第二百五十話 男尊女卑の国家
「エドワード様。お呼びでしょうか?」
ロドリゲス・ライツが帰ってすぐ、エドワードの執務室を訪ねてきたのは彼の『裏』の秘書官たるローナだった。手元の書面からちらりと視線をあげ、エドワードは顎でしゃくるように対面のソファを指す。『座れ』という意味だと解釈したローナはその視線に逆らうことをせず素直に腰を下ろし、口を開く。
「何をなされていたのですか?」
「ライツ殿が書状を持ってきてくれた。講和条約――まあ、降伏、だな。降伏の為の文面の作成だ」
そういって肩を竦めて執務机から立ち上がるとそのまま書き終わったばかりの書面をローナに手渡す。その書面を受け取ったローナは、視線をそれに落とし読み込んで小さくため息を吐く。
「この条件で講和を?」
「そうだ。ラルキア百万市民の命と引き換えならば……まあ、飲めない要求でも無いだろう? 無条件で降伏してやるつもりは無いしな」
そう言うエドワードにちらりと視線を送り、ローナは手元の書面に視線を再び落として声を上げる。
「……第一条、現フレイム王国摂政である『クリスティーナ・ウェストリア』の亡命を認め、フレイム貴族として遇し、子爵位と領土を与える」
「そうだ」
「早速、難しい条件ではありませんか?」
「まあな。だが、その条件を飲んでくれるのならば今直ぐに降伏してやってもいい。第二条のラルキアの無血開城も果たすし、第三条のフレイム帝国の承認と……まあ、リズ様のフレイム王国国王復位も認めるさ」
「第二条は向こうも喉から手が出るほど欲しい条件でしょうね」
「だろう? その条件を出せば子爵位くらいは惜しくないだろう、向こうも。どうせ飼い殺しのようなものだしな」
「裏切られるのでは?」
「その可能性は十二分にある。あるが……まあ、比較論だ。今からウェストリアに帰ったとしてもクリス様には生き辛い未来しかない。幸い、リズ様もエリカ様も情の深い方だ。アリア殿、シオン殿もいる。クリス様をウェストリアに売る様な真似はしないだろう」
「……第四条は? 賠償金の相互放棄。これは飲むでしょうか?」
「飲んでくれればいいな、だ。いいなだが……どうせ『こちら』の国庫は元をただせば『あちら』の金庫だ。そこから賠償金を出しても右から左だろう? まあこれは、ウェストリアに波及しない様にするための予防線の様なものだな」
「本国に迷惑を掛けない、と?」
「違う。どうせウェストリアは飲まないからだ。『クリスとエドが勝手にやったこと』とシラを切って終わりだ」
「……」
「そしてそれはあちら側としても望むところでは無いだろう。そうだろう? 私たちがずっとこちらに居座ればその分無駄に国庫を食潰す。それを止めようとすれば血が流れるんだ。あちらからすれば破格の条件だろう?」
そういってエドワードは彼にしては珍しくカラカラと笑って見せる。そんなエドワードに視線を向け。
「――だから、第五条――『戦争犯罪人の処遇に関してはテラ政権に一任する』の条文を入れるのですか?」
射貫くようなそのローナの視線にエドワードは肩を竦めて見せる。
「……あまりにもこちらに都合の良い条件ばかりだからな。それぐらいの譲歩がないと受け入れらないだろう」
力なく笑って。
「――どのみち、多くの血が流れた。フレイム王国は焼かれ、宰相は殺され、王位を奪われたんだ。憎んでも憎み切れない相手と笑顔で手を取り合うほどに、人間とは倫理的ではない」
「……」
「第一条を飲ませることが出来ればクリス様はフレイム王国の――帝国、か? まあ、どちらでも良いが、その陣営に入ることが出来る。クリス様を戦犯として裁くことは難しいだろうし……そもそも、クリス様に責は無いしな」
「……」
「……これは私の、エドワード・アルトナーの仕出かした不始末だ。だから――」
――その責任は、『俺』が取る、と。
「向こうからしても良いだろう。クリス様は女性だが紛れもないウェストリア王族の一員だからな。流石に王族を処刑するのは難しいだろう。ウェストリアが滅びれば話は違うかもしれんが、わが母国は健在だしな。あちら側も無理やり火種を増やすつもりは無いだろう」
「……そして、貴方は処刑されるのですか?」
「それが最良の手段だな」
そう言ってエドワードは机の引き出しから一つの袋を取り出すと、そのままそれをテーブルの上に置く。
「命令だ、ローナ。その中には路銀と書状が入っている。ローレント王国に行き、マリー姫殿下にそれを渡せ」
「っ! エドワード様!? それは――」
「――言うな、ローナ。お前には感謝している」
そう言って優しく笑みを浮かべるエドワード。そんなエドワードに、噛みつく様な視線を向けるローナ。その視線に、エドワードが大きく息を吐く。
「……逃げろ、と? そういう事ですか、エドワード様!!」
「……なんだかんだ言ってもお前は宰相殺しの実行犯の一員だ。フレイムの衛兵は優秀だからな。何処で足が付くかもわからん。心配するな。ウェストリアを経由してローレントに向かう算段はしてある。ローレントに逃げ込んだら、すぐに王城に向かい、マリー様を頼れ。その書状があれば追い出されることはない」
「エドワード様! それは――」
「これは『命令』だ、ローナ」
「っ!!」
「下がってよい」
「……」
「どうした? 下がっていいぞ?」
「……は……い」
一度だけ頭を下げて、ローナは席を立ちドアの方へ歩みを進める。そんなローナを見つめ、エドワードは。
「――今までありがとう、ローナ」
ドアを見つめたまま、ローナはぺこりと頭を下げてドアを潜って。
「――だから……男は嫌いなんですよ。エリックも、エドワード様も……男尊女卑だからって、残される女の気持ち、考えたこと、無いんですか?」
扉に寄りかかり零した言葉と涙に気づくものは誰もいなかった。




