第二百十話 ラルキア勅令
テラ公爵邸、執務室。
エリカ、浩太、そして綾乃の三人が一つの長テーブルを囲むように作業をしているその部屋では一切の喋り声は聞こえて来ず、ただただペンを紙に走らせる音だけが響いていた。
「…………ねえ」
否。
「はい? どうしましたか、エリカさん?」
そんな静寂を破る様、エリカから声が漏れる。そんなエリカの声に反応した浩太が神に走らせるペンの手を止めて視線をエリカに向ける。たっぷり二秒、そんな浩太の視線を両の瞳でしっかり受け止め、エリカは。
「………………ひま、なんだけど!」
絶叫。室内に響くその声に浩太は顔を顰め――そして、この事態を想定していたかの様、綾乃は両の手で自身の耳を押えて溜息交じりに首を左右に振る。
「……エリカ。あんたね? 言うに事欠いて『ひま』は無いんじゃない、『ひま』は」
じとーっとした綾乃の視線。その視線を受け、『うぐぅ』と言葉に詰まり――いやいや、そうじゃないと思いなおし、エリカはうがーっと気炎を上げた。
「だ、だって! だってそうでしょ! っていうかね!? なんで私のお仕事が『日記を書く事』なのよ! しかも毎日毎日、詳細な記録を付けろって何よそれ! 要るの!? 私の晩御飯のメニューとか、本当に要るの!?」
「エリカさん、エリカさん。日記じゃありません。自伝です、自伝」
「おんなじことでしょ! 日々の行動を記録するって意味では!」
「全く違うわよ。まあ、今の段階では別にエリカの言う様に日記でも良いんだけどね? ともかく、今の貴方の仕事は自伝を書く事なんだから、暇とか暇じゃないとか言ってないでちゃんとやりなさいよね?」
そう言って再びじとーっとした目を向ける綾乃。そんな綾乃の視線に耐え、尚も言葉を紡ごうとエリカが口を開きかけた時、執務室のドアがノックされる。どうぞ、という浩太の声と共に室内に入って来た女性――エミリは、ドア前で優雅に一礼すると手に持った紙の束を浩太の前に置いた。
「コータ様、本日の分です」
「ありがとうございます……というか、早いですね、エミリさん? 確か今日は」
「エリカ様が三歳から五歳までの記録、に御座いますね」
「二年間分の記録がもう出来たんですか? まだ昼前ですけど……」
「エリカ様付きの侍女になって以来、自身の手控えを兼ねて日記を付けておりますので。エリカ様のご成長を記録する目的で付けておりましたが……まさか、この様な形で役に立つとは」
そう言ってにこやかな笑みを浮かべるエミリ。その姿に、エリカは面白く無さそうに頬杖を突いてエミリを見やる。
「なによ、エミリ? 仕事早いわね?」
「……そう、に御座いますね。コータ様やアヤノ様の言をお借りするのであれば、これは必ずやエリカ様の為になるものと信じております」
「……でも」
「何より……この日記を見返すとあの当時のエリカ様との思い出が蘇る様で、純粋に私自身も楽しく思えます。なので、仕事をしている身でこの様な事を申すのもなんですが……少しばかり、過去を懐かしんでおります」
にこやかな笑みを一転、何かを懐かしむ様な、それでいてはにかんだ様な笑みに変えるエミリ。その姿にしばし呆然とした後、エリカは視線を浩太に向けた。
「……まあ、エミリが楽しんでるならいいけど……いや、良くないけど。ちょっと恥ずかしいし。それはともかく……コータ、本当に『コレ』って効果があるの?」
そう言ってエリカは手元の紙の束――昨晩の夕食と、入浴時間、それに睡眠時間が克明に記されたソレを高々と上げる。そんなエリカの問いに、口を開いたのは綾乃だった。
「ま、やらないよりはマシって感じではあるのよね、実際問題。でもまあ、これって結構バカに出来ないのよ」
そう言ってテーブルの上に置いてある紅茶を一口。
「――『プロパガンダ』ってやつはね? やらなくちゃ意味が無いけど、やれば相応の効果があるの。加えて、実害がほぼ皆無」
「……実害が『ほぼ』皆無、ね~。ちなみに、実害って?」
「エリカが恥ずかしい」
「……」
「今回の四歳でお漏らしエピソードとか秀逸よね~。涙目でエミリに『お母様には内緒にして!』っていうエリカとか超カワユス。エミリ、良く書けてるじゃん」
「ちょ、あ、アヤノ!? っていうか、エミリ! 何書いてるのよ!」
そう言って綾乃から紙の束を奪おうと手を伸ばすエリカをひらりと交わし、紙の束を頭上にあげる綾乃。その姿を、浩太は溜息交じりに首を左右に振りながら見やる。
プロパガンダ。
意訳すれば情報戦、或いは心理戦と名が付くこの行為はラテン語に語源を持つ言葉であり、政治的な意味を持つ好意を指す言葉である。言葉の響きや歴史的な経緯もあってネガティブなイメージを持たれがちではあるが、企業の広告戦略なども大枠ではプロパガンダの一種であり、決してネガティブなモノという訳でもない。無いが、前述の通り歴史的にプロパガンダが一種政治的な、所謂独裁政権下で多く使われて来た事もあり直接・間接を問わず他者を攻撃する意味合いで使われて来た歴史がプロパガンダをしてネガティブなイメージを持たせるのであろう。
「……ふぅ、ふぅ……あ、アヤノ……」
「諦めなさいって。こういう茶目っ気のある所もポイント高いじゃない」
「私的にはポイント低いわよ!」
「そう? 私らの居た世界のちょび髭の伍長閣下はプロパガンダの天才だったけど、彼のプロパガンダは至ってシンプル。夕方、仕事帰りの疲れたサラリーマン達に大きな声と簡単な言葉、それに抑揚のある喋り方で知性ではなく感情に訴えかけたのよ」
「……それが?」
「小難しい自伝を書く統治者よりは、ある程度チャーミングなお姫様の方が大衆の受けは良いでしょうよ、って話よ」
「……そんなもん?」
「正に『知性』じゃなくて『感情』じゃない。判官びいきって言葉もあるし、悲劇のヒロインで盛り上げちゃおうよ」
ね? と視線だけを浩太に向ける綾乃。その視線を受けて、浩太はゆっくりと頷いて見せた。
「現状、ソルバニアやラルキア王国、それにライム都市国家同盟もこちらの味方をしてくれると言えるでしょう。商業連盟だって大枠ではこちらの味方でしょう。ですが……肝心のこの国の『領主』達はどうでしょうか?」
「……味方って言えるのはエミリの実家くらいだもんね?」
「そうです。他国の援助は勿論有り難いですが、自国内の領主の支持が無ければ『帝国』は維持できません。であるならば、プロパガンダでもなんでもやって……少しばかり言い方に語弊はありますが、『エリカさん人気』を確立する必要があります」
「……それは分かるんだけど……っていうか、その説明を受けたからこうやって日記? 自伝? まあともかくこれも書いてるんだけど……」
そう言ってチラリと上目づかいで浩太を伺うエリカ。
「……効果あるの、これ?」
そんなエリカに、浩太が小さく溜息一つ。
「先程綾乃が言った通り、まあ……やらないよりはマシ、といった所ではあります。ですが、正直今出来る事って本当に少ないんですよ?」
「……」
「情報収集機関としてシオンさんには動いて貰っています。ソルバニア、ライム、ラルキアの各国は『王国』に対して既に緊張状態にあります。ライツ穀物商会はラルキアへの穀物の販売を制限してくれています。現状で打てる手は全て……とは言いませんが、殆ど打ち尽くした感はあるんです。後は、今後の『帝国』としての運営の問題になってきます。言ってみればこのプロパガンダも、戦後運営を見越した上での方針といった所でしょうか」
「……ねえ、コータ?」
「はい?」
「その……なんだろう? 今の話を聞くと……なんて言ったら良いのかな? 勝つ? いや、勝ち負けの話じゃないんだろうけど……ともかく、私達が、その……」
少しばかり言い淀むエリカ。そんなエリカに、浩太は大きく頷いて。
「勝ちますよ、私達は」
後、断言。何時にない、およそ浩太らしくない強い言葉に目をぱちくりとさせるエリカ。
「現状では負けようがありません。海上帝国であるソルバニア、そして世界最大の商会であるベッカー貿易商会、そして穀物大手であるライツ穀物商会はこちら側です。ライム、ラルキア王国もこちらの味方である以上、大陸にある国家の半分以上はこちらの味方です。加えて、当方では情報収集にも余念はありません」
「……」
「対して向こうは? ウェストリアは支持を表明していますが、ローレント王国はそれどころでは無いでしょう。ライツ穀物商会が食糧の供給を抑える以上、高い確率で民意は離れて行きます。それでなくてもあちらの政権は正直、行き当たりばったりでしょうし」
「……そ、それは……そうだろうけど……じゃ、じゃあ! そこまで勝てるって分かってるんだったら、こんな所で悠長に自伝なんて書いてないで――」
「エリカさんが戦争がお好きなら、そういう方法もありますが」
「――っ!」
「……九割がた、勝ちは確定です。確定ですが、可能であれば犠牲は少ない方が良い。私は聖人君子ではありませんが……申し訳ございません、復讐鬼でも無いのです。全てを救うなんて烏滸がましい事は言いませんが、可能であれば無血でラルキアを奪還できるのがベストだろうと思っています」
「……」
「だから、兵糧攻めするって訳ね。んで焦って向こうが自滅するのを待つって方針」
「そうだ」
「……っていうか、浩太? 自分で言ってて思ったけど……それだと私ら、すっごい悪者っぽくない?」
「別に正義の味方を目指してる訳じゃねーしな。そもそも、正義なんて見方の数だけあるんだろうし。それでも一番被害の少ない方法を選ぶってだけの話だ。つうか、話の腰を折るな、綾乃」
浩太の言葉に『はーい』と詰まらなそうに返事をする綾乃。そんな綾乃を呆れた様に見つめ、浩太は視線をエリカに戻した。
「……まあ、そういう訳で後は勝ち方の話です。御伽話じゃないんですし、此処から逆転なんてさせませんよ」
「……ん。コータがそういうのなら、それを信じる」
「ありがとうございます」
「それを信じるんだけど……ねえ、コータ?」
そう言って、エリカは浩太の――少しだけ、不安そうな顔をする浩太の表情を視界に治める。
「……勝ちが確定してるのに……なんで、コータはそんな顔をしているの?」
「それは――」
「大変だ!」
浩太がしゃべりだそうとすると同時、執務室のドアが音を立てて開く。室内の全員が扉、慌ただしく入って来たシオンに視線を飛ばす。ノック位しろ、と暗にそう言っている視線を意に介すこと事もなく。
「――ラルキア王国が勅令を出した! テラと、それに味方する勢力に対する一切の貿易を禁じるという勅令だ!」




