稿難しそうですので、頑張りますが恐らく次回投稿は再来週の日曜日になりそうです。お待ち頂ければ幸いです。ではでは。
シオン・バウムガルデンという女性がいる。
王都ラルキアに召喚され、『貴方は人を見ていない』とロッテに嘲笑され、リズから『特に用事は無いです』と再び言われ、すっかり気落ちした浩太が出逢った女性である。見目麗しい容姿とメリハリのあるスタイルに非常に残念な性格を乗っけた、ハードはハイスペックなのに、ソフトは超ロースペックな女性。
『千年もの長い間、謎に包まれていたアレックス帝の秘密が暴けるかも知れない。それだけでもう、私は止まれなかった。人として最低である事も自覚している。だが、登山家が山に登る様に、料理人が料理を作る様に、漁師が魚を取る様に、私達学者は実験をする』
ただの学術的興味で召喚したと言われ、別に浩太を欲して召喚した訳では無いと言われても、浩太は怒る事はしなかった。諦めの良い彼は、そんな事で怒る事はしない――訳では、ない。
『私は知りたいんだ』
『知りたい……ですか?』
『この世界には何があるのか? この世界には一体どんな秘密があるのか? 魚はなぜ息をする事無く大海原を泳げ、鳥は何故飛ぶ事が出来るのか。火は何故燃え、風は何故吹き、大地は何故木々を育てる事が出来るか……この世界の謎、全てを解き明かしたい』
この女性は何を言っているのだろうと、正直浩太はそう思った。
『……それは』
無理だ、と言葉を継ごうとする浩太を笑って制し。
『敢えて言葉にされなくても理解している。『知識』は無限にあるが、対する私の時間は『有限』だ。この世界の全てを知るには、私に残された時間は少な過ぎる。そして『全てを知りたい』と願うのは、とても傲慢な望みである事も十分承知している。全知全能足るのは神のみで良いとも思うしな。だが、私はこの生き方に別段痛痒を感じていない。毎朝、寝床から起きる度に私は世界に祝福されているとさえ思う。『今日も一日が始まったよ、シオン。さあ、新しい世界を見に行こうじゃないか』とな。まるで、世界に『恋』をしているようだ。今日は何を教えてくれるのだろう? 今日は何を見せてくれるのだろう? 世界は毎日私に違う姿を、違う言葉を、違う想いを教えてくれる。一日たりとも同じ日が来ない、毎日新しい発見のあるそんな自分の人生が私は大好きだよ。そしてコータ、これから君が教えてくれるであろうアレックスの物語に胸が高鳴って仕方ないさ。さあ、早く教えてくれ。私に、知識を与えてくれ。今日という日を、君との出逢いを素晴らしい物だと思える様に、この出逢いを世界に感謝できるように、私に――もっと、世界に『恋』をさせてくれ』
浩太はこの時、シオン・バウムガルデンという女性に幾らかの憐憫と、幾らかの羨望のその両方を覚え……そして同時に、自分たち二人が非常に『似通った存在』である事に気付く。
天才ではない、凡人で。
『世界』に愛されておらず。
『特別』な人間では有り得ず。
それでも日々を必死に、『努力』をする人間。
『世界』に必要とされないと嘆き諦めた浩太と、愛されてない『世界』に振り向いて貰う為に自らを高みに押し上げるシオン。言ってみれば努力のベクトルを別の方向に向けた、『有り得たかも知れない』松代浩太の可能性である事に。
無論、浩太はそのシオンの生きざまに羨望を覚えたとしても、肯定をした訳では無い。天才でも何でもない、特別な人間などでは有り得ないシオン・バウムガルデンが世界に恋をし、世界に振り向いて貰えるよう、ひたすらに努力を重ねて越えられない壁を越えようと足掻き、もがく。浩太からして見れば、さながらそのシオンの生き様は、ロバに跨り風車に突進するドン・キホーテの様に滑稽にすら映った。
『そういう意味なんですよ、コータさん。私のこの『チカラ』は学問を、真理を解き明かそうとする、全ての人を侮辱する、そんな『チカラ』なんです。皆さんがした努力を、汗を、涙を、その全てを無に帰す、最低のチカラなんですよ』
シオンの妹であるアリアからそう告げられ、浩太は自分の事を棚に上げてシオンに同情する。アリアの様に、元々『持って』生まれた人間にはどう足掻いても勝てない。その事実を、誰よりも如実に突きつける人間が自身の妹だ。出来の悪いドラマでも、もう少し設定を凝る様な純然たる事実。
『まあな。アレは天才だからな』
だから、何でも無い様にそういうシオンに、少しだけ浩太の心は疼く。
『少し、お聞きしても良いですか?』
気付けば、言葉は一人でに浩太の口から飛び出していた。
『答えられる事なら』
『その……シオンさんは……嫉妬したり、しないんですか?』
明らかに自らの上を行く人間に、貴方は嫉妬を覚えないのか、と。
『……アリアさんは天才でしょう。短い付き合い……というか、先日お逢いしたばかりでこういう事を言うのは何ですが……お話を伺っても、天才だと思います。対してシオンさん、貴方は……天才では、無い』
『……まあ確かに私自身、自分が天才だと思った事は無い。誤解を恐れず敢えて言えば、人より頭の作りは少しだけ優秀だと思うし、物事を知りたいという欲求も人より強く、それに向けて邁進している自負もある……その上で、『天才』に、『アリア』に嫉妬をしているかと問われれば答えは『いいえ』だな』
『それは、アリアさんが妹だからですか?』
『……アリアと私は九つ年が離れている。私が生まれてから九年間、私は『姉』では無かったんだ。アリアは生まれた時から『妹』だが、私の方はそうではない。九歳と言えば自我もあるし、ある程度は自分の事も自分で出来るようになる。『妹が出来た』という事実に、正直興奮もした。それから私は『姉』であろうと精進してきたつもりだ。姉で無かった私は、姉になろうとしてきたつもりだ。だからアリアには、『妹』には嫉妬を覚えない。私の愛した妹が、成功する事を私は誰よりも望む。可愛い妹が、笑顔で在れる事と、笑顔で在れる環境を誰よりも望む。だから……ああ、そうだな。私は多分、アリアが可愛くて可愛くて仕方ないんだ』
血の繋がった妹だから、嫉妬を覚えない。家族の成功が嬉しいのは――一部例外を除けば、万国共通の真理ではある。
『……でも、それはアリアさんが『妹』だからでは?』
アリアが妹だから。血の繋がった家族だから成功は喜ばしい。それ自体は、浩太にも分かる。分かるが。
『アリアさんではない、別の『天才』が居れば……シオンさん、貴方は嫉妬をするのでは無いのですか?』
では、血の繋がっていない、赤の他人ではどうなのか?
『……珍しいな。コータがそこまで突っ込んで聞いてくるのは』
『……そうでしょうか?』
『まあ、私の勝手な想像だが。もう少し淡白なのかと思っていたが』
シオンの言葉は正鵠を得ている。普段の浩太であれば、ここまで突っ込んだ発言はしていない。
『……色々、思う所があるんですよ』
『ほう。是非、拝聴したいが?』
そうであるにも関わらず、浩太が此処まで自らの心情を吐露してしまうのは。
『……なんとなく、シオンさんと私は似ている気がしまして』
もしかしたら、此処で『答え』が得れるかも知れないという、少しばかりの期待からで。
『私自身、大した才能がある人間では無い。どちらかと言えば、努力で何とかして来たタイプです』
『テラを発展させた人間の言葉では無いな。『魔王』、だったか?』
『茶化さないで下さい。それに、アレぐらい誰でも出来ます』
『経済は門外漢だが……そんな事は無かろう?』
『いいえ。結局、私は『向こうの世界』で出来る事を持って来ただけに過ぎません。何でしたか……ああ、そう、『チート』というやつです。ズルをしたんですよ、私は』
元々ある知識を、ただ使っただけ。想像的な事も、創造的な事も何もしていない、ただそれだけの事。
『では……逆に聞こう、コータ。お前は『天才』に嫉妬するのか?』
その言葉に、思わず息が詰まる。
『……私は、『諦め』ています』
松代浩太の人格的特徴をもう一つ上げるのであれば、『温厚』というのがある。
『これは決して努力を否定している訳ではありません。努力をすれば、いずれ報われる事もあると思います。ですが』
松代浩太は基本、人に『怒る事』をしない。
『圧倒的な才能を……天に愛された才能を持つ人間の前では、努力なんて無意味なんですよ』
それは、アリアの言った言葉か……或いは、父の言った言葉か。
彼女の、或いは彼女たち『天才』の前では、シオンや浩太などの凡人がどれ程努力をし、どれ程力を尽くしたても、到底辿りつけない領域。
『……だから、私は『諦め』ています。自分に大した才能がなく、自分に大した力がなく、自分に大して誇る物が無い私は……』
……最初から、全てを『諦め』ている。自分自身にも、世界にも……そして、『他人』にも。
『……嫉妬、なんて覚えようが無いですよ』
怒りという感情が他者に向けられる場合、『期待』が裏切られた事に起因する場合が往々にして多い。例えば、母親が息子に『もっと勉強をしなさい』と怒る場合、その怒りは『もっと勉強をして欲しい』という母親の期待に反する態度を息子が取っているからだ。
『……ふむ』
松代浩太は『期待』をしない。期待をした所で、相手が期待通りに動いてくれる事などなく、逆に期待すればする程、裏切られる反動が大きい事を身を持って知っているから。
『生きている次元が違うんですよ。天才と、私達凡人では』
裏を返せば、松代浩太が『温厚』なのは単に他人に対しての意識が希薄であるからに過ぎない。そして、他者に対する意識が希薄な浩太は、嫉妬を覚える事は無い。松代浩太の敵は過去の松代浩太、と言えば恰好が良いが、要は他人の事など浩太にはどうでもいいだけの話だ。他人が成功しようが失敗しようが浩太には関係なく、そういう人間である以上、嫉妬など覚えようがない。
『……ラルキア大学は、フレイム王国の最高学府だ。元々が帝国の大学であった為、ラルキア大学にはフレイムのみならずオルケナ中の国々からも様々な学生が入学してくる。アリアは殆ど規格外だが……それでも、俗に言う『天才』と呼ばれる人間には数多く出逢ったと思っている。だが、私は彼らに嫉妬を覚えた事は一度として無い。コータ、君は生きる次元が違うと言った。確かにアリアと私では次元が……見えている物が違うだろう。無論、コータの言ってる事は分かる。ああいう風に出来れば、と思わないでも無い。だが、それは『嫉妬』ではない。そうだな、強いて言うなら……』
『憧憬』だ、と。
『どう……けい?』
『ああ。天才という、彼ら彼女達に憧れを抱く事はあっても、その才能を嫉み、僻む事は無い。天才たちが、天に愛されたその才で遥かに高い場所から見下ろしているのであれば、私は私に与えられた才能に、努力という翼を生やして天才たちの高みに昇る。そこに壁があるのならば、その壁を乗り越えようとするさ。なんせ、憧れているからな、私は。コータの言う様に、諦めてしまうのも良いかも知れない。眼の前の壁が駆けあがるのが困難であるのなら、それを避けて通るのも悪い方法ではないさ。無理にその壁を越えなくても、横にも後ろにも、地下にも道はあるかも知れない。そもそも、その道が正解かどうかも分からないしな。その考えを……『他の道を探す』という思考を放棄して、ただ眼の前の難題を自分の力量を鑑みずに努力だけで切り抜けようとするのは……もしかしたら、一番怠惰の方法かも知れないな』
『人の話は最後まで聞く。アンタはさ? 『自分が登れる高さ』の壁は必死に登ろうとするのよ。その為には体も鍛えるし、ザイルだって買ってくるし、ロッククライミングの講習だって受けるタイプ。でもね? 自分の力じゃどうしようも無いな、っていう高さの壁だったら、登るの辞めちゃうタイプなのよ』
……ああ、綾乃。
『それは……でも、それは皆そうじゃないのか?』
『だがそれが、シオン・バウムガルデンという生き方だ』
居たよ。『そうじゃない人』、と、浩太はそう思った。
◇◆◇◆◇◆
ホテル・ラルキアの再建計画に加担する事になった浩太は正直な所、ロンド・デ・テラでの生活よりもはるかに生き生きとしていた。テラの再建もホテル・ラルキアの再建も同じ『再建』ではあるが、テラは領地という、今まで浩太の経験したことが無い未知の分野。知っていた知識を無理やりに押し込めたに過ぎない。
対してホテル・ラルキアは完全に『経営改善』である。言ってみれば本職、金貸しのプロである以上、変な話だが慣れたモノでもある。加えて、ユナ・ホテルグループとの提携事業というおまけ付きだ。問題点の認識もあり、後はオペレーション次第で何とでもなる。加えて。
『ベロア!』
『分かってる! 諸条件の詰めは俺がやっとく。ホテル・ラルキア側からの提案があれば早急に纏めといてんか!』
『ああ! コータさんの方は?』
『私の方は計画が承認された場合、この計画がどれだけホテル・ラルキアへ寄与するかをサマリーした資料を作るとします。客室の稼働率と、それに伴う収益の試算が必要でしょうか? 計画を『通す』だけなら、斜め上を向いた計画を作っても良いですが……どうせです。エビデンスを添付した、地に足がついた収支計画を作りましょう』
『そちらはお任せしても大丈夫ですか?』
『データの集計は本職ですのでお任せ下さい。ベロアさん?』
『ユナの顧客数に関する資料やな? ユナの方から貰って来てるから、それから判断してくれたらエエよ』
『ありがとうございます』
『他の資料は何が要るんや?』
『ほか、ですか……そうですね、カトのベロアさんぐらいの年齢の方の平均的な商人の収入を教えて頂けますか?』
『収入? そら、ええけど……なんで?』
『ある程度現実的な単価設定の為です。高過ぎても安過ぎても駄目でしょう?』
『ああ、成程。分かった、ほな後で計算しとくわ!』
純粋に、楽しかったのもある。綾乃を除き、浩太は同期と仕事をした経験はなく、この再建計画の様に同年齢の人間と頭を突き合わせて『何か一つの事を成し遂げる』という経験は皆無に等しい。ホテル・ラルキアの生き残りをかけた大一番で、非常に不謹慎な言い草ではあるが、学園祭の準備期間の様な昂揚感もあったし――何より、『銀行員』という看板を外した、ただの松代浩太を頼って貰えるのは嬉しかったから。
シオンとの仲も徐々に、だが確実に深まっていった。浩太の中ではよく似たモノ同士、同病相憐れむでは無いが、何となくシオンは放っておけない存在だった事もあるし、この『自らとは違うベクトルに努力を続ける女性』をもう少し見てみたい気持ちもあった。無論、シオンの中身が想像以上に『残念』であり、その突っ込み役を務めた事や……もっと言えば、リズやエリカに感じたような『命の危機』を感じる関係では無かったことも、心の距離を埋める重要なファクターであった事実は否定はしない。
ホテル・ラルキアの再建計画の経営会議で承認され、しばし。ラルキアでの生活に慣れて来た頃に浩太は唐突にロンド・デ・テラへの帰還を命じられる。都合で呼び出して都合で帰れ、流石に浩太も少しだけ憤るものがあった。なまじ、このラルキアでの生活が楽しいと思ってしまったから、余計に。
『貴方は非常に頭が良い方だ。『諦めが良い』とは、後ろ向きにとられがちだが決してそうではない。出来ないことをただ我武者羅にやり続けようとする人間は唯のバカだ。貴方はそうではない。自らに出来る事を、出来る範囲の中でただ愚直なまでにこなしているだけ。それは即ち、自らに『出来る事』と『出来ない事』を十分理解していると言う事です。力量を過信せず、力量に慢心しない。結局の所――貴方は、私に『勝てない』と思っている。私自身の力量か、背後にある国家の力か、そのどちらを恐れているのかまでは存じませんが。どちらにせよ、賢い貴方は決して私と『戦おう』とは思わないでしょう』
そんな浩太の憤りを萎ませる様、『松代浩太』という人間を見透かしたかのようなロッテ・バウムガルデンの言葉に、浩太は二の句が継げなかった。仰る通り、浩太は『無理』な事象に後先考えずに突っ込む事が出来る人間では無い。
『だから……これはお願いではありません。命令です』
そのロッテの言葉に、浩太は首を縦に振るしかなかった。
◇◆◇◆◇◆
「……少し、肌寒くなってきましたね」
閉じていた瞳をゆっくりと開け、浩太は目の前に置かれたテーブルとその上のポットとカップをじっと見つめる。月明かりを反射させて輝くそのティーセットは、浩太の現在の心情を嘲笑うかの様に美しく光っていた。
「――月がとても綺麗ですね、ですか」
何時か、綾乃に行った告白の言葉。それをそのまま返して貰えるという、望外な幸せを前にして、浩太は自嘲気味に笑う。
「色んな事が有りましたね」
綾乃に告白をされた事は、嬉しい。当たり前、欲しいと思って手を伸ばし、それに手が届きそうになった瞬間に取り上げられ、それをもう一度与えられたのだ。嬉しくない訳がない。
「……色んな事が有り過ぎてさ……訳分かんねえよ、綾乃」
頭の中は、ぐちゃぐちゃ。
欲していたモノが手に入る。本来であれば一にも二もなく頷く所。良かったと、これからは綾乃と暮らしていくと、オルケナ大陸という異世界に飛ばされた日本出身の二人が、手と手を取り合って生きて行こうと。
『ただ、一緒に生きて行こう』と、そう言えば良い筈なのに。
「……何が引っ掛かってるんだろうな、俺」
心のどこかにある『澱』が、どうしても、その一言を押し戻す。
『本当に、それで良いのか?』と、もう一人の浩太が――『コータ』が問いかけ、問いかけ続ける。
ただ、綾乃に言われるがまま、綾乃について行き、ラルキア王国で暮らすだけの生活で本当に良いのか、と。
それで、お前は――『松代浩太』は、本当に良いのか、と。
「……良い筈、なのにな」
何も問題なく、誰も問題にしない、そんな解答で、解答である筈なのに。
「……本当、訳分かんねえよ」
「訳が分からない時は悩むのも一つの手ですが、テンションに身を任すのも悪くは無い考えですよ?」
返答が返ってくると思わなかった独り言に、反応する声が聞こえたのは後ろから。心臓が飛び跳ねる程五月蠅く動き、その鼓動のまま後ろを振り返り。
「……ルドルフ宰相閣下?」
「失礼、聞き耳を立てるつもりは無かったのですが……なに、こんな美しい月夜ですから、少しばかり夜の散歩としゃれ込んでみたところだったのですが」
偶然マツシロ殿をみつけましてな、と、悪びれる様子も無くにこやかに笑みを浮かべて見せるルドルフ。その姿を胡乱な目で浩太は見つめ、口を開いた。
「そうであるのならば、私に声を掛けずにそっとしておいて下されば宜しかったのに」
「おや? 迷惑でしたかな?」
「少なくとも、心臓には悪かったです。正直、びっくりしましたので」
「それは失礼。私もこんな時に、こんな場所で無ければ黙って通り過ぎていたのですが……何せ、これは折角のチャンスですからな」
「チャンス?」
ええ、と一つ頷き、ルドルフは浩太の許可もなく目の前の、先ほどまで綾乃が腰かけていた椅子にその体を滑り込ませると、浩太の眼を下から覗き込む様に見て。
「丁度、貴方とお話がしたかったのですよ、マツシロ殿」
そう言って、にやりと笑って見せる。
「話、ですか? 申し訳ございません、ルドルフ閣下。もう夜も遅いですし、そのお話は明日にする訳には――」
「講和条件について、です」
「――はい?」
「講和条件についての話、です。貴方とお話をしておきたいと思いましてな」
「……エリカ公爵閣下にお話はされたので?」
「いいえ」
「では、まずエリカ閣下にお話をするのが筋だと思いますが?」
「それを置いても私はまず『貴方』に話をするべきだと思ったのですよ。テラ領を発展させた、稀代の名政治家である貴方に――」
――『魔王』に、まず話を通しておこうと思いましてな、と。
そう言ってルドルフは月明かりの下で薄く笑ってみせた。




