第四十三話 突き合わせた、拳
今回最長です。ただ、その割にはお話は一個も進んでいません。次回でラルキア編は終わる筈です……多分。
ベロア・サーチは、と彼を語る時、多くの人間は一度言葉を切り、少しだけ思考し、やがて少しの羨望を込めて彼をこう評す。
『あれは、一種の天才である』と。
サーチ家はソルバニア王国カトにて四代百年の間サーチ商会を営んでいた。ベロア誕生の瞬間、サーチ家は歓喜に包まれた。嫡子として、御曹司として、初子として生まれたベロアに、父母・祖父母を初めとした親族がかける期待は大きく、そして非常に幸運な事にベロアにはその期待にこたえて余りある才能もあった。
父母・祖父母の厳しくも暖かい教育の下、順調に年齢を重ねたベロアが商売の一部を父から任されたのは彼が十六歳、宝石の売買の責任者に任命させられた時だ。商会の軒先で見よう見まねで真似事こそしていたが、責任のある仕事をする事は初めて。成功は度外視、真意は将来のサーチ商会の会長としての『器』を磨かせる事にあった。
実は、カトの多くの商会ではこの『先代が元気な内に、次代に商売の一部を任せる』という『行事』は伝統的に行われており、そして多くのケースでこの『儀式』は失敗をする。屋台骨を傾かせない程度、伸びきった鼻が折られる程度の失敗を。失敗を経験した次代の経営者候補達は先代の偉大さと、自身の甘さ、『商売』というものに対する畏敬の念を強めて行くのである。言ってしまえば一種の通過儀礼だ。
当然、ベロアにも成功なんて求められていなかった。『あいつも小賢しい智恵は回りよるけど、経営者としてはまだまだや。一遍、失敗してみたらええねん』とは、ベロアの父が当時カトの商会の会合で語った言葉であり、敗戦処理を任された先代からの古株の番頭も、『ボンは少し自信があり過ぎる。ここらで一度『謙虚』言うもん学んでくれはったらもっとええ経営者になる』と言って、快く事後の『敗戦処理』を引き受けた。ベロアの成功など、誰も期待していなかったのである。
そう、当のベロア以外は、誰も。
ベロアは自分の長所と短所を良く理解した『経営者』であり、それを商売に利用する事に一切の躊躇が無かった。人脈も、看板も、金も、誇りも、プライドも、自らのそのルックスさえも利用して商いを展開。遊郭で仕入れた情報を元に、使える人脈をフルに使い、金をばら撒き、サーチ商会の看板で脅し賺し、下げるべき場所では土下座までして見せた。
『頭一つ下げるだけで金が儲かるんやったら、頭やこなんぼでも下げたるわ』
と、ベロアはそう嘯いたという。
その結果、ベロアの手掛けた宝石の売買は、利益を叩き出す事に成功する。しかも、過去百年でも上から数えた方が早い程の大成功だ。敗戦処理を任せられた筈の番頭はその結果に眼を丸くして驚いた後、『サーチ家の全てが詰まっている』とベロアを絶賛し、ベロアの父はその結果に驚きと、些かの不満を持ちながらもベロアを称し、カト商会の次代の経営者達はこぞってベロアを褒めたたえた。
『ベロア、お前ラルキア大学にいかへんか?』
将来のカト商会の会長としての器を持ちだしたベロアに、父がそう声をかけたのは大成功から一年、ベロアが十七歳の時である。
『大学? 大学やこ行っても何の意味もあらへんやろ? 金もかかるし、時間の無駄や。大学で学んだ事が商売に生きるとは思えへんのやけど?』
『そないな事は無いで? ラルキア大学では経済の勉強もさせてくれる。そうしたらベロア、ウチの商売にも役に立つと思わへんか?』
『何言うてんねん、お父ちゃん。ほんまにそないな事思うてるんか? 学者先生の言うてる事が商売に役に立つんやったら、学者先生が商会起こしたら皆大成功、ちゅうことやろ? んな訳無いやん』
『そらそうやけど……ほいでもな? 使う、使わへんはその時判断すればエエけど、知らへんかったら使うか使わんかも分からへんやん』
『せやから、使う程有用な知識を教えてくれるとは思えへんのやって。それよりお父ちゃん、例の小麦の商いやけど、次はローレント辺りに――』
『……分かった。ほな、これならどうや? お前、ラルキア大学に行って四年間遊んできいな』
『――卸そうかと……なんやて? 遊んで来い? 何言うてんの、お父ちゃん。ボケたか?』
『ボケてへんわ! ……あんな? ラルキア大学はオルケナで一等賢い大学や。フレイムだけやなくて、ソルバニアの王府におる官僚も、ラルキア大学を出た人間がぎょーさんおる』
『せやな』
『お前がラルキア大学に行ってる四年間、思いっきり遊んで『知り合い』を沢山作っておいでや。知ってる人間がおるんとおらんのやったら、今後の商売でも随分やりやすさが違ってくるやろ?』
『人脈作りに使え、言う事かいな?』
『有体に言えば、そうや』
以上、当時の二人の会話である。本気で勉強をしようと考えてラルキア大学の門を叩いた学生に対しては随分失礼な話である。失礼な話ではあるが、良くも悪くもラルキア大学入学試験にパスすればその門戸を広く開くのだ。
カトでも指折りの商会の嫡子として、一般以上の教養はベロアにはあった。加えてベロアは所謂『要領の良い』人間だった。過去の入試問題から傾向と対策を導き出し、それを数回反復して解き、分からない事を少しだけ勉強する。商会の仕事の片手間でそれだけをこなし、ラルキア大学の入試にパスしてしまうあたり、ベロアの素養が図れるというモノであろう。
『ほな、行ってくるわ。留守は任せたで、お父ちゃん』
『誰にモノ言うてんねん。ええからはよう行かんかい!』
『たまには帰ってくるんやで、ベロア』
『頑張ってーな、お兄ちゃん!』
両親と妹であるマリアと簡単な別れの挨拶を交わし、ベロアは家を出てラルキア大学に向かった。正直な話、ベロアには父が言う程の魅力がラルキア大学にあるとは思っておらず、精々超長期の休暇程度の感覚で、ソルバニアを後にしたのだが。
ラルキア大学で、ベロアは彼の人生を左右する出逢いをする事になるのである。
◆◇◆◇◆◇
「自分、エエ服着てるな~。それ、結構高いんちゃう?」
ラルキア王立大学入学式。式が終了し、講堂からわらわらと出て来た学生たちの中で、派手では無いものの仕立に金がかかっているだろうと思わせる服装をした学生を見つけて、最初に話しかけたのは自分の方だった、とベロアは記憶している。
「ありがとう。これは入学祝にとお世話になっている方から頂いた品で、私も気に入っているんだ」
屈託の無い、お日様みたいな笑顔を見せてそう言う男性にベロアは少しだけ意外な気持ちを覚えた。全く見ず知らずの人間に話しかけられても訝しげな表情一つせず、柔和な笑顔を浮かべて返す。此処が入学式場で、今後の友人を作る為に皆が積極的に話かけている状況だという事を鑑みても――まあ、中々出来る事では無い。
「私は、クラウス・ブルクハルト。大学では経済を専攻しようと思ってる。君は?」
「あ、ああ。俺の名前はベロア。ベロア・サーチや。まあ喋り方で大体分かると思うけどソルバニアから来てんねん。ほんで、自分の名前がクラウス・ブルク――ブルクハルト? ブルクハルトって、あの『ブルクハルト』?」
ブルクハルト、と言えば商人仲間で知らぬモノは居ない名前だ。ホテル・ラルキアの経営者一族の名前である。
(最初から、どえらい大物引き当てたかいな?)
父から言われた『人脈作り』を思えば、とんでもない僥倖である。頭の中で狂喜乱舞するベロアを知ってか知らずか、相変わらずクラウスは柔和な笑みを浮かべたままで言葉を継いだ。
「どの『ブルクハルト』を差しているのか分からないけど、ホテル・ラルキアのブルクハルトを差しているのなら正解だよ」
おしっ! と、心の中で一人ベロアはガッツポーズ。余談ではあるが、ベロアの才能の一つに『強運』というモノもある。運も実力の内だ。
「へー。ほな、ホテル・ラルキアの御曹司様かいな。流石やな」
「御曹司、という程良いモノじゃないけどね。それに、君だってそうだろう? ソルバニアのサーチ、と言えばサーチ商会を一番に思い浮かべるけど?」
「それは光栄やな。その通りや」
「当ホテルのお得意様ですので、サーチ商会様は」
仰々しく、右腕を腕の前で折り深々とお辞儀をして見せるクラウス。その芝居がかった態度に、思わずベロアも苦笑を浮かべる。
「やめてーな。それより俺も専攻は経済やねん。これから四年間、宜しく頼むわ、『クラウス』」
「こちらこそ、『ベロア』」
ベロア・サーチはこうしてクラウス・ブルクハルトと友誼を結ぶ事になった。
断って置くが、初めのベロアには打算しか無い。ベロアはクラウスを利用しての人脈作りを考えて居たし、その為には多少の便宜を図ってでもクラウスを引き留めておくのは当然だと思っていた。
「今日は暇かい、ベロア?」
「基本、俺はいっつも暇や」
「それじゃ飲みに行かないか? 心配いらない、支払いは私が持つよ?」
「へ? ええで、クラウス。俺かて仕送りぎょーさんもろうてるし、俺が奢ったるで?」
「実は今日、バイト代が入ってね。たまには豪勢に飲みに行きたいと思ってるんだ。どうだい?」
「……そら、クラウスがエエんやったらそれでもエエけど……ほんまにエエの?」
「気にするなよ。その代わり私にお金が無い時はベロアに奢って貰うので、その時は宜しく」
「……なんや、逆に高くつきそうやなソレ」
最初こそ、ベロアはクラウスに対して過剰に気を使った。ホテル・ラルキアに喰い込む事が出来れば、今後の商売には計り知れないメリットがあり、それこそベロアがわざわざフレイム王国まで出張って来た目的でもあるからだ。
「……ほら! しゃんとしなよ、ベロア」
「むり……もう三日も水しか飲んで無いんや。腹減ってうごけへん……クラウス、何か喰わして……」
「み、三日? ベロア、仕送りは?」
「仕送り何か、もうとっくにつこうてしもうたわ……ああ、お腹と背中がくっつきそうや……」
「……どんな使い方をしたらそうなるんだい? というか、商会の跡取りがそんな無計画な使い方で……親御さんが悲しむよ?」
「いやー……ちょーっと羽目外し過ぎて……」
「はー……分かった。それじゃ、ウチにおいで。厨房に言って何か作って貰うから」
「ほ、ほんまか! いやー、流石クラウス! 神様、クラウス様! よ、親友!」
「全く、君という人は……」
「……あ、でも――」
「厨房に言って、と言ったろ? 大丈夫、エルには作らせないから」
「……おおきに。ホンマに助かるわ」
「……空腹で動けない程なのにそれでも嫌がるって、どれだけエルの料理にトラウマがあるのさ」
「空腹は最高のスパイス、言うのは嘘や。つうかそもそも、アレは料理やない」
「……まあ、否定はしないけど」
「オリジナル、言うのは塩と砂糖を一緒に入れる事やないって、誰かエルに教えてやった方がエエのちゃうか? 嫁の貰い手ないで、アレ。料理修業させなあかんって、マジで」
「そうなるとじっけんだい――じゃなくて、どくみ――でもなくて、試作品を食べる係が必要だろう? ベロアは、私に死ねと言ってるのかい?」
「……お前も大概酷いやん」
「豪快で鳴らした祖父に何度も水際で追い返されれば、君も私と同じ感想になるよ」
生まれた時からカトで過ごし、『ベロア・サーチ』として生きて、生き続けて来たベロアに取って、交友関係は二つしか無い。
即ち、『敵』か『味方』か。
無論、カトにも友人と呼べる人間は何人もいる。が、どうしても『カトの商会の嫡男』という狭いコミュニティーで育ったベロアに取って、『同年代の友人』はそのまま『商人仲間』であり、究極言ってしまえば『商人仲間』は即、『商売敵』である。完全に心を許しきっていたか、と問われれば疑問符が浮かぶのは当然の帰結であろう。
そんな中で、クラウスの存在は『異質』だった。
いつもニコニコと柔和な笑みを浮かべ、怒らない。
何だかんだ文句を言いながらも、最終的には『しょうがないな、ベロアは』と苦笑交じりに助けてくれる。
どちらかと言えば『ギラギラ』している商人達の間で育ったベロアに取って、クラウス・ブルクハルトという人間は今まで接して来た事の無いタイプの人間であり、そして、彼の周りに集まる人々の笑顔を見て羨ましくも、自分が一番『親しい友人』である事が誇らしいという気持ちもあった。
そもそも『友人』と商売の話も、金勘定の話もせず、ただ『馬鹿な話』が出来るという事が、ベロアに取っては衝撃的であり……現金な話であるが、ラルキア大学を勧めてくれた父に、感謝をしていたのである。
◆◇◆◇◆◇
「君が、ベロア・サーチか?」
「せやけど……自分、誰?」
何時も通り、学生食堂で食事をしていたベロアと、本を読みながらそれに付き合っていたクラウスに、声をかけたのは赤毛をポニーテールに結んだ女性。
「私はシオン。シオン・バウムガルデンだ。以後、宜しく頼む」
シオンである。
「……シオンさん、でっか。ほいで? 俺に何か用かいな?」
「ああ。少し込み入った話になるから隣、良いか?」
「……込み入った話、かいな。それはちょっと面倒やけど……」
「どうぞ、お座り下さいシオンさん」
「ちょ、クラウス!」
「クラウス……ああ、君が『あの』クラウス・ブルクハルトか?」
「ええ、私はクラウス・ブルクハルトですが……私の事を、ご存じで?」
「有名だからな。知っているか? 『ラルキアの良心』と呼ばれてるんだぞ、君は」
「……初耳です。そして恥ずかしいですよ、それ」
「恥じる事は無いさ。何時でも温和で怒らず、同級生や先輩方が困っていたら手を差し伸べ、共に悩み、共に歩み、一切の見返りを求めない。聖人君子かと評判だよ、君は。無論、良い意味でな」
「シオン・バウムガルデンさん程の有名人にそこまで言って貰えるとは……恐縮です」
「知ってんのか、クラウス?」
「むしろ知らないのかい、ベロア。十五歳でラルキア大学に入った天才児、シオン・バウムガルデンさん。ラルキア大学一の有名人だよ? ……ああ、気分を悪くなされたならすいません」
「構わんさ。ただ、少し誤解がある」
「誤解?」
「『天才』は言い過ぎだ。私は凡人だよ」
「十五でラルキア大学に入った人の台詞ではありませんよ」
「その辺りは認識の齟齬があるか。まあ、良い。それより、ベロア」
「……いきなり呼び捨てかい」
「ベロア、君に聞きたい事があるんだが、良いか?」
「しかも人の話もきかへんで……なんやねん?」
「何故、アナスタシアを振ったんだ?」
「……は?」
「アナスタシア・ロートリゲンだ」
「…………クラウス、誰?」
「いや、誰って……覚えて無いのかい? 眼のくりっとした可愛らしい女性だよ。君に昨日、告白してただろう?」
「あの子かいな。アナスタシアって……そんな名前やったけ?」
「……君ね、幾らなんでもそれは酷いんじゃないかい?」
「そう言われても……一々、覚えてられへんもん」
ベロアの台詞に、クラウスは大きく溜息。勇気を振り絞って告白した女の子の心情を慮れば、余りにも余りの仕打ちであるが。
「大体、話をした事も無いのにいきなり『好きです』言われたかて困るちゅうねん。何や? 俺の顔見て好きです、言うてるんか? それとも金? どっちにせー、碌なモンやないわ、それ」
相手にもまあ、非はある。こんな酷い男に告白した事が、であるが。
「……ほんで?」
そこまで喋り、ベロアはシオンを睨みつける。
「シオンさん、やっけ? 俺に何の用や? その……ナントカさんの友達か? それやったら苦情は一切受け付けへんで?」
「苦情? 何の話だ?」
「せやから、そのナントカさんを何で振ったんだ、とか、可哀そうだから付き合ってやれとか、そう言った話はいらへん言う事や」
「そんな事を言うつもりは無い。君の振った理由についても、ある程度は理解できるモノもある」
「……へ?」
「良くも知りもしない相手に、いきなり愛など告白されても迷惑だろう? 自慢では無いが、私もそこそこ整った容姿をしているからな。そういった手合いには辟易しているし、君の意思を尊重するさ」
「……へー。理解あるやん、自分」
「ただ、アナスタシアの名誉の為に弁解させて貰えるであれば、彼女は別に顔だけを見て君に好意を持ったわけでは無い。彼女が教科書を忘れた時、君が貸してあげたのだろう? その時の優しさと笑顔に随分、参ってしまったらしい。まあ、それも『顔』を見ている事にはなるのだろうが」
「……あったかいな、そんな事?」
「あっただろう。君が『ええで、俺はクラウスと一緒にみるさかい、俺のつこうとき!』って」
「……覚えてへんわ、そんなん」
「……君という奴は」
「ははは。なるほど、これはアナスタシアが悪い」
「何でや?」
「男を見る目が無かったからだ。酷い男だな、君は」
やれやれと肩を竦めるシオンを、ベロアは不満げな顔で睨みつけ、口を開く。
「……ほいなら、何の用や? 言っとくけど、俺も忙しいんやで? 飯食ったらクラウスと一緒に課題を――」
「それだ」
それを遮る様に。
「――どれや?」
「私が君に話しかけた理由だ。そもそも、何故アナスタシアの告白シーンの詳細をクラウスが説明出来るんだ?」
「そら……一緒にいる時、告白されたから」
「それでは教室で教科書を貸した時は? その時も一緒に居たんだろう?」
「クラウスが隣に座っていたからやけど」
「今日は? 見る限り、クラウスは昼食を既に済ましているようだが?」
「いや、俺ちょっと遅くなったから……ほいでも一人で食べるのちょっと寂しいし、クラウスに付き合ってもろうてるんやけど」
「ふむ」
ベロアの言葉に仰々しく腕を組んで瞳を閉じ、その後開けた瞳で二人を交互に見渡して。
「君達は、付き合っているのか?」
「「……は?」」
クラウスとベロアの声が、はもった。
「だ、誰と誰が付き合ってんねん!」
「ベロアとクラウスが、だが?」
「『だが?』やないわい! 何処をどう見たら俺らが付き合ってる事になんねん!」
「何処からどう見てもだろう。仲が良いのは結構だが、君達のそれは少し常軌を逸しているぞ?」
「そ、そんな事ないわ!」
「そうか。それでは、ベロアとクラウスがホテル・ラルキアから連れだって出て来たという噂があるが……それは嘘か?」
「い、いや……それは確かに、そう言う日もあったやろうけど……」
「一緒にお風呂に入っている、というのは?」
「ホテル・ラルキアの大浴場には一緒に入ったことある……けど……」
「毎日、クラウスがベロアのご飯を用意しているというのは?」
「ま、毎日ちゃうわ! ま、まあ……三日に一遍くらいはご厄介になってるけど……ほ、ほいでも別にクラウスの手作りちゃうし!」
「大学ではいつも一緒に行動していると聞くが?」
「そら……まあ、否定はせーへんけど」
「……ふむ」
もう一度、シオンは腕を組み中空を見上げ。
「本当に君達、付き合って無いのか?」
「付き合ってへんわ!」
「しかし、女子学生の間では有名だぞ? 今年度のラルキア大学ベストカップルはベロアとクラウスだ、と」
「デマ! デマもええとこや!」
「男女の恋愛の機微にも疎いが、男と男の恋愛の機微にはもっと疎い。良ければ教えて頂きたかったのだが」
「それは俺には荷が重すぎるわ! クラウス! お前もなんか――」
「……ははは……私とベロアが付き合ってる……ははは……ラルキア大学の女子学生の間で有名……は……ははは」
「真っ白に燃え尽きているが?」
「お前のせいや!」
「ラルキア大学女子学生の総意だ」
「流石ラルキア大学! 一味も二味も違うってなんでやねん! とにかく! 俺らは別に付き合ってへん!」
「だが、仲は良いんだろう?」
「まあ……そら、そうやけど」
「ならば、今後恋愛に発展する可能性も十分あるな」
「無いわ!」
「ふむ」
ベロアの天に届けとばかりの怒声もどこ吹く風。腕を組み、二三度うんうんと頷いた後、シオンは笑顔をベロアに向けた。
「よし! 分かったベロア、クラウス。私は君達の恋路の行方を最後まで見守りたいと思う!」
「話を聞けや、自分!」
「今後は、私も君達と行動を共にさせて貰おう! ああ、心配しないでくれ。君達の愛が盛り上がってきたら、私は何も言わずに空気を読んでフェードアウトする所存だ!」
「心! 今お前が読むのは空気や無くて人の心や!」
「ああ……本当に、世界は面白い。私を何時までも飽きさせないなんて……ふふふ、ますます世界に恋をしてしまうじゃないか」
「痛い発言が飛び出してますけど! つうか自分な、ほんまに人の話をきけや、コラ!」
――最初の出逢いこそ、まあ……有体に言って最悪だったが、そこからはシオンを交えて三人で行動をする事が増えて行った。余談だが、初めてシオンがエルと出逢った時にこの話をエルにしてしまい、唯でさえ『お兄さまを取られた!』と思っていたエルのゲージをガシガシ削り、浮かべた笑顔を引き攣らせたという。エルのベロア嫌いは、シオンによって醸成されたと言っても過言では無い。種を巻いたのはベロアだったが。
「せやから言うてるやろ、シオン!」
「ふん! 貴様には言われたくない!」
「おい、クラウス! 何とか言うたってや、この頭の硬い女に!」
「おい、クラウス! 何とか言ってやってくれ、この節操の無い男に!」
「何やと!」
「何だと!」
「……本当にいい加減にしてよ、二人とも」
クラウスの心労を別に、ベロアとシオンは喧嘩をしながら、それでも仲良く大学生活を送り、卒業。ベロアはフレイム王国を去りソルバニアに戻り、シオンは王立学術院に奉職、クラウスはホテル・ラルキアに就職と進路はバラバラになりながら、三人の友誼は続いていたのである。
◆◇◆◇◆◇
「開いてるで~。勝手に入ってき」
コンコン、と扉をノックする音にベロアは読んでいた本から顔をあげずに答えた。
「読書中?」
「いいや。暇やから開いてるだけや」
読んでも読んでも内容が頭に入って来る事は無いし、そもそもそんなに興味も無い。ただの暇つぶしだ。
「……随分、不用心だね。物盗りの類だったらどうするつもりだい?」
「物盗りやったらノック何かせーへんし、そもそもそんな安宿に泊ってるつもりも無いわ」
それに、と。
「そろそろ、来る頃やろうって思ってたしな」
読んでいた本からようやく顔を上げ、ベロアは挑む様に睨みつける。
「ほんで? 何の用や、クラウス」
「……おや? そろそろ来る頃だと思っていたんだろう? なら、何故私が此処に来たかぐらい、想像がつくだろう?」
「そら、まあな。せやから先に言うておくけど、謝罪はええよ? クラウスの言うた事やって間違ってへんし。確かに俺には手数料が入る。それも、ごっつい額の手数料や。それを狙って来たと思われても仕方ないしな」
「そうかい」
そう言って、何でも無い様に部屋の中の椅子に腰を降ろす。
「それじゃ、謝罪はしないよ」
「は?」
「謝罪は要らないんだろう? だったら謝罪はしない」
「……」
「あれ? 謝罪、要るの?」
「いや、いらへんけど……何や? そしたら、何の用や?」
「何の用って……何言ってるの、ベロア。自分で言ってたじゃないか」
そう言って、何時もの様に柔和な笑みを浮かべ。
「ビジネスの話だよ。ホテル・ラルキアは貴方の、ベロア・サーチの申し出を有り難く受け、ユナホテル・グループとの業務提携を受け入れたい」
「……へー。一体、どういう心境の変化や? ホテル・ラルキアの大事な大事な金看板を汚すの、嫌やったんやないんかい?」
皮肉交じりにそう問いただすベロアに、クラウスは笑みを浮かべたままで返す。
「金看板を汚すつもりはないさ。ただ、私が見てた金看板は金看板じゃ無かったってだけで」
「……おもろい事言うな、クラウス。ほんで? その心は?」
「コータさんとエルのお陰、といったところかな?」
クラウスが、そう言った瞬間。
「へー。そいつは良かったな」
ベロアの眼が、急速に興味を失って行く。
「……ベロア? どうした?」
不意にそんな表情を浮かべたベロアを訝しむクラウス。
「……お前はいっつもそうやな、クラウス」
そんなクラウスに、ベロアは瞳に憐憫と……侮蔑の色を浮かべて。
「俺はな、クラウス。実はちょっとだけ嬉しかったんや」
「嬉しい?」
ああ、と頷き。
「勘違い、せーへんでな? 正直俺、お前の事は大好きやで? 誰にでも分け隔てなく接し、優しく、温和。人と争う事は嫌いで、俺やシオンが面倒をかけても、『仕方ないな』とは言っても『いい加減にしろ』と怒る事なく、見捨てる事無く、笑って見守る。そんなお前の事、俺は大好きや」
「それはどうも。何だか照れるね」
「俺にはどう足掻いても出来へん。そんな、無条件で人に優しく出来る様な出来た人間ちゃうからな、俺は」
「言い過ぎだろう、それは」
「言い過ぎなもんかいな。お前は誰にだって優しく、皆はお前に優しかった。誰からも頼られて、誰からも信頼されて、いつでもお前の周りには人がおった」
……でもな、と。
「お前のその『誰とでも合わせる』所、俺な」
瞳の色は、そのままに。
「実は、大嫌い、やってん」
「ベ……ロア?」
「ああ、そうや。そういうお前の『本心』を見せへん所な」
いつだって、クラウスは温和で。
いつだって、クラウスは優しくて。
怒る事をせず、ただ笑って受け入れて。
「事なかれ主義で、誰に意見をされても何にも言わへんお前がな」
仕方ないな、と笑って。
しょうが無いさ、と笑って。
誰にでも、何にでも、『自分』を主張しない、そんなクラウスの事が。
「俺は、大嫌いやってん」
「……」
「そんなお前がようやっと、自分の『考え』を前面に出してくれた。人の意見ばっかりきいてはるお前が、ようやっと自分の意見を言うた。そう思うたら……まあ、エルはええわ。コータはん? 昨日、今日出逢った人間にちーっとばっかり智恵を付けてもろうたら、もうころっと宗旨変えするんかいな? は! 何がラルキアの金看板や」
「……」
「結局、お前はお前や、クラウス。何時だって『人の意見』しかきかへん、事無かれ主義のまんまやな。ええやん、くるくるー言うて巻かれとき、ボケが」
「……随分、言ってくれるじゃないか」
そんな、ベロアの挑発とも言える言葉と、視線に。
「君には、そんな偉そうな口を叩いて欲しく無いね」
「……」
「ああ、認めるよ。私は今までただ『笑って』いた。どんな事があっても、どんな辛い事があっても、馬鹿みたいに笑っていた。誰とでも合わせ、誰とでもにこやかに過ごせるように努力もしてきたさ。だって、そうだろう? それが私の生き方だ。どことも、誰とも反発する事無く、挑発する事無く、ただ生きていた。それの何処が悪いんだい?」
それに、と。
「君だって……そんな『私』を受け入れたんじゃないのか?」
「……まあ、せやな。クラウスには随分助けて貰ったしな」
「そうだろう? そんな君が、『大嫌いだった』? は! ちゃんちゃらおかしいよ、ベロア」
「……」
「ああ、勘違いしないでくれ、ベロア。私は君の事が大好きだ。君はいつだって前を向き、困難すら楽しんで、自分の思うがままに振る舞って来た。眩しかったよ、私には。自分の持っていないモノを持っている君が、いつか、とてつもなく大きな事をしてくれるんじゃないかと思わせてくれる君が大好きだったさ」
でも、と。
「……思い出したよ、ベロア。周りを顧みず、自らの力だけで切り抜けようとする君が……私は、大嫌いだったんだよ」
「……へー。そうかいな」
「ああ、そうだ」
「そら、奇遇やな。お互い、お互いの事が嫌いだったなんてな」
「そうだね。こういうのは、意見の一致って言うんかいな?」
「さあ、どうだろう? どう思う、ベロア?」
「……ああ」
「うん?」
「俺、お前のそう言う所も嫌いや。自分の意見を言わずに人に意見を聞く所」
「ああ、そう言えば私も君のその自分の意見しか言わない所が嫌いだったよ」
そうして、睨みあい。
「俺は、お前の事が大嫌いや」
「私は、君の事が大嫌いだよ」
「人の意見ばっかり聞いて、自分を主張しないお前が」
「人の意見を聞く事をせず、自分しか主張しない君が」
「誰にでも優しく、誰にでも甘く、『嫌われる』事が嫌いなお前が」
「自らの力を信じ、誰に慮ることをしない『協調性』が皆無な君が」
「俺は、大嫌いや」
「私は、大嫌いだ」
「……でも」
「……でも」
「俺は、お前に憧れていた」
「私は、君に惹かれていた」
「周りに愛され、周りに支えられるお前が、どれ程羨ましかったか」
「周りなど気にせず、一人で輝く君の事が、どれ程羨ましかったか」
「いつもお前の真似をしようとした」
「いつも君の真似をしようとしたさ」
「でも、俺には無理やった」
「でも、私には無理だった」
「それが、どれ程悔しかったか」
「それが、どれ程苦しかったか」
「それが、どれ程悲しかったか」
「それが、どれ程寂しかったか」
「妬ましくて」
「嫉ましくて」
「……俺は」
「……私は」
「クラウス、お前になりたかった」
「ベロア、君になりたかったんだ」
睨みあい、見つめ合い。
「……はは」
「……ははは」
「……はーっはは! なんや、クラウス! お前、俺みたいに成りたかったんかい!」
「君こそだよ、ベロア。なんだい? 皆に好かれる様な良い顔をして生きたかったのかい?」
そして、笑いあう。
「……なあ」
「なんだい?」
「俺ら、幾つやっけ?」
「若いのにボケたかい? もうすぐ二十七だよ」
「そうやんな~。ああ、恥ずかしいわ。こういうのは学生時代にやっておくもんやろ?」
「だね。この年でやると少し恥ずかしいよ」
「少し?」
「……訂正。だいぶ、だね」
「せやろ? お前、何処の青春演劇の主人公やねん! ちゅう感じやな」
そう言って笑うベロアに、クラウスが苦笑で返し。
「……ほんで? どないすんねん?」
「……ホテル・ラルキアは魔窟だ」
「せやろうな」
「私と同様、凝り固まった思想を持った諸先輩方が沢山いる。性質の悪い事に、その諸先輩方の意見も一理あるんだ。ホテル・ラルキアの伝統には『高い』という所も、間違い無く含まれてるんだから」
「安いのをウリにするのは許されへん、言う考え方やな。まあ、予想通りや」
「そんな諸先輩方を納得させなければ、ホテル・ラルキアの未来は無い……とまでは言わないが、相当苦しいモノになる。是が非でも、今回の案件は通さなければならない」
「ついさっきまで反対してた人間の意見とは思えへんな」
「人の意見は変わるんだよ、ベロア。良い悪いは別にしてね」
「それを為し得たのがコータはんとエル、言うのがなんやちょっと気に食わへんけど……まあええわ」
そこまで喋り、ベロアはじっとクラウスを見つめる。その視線の意味に気付いたクラウスが、姿勢を正して。
「……手伝ってくれるかい、ベロア?」
そのクラウスの言葉に。
「……嫌や」
一刀両断。
「……お前な? さっき俺の言ってた事、もう忘れたんかい? 『手伝ってくれるかい?』 や、ないやろ? 自分の意思を言えや、自分の意思を」
ベロアの言葉に、二三度眼を瞬かせて。
「……手伝ってくれ、ベロア」
「了解」
我が意を得たり、と、相互を崩すベロアにクラウスも表情の緊張を解いて。
「ヘマすんなや、親友」
「誰に言ってる、親友」
ガツン、と。
拳同士がぶつかる音が、狭い室内に響いた。




