第四話 ロンド・デ・テラより愛を込めて
フレイム王国第五十一代国王ゲオルグ・オーレンフェルト・フレイムは良く言えばバランス感覚の取れた、悪く言えば凡庸な君主であった。税は重くも軽くも無く、領土は増やしもしないが減らしもしない。誰もがあっと驚く政策も無く、誰もが嘆く様な失政も無い。他国を屈服させる様な外交上手では無いし、他国に舐められる程の外交下手でも無い。暗君では無いが、決して名君でも無い、平凡な君主である。
にも関わらず、ゲオルグは『フレイム王国史上、最も幸運な君主』と呼ばれている。理由は彼が娶った二人の妻、正室アンジェリカと側室リーゼロッテにあった。
歴史にソースをもとめるべくもなく、正室と側室は仲が悪いのが通例だ。ヤラシイ話、莫大な財産が絡む王室の世継を産むのである。誰だって自分がお腹を痛めて産んだ子を王位につけたいと思うのが普通であり、王の寵愛を受ける余所の女性など百害あって一利なし。憎いアンチキショウであるはずなのだが……この二人はよほど人間が出来ていたのか、その例に漏れて非情に仲が良かった。アンジェリカは正室であるという立場をかさにきる事無くリーゼロッテの意見を尊重したし、リーゼロッテはリーゼロッテで正室であるアンジェリカを立てる事を忘れない態度と敬意を持って接した。『当代のフレイム国王の一番の功績は、良妻を得た事。それも、二人も』とは、正室と側室の間の女の争いに疲れ果て、一カ月間王宮に帰らなかったと言われる隣国ウェストファリア国王の非公式の発言である。
それほどに仲が良かった二人であったが、リーゼロッテが先に身籠り、球の様な女の子を産んだ時は王国中に緊張が走った。なんだかんだ言ってもアンジェリカも人の子。やはり側室の子は邪険にするのか。
……そんな風に考えながら皆が見守る中、リーゼロッテの娘、エリカを見てアンジェリカが放った一言は。
『か……可愛いわ! リーゼロッテ! 私! 私にも抱かせて!』
皆の想像の斜め上を行く言葉だった。無論、イイ意味で。
それからアンジェリカはエリカをまるで自分の娘の様に可愛がった。元来が子供好きであったアンジェリカ。その上、自らがお腹を痛めていないとは言え愛する夫の子供である。可愛く無い訳が無い、というのがアンジェリカの持論であった。エリカ自身の聡明さも、それに輪をかけた。
エリカが三歳になった頃、今度はアンジェリカが身籠り、女の子を産んだ。三年前同様王国中に緊張が走る。アンジェリカも流石に人の子だ。あれだけエリカを可愛がっていても、やはりお腹を痛めて産んだ子の方が可愛いのではないか。
『エリカ、見て! 貴方の妹よ! 名前はエリザベート、『リズ』よ! 可愛がってあげてね、お姉ちゃん!』
今度も皆の想像の斜め上を行き、アンジェリカはエリカをいの一番に枕元に呼び寄せそう告げた。他国との会談を早々に切り上げて駆け付けたゲオルグには『陛下、居らしていたのですか?』なんてそっけ無かったのにも関わらず、だ。
リズが生まれてからも、アンジェリカは変わらずにエリカを愛した。リズが産まれたからと言ってエリカが可愛い娘である事には何も変わりがないと言わんばかりに。
リーゼロッテもリーゼロッテでリズを愛した。『アンジェリカ様と陛下のお子様ですよ? 可愛く無い訳がないです』とはリーゼロッテの言葉。また、産後の経過があまり芳しくなく、臥せりがちだったアンジェリカの代わりにリーゼロッテが面倒を見ていたのもソレに輪をかけた。手のかかる子の方が可愛いのである。
そんな『二人の母親』から愛情を貰ったエリカとリズは、仲良く、時には喧嘩をしながらもすくすくと成長した。姉は妹を可愛がり、妹は姉を敬う。理想的な『家族』がそこにあった。跡目相続争いなどどこ吹く風と思っていたフレイム王国であったが、それでもエリカが七歳になる頃、その争いは起きた。
『何言ってるのリーゼロッテ! 次期国王はお姉ちゃんであるエリカに決まってるでしょ!』
『いいえ、アンジェリカ様。幾らアンジェリカ様でもこれだけは譲れません! 次期国王陛下にはリズ様になって頂きます!』
『何でよ! エリカが可哀そうだと思わないの! 長子なのよ!』
『アンジェリカ様こそ、リズ様が可哀そうだと思わないのですか! 正室のお子様ですよ!』
……最早、王国中の誰も驚かなかった。ある程度こうなる事を予測していたゲオルグとロッテ、リーゼロッテの必死の説得により、アンジェリカは渋々、リズの『条件付』立太子を認めた。
『わかりました……でも、二つ条件があります。一つ目は、エリカにもちゃんと爵位と領地をあげて下さい!』
エリカが十歳になる頃、ゲオルグは約束通り彼女に公爵の爵位と領地を与えた。海に面した、風光明美な土地。王女であり、いずれ王姉になる、聡明で美しい姫に与えた領地。
その名をロンド・デ・テラ、通称『テラ』。フレイム王国の各地より『地上の楽園』と称される土地である。
◇◆◇◆◇◆
「貴方が松代浩太?」
フレイム王国王都ラルキアより高速馬車で三日。
「はい」
「いらっしゃい、良く来たわね。リズ……じゃなくて、陛下から話は聞いてるわ。私はエリカ。エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムと申します。気軽にエリカって呼んで」
城、という程立派ではないが、それでもこの街では一番大きめな館の前で場所を降りた浩太に、青いドレスを身に纏った美女が笑みを浮かべて話しかけて来た。
「えっと……はい。これから宜しくお願いします、エリカ様」
「私の事は呼び捨てで良いわ。敬語もいらないし、貴方の方が年上でしょ?」
「い、いえ……そう言う訳には。それに、女性の名前を軽々しく呼び捨てにするのは、少し抵抗がありまして」
「『様』なんて付けられたら、体が痒くなるわ。呼び捨てで結構」
「……それでは、『さん』でどうでしょうか?」
「……そうね。それじゃ、それで手をうつわ。これから宜しく、コータ……コータと呼ばせて貰っても良いかしら?」
「ええ。構いません」
そう言って、ほんのり微笑む二十歳前後の美女。
「……改めて、これから御世話になります」
そう言って頭をさげる浩太に、エリカが先ほどよりも笑みを強くする。
「そんなに緊張しないで。こちらの落ち度何だから、堂々としていれば良いわ」
むしろ、怒ってもいいぐらいよ? というエリカの言葉に、下げた頭をあげて浩太は笑みを浮かべる。
「……何かしら?」
「いいえ。陛下と姉妹なだけはあるな、と。同じ事を陛下にも言われました」
「意外?」
「意外と言えば意外ですね。王族はもっと大上段に構えているものかと思っていましたので」
「悪い事を悪いと認めるのは王族でも貴族でも平民でも一緒。フレイム王国の王姉として私からも謝罪を。申し訳なかったわ」
「お気になさらず」
「それでは御言葉に甘えておくわ」
下げた頭をあげて、青色の瞳がコータを見つめた。白人を思わせる雪の様な白い肌と、腰まで届く金髪が、その青い瞳を一層引き立たせる。
「……取りあえずコータの黒髪、黒眼はフレイムじゃ結構目立つから……そうね、ヤメート皇国の人間、って事にしておくわね?」
「ヤメート皇国、というと……」
「オルケナ海を東に進んだ処にある島国。あまりこのオルケナ大陸では見かけないけど……むしろ、その方が都合が良いでしょ?」
「そうですね」
元々、『勇者召喚』なんて規格外で予想外な事を隠す為に此処まで来たのだ。誤魔化せる事が出来るならヤメートでも何でも構わない。
「なら、そう言う事でお願いね。これからはテラを貴方の故郷だと思って自由に過ごしてくれれば良いわ。必要なもの、足りないモノがあれば何でも言ってくれる?」
エリカの言葉に、浩太が少しだけ考えこむ。これから御世話になるのに我儘を言っても良いものかどうか迷いどころだが……折角こう言ってくれているのだ。御好意に甘えよう。
「……それでは、『本』をお貸し頂けますか?」
「『本』?」
「ええ。何時までになるかは分かりませんが……それでも、これからこの国で過ごして行く以上、ある程度の常識はあった方が良いでしょう? それこそ……」
ヤメートから来た、と言いながら、ヤメートが何処にあるか分からないようでは困るでしょ? と。
「……そうね。それでは適当に見繕って後で貴方の部屋まで持たせましょう。それではコータ。私はこれから執務がありますのでまた夕食の時にでも」
そう言ってスカートの端をちょんと摘まんで挨拶をし、館に消えるエリカを見送る。
「さて……それでは私もお邪魔しましょうか」
手にした鞄をもう一度持ち直し、コータもその後に続いた……ところで。
「えっと……私の部屋って、何処でしょうか?」
この後、勝手に屋敷に入る訳にも行かず扉の前で右往左往している浩太と『領主さまの館の前に不審者が!』という報告を受けた警備隊が鉢合わせ、『私も悪いんだろうけど……警備隊の厄介になる様な事はしないでくれる? 自由にしてとは言ったけど!』と、頭を抱えたエリカが警備隊の詰め所まで浩太を引き取りに言ったのは、余談であろう。