第三話 銀行員、街を出る
ロッテ・バウムガルデンはフレイム王国初の平民出身の宰相である。
貧しい農家の三男坊として生まれたロッテは苦学の末に大学を卒業し、王宮に就職口を見つけた……という、お涙頂戴の物語がある訳では無い。『平民』とは言え、ロッテの生家はフレイム王国でも五指に入る豪商でありロッテ自身、幼い頃から『お金』で苦労した事は無い。フレイム王国の最高学府である王立大学の政治学科を首席で卒業したロッテは、そのまま王府の官吏として登用された。
子供の頃から賢い子であったロッテは王府に奉職して直ぐに頭角を現す。『頭の切れは一流。しかし、同僚や部下を小馬鹿にした感あり』というのが、当時の上官のロッテ評である。
ロッテ自身も当時の自分を振り返り大人げないと思う所もあり、反省もしているが……あの時を振りかえっても、もう一度同じ態度を取っているだろうと、そうも思う。
無能でありながら、『年齢』だけで自分の上に居る上司。
無能でありながら、『家柄』だけで自分の上に居る上司。
無能でありながら、『縁故』だけで自分の上に居る上司。
正直、愛国心等があった訳ではない。ロッテの家は指折りの商家であり、他国の商会との取引もある。平民階級でありながらも、そこらの一般庶民よりは『外国』が身近にあったからより一層、『別に国はここだけではない』という想いは強かった。上司である貴族にしたってそうだ。政略結婚と近親婚で塗れたオルケナ社交界では、末席中の末席ではあるが二つや三つの国の王位継承権まで持っている人間もざらにいた。少なくとも、ロッテが見る限り『愛国心』なんぞを持って職務に邁進している人間は皆無。ロッテは当然の様に腐っていった。
『君は、中々面白い意見を考えるね?』
そんな腐ったロッテを引き上げてくれたのは先代フレイム国王ゲオルグだった。当時、歴史的大飢饉が発生していたフレイム王国で、ロッテの書いた政策具申書がゲオルグの眼に留まり、その具申書を平民階級の出身者が書いた事に興味を覚えたゲオルグがロッテに直々に声をかけた事から始まる。
ロッテの出世街道はそこで開けた。
ゲオルグは決して名君では無かったが、凝り固まった価値観を後生大事に抱える暗君でも無い。少なくとも、ある程度の裁量と権限をロッテに与えて自由にさせ、責任は自分がとる、程度の事を、居並ぶ貴族達に平然と宣言する程度の器量は持ち合わせていた。或いは、これこそが最も名君に必要な条件なのかも知れないが。
ともかく、『直轄政策審議官』というご大層な役職を拝命したロッテは矢継ぎ早に政策を打ち出した。仕事が面白くて仕方なかった。『男子一生の仕事は政治にあり』では無いが、自分の考え、自分の知識、自分の想いがダイレクトに国家戦略に反映し、その上で国が良く成って行くのを見るのは楽しくて楽しくて堪らなかった。寝る間も惜しみ、毎日の様に政策案を持ち込むロッテに、ゲオルグの評価はより一層上がっていく。上がる評価と比例する様にロッテの地位も上がっていき、気が付けば国政の頂きに立っていた。
……その時初めて、ロッテはこの国を、『フレイム王国』を愛しいと思う様になった。
手塩にかけた子供同様、この国が『可愛く』て仕方無かった。この国の秩序を、この国の繁栄を、この国の平和を、この国『そのもの』を乱すモノが徐々に、だがはっきりと、許せなくなっていく。
「ロッテ! 貴方、一体何を言っているのですか!」
……だから。
「私の話を聞いていなかったのでしょうか、陛下」
……この国を乱す輩は、必要ない。
「私の耳がおかしくなったのかしら? 貴方今、松代様に『出てけ』と、そう仰ったのですか!」
「そう申しましたが?」
「ロッテ!」
激昂するリズもどこ吹く風。ロッテは浩太に向き直り、真摯な眼差しを向ける。
「如何でしょうか、松代殿」
「理由を伺っても?」
怒りだす事もなく、まず理由から。やはり、この御仁は聡い。自身の見立てが正しかった事を悟り、ロッテは言葉を続ける。
「我が国と西の隣国、ウェストフェリアは戦争一歩手前です」
「はい」
「現在は何とか外交関係を保っていますが、それは危ういバランスの上で成り立っております。戦力的にはトントン……と言いたい所ですが、我が国の方が若干不利です。勿論、王都にまで攻め込まれる事は無いでしょうが……」
領地の一つ二つは割譲されるでしょうな、と、何でも無い様に言うロッテ。
「……そんな危うい環境の中で、『フレイム王国が勇者の召喚に成功した』等という風聞が流れたら?」
「……隣国に取っては『魔王』並の脅威、と言う所ですかね?」
「仮にも『勇者』ですからな」
「眉唾モノだと思うんですが?」
「それはそうでしょう。ですが、事実として貴方は召喚されている。近いうちにバレるでしょうな。なれば勇者の準備が整う前に! と攻め込まれる可能性も無くは無い」
お伽噺の世界ではあるが……龍や魔王を倒す程の『勇者』が、異世界から、決して友好的とは言い難い国に現れたのだ。どんな力を、どんな魔法を、どんな智恵を持っているか分からない。ならば、『やられる前にやる』と思って先走る可能性だってなくはない。
「それが理由ですか?」
「もう一つ。これは陛下……リズ様に関わる事なのですが……」
「え? 私ですか?」
きょとんと小首をかしげて見せるリズ。とても『歴史と伝統』のあるフレイム王国の女王様には見えないその仕草に、思わず笑みが漏れる浩太。
「……フレイム王国では新妻は処女である事が求められます」
「……はい?」
その笑みが凍りつき、浩太の頭に疑問符の嵐が。はい? 今ロッテさん、貴方、何を言われました?
「ろろろろろろロッテ! あ、あああああああ貴方! な、何を言っているのですか!」
浩太以上に狼狽するリズ。顔は羞恥やら怒りやら照れやら……まあ、とにかく真っ赤だ。
「見る限り、松代殿も二十を越え……そうですな、三十まで届きますまい?」
「え、えっと、はい。二十六です」
「リズ様は御歳十七歳。女性として一番『瑞々しい』時期です。さて、健康な成人男性とうら若き乙女。二人が一つ屋根の下に住んでいると知られたら」
「……醜聞は足が速い、ですか」
「そう言う事です」
「ろ、ロッテ! ひ、一つ屋根の下って、別に一緒の部屋に寝る訳では無いのですよ! なら――」
「甘いですな」
「――何の問題も……え?」
「『何があった』かの事実が問題なのではありません。『何があったかもしれない』と噂されるのが問題なのです。そして噂とは、権力で止まるモノではありません。人口に膾炙し、国中に、他国にまで知れ渡るのです」
フレイム王国の女王陛下は『中古』だ、と。
「ちゅちゅちゅちゅちゅ中古って何ですかぁ! 女性蔑視です!」
「これは失礼」
何事も無くリズに一礼するロッテ。その姿は妙に堂にいっている。
「お分かり頂けましたか、松代殿?」
「……要は、嫁入り前の娘に悪評を付けられたら困る、と」
「有体に言えばそうです」
「では……そうですね。私は王宮を出て街ででも暮らせばいいのでしょうか?」
「それで二つ目の問題は回避出来ますが、一つ目の問題……『勇者』は解決できません」
「……そうですね。では、私はどうしたらいいのでしょうか? まさか、『死ね』と言われる訳ではないですよね?」
確認ですが、と問う浩太にロッテは首を縦に振る。
「無論、『死んで下さい』とお願いする訳ではありません。まあ、問題の解決にはそれが一番早いでしょうが」
「ロッテ!」
「陛下、冗談です」
「言っていい冗談と悪い冗談があります!」
顔を、今度は怒りで真っ赤に染めたリズがロッテに食ってかかるも、手慣れたもの。軽くいなすロッテとリズの姿は、息のあった漫才コンビの様だ。
「そう言う訳で、松代殿にはこの王宮を……王都を離れて頂きたいのです。無論、信頼の出来る方の所にきちんと送り届けさせて頂きます」
「そうですか……分かりました」
「松代様! 断って頂いてけっこ――何ですって?」
「ですから……その『信頼の出来る方』の所でお世話になれば宜しいのでしょう?」
「ええ、そうです」
「待って! 待って下さい!」
「……何でしょうか、陛下?」
「『何でしょうか?』ではありません! ロッテ! 貴方、何を言っているか分かっているのですか? 勝手にこちらの世界に召喚しておいて城を出て行け? そんな横暴がまかり通るとでも思っているのですか!」
「松代殿も承諾して下さっておりますが?」
「それです!」
「どれです?」
「松代様も松代様です! 貴方、ご自分がどんな御立場か分かっていらっしゃるのですか?」
「どんな御立場と言われましても……厄介者、でしょうか?」
「何でそうなるんですか! 被害者! 貴方は被害者何ですよ! もっとこう、大上段に構えて『責任を取れ!』と仰って下さっても結構なんですよ!」
「陛下、責任を取れと言われても当方では責任の取りようがございませんが」
「言葉のアヤです! とにかく! 人に言われた事にハイ、ハイと頷いてばかり! 貴方にはこう、信念とか意地とか、自分の考えとか、そう言ったモノは無いのですか!」
「いえ……そう言う訳ではございませんが……すいません」
「それです! 何で直ぐに謝るんですか、貴方は! イイですか? 今、私は無茶苦茶言っているんですよ? 怒るところでしょう、ココは!」
「無茶苦茶言ってる自覚はあったのですな?」
「ロッテ、あげ足を取らない! さあ、松代様! 怒りなさい!」
「えっと……すいません」
「だ・か・ら……何で謝るんですかぁ!」
「性分なモノで……それに、陛下に取ってもイイ話なのではないですか?」
「イイ話ですよ! ええ、この上なく有り難い話ですとも! ですが、こんなに簡単に『ハイ』なんて言われたら、罪悪感が募るじゃないですか!」
「召喚した時点で罪悪感しか無いですがな」
「ロッテは御口を閉じなさい! さあ、松代様! イヤならイヤとはっきり言って下さい!」
鼻息も荒く詰め寄るリズに、浩太は顔を逸らす。愛らしい顔立ちが今では夜叉の様で……ぶっちゃけ、怖い。
「……陛下、実は私、そんなに嫌じゃないんですが」
「何ですって!」
「もし、仮に、ですよ? この王宮にこれからもご厄介になるとしたら……ロッテさんのお話では無いですが、私の立場は相当微妙なモノになりますよね?」
「そ、それは……そうですけど!」
「当然、ちょっと街の方までお買い物、みたいな訳には行かないでしょうし、ずっと王宮で日陰者として暮らして行くのは息がつまりそうで……」
「……」
「でしたら、ある程度自由のききそうな場所の方が楽しく暮らせそうじゃないですか」
……なるほど、道理ではある。道理ではあるが。
……何だか、面白くない。
「それは……私と一緒に居たくないって事ですかぁ!」
「何でそうなるんですか! いや、陛下? 何かがおかしいですよ! というか陛下、貴方は私と一緒に居たいんですか?」
「そうじゃないですけど、そんな簡単に『ハイ、わかりました』って言われたら……」
……さっき、飛びっきりの美人って言った癖に。
「何だか女性としての魅力を否定されている様で若干不愉快です!」
「今までで一番無茶苦茶言ってますよ、陛下! いや、別に魅力的じゃないから王宮を離れるわけ――」
「ひゅーひゅー」
「――って、ロッテさんまで! というかキャラが違いますよ、貴方!」
「イヤなのですか! どうなのですか、松代様!」
「陛下! 何言ってるんですか! ちょ、落ち着いて下さい!」
「そこだ、リズ様! 押し倒せ!」
「ロッテさーーーん!」
……閑話休題。
「……失礼しました」
「……いいえ」
「堪能させて頂きました」
「……ロッテ」
「はい。黙っておきましょう」
一通りドタバタコメディを繰り広げた三人は疲れ切った顔を浮かべ、椅子に座りこんでいた。カオスである。
「……黙っていては話が進みません。松代様がああ仰られるのなら、ココはその御厚意に甘えさせて頂きます。それで、ロッテ? その『信頼できる方』とは、一体どなたですか?」
リズの問いにたっぷり数秒間を取って。
「エリカ様でございます」
ロッテの言葉で、部屋の温度が凍る。
「ロッテ……貴方!」
「エリカ様なら松代様が『勇者』と知られても問題無く、エリカ様のご領地は王都からも距離があります。加えてエリカ様は明るく、優しいお人柄。松代様も過ごしやすいのではないでしょうか?」
「それは……それは、そうでしょうけど! でも!」
「あのー……」
「何でしょうか、松代様」
「その、『エリカ』様……ですか? その方の所でお世話になれ、と?」
「ええ。とてもお優しく……そうですね、『面白い』お方ですよ?」
「『面白い』の言い方に一抹の不安を感じるんですが……その、エリカ様は一体どの様な方なんですか? お名前をお聞きする限り、どうも女性の様ですが……」
「ええ、女性です。エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム。先代国王ゲオルグ・オーレンフェルト・フレイム国王の王女にして……」
一息。
「リズ様の、お姉様にあたる方です」




