第四十話 彼女の願いと、彼女の想い
段々と投稿文字数が増えています。やべ、マジで終わらねぇ……
……さて、今回は前半と後半みたいな作りになっています。前半部分は『頑張れリズ様! ~胎動編~』です。リズの扱いが悪い悪いと言われますので、リズにスポットを当てた話です。輝いています、リズが。仲良し主従です。
後半は普通に前回の続きです。『想い』の方ですね。こちらもまた後で回収があるかと思いますのでこの辺りで。
静謐に満たされた部屋に、筆を走らせる音だけが響く
「……」
「……」
「……」
カリカリ、カリカリと響く音。それは、どこか穏やかで、それでいて厳かさすら感じさせる、神のしら――
「……ねえ、ロッテ?」
「……何ですかな、陛下?」
――そんな静寂に、無粋な横槍が入った。その声の主に、走らせる筆を止めロッテが静かに顔を上げる。その視界には、何時になく――――訂正、何時も通り額に青筋を浮かべてプルプル震える手で筆を握りしめるリズの姿が眼に入った。
「なんで」
「……」
「なんで私だけ仕事なんですかぁーーー!」
決して狭くない執務室に、リズの声が響く。ちなみに、ある程度こうなる事を予想していたロッテは『なんで』の時点で既に耳に指を詰めていた。
「……何で、と言われましても。陛下の決裁を仰がなければならない政務が溜っているからです。さあ、次はこの書類に」
「あ、ご、ごめんなさい。ええっと……では無くて!」
「……何ですか?」
はーっと面倒くさそうに溜息をついてロッテがジト目でリズを睨んだ。一応言って置くが、ロッテは宰相でリズは国家元首である。
「アリアに聞きました! どうやらシオンと松代様、二人でホテル・ラルキアに行っているとか!」
「……ああ、確かそうでしたな。先だってシオンが許可を求めに来ましたから」
「なんで!」
「……ですから、何がですか?」
「なんで許可を出したんですか! 松代様は王城に留まって頂く筈では無かったですか!」
うがーっと気炎を上げるリズ。ラルキアとライムが戦争を始めてこっち、正直彼女にも結構ストレスが溜っていた。加えて、折角『話相手になってくれる』と言っていた浩太が不在である。発散する所の無いストレスはたまる一方だ。
「……どうせ陛下のお考えは『シオンばかりズルい!』とかでしょう」
「ぐぅ! そ、それは……ま、まあ否定はしませんが……で、ですが!」
「……イイですか、陛下?」
「……な、何ですか?」
「陛下が政務を放り出して遊びに言ったとします」
「い、言い方に棘がありますが……はい」
「まず、国政が滞ります。当然ですね? 陛下の裁可を仰ぐべき書類は山の様にあるのですぞ?」
「……それは……そうですけど」
「次に、陛下の警護。ラルキアは平和ですが、それでも何の問題も無い訳ではありません。暴漢にでも襲われたらどうしますか?」
「……」
「無論、そうなると陛下の警護の為に臨時の予算を組まなければいけません。その財源は何処から捻出しますか?」
「で、でも! それなら――」
「……第一」
一息。
「陛下が出歩いて、誰が喜ぶんですか?」
「……はい?」
「松代殿も、『陛下の話相手になる』とは言ったでしょうが、『陛下の話相手になりたい』と言った訳では無いでしょう」
「そ、そうですけど……」
「陛下と一緒に何処かに行きたいと言った訳でもありません」
「で、でも!」
「シオンだって同様でしょう。シオンは一応陛下、貴方の師ではありますが身分差は雲泥です。一日ずっと一緒、となると気も使いますし息も詰まりましょう」
「そ、そんなこと……な、無いとは言いませんが……」
「ホテル・ラルキアにしても、ですな。ふらっと陛下が遊びに行っても万全の対応をするでしょうが、余り余計な仕事を増やして差しあげるのはどうかと思いますぞ?」
「……」
「……」
「……」
「……ねえ、ロッテ?」
「なんですか?」
「貴方は、私の事が嫌いなんですかぁ!」
「そんな事は言っておりませんが……まあ、陛下と一緒に出歩くなど、面倒が増えるとは思っておりますな」
「それ!」
「どれですかな?」
「私の扱い、悪くありません!? 私、女王陛下ですよ? こう……もう少し、私に気を使っても罰は当たらないと思うんですけど!」
『もっと私を敬え!』と言えない辺りがリズであり。
「今更、私が陛下に気を使うとでも?」
一刀両断バッサリ切り捨てるのがロッテである。
「思ってませんよ! で、ですが! わ、私だって……ちょ、ちょっとぐらい、楽しんでも良いでしょう! こう、年頃の女の子みたいに、男性と出歩いてみたいって思っても良いでしょう!」
「ですから……」
はーっと、大きく大きく溜息をついて。
「『年頃の女の子みたいな陛下』なんて……それ、誰が喜ぶんですか?」
「うあぁぁーーん! ロッテが苛める! 苛める!」
「苛めではありませんよ、心外な。事実を述べているだけです」
「『微笑ましいな』とか思わないんですか!」
「思う訳無いでしょう」
「こう、孫の成長をほんわか見つめるお爺ちゃん的な心境は貴方に無いんですか!」
「むしろ悪しき成長ですな、それは。そういう所ばかりアンジェリカ様に似て来ておられる」
やれやれと首を竦め、ロッテは言葉を継ぐ。
「とにかく、今日中に片付けなければいけない政務は山の様に溜っているのです。大体ですな」
ちらりと、視線を。
「……あのカールの惨状を見て、まだ『遊びに行きたい!』とはどういう神経をしているのですか。臣下を労ってこその君主ですぞ?」
書類の山に囲まれ、クマの様な巨体を縮ませて殆ど虫の息のカールに向けた。
「……おい、ロッテ」
「どうした?」
「どうしたじゃねえ! 何で俺がお前の書類仕事を手伝わなきゃいけないんだよ!」
「そんなに難しい仕事は振って無いだろう? 誰でも出来る仕事……おい、ここ。判子が一個足らんぞ」
「判子を押すだけの簡単なお仕事です、って喧しいわ! 朝から何時間判子を押さすつもりだ! この俺の惨状は全部お前のせいだろうが! つうかな! 俺だって忙しいんだよ! 頼むから帰らせてくれ、マジで!」
「忙しい? カール、知らないとでも思っているのか? 貴様、事務仕事は全部副団長に丸投げらしいな?」
「ぐっ! て、適材適所だ! 頭使う小難しいのは苦手なんだよ、俺は!」
「そうだろうと思って頭を使わない判子を押す仕事を与えたのだろう、貴様には。適材適所――陛下? 何処に行かれるつもりですか?」
「ふぇ!? い、いえ、ちょ、ちょっと外の空気を吸いにですね!」
「……カール、確保」
「ちょ、ろ、ローザン卿! 後生! 後生です! 離して下さい!」
「ずりぃぞ、陛下! 自分だけ逃げるなんてゆるさねぇ。死なば諸共だ」
「近衛! 貴方、私の近衛ですよね!?」
「そうだよ! 俺は陛下、貴方の近衛だよ! だからこそ、今ココで陛下を逃がす訳にはいかねぇ!」
「何でですか!」
「近衛ってのは、陛下の剣であり盾! 陛下と共にあり、陛下と共に生きる存在だ。だからこそ、今ココで……困難を眼の前にして逃げる主君を見逃すわけにいかねぇ!」
「……え?」
「近衛は、唯の護衛じゃねえ! 陛下の側に侍る栄誉を賜った選ばれた存在だ! そうである以上、仮に主君に嫌われてでも、主君を諌める必要がある!」
「……」
「だから、陛下……俺は今、貴方を逃がす訳にはいかねぇ。仮に陛下に恨まれてでも、俺達に……近衛に『命をかけても惜しくない存在』で居て貰わなくちゃいけないからな!」
にやりと不敵に……それでいて、とても綺麗な笑顔を見せるカール。
「……ローザン卿」
そんなカールに、潤んだ瞳を見せてリズは。
「……って、そんな三文芝居で騙されると思われてるんですか、私! もの凄く心外何ですけど!」
心からの絶叫を、上げた。
「……あれ? 無理?」
「当たり前です! どれだけ私の事、簡単な国王だと思ってるんですか貴方は!」
「いや、ロッテとの何時ものやり取り見てたらこれぐらいで何とかなんねぇかなって」
「チョロい子扱いですか! 私の事、チョロザベート・オーレンフェルト・フレイムだって思っているのですか!?」
「いや、そこまでは………………うん、思ってません」
「溜め! 溜めが長いです!」
肩を怒らせ、『うがー』っと背景に擬音がつきそうな勢いでが鳴り立てるリズ。その姿に、やり過ぎたかと少しばかりカールが自問自答していると。
「……分かりました」
「何がです?」
「協力しませんか、ローザン卿」
妖艶――というには、色んな物が残念なリズが口の端に笑みを浮かべ、そうカールに言葉を投げる。
「……協力?」
「ええ。私は今すぐ此処を逃げ出し、松代様と遊びたい。貴方も、何時までもこんな所で判子を押すだけなんて御免でしょう?」
「そりゃ……まあ」
「ならば、私達の利害は一致している筈。いがみ合うのは得策では無いでしょう?」
「……」
「……私達、二人が手を合わせれば……幾らロッテと言えど敗る事が出来ると……そう、思いませんか?」
その、リズの言葉に。
視線を、二三度ロッテとリズの間で往復させて。
「……無理。さあ、仕事に戻りましょうか、陛下」
「決断が早い! い、いや、ローザン卿!? も、もう少し考えて下さい! 貴方、近衛の団長! 私、国王! この組み合わせでロッテに勝てない訳ありません!」
「ははは」
「何ですか、その渇いた笑い!」
「いや、陛下? さっさっと仕事に戻った方が良いって。だって、ほら」
カールが親指で指し示した方に視線を向けて。
「……何時まで漫才をしているのですかな? 国王陛下に近衛騎士団長殿?」
『ゴゴゴッ……!』と背景に擬音を背負うロッテの姿が眼に入った。
「ははは……さあ、陛下。それじゃお仕事に戻りましょうか?」
ガシッと手を掴まれ、そのままずるずると引き摺られながら。
「い、いやぁーーーーー! 遊びに! 私もたまには遊びに行きたいです! 松代さまーーーー!」
リズの絶叫が、執務室に木霊したという。合掌。
◆◇◆◇◆◇
リズが、執務室の中心で欲望を叫んでいたのと同時刻。
「……見ましたね?」
「あの、見たと言いますか、眼に入ったと言いますか……で、ですが――」
眉目秀麗、礼儀作法も完璧。ホテル・ラルキア会長の御令嬢という家柄に、ヤラしい話、お金もある。愛想こそ無いも、決して『無愛想』な訳では無く、女性らしい柔和な、細やかな気配りも出来る。一言で言えば、『完全無欠のお嬢様』なのだ、エルは。
「……もう一度だけ、問います」
「……」
「――見ましたね?」
「――――――はい」
そんな完全無欠なお嬢様が、絶対零度の視線で浩太を見下ろしていた。実に、惜しい。浩太がその業界の人間であるのならば御褒美なのだが……浩太にそんな趣味は無い。よって、現在は非常に居心地の悪い……というか、怖いのだ、純粋に。
「……なあ、コータ」
「……はい」
そんな視線に、同じ様に晒されながら。
「少し、疑問があるんだがな?」
何時もの様に、何でも無い様に。
「何で私はこんな所で正座させられているんだ?」
「……私に聞かないで下さい」
その隣で正座させられているシオンは平常運転だ。やはり、一番の大物はシオンなのだろうとしみじみ浩太は思う。
「……コータ様とシオン様は懇意にされているとお聞きしております。コータ様にあの様な姿を見られた以上、シオン様にお話が伝わらないとも限りません。ですので、お二人に来て頂きました」
冷たい視線はそのままでそんな事を言うエルに、まるで浩太は死刑宣告を受ける囚人の気分。
「……それでは、始めましょうか」
――話は数時間前に遡る。
◆◇◆◇◆◇
浩太の、ホテル中に響き渡るのではないかという絶叫を聞きつけクラウスとシオンが浩太の下まで駆け付けたのはものの数分の事である。あちらはあちらで浩太を探していたらしく、顔面蒼白になる浩太にシオンが何があったかを問いただして。
『喋ると……どうなるか分かりますね?』
……断って置くが、浩太に読唇術のスキルなど無い。そんなどこぞの怪盗さんの様な技術は一銀行員である浩太は学ぶ機会も、学ぶ意思も無かった。無かったが……しかし、自らの命がかかった時の人間の生存本能とは恐ろしいモノである。浩太は正確に、エルの唇の動きを読み取り。
『……夜になったら、シオン様を連れて私の部屋に来て下さい』
という、次の唇の動きに『放課後、校舎裏に来いや』と絡まれる男子高校生の幻影を見たという。顔面蒼白のまま、渋るシオンを連れて浩太がエルの部屋を訪ねて正座、というのが今の現状だ。
「……それで? 一体、どういう事だ?」
そろそろ正座にも限界が来たか、シオンは立ち上がり部屋の角に置かれたソファに座り直しエルを面倒くさそうに見やる。その視線に、居心地が悪そうにエルが視線を逸らした。浩太? 正座なう。
「……そうですね。いつまでも正座をして頂いても仕方ありません」
「そ、そうですか? それでは――」
「誰が正座を辞めて良いと言ったのですか?」
「――って、ええ!?」
「コータ様は乙女の秘密を盗み見たのです。本来であれば、これは死罪に等しい罪」
お前、それは何処の法律だよ! とか、見られたら十倍返しとかハンムラビなんか眼じゃねえな! とか、そもそも勝手に見せつけて来たんだろうが! とか、浩太の頭に色々な反論パターンが浮かび、そして消える。土台、こういう話で男が女に勝てる論法は無いのだ。ソースは痴漢冤罪。やられたら泣き寝入り、なのである。男は。
「……何をしたんだ、コータ。まさか、お前……」
「誤解! 激しく誤解です! 私は無実……でも無いのかも知れませんが! それでも誓って悪い事……はして無いとは言えませんが……それでも決して人の道に外れて……無いと、良いですが……そ、その! 男女の関係での悪い事……でも無いとは言い切れないのですが……」
「……何が言いたいんだ、お前は」
「何が言いたいのでしょうね、私!」
泥沼である。喋れば喋る程。
「……では、何をしたんだ? エルは基本温厚だぞ? そのエルが此処まで怒るって……」
ジト目で睨みつけるシオンに、浩太は居心地悪く眼を逸らす。その逸らした視線の先で、『お前も明日の朝日を見たいだろう?』と言わんばかりの眼と出逢う。厄日なのであろう。
「……その……エリーゼさんの、恥ずかしい姿を見た……でしょうか?」
「……」
「……」
「……」
「……うわー」
「ま、待って! 待って下さい! やり直し! いや、そういう意味じゃ無くてですね!」
ドン引きし、まるで虫けらを見る様な眼で浩太を見やるシオン。あまり間違って無い所が余計に性質が悪い。
「……どうする、エル? 訴えるか? 勝てるぞ、絶対」
「辞めてください!」
割と本気で浩太はシオンに泣きつく。短い付き合いだが分かる。この人はやると言ったらやる人だ。
「……いいんです、シオン様。その、私自身にも非が無かったとは言えませんから」
「……どういう意味だ?」
「少しばかり、独り言を聞かれてしまいまして。その、それが恋愛絡みであった為、恥ずかしい思いをした、というのが真相です」
「……うわー……」
間違ってはいない。間違ってはいないが、壊滅的に何かが違う。喉まで出かかった突っ込みを意志の力で浩太は胸まで押し戻す。沈黙は金、だ。
「恋愛絡み?」
「……ええ」
そう言って、浩太からもシオンからも視線を外し、中空に視線を彷徨わせるエル。心持、頬が上気し、少しばかり挙動不審である。
「……シオン様にも、一度お話をして置きたかったのです」
「何を?」
「……私の、想いをです」
意を決したか、エルがシオンに向き直り……そして、『きっ!』とした鋭い視線を向けて。
「その……わ、私は! クラウスお兄さまの事が大好きです! 男性として、慕っております! で、ですから――」
「うん、知ってる」
「――今後、お兄さまにいろ……え?」
「だから、エルはクラウスの事が好きなんだろう? そんなもの、最初から知ってるさ」
……想像して欲しい、エルの気持ちを。
エルが完全無欠なお嬢様で、魅力的な女性であるのと同様、シオンだってそこらの女性に負けない程――まあ少なくとも、世間一般の評価では――魅力的な女性である。眉目は秀麗だし、成績だって優秀だ。金銭面でこそエリーゼに一歩譲るが、こと、クラウスだけに限れば同年齢で一番心安い男女の友人関係。エルの恋愛事情的に最大のライバルだったのである、シオンは。
そんなシオンに気合を入れて宣戦布告をしたにも関わらず、シオンから返って来たのはそんな言葉。流石のエルも口をポカンと開けるしかない。
「き、気付いていたのですか? え、ええ? で、ですが、何時から……」
「だから、最初からだ。気付いていなかったのか? エル、お前は何時でも私を見るときは親の仇を見る様な眼で見ていたんだぞ?」
溜息を一つ吐き、ポケットから煙草を取り出し。
「火は無いのか?」
「あ、あいにく、ココは禁煙で……と、言うよりですね!」
ちっ、と舌打ちし、シオンは煙草を箱にしまい、視線をエルに戻す。
「クラウスの所に遊びに来てみれば、ずっとくっ付いて離れない。少しクラウスと話をすれば睨みつけられる。クラウスに頭を撫でて貰えば、トロンとした眼になる。これで気付かない方が嘘だろう?」
「そ、その……え? で、では、シオン様? シオン様は私が子供のころからずっと、私の気持ちに気付いていた、と?」
「さっきも言っただろう」
「……」
「……」
「……ご、御質問しても宜しいでしょうか?」
「ああ」
「そ、その……し、シオン様はクラウスお兄さまの事を……そ、その『好き』なのでは無いのでしょうか……?」
「好きだぞ?」
「で、では、やはりシオン様は私のライバル!」
「ああ、勘違いをするな。『好き』と言っても男女の仲では無い。あくまで『友人』として、だ」
「……そんなの、信用できません」
「お前がどう思うかまでは知らんさ。ただ、クラウス・ブルクハルトという人間は、人間としては非常に魅力的な人間だとは思うが、男としては少々物足りんと、私は思っている」
「お兄さまの悪口は言わないで下さい!」
「……どうしろと言うんだ、お前は」
溜息一つつき、椅子に座り直すシオン。そんなシオンに、浩太は手を上げて疑問を口にした。
「……あの、ちょっとイイですか?」
「なんだ、コータ?」
「その、さっきシオンさん『オトメゴコロをこじらせた』とか何とか言ってませんでした?」
「ああ。オトメゴコロ、見事にこじらせているだろう? まあ、アレはクラウスが悪い。好いた男に『お前、そんなんじゃアイツに嫌われるぞ? お前だってアイツの事、好きなんだろう?』なんて言われたら、そりゃこじれもするさ」
「ええっと……私はベロアさんの事を好きなのかと思ってああいう発言をしたんですが……」
「ベロア? ないない。エルにはクラウス以外の選択肢は有り得ない」
そうだろう? と問いかけるシオンに、エルは力強く頷く。
「ええっと……それじゃ、ベロアさんにあんな冷たい態度を取っていたのは――」
「純粋に嫌いなんだろう、ベロアの事が」
「ええ、否定はしません」
「……」
酷過ぎる。
「ああ、誤解をなさらないで下さいね? ベロア様は非常に魅力的な殿方だと思います。ラルキア大学は他国にも門戸を開いているとはいえ、どうしてもフレイム王国の人間が入りやすい様に出来ています。そんな中、ソルバニア出身のベロア様がストレートで入学するにはどれ程の御苦労があったか」
「そうなんです?」
「事実だな。ベロアはああ見えて優秀だぞ?」
「加えて、ベロア様は容姿も端麗です。更に、サーチ商会の御曹司でありご自身の商才も眼を見張る物がある」
「サーチ商会はベロアの代で更なる発展を遂げる、と専らの噂だ。お金もある。総合的に視て結構な優良物件だ、ベロアは」
「物件って」
「ですが」
一息。
「生理的に無理です、ベロア様は」
「……酷い」
「軽薄で、女性と見れば直ぐに誰かれ構わず声をかけ、大学時代、クラウスお兄さまとパルセナに遊びに行った際には……そ、その……い、いやがるお兄さまを無理矢理『艶街』に!」
「……そうなんですか?」
「知らん。流石に私も一緒に艶街に行った訳ではないからな。ただまあ……クラウスだってイイ年をした男だ。本気で嫌がる訳ではな――」
「嫌がっていたに決まってます! だってお兄さまですよ! 実直で、優しくて、少しだけ抜けていて、でもそんな所がエルの母性本能をくすぐる、そんなクラウスお兄さまですよ! きゅんきゅん来ますよぉ!」
「――落ち着け、黒髪。食い気味に喋るな。後、お前が何を言ってるかちょっと分からない」
「分かりませんか! お兄さまを想う、このエルの気持ちが!」
むはー、と鼻から息を吐き出すエル。ちなみにこれだけテンション高く喋っておいて、無表情である。ちょっと怖い。
「あー分かった分かった。エルはクラウスが大好き、それで良いな?」
「はい!」
面倒くさそうに左手をパタパタ振るシオンに、力強く頷いて見せるエル。
「ならさっさっと告白でも何でもして付き合ってしまえ。先程の私がどうこうと言うのも、クラウスがお前のモノになれば不安も無くなるだろう? というか私の平穏の為にもさっさっと付き合ってしまえ、お前ら」
「……え?」
「『え?』とはなんだ、『え?』とは。エルはクラウスが大好きなんだろう?」
「そ、それはそうですけど!」
「そもそも、クラウスはホテル・ラルキアの『後継者』に指名されているんだぞ? そしてエル、お前はホテル・ラルキアの現会長の一人娘だ」
シオンの言葉に浩太もピンと来る。
「婿養子、ですか?」
「十中八九そうだろう。フレイム王国は男女同権意識が強い国だが、それでもホテル・ラルキアの代表が女性では何かと問題もある」
「そんなモノですか?」
「そんなモノだ。あからさまに女性蔑視の国もあるからな、オルケナには。特にホテル・ラルキアの様な、他国に対して広く顧客を求めるホテルでは代表者は男性の方が……まあ、無難ではある」
シオンの言葉に浩太も頷く。ベストではないが、ベターな選択。どの道、一族経営であるホテル・ラルキアにおいて後継者問題は避けては通れない問題であり、エルの『婿取』は至上命題ではある。
「……その……」
「ん?」
「クラウスお兄さまは……私を、貰って下さるでしょうか?」
不安そうに。
上目遣いでそういうエルに、シオンが頭に疑問符を浮かべる。
「……クラウスお兄さまは後継者に指名されていますが、それでも今ならまだ『逃げれる』のです」
「『逃げる』?」
「シオン様に御相談なされたのでしょう?」
ホテル・ラルキアの経営は決して楽では無いと、と。
「……ああ、成程」
「どういう意味だ、コータ?」
「結納品としては余りに重すぎるんでしょう、『ホテル・ラルキア』は」
こくん、と。
浩太の言葉に頭を縦に振って見せ。
「決して経営が楽で無い『ホテル・ラルキア』です。その上、歴史と伝統がある以上――」
オーナー経営者が事業を次代に引き継ぐ、俗に『事業承継』と呼ばれるイベントが行われる際、大きく四つの問題が発生する。
一つ目はそもそも後継者がいない事。ホテル・ラルキアがコレだ。跡取り娘は居ても、事業を引き継ぐ人材を血族で『調達』出来ない。その場合、余所から引っ張ってくるか、自前の従業員で賄うしか無くなる。まあ、潰すという選択肢もあるにはあるが。
二つ目は外部に向けて。ホテル・ラルキアは名門ホテルである以上、ある程度の『看板』はあるが、やはり代替わりは不安要素。特に、経営者がオーナーでもあるホテル・ラルキアの様な業態で、最終意思決定者が変わるのは大きな意味合いを持つ。そこの引き継ぎが巧く行かないと事業は失敗するのだ。
「姑も舅も小姑も小舅も居ますか、ホテル・ラルキアには」
「……その通りです。今までホテル・ラルキアを支えてくれた人々をさして、本当はこんな事を言ってはいけないのでしょうが」
そして三つ目がこれ。内部の眼、つまり『人間関係』である。
所謂若手経営者は、この問題で悩む事が多い。特に、先代からの大番頭が居る様な会社では、『前はこんな体制じゃなかった』だの『先代の時とやり方が違う』だのと、箸の上げ下げにも注文をつける様な……まあ、非常に五月蠅い。酷い場合、明らかに新経営者を侮る従業員も出て来るのだ。その発言に一定の理があるのも、問題を根深くする。
侮られてケチをつけられれば、拗ねる。拗ねれば当然、自分を認めてくれる人間を欲すのが道理であり、それはつまり『派閥』が出来る事に外ならず、派閥が出来るという事は会社の経営にとってはマイナス要因であるという事だ。
しかしながらこれは血縁的な、つまり経営者の実の息子や血の繋がりが強い人間が次代の代表についたパターンであり、事業承継では『幸運』なパターンでもある。外部から雇ったり、或いは従業員からの昇格組はもう少し悲惨である事が多い。外部組は『ウチの事なんか何にも分かって無い外様』とあからさまに見下され、昇格組は『偉そうに言ってるけど、この間まで同じ雇われの身だろうが』と、こちらもあからさまに見下されるのだ。
「いえ……事業を継続する上では非常に難しく、そして避けては通れない問題でしょうね」
……ちなみに余談ではあるが、四つ目は『税金』である。が、これはホテル・ラルキアでは関係が無いので割愛する。
「……お兄さまは今ならまだ、『逃げる』事が出来ます。ですが」
「エルと結婚すれば『逃げる』事は出来ない、か」
溜息交じりにシオンが言葉を継ぎ、その後ジロリとエルを睨む。
「……お前はクラウスを馬鹿にしているのか? 逃げる? アイツが、そんな事をすると本当に思っているのか? もしそうであるのならエル、私は友人として全力でクラウスを援護し、そして友人としてお前を心の底から罵倒し、軽蔑するぞ?」
「クラウスお兄さまを馬鹿にしている? 何を仰っているのですか、シオン様」
そう言って、睨み返す様にシオンに強い視線を向けて。
「……十年です」
「……」
「初めてクラウスお兄さまが当家を訪れ、『これから宜しくね、エル』と私に微笑みかけて下さって、十年。何時でも優しく、何時でも私を助け、何時でも私を導いて下さったクラウスお兄さま。そんなクラウスお兄さまを慕って、慕って、慕って、慕い続けて来たのですよ? 誰よりもクラウスをお兄さまを見て、誰よりもクラウスお兄さまの近くにあり、誰よりもクラウスお兄さまを理解していると、私はそう自負しております」
ですから、と。
「……お兄さまに、『重荷』を背負わせて……本当に、良いのでしょうか?」
「……」
「『する』『しない』はその時の判断です。お兄さまはきっと、逃げずに立ち向かって下さいます。ですが……私と結婚すると、『出来ない』になってしまう。それは――」
――本当に、正しいのでしょうか? と。
「……ふむ。成程な」
「……申し訳ございません。若輩の身で、知った様な事を言いました」
「いいや。私も非礼を詫びよう。誰よりもクラウスと付き合いが長いのはエルだったな」
「長いだけ、ですが」
「そんなに悲観するな」
「悲観もします」
溜息、一つ。
「……お兄さまは今、悩んでいます。ホテル・ラルキアがこのままで良い筈は無い。ですが、有効な手立ても無い。毎日毎日、苦悩されている。それなのに……私は、それを見ているしか出来ない」
「……」
「自分の慕う人が、苦しみ、悩み、何とかしようと足掻く姿を見る事しか出来ない。お兄さまに与えて貰い続けた私が、その恩を何も返せない。ばかりか、お兄さまに今以上の『重荷』を背負わせる存在です。それが、どれほど歯痒いか。それが、どれほど辛いか。それが……どれほど、悲しいか」
身を斬られる程、苦しい、と。
「……ふむ」
「……申し訳御座いません。愚痴でした、唯の」
「いいさ。年下の愚痴を聞いてやるのも年長者の務めだ」
「……」
「確かに、エルの言う通りクラウスの進む道は苦しく、辛いモノだ。少なくとも、私ならば尻尾を巻いて逃げだすな」
「……そう……ですか」
「当たり前だ。経営の苦しいホテルの、しかも悪しき『おまけ』付だぞ? 誰がいるか、そんなモノ」
「……」
「シオンさん!」
「なんだ、コータ? 私は間違った事を言っているか?」
「いえ、その……言い方があるでしょう」
「ないな。事実は事実、言い方など関係無い」
「ですが! それで――」
「だから、どうする?」
「――はあまりに……って、え?」
疑問符を浮かべる浩太を無視して。
「エル!」
「は、はい!」
「先程言った通り、クラウスの進む道は苦しい道だ。そして、その全てを取り除く事は出来ない。だが……」
少しは、負担を減らしてやることが出来るのではないか? と。
「負担を……減らす?」
「色々聞いたが、要点を整理すれば二つだろ? 経営を立て直す事と、人間関係。違うか、コータ?」
「いえ……その通りです」
「クラウスは結局、『余所の人間』だ。どうしたって元々の従業員と『良好な人間関係』なんぞ築けるもんか」
「極論ですよ、それは」
「極論結構。何時まで経ってもクラウスは『女房のお陰で代表についた男』のレッテルを貼られるさ、どうせ」
「まあ、否定はしませんが」
「ならば、そのレッテルを剥がせば良いだろう?」
「……はい?」
「問題はとてもシンプルだ。女のお陰で出世したというイメージを払拭できる程の実績を残せば良い。それこそ起死回生、一発逆転の大技を」
「……」
「それにより、ホテル・ラルキアの業績も回復する。一粒で二度美味しい」
「そ、それは……た、確かにそんな事が出来れば、お兄さまの立場は飛躍的に上昇します! そ、そうすれば……わ、私と結婚……え、えへへへへへ!」
「……エル、涎を附け。それよりどうだ。違うか、コータ?」
業績が悪化した企業を立て直した人間や、企業の業績を飛躍的に伸ばした人間の事を『中興の祖』と呼ぶ。中興の祖に大まかに二つのタイプしか居ない。非常にカリスマ性があり、誰からも信頼された人間か、独裁性が強く、誰からも恐れられた人間かの、そのどちらかだ。良好かどうかはともかく、『人間関係』で悩む事は少なくなる。全員味方か、敵はいないか、なのだから。
「いえ……そうですね、シオンさんの御意見は非常に正しい。正しいですが」
――ただし、これには重要な問題がある。
「……そんなアイデア、あるんですか?」
……これである。言うは易し、行うは難しの典型みたいなものだ。訝しむ様に見つめるコータに、シオンは笑顔で。
「ある訳ないだろう、そんなもの」
「……ちょっと」
「そんなモノがあるのなら、わざわざコータなんて連れて来ない。さっさっとクラウスに話して経営を立て直させるさ。少し考えたら分かるだろう? 馬鹿だな~、コータは」
「そこはかとなく腹が立ちますが……そんな事より」
もの凄く、嫌な予感。そして、運の悪い事に浩太の『嫌な予感』は……非常によく当たるのである。
「だから……後は任せたぞ、コータ!」
「そんな事だろうと思いましたけどね! 丸投げですよ、それ! しかも無茶ぶり付きの
!」
「コータなら出来るだろう?」
「出来ませんよ! 言っておきますけど、私には出来る事しか出来ませんから!」
「……ふむ」
そう言って、シオンは浩太から一度視線を切って。
「……では、今の台詞をもう一度、エルに向かって言ってみろ」
「エリーゼさんに? それ、一体何の――」
エルの方に視線を向けて。
「……汚い。流石シオンさん、汚い」
「褒め言葉と取っておこう」
『出来ないのぉ? ねぇ、ほんとに出来ないのぉ?』と。
まるで、某消費者金融のチワワの様な表情で、潤んだ瞳に上目遣いに見つめる美少女が、そこに居た。
「……」
「なあ、コータ?」
呆然と立ちすくむ浩太の方に腕を回し、その整った表情を笑顔に緩ませ。
「年下の愚痴を聞いてやるのは年長者の務めだが」
そう言って。
「……可愛い女の子の『悩み』を解決してやるのは、男の子の務めだろ?」
ウインク、一つ。
「……一回だけ、汚い言葉を使っても?」
「構わんよ」
「地獄に落ちてしまえ」
浩太の怨嗟の声も、どこ吹く風。
シオンは可笑しそうに笑う事でそれに答えた。




