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第四十二話 守るべき『誇り』

色々思う所があるので、修正が入るかも知れませんが……取りあえず、四十二話です。何とか日曜日中だ……

「ここにおられたのですか」

「……ああ、コータさんですか」

 立派な門構えの正門を抜け、ホテル・ラルキア受付に続く道を左手に折れた所にホテル・ラルキア本館庭園はある。季節にあった花が咲き誇り見る者を和ませるそこは、やんごとなき人々が愛を語り合う際によく利用される事から『囁きの庭』と呼ばれている。ホテル・ラルキア内の人気スポットの一つだ。

「探していましたよ、シオンさん」

 庭園の芝生の上に腰掛け、夜空を眺めるクラウスの隣に浩太も腰を降ろした。ちらりと浩太に視線を移し、すぐに夜空に視線を戻すクラウスに承諾の意を取り浩太も同様に夜空を見上げた。

「……月が綺麗ですね」

「……」

「コータさん?」

「失礼。私の国では『月が綺麗ですね』は愛の告白と同義ですので。お気持ちは嬉しいですが……申し訳ありません、私にそちらの趣味はありませんので」

 浩太の返答に驚いた様に目を丸くし、いつもの柔和な笑みを苦笑に変えるクラウス。

「少し、コータさんの事を考え違いしていたのかも知れません」

「そうなんですか?」

「御冗談など言われない方かと思っていました」

「もしかしてガチガチな人間だと思ってます、私の事を?」

「ええ、失礼ながら」

 苦笑交じりの返答に、こちらも苦笑で返す浩太。

「……申し訳ございません」

 やがて。

「なにがですか?」

「お見苦しい所を見せてしまいました」

 ポツリと、クラウスが口を開く。

「シオンさんが随分驚いておられましたよ。『あの温厚なクラウスがあんなに感情を露わにするなんて』って」

「軽蔑しますか?」

「軽蔑?」

 苦笑を、苦しそうな表情に変化させて。

「……ベロアに言った言葉です」

「……ああ」

 何時ものように頬を掻きながら、浩太は苦笑の色を強くする。

「まあ、あまり良い事とは言えませんが……それでも、その辺りの事は分からないでもないです」

「そうなのですか?」

「『お金が絡むと』という言い方はあまり好きではないのですが」

銀行員、特に融資に関わる人間は入行後、一つの信念を叩きこまれる。



『顧客とは仲良くしろ。だが、顧客とは仲良くしすぎるな』



 銀行は人様のお金を預かり、それを人様に貸し出した利鞘で商いを行う業種だ。よく『銀行は晴れた日に傘を差し、雨の日に傘を取り上げる』と言われる。自らの身銭では無いお金を貸し出す以上情実だけで融資の可否を決定するなど論外であり、ある程度の根拠――つまり、『お金が返ってくる』事を証明して貰わないといけない。それも、客観的に視て誰もが納得する形で。

「……そう言う事もありますよ、追いつめられると」

 今まで仲良くしていた銀行員が、急に『社長、売上が下がっています。何か抜本的な解決策を提示して下さい。でないと、融資出来ません』と言ってくるのだ。言われる社長も辛いだろうが、言う銀行員だって辛い。社長からは『やっぱり銀行は晴れた日には』と罵倒され、恩知らずと詰られ、責められ、考え得る全ての罵詈雑言をあびせられて、会社から追い出されるのだ。今まで仲良くしていた社長に、である。血も涙も無いロボットでは無いのだ、銀行員だって。

「経験が無い訳でも無いですし、つい言ってしまうという気持ちも分からないでも無いです。ですが、早めに謝罪はしておいた方が良いとは思いますが」

 かっとなって言ってしまった言葉は、中々訂正し辛い。理屈では分かっていても、感情が納得してくれないから。そしてこの種の言葉は時間が立てば立つ程、訂正するのがますます難しくなるのが常だ。

「……そうですね。ベロアには謝罪に行きます」

「まあ、ついカッとなって言った言葉という事で許してくれますよ、ベロアさんも」

「……そうだと良いのですが」

 そう言って、しばしの間瞑目して。

「……少し、昔話をしても?」

 視線を天空に戻し口を開いた。

「……どうぞ」

「私が養子であるという話はしましたよね?」

「ええ」

「私の実家はローラ、という街で小さなホテルを経営しております。ローラは御存知で?」

「確か、『賭博の街』でしたよね? フレイムで唯一公営賭博が認められてる」

「そうです。私の実家のホテルは元々ホテル・ラルキアの分館でしたが……私の祖父の代に、ホテル・ラルキアから独立した経緯を持っています」

「ホテル・ラルキアの分館、ですか。それでしたら由緒正しい歴史を持っているんですね」

「そうだと良いのですが」

 そう言って、苦笑を浮かべ。

「……ローラは観光地で、しかも賭博の街です。治安だってラルキア程は良くありませんでしたし……まあ、酔っ払い同士の喧嘩もありました。特に私の実家は『そういう』客層を相手にし、ホテルの一階を酒場にしている事もありましたから、喧嘩なんて日常茶飯事でしたね」

「ホテル・ラルキアの分館だったとは思えませんね、それは」

「祖父自体も決して素行の良い人間では無かったですので。飲む、打つ、買うと、まあ三拍子揃った人間だったようです。ローラに住んでいながら、良くパルセナに遊びに行っていましたし」

 苦笑を少しだけ強くして。

「アドルフ様……今のホテル・ラルキアの会長はそんな祖父の事が好きだったようでして、良く私の実家に遊びに来られていました。いつもパリッとしたジャケットにスラックス。糊の効いたシャツを粋に着こなして、頭には中折ソフト帽を被って」

 こう、と左手を頭に当てて右手でドアを押しあける姿をして見せる。

「カウベルがカラン、カランと鳴りながらゆっくりアドルフ様が入って来られると、今まで喧騒に包まれていたエントランスの雰囲気が一変するのです。静寂が場を満たし、その静寂の中を靴をカツカツと鳴らしアドルフ様がカウンターまで歩いて来る。まるで、一枚のレリーフを見ているようで……華がある、というのはあの人の様な事を言うのでしょうね」

 過去を懐かしむ様に、遠い眼をして見せて。

「そんなアドルフ様の、ホテル・ラルキアの経営トップが持つカリスマ性に圧倒され……アドルフ様の洗練された仕草に、服装に、所作に、全てに圧倒され、憧れました。子供心に『格好良い男』であると思い、何時かこの人の様になりたいと思わせる……そんな人で」


 ――同時に、自らの父親がどうしようもなく『みすぼらしく』見えて、と。


「……酷い事を言っている、と今では自覚しています。ですが当時の私はどうしても父が我慢できなかった。アドルフ様の様な洗練されて格好良い男では無く、粗野で、ガサツで、お客様同士の喧嘩に嬉々として乱入して、浴びる様に酒を煽る。人間としての魅力が欠落している様に私には見えて」


 そして、と。



「私は、それが嫌で嫌で……仕方ありませんでした」



「……」

「自らの父と同じ職業を営んでいながら、正反対のアドルフ様。その差がそのまま、ローラの安宿と、世界に冠たるホテル・ラルキアとの差に思えました。何故、私はこの家の子供なのだろう? 何故、私はホテル・ラルキアの子供に生まれなかったのだろう? 一生私はこのちっぽけで小汚いホテルの支配人として生きて行くのかと……それが、嫌で嫌で仕方無かった」

 だから、と。

「……私が、十七の時です。ホテル・ラルキアからアドルフ様の使いが来ました。『君が望むなら、ラルキア大学に進み、いずれはホテル・ラルキアで働いてみないか?』と」


 満天の夜空に、顔を上げて笑みを――子供の様な笑みを、見せて。


「……嬉しかった。私は、これから超一流ホテルの人間として生きる。焦がれ、目標とし、いつかこうなりたいと思うその人の下で働く事が出来て、しかも勉強の場まで与えてくれる。そう思うと嬉しくて、嬉しくて……嬉しくて、堪らなかった」

 本当に、本当に嬉しくて、と。

「……ホテル・ラルキアについた初日、言われました。『運が良いな』と」

「……」

「私自身、運が良いと思っていたので満面の笑みで頷きました」

 皮肉とは気付かずに、と苦笑をして見せ。

「ホテル・ラルキアとは随分違いますが、それでも一応、私だってホテルマンの息子です。基本的な仕事内容や一通りの礼儀作法は学んでいたと思っていました。アドルフ様には『勉強に集中すれば良い』と言って頂きましたが……それでも私は働きたかった。一日でも早く、アドルフ様の様な人になりたくて……」

 知っていますか、コータさん、と。

「何を、でしょうか?」

「ホテル・ラルキアではチップを断るんですよ」

「珍しいですね、それは」

「ホテル・ラルキアは最高のサービスを提供しているつもりです。サービスに対しての対価は十分に頂いておりますのでチップは不要、という考え方です」

 クラウスの言葉に浩太は少しだけ首を捻る。

「チップはお礼の意味も持っていると思っていたのですが。断るのは逆に失礼ではないですか?」

「その考えも否定はしません。ですが」


 それが、ホテル・ラルキアの『伝統』です、と。


「……ホテル・ラルキアの『伝統』なんです。チップでそれです。料理の出し方、お客様の案内の仕方、お客様との会話、それこそ私の家のホテルとはまるっきり違う。私が今まで学んできた常識は一切通用しない。そういう所でした」

「……」

「ホテル・ラルキアで、私は『田舎者』として侮蔑されました。ホテル・ラルキアの『品格』にそぐわないと罵倒されました。ホテル・ラルキアの、その一員として働く、『資格』が無いと……そう、嘲笑されました」


 ふうーと長い息をクラウスは吐き。



「私は怖いのですよ、コータさん」



 呟くように、そっと。


「怖い?」

「ホテル・ラルキアの伝統を貶めるのが怖い。ホテル・ラルキアの誇りを汚すのが怖い。ホテル・ラルキアの看板に傷をつけるのが怖い。連綿と続く、ホテル・ラルキアの歴史のその一ページを、泥に塗れさせるのが怖い。怖くて怖くて……」


 新しい事を決断するのが、怖いんです、と。


「……そんな事ばかりを考えて、十年です。何時しか私は人の顔色ばかりを伺って生きる様になりました。ホテル・ラルキアに相応しい人間に、ホテル・ラルキアの看板を辱めない、そんな人間になろうと……そう思いました」

 クラウス・ブルクハルトの努力は称賛に値すると言ってよい。僅か、一年だ。僅か一年の勉学の末、彼はラルキア王立大学に入学を果たす。席次自体は決して良いモノでは無かったが、ラルキア王立大学に入学する人間はフレイム王国のみならず、他国でも優秀な人材なのである。末席でも、引っ掛かるだけで十分立派だ。

「……ラルキアの暮らしの中で、私は『安寧』に生きる生き方を身につけたのでしょう。田舎者の私は目立たない様に、田舎者の私は出しゃばらない様に。怒らず、騒がず、嫌な事を嫌と言わず、誰にも嫌われない様にいつもニコニコ笑って、毒を吐かず、意見をせず、非難をしない」

「……」

「……ベロアは頭が良い人間だ。恐らく、私がそうやって何時もニコニコと笑って……『偽って』生きている事に気付いてもいたでしょう。そんな私が、あんな言葉を吐いたんだ」


 きっと……あれが本音だと思ったでしょう、と。


「……いえ。あれが私の本音なのかも知れませんね」

「クラウスさん」

「……話を戻しましょう。ホテル・ラルキアを、その伝統と誇りと看板を守る為に、私はそうやって生きて行こうと決めました。舗装された道があるのであれば、その舗装された道の上を歩いて行きます。道の上に石が落ちているのであれば、その石を避けて通る事はするでしょう。ですが……ですが、衣服を汚す危険を冒してまで、私は脇道に逸れたいと思いません」

 意外に思われるかも知れないが、実は創業一族よりも雇われ社長の方が『伝統』や『誇り』に対する思い入れが強い事というのは多々ある。創業者より、ではない。創業一族よりも、である。

 一例として適切であるかどうか甚だ疑問ではあるが、と前置きをした上で――徳川幕府第三代将軍、徳川家光は大広間に集まる諸侯を前に『余は生まれながらの将軍である』と宣言したという。別に家光公が天下を、徳川幕府を蔑ろにしたという訳では無かろうが、天下に対する『思い入れ』や『憧憬』は恐らく家光に『伊達の親父殿』と慕われた伊達政宗の方が強かったのでなかろうか。

 家光は生まれながらの将軍、つまり『天下』とは徳川の、引いては自分のモノである認識が強かったであろうし、幼少時の一時を除いて御世継として育てられていたであろう事は想像に難くない。そんな家光公に取って天下とは『あって当たり前』の自分のモノであったであろう。

 後を継いだ『外様』には『あって当たり前』という感情は無い。無いからこそ余計に、伝統や誇りを事の他大事にするパターンが往々にして多い。外様に取って『伝統』や『誇り』は元々無かったもので、それが降って湧いた様に手に入ったのだ。有るのが難しいから『有り難い』、元々手元にあったモノを失くすより、手に入った物を手放すのが惜しいのは……まあ、世の常であろう。

「舗装された道を歩む、ですか」

「ええ」

「個人的には舗装はされていないと思いますが?」

 現時点でのホテル・ラルキアの経営は決して隆々では無い。どちらかと言えばでこぼこ道である。

「……それでも、です。それでも私は、『伝統』と『誇り』を守りたい」

「……ふむ」

 顎に手をやり、ちらりと浩太はクラウスに視線を滑らし、その後ろの夜空とホテルに眼をやる。電気設備など無いこのオルケナ大陸で、夜でも煌々と……は言い難いも明るいホテル・ラルキアの威風堂々とした姿を視界に治めて。

「……私の家は和菓子……ええっと、ヤメート風のお菓子を作る菓子職人でした」

「……ほう」

「ホテル・ラルキア程ではありませんが、そこそこ古い老舗の菓子屋ですし……身内贔屓もありますが、味は良かったのである程度の顧客はついていたんです。伝統を守り、看板に傷をつけない様にしていましたが」

「していましたが?」

「近隣に、安くて美味しいお店が出来ました。ライバル店、という奴ですね」

「……」

「当代である私の父は悩みました。味については負けてはいない筈なのに、それでも客足はドンドン遠のいて行く。日に日にやつれて行く父母の姿は、幼心にクル物があり……そして、父は決断しました」

「……どの様な?」

「洋風菓子……オルケナ大陸で売られている様なお菓子を作ろう、と」

「……」

「同じお菓子とは言え、製法も何も分からない中でのオルケナ風のお菓子です。試行錯誤の上、父はそれを製造し店頭に並べました。ヤメート風菓子店として百年近くの伝統と誇りを持っていた我が家は、時代の流れに負けてオルケナ風のお菓子も扱う店に変化を遂げていました」

「……それで」

「はい?」

「それで……コータさんのお父上のお菓子屋はどうなったのでしょうか?」

「物珍しさもあってか、客足は前の二倍程になりました。今でも隆々に経営をしていますよ」

「……そうですか」

 浩太の話に耳を傾けていたクラウスがほうっと長い息を吐き、悲しそうな瞳を浩太に向ける。

「……貴重なお話をありがとうございます」

「いいえ、唯の昔話です」

「ですが、コータさん。私はそのお話をお聞きしてもやはり自らを曲げる訳には行きません。伝統や誇りを捨ててしまっては、それは既にホテル・ラルキアとは言えません。仰る通り、新たな舵取りをするのも必要な事なのでしょう。ですが――」

「ああ、ちょっと待って下さい」

「――それでは……え?」

「失礼な事を言わないで下さい。別に我が家は『伝統』を捨てたつもりは毛頭ありませんよ?」

「……え?」

 ポカン、と大口を開けて浩太を見るクラウスに、続けて言葉を被せる。

「伝統や誇りは財産です。その財産を捨てるなんてトンデモ無い。捨てる訳無いでしょう」

「で、ですが、コータさんのご実家はヤメート風のお菓子一本だった体制を辞めて、オルケナ風のお菓子も扱う店に変えたのでしょう? なら、百年の歴史を持っていたお菓子屋さんは――」

「確かに我が家はヤメートの菓子だけの店から、オルケナの菓子も扱う店に変化しました。ですが、それは別に誇りや伝統を蔑ろにした訳ではありません……まあ仰る通り、私も最初は伝統を捨てたと思っていましたが」

「では!」

「違ったんです。クラウスさんや私が思っていた『伝統』は」

「……どういう意味ですか?」

「私は、『ヤメート風のお菓子を扱う』事が伝統だと思っていました」

「私もです」

「ですが、そうでは無かった」


 一息。


「我が家の『伝統』は、『菓子作りに真摯に向き合う』だったんです」


「……え?」

「ヤメート風のお菓子だったから、顧客は我が家の菓子を求めていた訳では無い。真摯に菓子と顧客に向きあう姿勢だったからこそ、顧客は我が家の菓子を求めていた。そして、その証として我が家の『包装紙』があったんです」

「……『包装紙』?」

「我が家の菓子をお買い上げして頂いたお客様には、独自の包装紙に包ませて頂きます。そして、『菓子作りに真摯に向き合う』我が家の包装紙は憚りながら価値があります」

「価値、ですか?」

「何処かにお邪魔する時の手土産として、我が家の包装紙に包まれたお菓子を持って行けば恥をかかないのです。菓子など高いモノではありませんし、相手に気を使わせる金額では無く、何処のご家庭に持って行っても喜ばれるものだったのですよ」

『あそこのお菓子を持ってきてくれたの? 嬉しい!』と喜ばれる鉄板商品というモノがある。意外に気を使う手土産選択の中では、不確かなベストよりも確実なベターを選びたくなるのは人情であろう。

「……」

「確かに、我が家はヤメート風のお菓子だけを作る店では無くなりました。ですが、どのお菓子に対しても一生懸命、手を抜かずに作り続けるという『伝統』と、そのお菓子に対して、間違いなく美味しいという『誇り』は失っていません」

 そこまで喋って言葉を切り、浩太はクラウスを見やり。


「それではお聞きします、クラウスさん。ホテル・ラルキアの『伝統』とは一体、何ですか?」


「ホテル・ラルキアの……伝統……そ、それは」

「値段が高い事ですか? 料理が美味しい事ですか? 歴史的建造物がある事ですか? 顧客に、ホテル・ラルキアに泊ったというステータスを与える事ですか? 単純に、ただ古いだけですか?」

「……」

「さあ、どれですか?」

「そ、それは」

「さあ」

 しばし、迷った様に中空に視線を彷徨わし、口を開きかけてそれを閉じて。



「『顧客』です」



 不意に後ろから聞こえた声に、驚いた様に振り返り。

「……エル? それに、シオンも!」

「『顧客に対して、最高のサービスを提供する事』です。それが、ホテル・ラルキアの伝統であり、誇りであり……それが、ホテル・ラルキアの最大の強みです、お兄さま」

 何時ものように直立不動で立つエルと、煙草を咥えたシオンの姿を視界におさめた。

「……エル」

「ホテル・ラルキアは値段が高いのが良いのではありません。ホテル・ラルキアは料理が美味しいのが良いのではありません。ホテル・ラルキアは歴史的建造物があるのが良いのではありません。ホテル・ラルキアは、そこに泊った人々にステータスを与えるのが良いのではありません。ホテル・ラルキアは古いから良いのではありません」

「……」

「王侯貴族であろうと、商会の会長であろうと、国の要人であろうと、自らのご褒美としてご利用頂く老夫婦であろうと、等しくお客様はお客様として接し、サービスをさせて頂く。どのお客様も差別をせず、どのお客様にも区別をしない。それこそが、ホテル・ラルキアの原点です。ホテル・ラルキアだって、最初から『高級ホテル』で有った訳ではありません。フレイム王室御用達のホテルになる前は、何処にでもあるホテルでした。でも、ホテル・ラルキアは常にその時出来る最高の、最大のサービスを提供して来たと私は信じています」

「……エル」

「全てのお客様に気持ち良く滞在して頂き、心を込めたサービスを行う事。それこそが、ホテル・ラルキアの伝統で」


 視線を、クラウスに固定し。



「……それこそが、ホテル・ラルキアの、守るべき『誇り』です」



「……」

「……」

「……はあ」


 しばしの見つめ合いから、苦笑と。


「……降参、エル」


 いつもの様、その苦笑を柔和な笑みに変えるクラウス。


「いつのまにか、こんなに立派になったんだね」

「……そうですか」

「まだまだ子供だと思ってたのに」

「……子供扱いは非常に不満です、お兄さま」

「ああ、そうだね」

「そうです。エルも、もう十七です。いつまでも子供――お、おおおおおお兄さま! そ、その、手! 手が頭の上に! ふわぁ……って、な、何ですか急に!」

「うん? ああ、子供扱いは嫌だった?」

「い、嫌なんて言ってませんしむしろ天にも昇る様なってななななな、何を言わせるんですか!」

「いや、別に私が言わせた訳じゃないけど……手、どけようか?」

「誰がどけて下さいなんて言ったんですか! そ、その……お、お兄さまに頭を撫でられるのは久しぶりなので、なななな撫でさせて差しあげます」

「そう? それじゃお言葉に甘えて……エル、髪綺麗だね」

「ふわぁ……なななななな何ですか急に! そ、その、ほ、褒めて頂けるのは嬉しいのですが……」

「エル? 顔、真っ赤だよ? 風邪?」

「わざと!? わざとですね、お兄さまぁ!」

「……なにがさ?」


「……お疲れ様、コータ」

 そんな二人の夫婦漫才を呆れた様に、それでも優しく苦笑で見守っていた浩太にかかる声があった。シオンだ。

「いつから見ていたのですか?」

「クラウスが『少し昔話をしても?』と自分語りを初めた辺りからだな」

「がっつり最初からじゃないですか、ソレ! 黙っていないで声をかけてくれたら良かったのに!」

「大変だったんだぞ? 飛び出して土下座をせんばかりに謝ろうとするエルを止めるのも」

「それは……御苦労さま、と言っておきます」

「うむ。褒めろ」

「はいはい」

 そう言って、呆れた様な表情を浮かべる浩太から視線を仲睦まじい様子を見せる二人に移す。

「……仲が良過ぎると逆に言い難い事ってあるだろう?」

「……まあ、否定はしません」

「良くも悪くもクラウスは『調停役』だったしな。私やベロアなんぞ、アイツに取っては弟や妹みたいな感じだろう」

「手のかかる兄妹ですね、それは」

「なんだ? こんなに可愛い妹がいたら浩太だって嬉しいだろう?」

「チェンジで」

「……失礼な奴だな」

 溜息を、一つ。

「エルにしてもそうだ。中々クラウスは本音……というか、弱音が言える人間はいなかったからな。アイツがローラからこちらに来ている事も、ホテル・ラルキアの行く末について悩んでいる事も聞いていたが……」

「『兄貴分』であるクラウスさんは中々弱音が言えなかった、と」

「友人失格だがな、これでは」

「……一つ、質問なのですが」

「なんだ?」

「そこまで考えてシオンさんは、私をホテル・ラルキアに連れて来たんですか?」

 少しだけ、尊敬の眼差しでシオンを見やる浩太。先程は友人失敗と言っていたが、そこまで考えて『愚痴聞き役』に浩太を連れて来たのなら、それはそれで得難い友人をクラウスは得たと言えるだろう。浩太の迷惑を勘案しなければ、であるが。

「そんな訳ないだろう。ただの幸運だ」

「……ですよね」

 が、残念。シオンはシオンである。

「まあ、男同士なら何かしら糸口程度になるかとは思ったし、どうせ弱音を吐くなら良く知っている私達より全く知らないコータの方が無難かとは思ったが……余程、弱っていたと見える。あそこまで素直に喋るとはな」

 そこまで喋り、ふとシオンは浩太に視線を向ける。

「なんです?」

「初めて知った」

「何を?」

「コータ、お前はお菓子屋さんの息子だったのか?」

「……アレですか」

「ああ」

「アレ、嘘ですよ?」

「そうか、嘘か。では、アレだな? お前は将来そのお菓子屋を継ぐ――な、何? う、嘘だと?」

「ええ。中堅商社でゴム課の課長代理をしている父と、スーパーでレジ打ちしてる母親の長男です、私。そもそも甘いモノはそんなに得意ではないですし」

 ポカンと珍しく大口を開けるシオンに、何でも無い様に浩太は告げる。

「な、なら何故あんな嘘を!」

「『こういう事例があります』と語るより『ある人から聞いた話なんですけど』と言った方が信憑性があるし」

 第三者話法、と呼ばれるセールスの基本の話法だ。机上の空論より、誰かが体験した方が信憑性は高まり。


「……それが身内の方が臨場感もあるでしょ?」


 ――そう言う事である。

「……つまり、あれは全部嘘だった、と?」

「ええ」

「その……恥ずかしながら、本当の話かと思ったが?」

「そうでしょうね。そういう練習をして来ましたから」

「れ、練習まであるのか?」

「ロールプレイング、という手法です。上司や同僚を顧客に見立ててセールスの練習をするんです。まあ、そうは言っても私も自分の両親をお菓子屋にしたのは初めてでしたが」

「……」

「……」

「……何と言うか……何だったかな? お前の職業」

「銀行員、ですか?」

「ああ、それだ。その『銀行員』というのは、何だ? 人を騙す職業なのか?」

「流石にそれは……まあでも、当たらずとも遠からず、でしょうか? 合法的な詐欺師の集団ですよ、銀行は」

 肩を竦めて見せる浩太に、呆れた様に溜息をつき下から不満そうにシオンは睨みつけた。

「……魔王め」

「アレで魔王と言われるのは非常に心外ですが。それに、誰も傷つかない嘘なら問題ないでしょう?」

「私の心が傷ついたぞ! 『ああ、大事な跡取り息子を召喚してしまったのか。良心の呵責に胸が潰れる!』って、もう少しで思う所だったぞ!」

「大事な跡取りじゃなくても良心の呵責は感じて下さい、人として」

「お断りだ!」

「……でしょうね。本当にブレ無いですよね、貴方」

 わざとらしく溜息をついて見せるも、シオンは堂々と胸を張る。呵責で潰れないだけはあって、随分立派なその胸を。

「……コータさん」

 そんな漫才を繰り広げる――断って置くが、浩太にそんなつもりは毛頭ない――二人に、クラウスが声をかけた。隣に居るエルの頬が若干所のレベル感では無く赤いが、浩太は気にしない。涎が垂れているのはどうかとも思うが。

「色々、ありがとうございました」

「私は何もしてませんよ?」

「いえ……そんな事はありませんよ」

 そう言って、にこやかに笑みを浮かべて。

「……ホテル業は、結局『人』です。そんな大事な事、貴方とエルに言われるまで忘れて……」


 否、と。


「そんな大事な事すら、私は『知りません』でした」

 そう言って、浩太にクラウスは頭を下げる。その姿に、浩太は慌てた様にクラウスに声をかけた。

「く、クラウスさん! あ、頭をあげて下さい!」

「……ホテル・ラルキアには、私の様に思っている人間が沢山います。決してそれが間違っているとは思わない。古い事だって、料理の美味しさだって、全部ホテル・ラルキアの魅力ではあるんです。そして、それは決して間違ってはいない」

「……」

「ですが、それではこのホテル・ラルキアは守れない。従業員だって『人』です。私は彼らの生活を守る義務がある」

「クラウスさん……」

「ですからコータさん、私にそのお力を貸して下さい。私と共に、ホテル・ラルキアの『伝統』と『誇り』を守る為、そのお力を」


 どうか、お貸し下さい、と。


 その言葉と同時、後ろで聞いていたエルも同時に頭を下げる。


「……頭をあげて下さい」

「では!」

「元々、そのつもりでしたし……それに、ズルイですよ。そんな、二人して頭を下げられたら」

 断れないでしょう、と苦笑交じりに肩を竦めて見せる浩太。

「……ありがとうございます!」

「良かったな、クラウス。感謝しろよ」

「……なんで貴方が鬼の首を取った様な態度なんですか?」

「だが、問題は残っているな」

「あの、聞いています?」

「クラウス、ベロアはどうするんだ? 今回の計画はベロアが肝だろう?」

「……おーい」

 一生懸命にシオンにアピールする浩太を、クラウスは少しだけ憐れみを込めた視線で見やり。

「ベロアの泊っている宿は分かっているからね。ちょっと行ってくるさ」

「謝罪に、か?」

「謝罪?」


 シオンの言葉に、クラウスは笑って。



「力を貸して貰いに、頭を下げに行くんだよ」



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