第四十一話 嫌いです、お兄さま。
四十一話です。誰だ、三十話ぐらいで終わるって言ってたの。ああ、私か。
今回も話が前に進んだり後ろに戻ったりします。構想の段階ではもう少しさらっと流れる筈だったんですが……ベロア、大好きですw
薄暗い店内に『カラン』という、氷が融けてグラスに当たる音が響く。
「さっすが、ホテル・ラルキアの本館総支配人。エエ店、知ってるな~」
「茶化すなよ、ベロア。まあ、此処が良い店である事は疑う余地が無いけどね」
フレイム王国の王都ラルキアは、フレイム王国のみならずオルケナ大陸の中枢である。大陸を統一していた歴史は過去のモノ、ソルバニア王辺りからは『後生大事に役に立たんモンを抱える国』なんて酷評されていたとしても、その歴史や文化、他国に与える無形の政治的背景等、『ラルキア』はやはり『ラルキア』なのだ。ニューヨークがどれだけ栄えても、ロンドンが軽視出来ないのと同様に。
「それにしても、君がこの店を良い店と言ってくれるとは思わなかったよ」
「なんや? 悪い店に連れて来たつもりかいな?」
「まさか。先程も言った通り、ココは良い店だけど……ベロアが気にいるのはもっと騒がしい店かと思ったから」
そんなラルキアでは、夜になるとあちらこちらで歓談の場が設けられる。此処、『びーどろ亭』もそんな歓談の場の一つだ。パーテーションで区切られた一つ一つの『個室』は決して広くは無いも、余所のグループと完全に隔離されたその空間は、酒場独特の騒がしい雰囲気とはかけ離れ、ゆっくり話が出来るスペースでもある。現代日本で言うと全室個室の居酒屋さん、と言った所か。
「騒がしい所も好きやけどな。こういう場所でしたい話もあるんや」
「へえ。それは旧交を温める、ってだけではないのかい?」
「旧交を温めない訳でも無いけど、もしかしたらクラウスに取っては旧交以上のモンかもな。無論、俺に取ってもやけど」
「……と、言う事は」
「そや」
お仕事の話や、と、その綺麗に整った顔を笑みに形作るベロア。
「……やれやれ。サーチ商会の御曹司はこういう所で商売の話か」
「よう言うわ。それに気付いて『こういう所』選んだくせにから」
肩を竦めて見せるベロアに、クラウスも苦笑で答える。絶対に漏れてはいけない『秘密の会談』向きでは無いが、多少の羽目は外せる為の『個室』なのである。
「そうは言っても此処はラルキアだ」
「分かってるって。精々、小声で話す事にするわ」
グラスに浮かんだ琥珀の液体に口をつけ、ベロアは向かい合わせに座ったクラウスに視線を向ける。
「……さっきも言うてたけどクラウス、ホテル・ラルキアの経営、危ないんか?」
「……小声で話すにしても内容があるだろう。まあ、否定はしないが」
「なんや。随分簡単に認めるんやな」
「先程も言った事だしね。それに……そもそも、気付いていたんだろ?」
「まあな。否定はせーへん」
ベロアはサーチ商会の御曹司であり、自身も一角の商人……と呼ぶにはまだまだ経験が浅いが、それでも一山幾らの商人と呼ぶには抵抗があるほどの商才がある前途有望な商人だ。実家のサーチ商会はカト十二商会の一つで、オルケナ中にそのネットワークもある。
「そう考えれば、ラルキア王国とライムにある分館の経営が芳しくないのは直ぐに知れるだろうとは思うさ」
「商人の噂話は怖いで? ラルキア王国とライムの分館は閑古鳥が泣いてるって評判や。流暢に鳴いてる、やないで? わんわん子供の様に泣いてる、言う意味や」
「耳に痛い言葉だよ。それも否定は出来ないけどね」
肩を竦め、同様にグラスの液体を舐める。喉奥がカーッとなる様に熱くなる酩酊感にしばし酔う様に、クラウスは溜息を一つついて瞳を閉じる。
「……ダニエリ分館は業務縮小も視野に入れている。必要最低限の人員を残して、他の人間は王都に引き揚げさせる」
「ダニエリは今、総攻撃中やもんな。そいでも閉館出来へんのが辛い所やな?」
「ああ」
「ほいで? 引き揚げた人間はどうするんや? まさか、クビかいな?」
「……ホテル・ラルキアは最高のサービスを標榜しているし、余所に追随を許しているつもりもない。その分、教育にも力を入れているし、給金だって最高のモノを払っているつもりだ」
「否定はせんよ。ホテル・ラルキアのサービスは受けてたらほんまに王様になったんちゃうか? 思うもんな」
「肯定しかしないよ? それについては」
しばし、二人で微笑。
「……だから、ホテル・ラルキアの従業員は良くも悪くも『代え』は効かない。そんな大事な従業員をダニエリには置いておけないから、引き揚げさせるだけだよ。クビには出来ない」
「人命第一かいな。御立派やな」
「経営施策の一つだよ。建物は直せるけど、命の修理は難しい。材料は買えば良いけど、経験は金銭では賄えないから。個人的には人命も大事だけどね」
ホテル・ラルキアは建物の風格や料理だけで『まるで王侯貴族の様な』気分を味わえる訳では無い。形のある『物』を売る訳では無いサービス業は突き詰めれば究極、人と人。痒い所に手が届く様な、最高のサービスを行うのは結局人であり、ホテル・ラルキアはその点を良く心得ていた。当然、人材には最高の給金を払うし、教育にも力を入れるのだ。マン・パワーがホテル・ラルキアを支えていると言っても過言では無い。
「大事な人材は手元に抱えときたい、って訳やな? ほいでもせやったら――」
「ご名答。抱えた人材は手放す訳には行かない。ダニエリから引き揚げた人材は、そのまま本館で働いて貰う事にする」
手元に居ない人材ならば、どんなに優秀でも死んだも同然である。故に、何時でもその人材を『配置』出来る様に、ホテル・ラルキアは人材を抱え続けなければならない。キャパに合わないだけの人材を。
「人材は抱えたままやけど、業務を縮小するから収入は減る、かいな」
「加えて、人材が増えたからと言って簡単に新規の採用を辞める訳にも行かない」
「次の世代の人材が枯渇するから?」
「続けて、ご名答」
「八方塞りやな、それは」
肩を竦めて見せるベロアに、クラウスも苦笑で返す。
「頭が痛い問題だよ。何処かに解決策があれば良いんだけどね」
苦笑と共にグラスの液体を舐めて。
「あるで?」
「だろ? そんなに簡単に解決する様な――」
ベロアの言葉が耳から脳に響き。
「――何だって?」
その意味を理解するに当たって、クラウスが手元のグラスを落とさなかったのは、奇跡に近い。
「せやから、あるんやって。人材も減らさず、お金も出て行かず、それでいてお金がぎょうさん入ってくる様な『裏技』が」
ぐいっと、一息に杯を開けて。
「あるで?」
まるで、悪戯っ子の様な笑みを浮かべるベロアを、呆然とクラウスは眺めていた。
◆◇◆◇◆◇
「ユナ・ホテルグループ?」
浩太が『ねえ、本当にクラウスお兄さまを救う方法、あるんだよね? ね? ね?』というエルの、主に眼力による攻撃を受けた翌日。ついでに言えば、城に帰った後にリズに捕まり、『お話相手になってくれるって言っていました!』とばかりに延々リズの愚痴に付き合わされた、翌日である。早朝、まだ太陽が昇ったばかりの時間にシオンに叩き起こされた浩太は、えっちらおっちら昨日も訪れた場所――ホテル・ラルキア本館総支配人執務室に来ていた。
「ユナ・ホテルグループ。カト発のホテルグループで、オルケナ中に仰山分館を持ってるホテルや。知ってはる?」
「いえ、寡聞にして知りませんが……」
そう言って眼の前にいるベロアから、視線の先をクラウスに移す。
「シオンとコータさんが帰った後、ベロアから経営改善の話を貰いましてね」
何時も通り、柔和な笑みの中に少しだけ申し訳なさそうな色を浮かべてクラウスが言葉を継ぐ。恐らくそれは、この早朝から叩き起こして連れて来た事に対する謝罪を含んでいるのだろう。
「コータはんにも聞いておいて貰いたかったんや。クラウスが手伝いをお願いしてるんやろ? それに、ちょっとばかりコータはんの智恵も借りたかったしな」
「それは構いませんが、智恵ですか?」
「せや」
浩太の了承を取った事に大きく一つ頷き。
「そもそもユナ・ホテルグループちゅうのは、言ってみればホテル・ラルキアの対極に位置するホテルや」
「はあ」
「ホテル・ラルキアが王侯貴族の様なサービスを提供するのに対し、ユナは徹底的なサービスの排除をウリにしてるんや。ほんまに簡素な最低限のサービスだけで、後は自分らで好きなようにしてや、ちゅう形態。当然、料金設定は随分安い」
「ホテル・ラルキアとは正に真逆、ですか。なるほど、確かに対極ですね」
「せやから同じ『ホテル』ちゅう括りでも、ホテル・ラルキアとユナは客層が被る事は無いんや」
「だから喧嘩もせずに仲良く出来る、と。棲み分けですか」
「そういうことや」
同じ宿を求めている客であっても、求めるレベルが違えば当然選ぶホテルも違う。値段の安さを求める客はユナを、サービスを求める客はホテル・ラルキアを選ぶのである。喧嘩の余地も無い。
「まあ、ユナはサービス最悪やけど値段はアホみたいに安い。学生の時もよう泊ったし、駆けだしのペーペーの時も随分お世話になったわ」
「そんなに何処にでもあるんですね、ユナ・ホテルは」
「せやで。クラウスと二人でパルセナ行った時も泊ったよな? 艶街にある、ホレ、あのホテル」
「ああ。そう言えばそうだったね」
ベロアの言葉と、それに応じるクラウスに部屋の隅に静かに佇んでいたエルの視線が鋭さを増す。部屋の温度が急激に下がる気配を、浩太は肌で感じた。
「ま、まあその話はともかく! それで? そのユナ・ホテルがどうしたんですか?」
殺気すら滲ませてベロアを睨みつけるエルに、浩太の背筋の冷たいモノが流れた。この視線を受けて尚、けろっとしているベロアは余程の大物か、余程の馬鹿であろう。恐らく、後者だが。
「ユナ・ホテルは安さで成りあがったホテルやけど、そうは言うても限界はある。現に右肩上がりやった業績は頭打ちやし、ここいらで何か新しい事をせなあかん」
「新しい事? 副業ですか?」
「ホテル一本でやって来たユナがいきなり新しい事やったってこけるだけや。あそこの会長はんはその辺りをよう分かってる人やしな。せやから、やるのはホテル事業や」
「ホテル?」
「そう。今までは『安宿』だったユナを高級……とまではいかへんでも、中級ぐらいにはしたいらしいんや」
せやけどな、と溜息一つ。
「今まで安さ大爆発! って勢いでやって来たユナが、いきなり高級ホテルでござい! 言うても誰も信用せーへん。悲しいかな、染みついたイメージちゅうんは中々拭えへんのや」
「良くも悪くも、ですね」
「その通りや。せやから」
そう言って、ちらりとクラウスの表情を盗み見て。
「……ホテル・ラルキアの力を貸して貰おうと、そう思ってるんや」
「ホテル・ラルキアの?」
「ユナに足りへんのは『看板』と『接客力』の二つ。安宿だったユナを一気に中級並に持って行くには『ホテル・ラルキア』の金看板が欲しい」
「……ほう」
「そうは言うても、看板掛け替えただけで一気に高級ホテルになる訳でもない。看板と料金が高級でも、『接客力』は圧倒的に足りひん。つうか、殆ど無い言うてもええな、アレは。ほいでも、一から接客の仕方を考えて、教えて、実践していくとなるとこれはごっつい手間で、その上に金もかかる。無い所から始めるより、ある所から持って来た方がよっぽど安上がりや」
「つまり、ホテル・ラルキアの従業員に働いて貰いたい、と?」
「簡単に言えばそうや。合わせてユナの方からも従業員を出して、実地で接客しながら学べたら言う事はあらへん」
「営業兼研修、ですか。ですが、それではホテル・ラルキアの方が回らないのでは? 余剰人員を抱えているとでも?」
「コータはん、こない言うてるけど……クラウス?」
「残念ながら、余剰人員を抱えています。というより、抱えます、これから」
ベロアの視線に溜息をつきながらクラウスが答えた。
「人員整理する訳には?」
「ベロアの言葉を借りる訳ではありませんが、人材育成には時間とお金がかかります。折角育てた人材を手放すのは惜しいですし……どんなに苦しくても、従業員のクビを切らないからこそ、ホテル・ラルキアには有能な人材が集まるのです」
「……まあ、それはそうでしょうね」
いつ潰れるか分からない様な会社に入社するのは不安が残る。だからこそ、不況の時に公務員は人気が出て、倍率があがるのだ。安定、というのは実は何物にも代えがたい財産だったりする。
「……それで? 具体的なプランがもうあったりしますか?」
「まず、ユナ・ホテルグループが新たに別のホテル名でホテルを始める。『ユナ』の名前やったら、いつまで経っても安宿の印象やし、逆に『ユナ』の名前で泊る客も多いんや。ホテルの敷地や建設費はユナが持つ。そこに、どんな形でもいいから『ホテル・ラルキア』の名前と従業員を貸して貰う」
「対価は?」
浩太の質問に、ベロアはニヤリと笑い。
「『株』や」
「……『株』?」
「テラの港、商人の共同出資で作ってるらしいな? ほんで『株』ちゅう出資権に合わせて配当が出るちゅう、そういう仕組み何やろ?」
「……良く御存知で。その通りです」
「マリアから聞いたわ。新しく作るユナ・ホテル……『ユナ・ラルキアホテル』はこの『株式会社』ちゅう形態にさせて貰う。ユナ・ホテルグループが出した費用を株っちゅう形にして、株の現物をホテル・ラルキアに渡す。ホテル・ラルキアからはさっき言うた通り、人材と接客のノウハウ、後は名前の使用権を渡す。無論、人件費はユナ・ホテル……つうか、ユナ・ラルキアホテルが持つ。利益が上がった分については、配当を出す」
どうや? と問いかけるベロアに、浩太は拳を顎に置きしばし考え込む。
「……要約すると、ユナ・ホテルがお金を全部出す。ホテル・ラルキアは人材……というかこの場合は経験、でしょうか? 経験を出して新会社を作る。ホテル・ラルキアには一切の金銭負担はなく、ばかりか人件費の削減も出来る。加えて収益が上がれば配当が出る」
「そういう事や」
「その新会社……ユナ・ラルキアホテル、でしたか? その新会社がホテル・ラルキアのライバルになる可能性は?」
「無い……と断言は出来へんけど、まず無い。ホテル・ラルキアはただ『高い』だけで支持を集めとる訳やない。歴史と伝統に裏打ちされてるからな」
「歴史と伝統と仰るなら、百年後は分からない、と言う事ですね?」
「俺が死んだ後の事までは責任取れへんし……それに、それまでホテル・ラルキアが存在するか分からへんで?」
今のままやったらな、と視線をクラウスに向けるベロア。
「……残るさ、ホテル・ラルキアは」
「そら、残るわ。どんな形でもええんなら、ホテル・ラルキアは間違いなく残ると思うで?ほいでもな? どんな形でもエエ言うて百年後に残った『それ』はホンマに『ホテル・ラルキア』って言えるんかいな? 俺は言えへんと思うで?」
「……」
「ま、百年後の話の前に一年後の話をしようや、ちゅう話やコータはん」
視線をコータに戻し、他に質問は? と投げかける。
「百年後の話をするなと仰られるなら、非常に良い提案だと思います」
「せやろ?」
新規事業が成功したか、失敗したか。その判断を何処で見極めるかに寄るが、その最も下のラインで見た場合は一つしかない。
『投資分を回収出来るか』、これに尽きる。
創業或いは新規事業を行った場合一年目は赤字になるパターンが多い。創業とはとかくお金がかかる。設備、仕入、人件費に加え、思わぬ諸費用が経営を圧迫し、投資に見合う利益が上がらず赤字に転落するのである。所謂『創業赤字』と言うやつだ。
一般的に、銀行融資とは日本で最も『お金が借りにくい』借入の一つであろう。銀行融資は貸せば良いというモノではなく、貸したお金がきちんと返済されて初めてその融資は評価されるのである。融資の要諦は回収にあり、だ。その理論で銀行が営業を行っている以上、当然と言えば当然だが赤字の会社――つまり、貸したお金が返って来ない可能性のある会社には審査は厳しくなる。余剰資産、例えばテラの様に直ぐに換金可能な資産があるかなども判断基準にはなるが、『黒字』というのは重要なメルクマールなのである。
そんな銀行融資の中で、唯一と言っても良い程『優しい』のがこの創業赤字だ。概ね計画の七割程度の売り上げで赤字になっている場合、その赤字が概ね五年程度で解消できる場合など、幾つかの諸条件を満たしていれば、花丸は上げれないまでも丸程度の評価は貰える事がある。裏を返せば、創業したての企業はほぼ間違いなく赤字になるだろうと銀行も踏んでいる、という事だ。
「……本当に、素晴らしい提案だと思います。思いますが」
「思いますが?」
「条件が良すぎます」
ユナとホテル・ラルキアの場合、全ての費用をユナ側が出す。つまり、ホテル・ラルキアには一切の資金負担、費用がかからない。先程の創業赤字では無いが、仮に売上がゼロでも、ホテル・ラルキアの腹は痛まないのだ。
ばかりか、ホテル・ラルキアの従業員をユナ側に供出する事で、人件費の削減まで出来る。体の良いリストラ……まで行かなくても、出向に似た感覚ではある。
「得をしても損はしない。そういう美味い話には必ず裏があると踏んでいるのですが?」
「まあ、そう思うわな」
穿った見方と視線を向ける浩太に、何でも無い様にベロアはそう言葉を返す。そのベロアの態度に、思わず浩太も拍子抜けだ。
「コータはんって、あんまり旅とかせーへん人?」
「た、旅? え、ええ。オルケナではあまり出歩いた経験はありませんが……」
浩太がした旅など、パルセナとテラ・ラルキアの往復程度のモノである。
「それやったらちょっとばかし分かり難いかも知れへんけど……あんな? オルケナ大陸って泊る所、あんまり無いねん」
「それは……宿が少ない、と言う意味でしょうか?」
「ああ、そうや無い。宿は有るんやけど……泊れる宿、って少ないねん」
「……意味が良く分からないのですが?」
頭に疑問符を浮かべる浩太に、ベロアが苦笑交じりに言葉を続ける。
「俺ってこう見えても、サーチ商会の跡取りやねん。せやから色んな街に商談やらパーティーやらに呼ばれるんやけどな? そんときいっつも困るのがその日のホテルをどうするか、やねん」
「ホテル、ですか?」
「そや。商談にしてもパーティーにしてもそうやけど、いきなり金の話をするのは無粋やねん」
「それは……そうでしょうね」
浩太にも経験がある。いきなり『借りて下さい』ではなく、時候の挨拶から始まり景気動向やお互いの趣味、相手の孫の話まで言及する事がある。そういう細かい話題の中から得るモノもあるので、雑談は決して馬鹿に出来ない。
「ほんで、そういう歓談の際に決まり文句で出て来るのが服、靴、アクセサリー……後は、泊ってるホテルの話題。『今日はどちらに御滞在ですか?』って、結構聞かれるんや」
あまり親しく無い同士の会談では概ね当たり障りの無い所であろう。良いお召し物ですね、と言っておけばまあ外れは無い。
「服や靴はまあエエねんけど……ホテルは結構、大変なんよ」
「なぜ?」
「大きな街やったらエエけど、小さな街やったら分からへんのよ。自分が泊る『レベル』にあったホテルなんかどうかが」
「……」
「サーチ商会の後継者、言うても俺はまだまだ経験の浅い若僧や。そんな俺が、泊ってる場所聞かれて『ホテル・ラルキアです』、言うたら何やこのボンボン、偉そうにホテル・ラルキア何かに泊りよって! 靴の紐も自分で結べへんのかい! って思われるやろ?」
「靴紐云々はともかく……まあ、そう言う事もあるかも知れませんね」
「そうは言うても、一応カト十二商会の一つのサーチ商会の跡取りが『ユナ・ホテルに泊ってるんです』言うたらこれはこれで馬鹿にされる。なんや、サーチ商会は大事な跡取りをユナに泊らせるんかいな、ひょっとして資金繰りええように回ってないんかいな? ってな」
「……なるほど」
「まあ俺なんかホンマにまだまだ若僧やからユナに泊ってもエエけど、ウチで働いてくれとる中堅どころの商人さんなんかは皆結構困ってはるわ。ユナ言うたら馬鹿にされる、ホテル・ラルキアいうたらドン引きされる。ホイでも地元で探したホテルがユナ並なんか、ホテル・ラルキア並なんかも分からへん。評判だけで選ぶんも限界がある」
「中堅どころが無い、と」
「あるんやろうけど、探すのが大変、言う話やね。俺ら商人もホテルで悩むんはアホらしいとは思うけど、商談そのものにまで影響を及ぼしかねへんし、あんまり疎かにも出来へん所があんねん」
「だから、ユナ・ラルキアホテルですか」
「そう言う事や。中堅どころが泊っても恥をかかない程度のホテルがオルケナ中にあれば、商談以外の所で悩む所が少ない。これは結構重要やで? 実際、商人仲間でもそう言う話は出てきてる。せやから、それを聞いたユナの会長はんが」
「自分でやって見よう、と?」
「そや。ユナだけやったら中級ホテルなんて絶対無理や。ほいでもホテル・ラルキアが協力してくれたら、巧く行く可能性は随分高い。金看板やしな、ホテル・ラルキアは」
「……なるほど」
「今までユナに泊っていた商人が成長し、給金が増えれば、流れで次はユナ・ラルキアホテルに泊ってくれるやろうちゅう算段もある。今まではユナを『卒業』したお客さんを取りこぼし取ったけど、それを拾えるちゅう訳や。ユナの顧客は結構な人数がおるし、それを拾えるんやったら十分投資は回収出来る」
「そうしてユナ・ラルキアホテルを『卒業』したお客様が、最終的にはホテル・ラルキアに、とそう言う事ですか?」
「そうや。これやったら客層が被る事もあらへんやろ?」
出世魚方式。俗な言い方をするならTから始まる日本の自動車メーカーの「いつかは~」である。『いつかはホテル・ラルキア』と言った所か。それなりの地位につき、それなりの家に住み、それなりの生活をした御褒美として、王侯貴族気分を味わいにホテル・ラルキアに泊る。昭和的な香りの漂う、何ともノスタルジックな話だ。
「どや?」
「……細かい条件にもよりますが……そこをきちんと詰めれば悪い話では無さそうですね」
「そやろ?」
我が意を得たり、という表情を見せるベロアに浩太も頷きを返す。
「大まかにですが、条件面で問題になるのは二点でしょうか?」
「配当と人材、かいな?」
「そうですね。上がった収益の全部を配当に回す訳にも行かないですし、ある程度の内部留保は必要として……配当の半分、は言い過ぎでしょうか?」
「半分は流石にぼったくりやな~……金出すのはユナ側やし。精々六対四やろ?」
「おや? 七対三ぐらいを言ってくるかと思いましたが?」
「駆け引きは辞めてや、コータはん。六対四で頑張る、ちゅう話や」
「失礼。では、人材についてですが」
「ホテル・ラルキア側に人材が必要となれば直ぐに戻す、ちゅう条項はいるわな」
「ですね。ですが、それではユナ側は困りませんか?」
「いきなり全員、ちゅうのは厳しいな。せめて指導係的な感じで二、三人は残して貰わなあかんわ」
「その辺りが妥当な所でしょうか。それでは――」
「……ベロア様、コータ様」
心持、興奮した様な様子で話しを続ける二人に、エルがそっと口を挟んだ。訝しげな表情そのまま、ベロアが不満そうに口を開く。
「なんやねん、エル」
「お話を続けるのは構いませんが、最終意思決定はお二人にでは無く、当ホテル・ラルキアにあります。その事をお忘れではありませんか?」
「……あ」
「も、申し訳ありません、エルさん。つ、つい」
二人して、『しまった』という顔を浮かべるベロアと浩太を溜息をつきつつ見つめ……それでも、エルの頬には僅かに朱が差しているのが見て取れる。羞恥では無く、興奮の。
「……クラウス総支配人。ベロア様の御提案は非常に魅力的な物だと思料します。今度の役員会で諮る価値のある御提案では無いでしょうか?」
何時になく、優しい声音。エルもまたベロアと浩太の話に胸を躍らせた一人であった。文字通り、『一切痛みを覚える事無く』新たな収益源が出来るのである。それも、人件費を削減した上で。二重の意味でホテル・ラルキアには美味しい話であり……『生理的に嫌い』なベロアが持って来た話である事を勘案しても、充分神に感謝する話だ。ちなみにエルの信奉するのは商売とは何の関係も無い、恋愛を司る『兄妹』神だが。理由は推して知るべし。
「……クラウス総支配人?」
「……ああ」
表情にその一切を見せず、それでも興奮を浮かべるエルにクラウスは優しく微笑み、首を振った。
「……え? く、クラウスお兄さま?」
――横に。
「ベロア。それに、コータさん。お二人が智恵を貸して下さるのは非常に嬉しいです。ですが……」
優しい笑みを見せたまま。
「このお話は、お断りさせて頂きます」
◆◇◆◇◆◇
「……どういう意味やねん、クラウス」
「言葉通りの意味だよ、ベロア」
しばし、睨みあう二人。
「……俺が、お前に不利になる話を持って来たと思ってるんかいな?」
「まさか。条件が良過ぎて、思わず飛びつきたくなる話だよ」
「条件が『良過ぎる』のが不満……不安か? ほな、安心してええで? この話はユナの会長はんから直々に貰った話や。大学の同窓ちゅう事で、クラウスと腹を割って話せるちゅう事でな。そら、配当の所でちょこっと揉めるかも知れへんけど……」
「素直だね、ベロア。商人として大丈夫なのかい、それは?」
「茶化すなや!」
「怖い怖い」
「クラウス!」
肩を怒らせ、詰め寄るベロアを手で制し、クラウスは口を開く。
「ベロアの事は信用している。君が持って来た話だ、嘘偽りなく良い話を持ってきてくれたんだろう。それに、君の事だ。私達にとって最も良い条件を引き出してくれるだろうという事も……その為に、努力を惜しまないでいてくれるだろう事も容易に想像がつくさ」
長い付き合いだからね、と肩を竦め。
「でも……それでも、私はその条件を飲む訳には行かない」
「何でや! エエ条件なんやろ? エエ話なんやろ? それで、このホテル・ラルキアの苦境を救う事が出来るんやろ? 何でこの話が飲めないんや!」
「決まってるさ」
ベロアの言葉に。
「此処が、『ホテル・ラルキア』だからさ」
何でも無い様に、そう答えて。
「此処はホテル・ラルキアだ。歴史と、伝統と、文化が詰まった、由緒正しいホテルだ。ホテル・ラルキアの敵はホテル・ラルキアであり、ホテル・ラルキアが戦うべき、競うべき相手は『ホテル・ラルキア』という『誇り』のみだ」
ベロアに鋭い視線を送り。
「ベロア。君の言っている事は、ホテル・ラルキアの『誇り』に泥を塗る事になる」
「ど、泥って!」
「ユナの経営方針を否定はしない。安価でサービスを提供するのだって立派なホテルの仕事だと、純粋にそう思う。でもね」
もう一度、言うよと。
「此処は『ホテル・ラルキア』だ。その誇りは、誰にも傷つけさせられない。ベロア、君の言葉を借りるのなら、ホテル・ラルキアが……ホテル・ラルキアの名をつけた『何かが』この世に存在する事になるんだろう?」
「……せや」
「ホテル・ラルキアより安価で、ホテル・ラルキアより劣悪なサービスを提供する、粗悪な模造品が産まれるんだろう?」
「……」
「そんな事はさせない。ホテル・ラルキアの連綿と続く伝統と歴史は、絶対に傷つけさせる訳にはいかない。そんな提案、飲めるものではない」
「……ホテル・ラルキアが潰れても、か?」
「潰させない」
「具体策は?」
「……それは」
「子供や無いんやで、クラウス? 対案も無く反対、やこ通ると思うんかいな?」
「……あっても、喋る訳には行かないさ。企業秘密だ」
「企業秘密? は! そないな言い訳通るかいな! 無いんやろ? 対案もない癖に、反対だけ一丁前にするんかいな!」
「……」
「何とか言ってみんかい、コラ!」
「……君には……お前には、関係無いだろう、ベロア」
「――へえ? 俺には関係ない、って? まあ、そうやろな。俺なんか、タダの余所者やもんな? でもな? はっきり言ってお前以上に俺は今、ホテル・ラルキアの事真剣に考えとるで?」
「……そんな事は無い。私だって――」
「考えてる、言うつもりかいな? 下手の考え休むに似たり、言うてな? 動ける案も無いのに堂々巡りで考えるんは、アホのやる事やで?」
「……取り消せ」
「取りけさへんわ。ええか? お前が言うとるんは『ホテル・ラルキア』ちゅう看板が大事で大事で仕方ないちゅうことだけや。そないに汚れるのが嫌なら倉庫の奥にでも大事にしまっておかんかい! 使えるモンは何でも使えや! 何が『誇り』や! 誇りで腹が膨れるんか!」
「ホテル・ラルキアを侮辱するつもりか! 取り消せ!」
「ホテル・ラルキアを侮辱しとるつもりは無いわ! ホテル・ラルキア本館総支配人クラウス・ブルクハルト様を侮辱しとるんや! ユナ・ホテルと提携したらホテル・ラルキアの金看板に傷がつくんか? へえへえ、偉くなったな~、クラウス! なーにが、『ユナの経営方針を否定しない』や! お前、腹の底ではユナの事小馬鹿にしてるんやろ!」
「そんなつもりは無い!」
「ほんならどういうつもりや! ええか? この取引は誰も損はせーへんのやで? ユナは新しいビジネスに乗り出せる。ホテル・ラルキアは経営危機から抜け出せる。ついでに言えばウチん所には手数料が入る。残っとるんはお前の所の、そのやっすいプライドだけや」
そう言って。
睨みつけるベロアに、クラウスは笑みを返した。
「……なんだ」
何時もの優しい、柔和な笑みでは無く。
「……結局、それが本音か」
何時に無い――嘲笑。
「ベロア、サーチ商会に幾らの手数料が入るんだ?」
「……は?」
「幾らの手数料が入る? ホテル・ラルキアの、お前の言葉を借りるのなら金看板だ。決して安い手数料では無いだろう。だから、それだけ必死に私を説得しようとす――」
「――クラウス!」
嘲笑を浮かべ、ベロアに喋り続けるクラウスを制す、シオンの声が執務室に響く。その声に、呆気に取られた様にクラウスはシオンを見つめ。
「……お前、それ、本気で言ってるのか?」
何時ものソルバニア語ではなく。
燃える様な瞳で睨みつけ、フレイム語で話すベロアと視線が合う。
「……あ」
慌てて口を抑えるクラウス。そんなクラウスに、ベロアは一瞥をくれ。
「……はん。なんや、もう冷めたわ。ほんなら好きなようにしたらエエやん」
もう、どうでも良いと。
そう言わんばかりの態度と言葉遣いで固まるクラウスの前を横切り、執務室の扉を開けて。
「……ホテル・ラルキアやこ、潰してしまえ。このボケが!」
バン! っと。
捨て台詞と共に、大きな音を立てて扉を閉めたベロアが執務室を去った。
「……クラウス。言い過ぎだ」
やれやれと、呆れた様に首を振るシオン。
「あのベロアが、金の為に動く? そりゃ、動くさ。あいつも商人だからな。だがな、クラウス。あのベロアが、金の為『だけ』にわざわざお前に逢いに来るほど勤勉な男だと思っているのか?」
「……」
「お前の苦境を慮ったからこそ、わざわざベロアが来たんだろう? それを、お前と言う奴は――」
「……本当にそう、思っているんですか?」
「――なに?」
「ベロアだって商人だ。お金のある、お金になりそうな所には喰いつくに決まってる」
「ベロアでは無いが……お前、本気で言ってるのか?」
「本気、だとしたら?」
「……呆れてモノも言えん。何だ? お前の中でベロアはその程度の友誼しか結んで無い仲なのか?」
「シオンに何が分かるんですか?」
「……お前」
「ホテル・ラルキアだ! 此処は、ホテル・ラルキア何ですよ! 守らなくちゃいけない。大切にしなくちゃいけない。決して傷をつけたらいけない。決して汚したらいけない。決してなくしてはいけないんですよ!」
「……」
「だから、ベロアの口車何かに乗せられない! サーチ商会に、手数料何か落とさせない! そんなモノの為に、このホテル・ラルキアの、大事な大事な『誇り』を傷つけさせ――」
パーン、と。
渇いた音が、先程同様に、執務室に響く。
「え……る?」
「……私は、ベロア様の事が嫌いです」
右手を振り抜いたままの姿勢で。
「軽薄で、女タラシで、生理的にベロア様が嫌いで、嫌いで嫌いで嫌いでしょうが無い程、大嫌いですが」
瞳に、涙を湛え。
「――そんなベロア様を疑い、悪し様に罵るクラウスお兄さまは」
――――もっと、嫌いです、と。
逃げるように、執務室を後にするエルを叩かれた頬に手を当てるのを忘れたまま、クラウスは呆然と見送った。
クラウスのフォローは次回にあります。嫌いにならないで上げてください。




