第二百十四話 ランドルフの思惑
テラと何が違うのか、と問われると浩太には返答のしようも無いが、それでもこのノーツフィルト子爵領は同じ港町とは言えテラとは全く違う発展を遂げている様に彼の目には映った。
「……大きいですね、港」
右を見ても、左を見ても、何処までも続くような港湾部。そこかしらに大小様々な船が並ぶその姿は正に圧巻とも言える。浩太にしては珍しく、呆気に取られた様なそんな言葉にくすりとエリカが笑みを漏らした。
「まあね。ノーツフィルト子爵領はラルキアに近いから。ほら、ラルキアって海が無いでしょう? だから海外から運ばれた品物の多くは一旦ノーツフィルトに集まって、それからラルキアまで運ばれるのよ。勿論、ノーツフィルト子爵領だけじゃないけど、それでもノーツフィルトの水揚げはフレイムでも一、二を争うわね」
「もしテラに港を出来上がっていたらバッティングしていたかも、ですか?」
「その可能性はあるわね。でも、さっきも言った通りノーツフィルト子爵領だけじゃないし……それに、テラからラルキアまでは高速馬車で三日だもの。地の利を考えるとやっぱりノーツフィルト領の優位は揺るがないでしょう?」
「そうですね」
そう頷きながら答える浩太にエリカの頬も緩む。なんとなく、いつも『教えて貰っている』側のエリカからすればこちらの知識とは言え浩太に何かを『教えてあげる』という行動は少しばかり嬉しかったりするのである。
「ま、ともかく行きましょうか? ランドルフ、待ってるでしょうし」
「エミリさんのお兄さんですか……少しばかり緊張しますね」
「アロイスみたいなの想像してる? 大丈夫よ、ランドルフは常識人だから……まあ、私の中では、アロイス以外は皆常識人だったイメージあるから……なんとも言えないけど」
そう言って視線をはるか彼方へ向けるエリカ。きっと、その視線の先には『少し影のある渋いオジサマ』から『超親バカ』に変身した彼の姿がある事だろう。
「……コメントに困りますが」
「良いのよ、別に。コメントが欲しい訳じゃ無いから。それより……ほら」
そう言って振り返るエリカ。釣られる様に視線をそちらに向けると、金髪碧眼の柔和な笑みを浮かべた男性が一人、こちらに視線を向けていた。
「ご無沙汰しております、エリカ陛下。臣下の礼は?」
「必要ないわよ。それからエリカ『陛下』というのは止めて貰える?」
「失礼。では、エリカ『様』。ご無沙汰しております。息災の様で何よりです」
「息災、と言えるかどうかは微妙な所だけどね。取りあえず、元気に生きているわ」
肩を竦めてそう言って見せるエリカに苦笑を一つ、そのまま視線を浩太に向けた。
「コータ・マツシロ殿、ですね? 初めまして、私は此処、ノーツフィルト子爵領の現当主、ランドルフ・ノーツフィルトと申します。以後、お見知りおきを」
「初めまして、ノーツフィルト子爵様。松代浩太と申します」
「ランドルフで結構ですよ。ああ、様も要りません。アロイスの事はさん付けで呼んでいるのであれば、私の事もどうか『さん』付けでお願いします」
「それは……失礼では?」
「構いませんよ。そもそも、エリカ様をさん付けで呼んでいるのに私の事を様付で呼ぶのもおかしな話だ。それに、未来の義弟候補とは仲良くなっておきたいじゃないですか」
「ランドルフ! あ、あなた、なに言ってるのよ!」
慌てた様なエリカの声にランドルフは呵々と笑って見せる。
「冗談……とも言い切れませんが、まあ話の接ぎ穂程度のモノですよ、エリカ様。大体、コータ殿……コータ殿と呼ばしてもらいますよ? コータ殿は父、弟、弟嫁、姪、それに妹と随分とウチの一族に気に入れらていますしね。その内、本当に義弟になるかも知れないじゃないですか」
「そ、そんなの認められないわよ!」
「ま、此処でエリカ様と恋愛談義をするつもりはないですよ。エミリに取られないよう、エリカ様はエリカ様で頑張れば宜しいじゃ無いですか」
『い、言われなくても……』なんてもじもじするエリカをもう一度面白そうに眺め、ランドルフは再び視線を浩太に向ける。
「さて、長旅でお疲れかと思いますが今後の事を話し合いたいと思います。紅茶と菓子の用意をしておりますので、どうぞ、館の方へ」
◇◆◇◆
海から歩いて数分の所にノーツフィルト子爵領の公邸はあった。子爵邸と言えば城の様なモノを想像していた浩太だったが、目の前にある家はそこそこ広さはあるも決して館の様な造りは為していない、言ってみれば普通の家だった。
「あまり大きくは無いですが、住みよい我が家ですよ」
応接室らしき部屋でそんな浩太の視線に気付いたのか、少しばかり苦笑を浮かべながら対面のソファに腰を掛けるランドルフに、浩太は慌てて両手を振った。
「い、いえ! そんな事はありませんよ! テラの公爵邸に比べれば倍ぐらいは大きいですし!」
「……それ、私に失礼なんだけど……?」
ジト目を向けて来るエリカに今度はそちらに慌てて両手を振る浩太。そんな姿を楽しそうに見つめ、ランドルフは口を開いた。
「まあ、テラ公爵邸は元々の代官屋敷をそのまま利用しているでしょう? 行ってみれば自前ではありませんしね」
「別に気を使って貰わなくて結構よ。狭いしボロイし、お金も無いのも分かっているから」
「お金が無い、というのは違うのでは? 少なくとも、今は」
「そっちこそ違うわよ。そりゃ、盛況だった時もあるけど『あの』ゴタゴタで今じゃすっかり閑古鳥が鳴いているわ。それに、そもそも借金だって全然減って無いし。羨ましいわよ、ノーツフィルト子爵領が。借金、無いんでしょ?」
「国からの、という点ではありませんね。まあ、掛けの商品などの未払い金もありますので」
「そういうのは借金って言わないの」
「債務は債務ですから。と、話が反れましたね。ともかく、ウチの館はさして広くはありませんし、別段お金をかけている訳ではありません。中には城の様な屋敷を持つ方もおられますが……あまり、ノーツフィルト家では得策とは思われておりません」
「理由をお伺いしても?」
「一つは単純に維持費が掛かりますので。建物は使わないと痛みますしね。定期的に全ての部屋の空気の入替だけでも随分と手間です。その分の人件費を雇ってまで……まあ、見栄を張る程の事もありませんので。二つ目は王都に近いこの子爵領では、野戦などの心配も御座いません。城は防衛の意味合いもありますが、その必要は無いだろうという発想です。尤も、今ではちょっと状況が変わってしまいましたが」
そう言って視線を浩太からエリカに向ける。
「我がノーツフィルト家は防衛にさして力を入れている家ではありません。そもそも、戦闘を想定しておりませんでしたので」
「……そうね。申し訳ないわ、巻き込んで」
「ああ、失礼! 謝って頂きたい訳ではないのです。そもそも、こういう事態を想定して備えるのも貴族の責務。それを怠っていたのは私共のミスですので」
「……そう。ありがとう」
「お礼を頂きたい訳でも無いのですが……いえ、これは回りくどい言い方をした私が悪いですね。結論から言えば、当ノーツフィルト領はこれからエリカ様、つまり『フレイム帝国』側に立つことをお約束します」
「ありがとう、ランドルフ。心からの感謝を」
「まあ、父も弟もアレだけ帝国側でしたしね。流石に私一人の反対で王国側に付く訳にはいきませんよ。そもそも、エリカ様は旧知の中ですし」
「情かしら? それでも構わないけど」
「まさか。現実的な判断でも帝国側の勝利は揺るがないでしょう。ソルバニア王国、ラルキア王国、ライム都市国家同盟を味方に付けた帝国が王国に負けるなんて判断を下している領地はきっとないでしょうね」
そう言って視線を浩太にゆっくり向ける。
「……まあ、そういう意味でこちらとしてはフレイム帝国側に付きたいと思っております」
「……ありがとうござい――」
「しかし」
話しかけた浩太の言葉を遮る様に。
「しかしながら、私はコータ・マツシロ殿、貴方の事を何も知りません。父から、弟から、或いは妹から断片的な情報を聞いてはおりますが、果たして貴方がどの様な御仁か、全く理解できていない」
「……」
「なので、どうでしょう? コータ・マツシロ殿?」
この後、二人で少しお話でもしませんか? と
「別に取って食おうという訳ではありません。少しだけ、貴方の人と形を知りたいのです」




