第百四十九話 果たすべき、約束
今回はちょっとダーク。
アドルフの言葉に止まっていた時間。その静寂の時間を打ち破ったのはフェルナンドの叫び声だった。
「な、なにを冗談を言っている、アドルフ! き、棄権? 棄権だとっ! こ、この神聖なる九人委員会の、その議決を『棄権』する、だ、だと! き、貴様、九人委員会を、王都商業連盟を愚弄するのかっ!」
上ずった、慌てた声で言い募るフェルナンド。その言葉に小さく嘆息し、アドルフは言葉を継いだ。
「我がホテル・ラルキアでは経営の根幹に関わる重要な事柄は全て経営会議に諮った上で決定するようにしている。貴殿らも承知だろう? 例の『ウド』と呼ばれるモノだ」
「う――だ、だが! それでも……」
「先程フェルナンド殿が仰っていた通り、この議案に関しては王都商業連盟の『誇り』が掛かっている。我がホテル・ラルキアは二百年以上に渡り王家の定宿であったプライドがあり、そしてこの金看板を商業連盟同様、大事にしているのだ。その『プライド』の話であれば尚の事、私一人で決定など出来んさ」
「で、では反対で良いではないか! 反対であれば王都商業連盟は今まで通り、通貨を発行し続ける事が出来る! それで、誇りは守られるではないか!」
「勘違いをして頂いては困る。私は誇りを『守る』話をしている訳ではない。その誇りを『どう取り扱う』かと言う話をしているのだ。そして、私の一存ではその意思表示は出来ないという話だよ。ならば、この議案に関しては『棄権』とする。我がホテル・ラルキアは九人委員会の決定に諾々と従う事とさせて貰おう。誇りを守るか、失うか、その決定にな」
そう言ってアドルフはフェルナンドから視線を切るとその視線をアロイスに向けた。『ん?』という、少しだけ茶目っ気のあるその表情に先程までの顰め面を苦笑の形に変えてアドルフは言葉を続けた。
「そういう事だ、議長殿。我がホテル・ラルキアは採決を棄権する。これで賛成四、反対四、棄権一だ。さて……どうする?」
その言葉に小さく肩を竦めて嘆息。アロイスはやれやれと云った風に首を左右に振って見せた。
「王都商業連盟は商聖ユメリア以来、千年の歴史を誇る名門ギルドです。九人委員会のシステム自体は千年も経っていないでしょうが……まあ、それでも歴史ある委員会の筈なのですが、寡聞にして同数であった事を知りませんね」
「当たり前だ! 我々商業連盟は純粋なる多数決で過去、数々の議案を決議して来た! 分かるか、アロイス! これは、貴族共の、その己の都合だけで決定する制度とは訳が違う! 九人委員会の決定は王都商業連盟の正式な決定として、王都商業連盟に属する全ての商会がその権利と義務を分けあう、そんな制度だ! 勝っても負けても恨みは残さず、常に多数派の意見に委ねる最良のシステムであったのだ! それが……同数など、聞いた事もない!」
吠えるフェルナンドに少しだけうんざりとした顔をして見せながら軽く手を振り、アロイスは言葉を続けた。
「仰る通りです。私も九人委員会に属してこちら、全てが全て自分の意見が通って来たとは言いません。それでも、文句を言ったつもりもありません。それはフェルナンド殿もそうでしょう?」
「当たり前だ! 自身がどうしても通したい案件であれば根回しをする! それで負けた以上、それは自分の能力の無さに起因するに過ぎん! 恨み言など以っての他だ!」
「その通りです。九人委員会の決議は絶対でありますが、事前交渉を禁止している訳ではありません。始まる前に終わっているのが九人委員会ですからね」
そう言って溜息一つ。
「賛成、反対は同数です。そして同数の場合、その決議の決定権は宰相に委ねられると九人委員会では規定されています。ちがいますか、ライツ殿?」
話を振られたライツは、心底面白そうに喉奥を鳴らして見せた。
「ひょっひょっひょ。そうじゃな。確かにアロイスの言う通り、賛成と反対が同数であればその議案の決定権は宰相に委ねられる。それは、商聖ユメリアが決めた絶対不変の論理じゃ。まあ、尤も? 過去にその様な事例は無かったがの?」
「……ライツ殿。それは、どう言った意味でしょうか?」
「唯の感想じゃから、勘違いするなアロイス。過去に無かったから認めないなどとごねるつもりはない。ルールはルールじゃ。それではロッテ……いや、宰相閣下殿? 貴殿の一存にて決められよ」
そう言って掌を上にしてロッテを指すライツ。その姿に、再びフェルナンドが吠えた。
「ライツ殿! そ、それは……そんなのは認められません!」
「ほ! 認められるも認められんもあるまいて。それならフェルナンド? お主が宰相決議に反対する旨の議案を提示するかの? 言っておくが、儂はそんなもの賛成してやらんぞ?」
「で、ですが……それでは!」
「仕方あるまいて、フェルナンド。先程、自分で言っておったではないか。『自身の能力の無さに起因するに過ぎん』とな? 我々は根回しに負けただけじゃ。さあ、それではロッテ? さっさと結論を言え」
ライツに促され、ロッテは小さく微笑んで。
「――では、お返し頂けますかな? 通貨発行権を」
――商聖ユメリアによって齎された、王都商業連盟への通貨発行権。
その権限はこの瞬間、王府と王国へ返還された。
◆◇◆◇
「……結局」
「はい?」
王都商業連盟本部、その入り口にドアを押し開けた所で浩太が口を開いた。
「結局、ロッテさんの思うがままだった、という事でしょうか?」
「そういう訳でも無いですがな」
少しだけ――と言うよりは、がっつり恨めしそうな浩太の視線に肩を竦めてロッテは言葉を継いだ。
「ホテル・ラルキアについては確かにそう言った側面もあります。言ったでしょう? 同数であれば採決は宰相決議になる、と」
「……そうですね。確かにそう言われていた気もしますね」
初めてこの話を持ち掛けられた時に、確かにロッテは言っていたのだ。『議決権を持つ『委員』の三分の二以上の出席で成立し、決議事項は完全多数決。同数の場合のみ『宰相決議』という名目で採択をする事が可能です』と。確かに浩太だってその話は聞いていたし、言ってみれば忘れた方が悪いのは悪い。悪いのだが。
「……仰って下されば宜しいのに」
これである。なんだか掌で弄ばれたのが――浩太にしては若干腹立たしく、故にこの『ジト目』なのだ。そんな浩太の視線に、ロッテは苦笑を浮かべる事で応えた。
「正直な所、本当に成功するかどうかある種の『賭け』だった所もありますので」
「賭け、ですか?」
「ええ。これは別に松代殿を疑う訳ではないのですが……ベッカーとロート、この二つの商会については私が話をした訳ではありません。ですので、真に賛成をしてくれるか……コレが読めなかった所もあります」
「信用が無かったですか、私は?」
「疑う訳ではない、と申したでしょう? そうではなくて……純粋に、あの場面でもっと『利益』の出る提案を反対派から出される可能性もあったのですよ」
「……」
「そして、それはリッツにも言えます。私が交渉しておいてこう言うのもなんですが……リッツは利益を提示すれば必ず『転び』ますからな。フェルナンド殿はともかくライツ殿辺りがあの場で一言言えば、ひっくり返った可能性もありました」
「それは……随分と行き当たりばったりですね?」
「否定はしません。私も九人委員会の会合に参加をしたのは初めてですので、幾分は場面場面での対応が必要だと思っておりましたしな。そうなれば、松代殿に敢えて説明をしない方が良いのは分かるでしょう?」
「アドリブは二人より一人の方がやり易いから、ですか?」
「私達二人では息が合っているとはとても言えませんし」
そう言ってロッテはおかしそうに笑う。
「もっと言えば、最初に『賛成』から決を採ってくれたのも良かったですな。まあ、普通は賛成、反対の順番で決を採るだろうとは思っていましたが……これが逆に反対から採決をしてしまわれると、反対『四』が先に分かってしまいますから」
「……ああ、なるほど。そうなればあの場で切り崩そうとする、と?」
「そういう事です。賛成が『四』というのが先に見えた以上、敢えて切り崩しをする必要もない、と考えますからな。切り崩す以上は見返りを、つまり利益を提供する事です。勝ち戦なら分け前を与える必要もありますまいし」
「……」
「まあ、今回は本当に『運』が良かったです。私は基本、無神論者ですが……神に祈りたくなりましたから」
「ロッテさんの神様は尻尾と角が生えているんでしょう?」
そう言いながら浩太は肩を竦めて溜息を一つ。その後、訝し気な目をロッテに向けた。
「ですが……ロッテさんらしくないですね?」
「なにがですか?」
「最後が『運』だより、という所ですよ。もう少し、きちんと根回しをされる方だと思っていましたが?」
「言う程、私の事は知りますまいに」
浩太とは対照的、喉奥をクククと鳴らしロッテは浩太の言葉を引き取る。
「どれ程『完璧だ』と思って立てた策であっても最後の所は結局、『運』ですよ。予定通りに進まない事ぐらい、私にだってある。今回は本当に、最後の瞬間までどちらに転がってもおかしくは無かった」
「……イイんですか、それで?」
「なに、九人委員会はこれで終いではないですからな。今回駄目であれば、次回はもう少し……そうですな、シリア殿辺りを『落として』再戦すれば良い話です。今回は外洋航海に出られていたので間に合いませんでしたが、当分陸の上らしいですしね」
飄々とそんな事を言って見せるロッテに浩太、空いた口が塞がらない。二、三度口をパクパクと開閉させた後、困った様に眉根を寄せた。
「……私、要らなかったんじゃないですか?」
「まさか。松代殿がベッカー家とロート家、この二家に話を付けて下さったから私もこんな事が言えるのですよ。それが無ければ無理でしたからな」
「そうですかね?」
なんだかロッテなら勝手に一人でやってしまいそう。そんな瞳を向ける浩太に、今度はロッテが苦笑を浮かべてパタパタと手を振った。
「そんな事はありませんよ。これは間違いなく、松代殿――と、そうですな。エリカ様やエミリ嬢のロンド・デ・テラの力ですよ」
「……はい」
「当初のお約束通り、紙幣の発行所はロンド・デ・テラ領内に設けさせて頂きます。多くの人員も必要ですし、それによりテラに来ている商会も潤いましょう。回りまわって、テラの懐に入る事にもなりますしな」
言ってみれば、ド田舎に国営の製造工場が来る様な物だ。人が増えれば町は活気づくし、そうなれば更なる商会の進出も期待できるのである。
「よろしくお願いします」
「任されました。さて、それでは松代殿? そろそろこの辺りで」
右はエリカ達、テラの面々に与えられた部屋、左はロッテの執務室に続く王城内のT字路に差し掛かったロッテと浩太はそこで足を止める。笑顔のままで右方向を指し示すロッテに、少しだけ疲れた様な、それでも満足げな笑みを浩太は浮かべて見せた。
「……そうですね。きっと、エリカさんも首を長くして待っているでしょうし……今日はこの辺りで失礼します」
「ええ、そうして差し上げて下さい。詳細な紙幣の製造・発行については後日改めてご相談に伺います」
「そうですね。そうして頂ければ」
「はい。では松代殿、失礼します」
丁寧に腰を折るロッテに慌てて浩太も頭を下げる。しばしの後、頭を上げた浩太が廊下を進み、やがてその姿が見えなくなった所で。
「…………ふぅ」
小さく、本当に小さくロッテが息を吐く。掌にじんわりと滲みだす汗を見るとは無しに見つめ、上着のポケットから取り出したハンカチで丁寧にその掌の汗を拭った。
「……昔なら、もう少し巧く立ち回れたと思ったのだがな」
苦笑を一つ。
「……年は取りたく無いモノだな」
拭ったハンカチを皺にならない様に丁寧に折りたたみ、ロッテはポケットにハンカチを仕舞うとそのまま自らの執務室に足を運ぶために左の方向に視線を向けて。
「……」
「……」
「……おい、カール。なぜ、この様な場所にいる?」
『見てはいけないモノを見てしまった!』と言わんばかりの顔――訂正、『面白いモノを見た!』と言わんばかりの、キラキラとした視線を向けるカールと目が合った。
「いや~……えらいモノ見たわ」
「……えらいモノだと?」
ロッテ、はてな顔。そんなロッテに口を手に当ててカールが『にしし』と、イラッとする顔を浮かべた。
「……気色の悪い顔をするな」
「いや~だってさ? 俺が思うよりお前、結構ナルシストだな~って思って?」
「……ナルシストだと?」
「だってそうだろ? 『ふっ……私も老いたか』なんて、お前ちょっと演劇かなんかの見過ぎじゃね? なんだよ? お前は何処のヒーローだよ? 一遍自分の顔、鏡で見て見ろよ? 老いぼれたじーさんが映ってるから」
「お前には言われたくない。老人ぶりは似た様な――おい! 放せ!」
言い掛けるロッテの首に腕を回すカール。心底嫌そうな顔を浮かべるロッテに対し、カールは二カッと笑って。
「おい、ロッテ! 久しぶりに飲みに行こうぜ!」
◆◇◆◇◆
「飲んでるかぁ~、ロッテ?」
「飲んでい――ああ、もう! テーブルに食いカスを零すな!」
東通りを一本奥に入った通り、通称『裏通り』。酒と料理、それに近所の娼館から流れて来たのであろう、遊女の濃い化粧の匂いの充満するその酒場でロッテとカールはテーブル席に差し向かいに座って杯を重ねていた。
「……全く。なぜお前と差し向かいでなど飲まなければならん」
「つれねーこと言うなよな~、ロッテ。ホレ! 俺とお前の仲じゃねーか!」
「腐れ縁以外の何物でもない!」
カールからの突然の飲みの誘いだが、当初ロッテは断った。仕事が溜まっている事、明日の会議の資料作りなど理由を並べ立てて見たが、一番の理由は『なんでこんなジジイと差し向かいで飲まなければならない』だったりする。立場は違えど、若い頃から『王城』という伏魔殿で共に戦って来た戦友に対して随分酷い言い草でではあるが、『そんな冷たい事を言うと明日から『ロッテ・バウムガルデンは王城内で悦に浸るナルシスト』って云う噂を流す!』という脅し文句を使って強引に連れ出したカールもカールではある。似た者同士なのだ、この二人。
「……しかし、まさか『この』店とはな」
「ん? いいじゃんか、偶には。お前だって堅苦しい晩餐会だなんだで、昔みたいに飲んじゃいねーんだろ? ホレ、若い頃思い出してさ。よく来てたじゃねーか?」
「そう言えばあの頃もお前に連れまわされてばかりだった気がするが……まあ、そうだな。まさかこの店がまだあるとは思わなかった。お前は良く来るのか?」
「まさか。そうは言っても俺にも立場があるしな。此処に来たのは……二十年? 三十年ぶりか? この店がまだあるとは思わなかったぜ、俺も」
「……お前と云うやつは……相変わらず、行き当たりばったりだな? 全く成長してない」
「まあな! お前みたいに、『私も老いたな……』みたいな事は言わねーし!」
「……帰るぞ?」
「ああ、嘘だって! ホレ、飲めって!」
『ねーちゃん、酒二つ!』と注文しながらグラスに残った酒をぐいっと空けるカール。その後、視線だけで促す目の前の熊男に溜息を吐きつつロッテもグラスを干した。
「……宰相と近衛の団長の来る場所では無いな」
「そりゃそうだ。でも、カールとロッテの来る場所としてはソコソコいいだろう?」
カールの言葉と同時、『おまちどう!』という言葉と共にグラスが二つテーブルの上に置かれた。カールの問いに返答する事無く、ロッテはその内の一つを手に取って中身を嚥下する。その仕草を、カールは面白そうに見つめて口を開いた。
「……無言で酒を飲むときは肯定の時だよな?」
「……腐れ縁も此処まで来ると笑えんな」
「誤魔化してるつもりか、それ?」
「誤魔化しきれんから呆れているのだ」
そう言って、もう一口。ぐいっと喉を潤した後、ロッテは静かにグラスをテーブルに戻した。
「……お前と飲んでいると少し、昔を思い出してな」
「……昔?」
「松代殿とエリカ様、それにエミリ嬢や……シオン、ソニア殿下、それにラルキアの聖女殿の様に私も昔、ああやって『がむしゃら』に働いていた事があったな、とな。なんだかその若さが少しだけ、眩しかったんだ」
「……今は働いてないのかよ?」
「お前と一緒にするな。こっちは常に忙しいんだ。忙しいが……だが、そうだな。随分と動きが『鈍く』なったとは思うな。頭の回転も、行動も、なにもかもだ。昔だったらもっと巧く立ち回れる、昔だったらこんな綱渡りはしないと……後悔の連続だ」
「……そうか? そんな事は無いと思うケド……つうか、お前で『鈍い』んだったら、王府の連中は全員鈍いになるぞ?」
「あ奴らは優秀だ。優秀だが……だが、そうだな。まだまだ経験が足りん所はある。あるが、それを補える若さがあるからな、奴らには」
そう言って、グラスの縁を丁寧にテーブルの上のナプキンで拭きとる。そんな姿を見ていたカールが、なにかに気付いたかのように声を上げた。
「ロッテ、お前まさか……い、引退とか……?」
「……」
「お、おい! マジなのかよ!」
「……いや、引退はまだ出来んさ。私にはやる事もあるからな」
そう言って、残った酒を一息でぐいっと飲み干す。ロッテの言葉に少しだけ安堵の溜息を漏らすカールにふんっと鼻を鳴らし、ロッテは椅子から腰を浮かした。
「ロッテ? どうした? トイレか?」
「帰るんだ、馬鹿者。明日も早いと言っただろうが」
「へ? い、言ってたか、そんな事?」
「今言った」
「おい!」
「ともかく、私には明日も仕事があるからこれで失礼する。ああ、そうだ。今日はお前から誘ったんだ。お前の奢りだろう?」
「ちょ、ろ、ロッテ! 分かった! 俺も帰る! 帰るからちょっと待てよ!」
「気が向いたらな。先に行っているぞ」
後方から聞こえる抗議の声を無視し、ロッテは酒場の入口に歩みを進める。ツレが払う、という言葉に頷き『ありがとうございました~』という店員の間延びした声を背後に受け、ロッテは戸外にその身を出した。冬の足音が聞こえる、身を刺すような澄んだ空気にブルりと小さく体を震わせ、夜だと言うのにやけに明るい事に違和感を覚えて顔を上げ。
「……なるほど。満月か」
満天の星空の、その中心に浮かぶ玉響の月に思わず視線を奪われる。自身の中に、こんな感傷的な気持ちがあったのかと少しだけ呆れる様な、それでいて悪くない感覚に黙ってロッテは夜空を見上げ続けた。
「……」
こんなに綺麗な、満月だからか。
あんなに酒を、大量に飲んだからか。
それとも、昔なじみと久しぶりに話をしたからか。
『ねえ、ロッテ?』
何故か、声が聞こえて来た気がした。
「……?」
『だーれも悲しむ人が居なくて、だーれも辛い思いをする人が居ない国って、凄いと思わない?』
「……そう、だな」
『あーもう! 何で笑うのよ! いい? 結局ね、国なんて人の集まり何だから! だったら、その国に住む人、皆が笑って暮らせる国を作るのが王府に勤める貴方の仕事でしょ!』
「……そうだな。それが、それこそが、私の仕事だ」
『だいじょーぶ! ロッテなら出来るって! 私、信じてるもん! だからロッテ、お願い! 良い国、作ってね!』
「……もうすぐ……もうすぐだ」
『約束よ!』
「……守るさ。『約束』だから。きっと、良い国になる。『お前』が望んだ、幸せな国にして見せる。だから、お前も見ていてくれ。きっと、お前も喜んでくれる。なあ、アン――」
「――残念だけど、そんな『約束』、守らせない」
不意に聞こえて来たのは、小さな声。
「――――――――がっ!?」
次いで、背中の下の方に、鈍い痛み。続けて、熱い、熱い感覚が襲う。
「……恨みはないとか、こんなのは本意じゃないとか、仕事だからとか……こういう時、言うべき事は沢山あるんだろうけど」
ザク、ザク、と、何度も何度も、背中に走る痛み。
突き刺して、抜いて、突き刺して、抜いて、また突き刺して、また抜く。
まるで一つの機械の様、正確無比に繰り返されるその動作。少しずつ感覚が麻痺していき、それでもその動作を止めさせようとロッテは動きを続ける『ソレ』を押さえようと手を伸ばして。
「――ジェシー姉ちゃんの、仇は討ったぞ?」
その声を最後に、背中を思いっきり蹴り飛ばされる。踏ん張りが利かない足は背後からの衝撃を受け止める事が出来ず、ロッテはそのまま五体を地に投げた。せめて下手人だけでも見てやろうと、何とか起き上がろうとして――自身の背中から流れて作られた血の池に足と手を滑らせて、もう一度転倒。強かに額を打ち付けた。
「……は……ははは」
それでも、なんとか。
「……なるほど、なるほど。『復讐』か……」
それでもなんとか、立ち上がろうと粘る。
「……仇なら、まだ討ててないぞ? 私はまだ生きている。私はまだ、死ぬわけにいかん。私はまだ、やり残した事がある。私は……わた――しっ!? ガハッ!」
言葉を遮る様、口から血の塊が吐き出される。今度はそれに足を取られ、もう一度転倒。今度はなんとか額を打ち付ける事は無かったが、代わりに肘から落ちた。鈍い痛みと乾いた『パキ』という音に、折れたであろう事は悟れる。
「……おーい、ロッテ~? なんだ? アイツ、マジで帰りやがったのか? ったく、友達甲斐の無い奴だな?」
カールの声がロッテの耳に届く。なにが、友達甲斐がないだ、待っててやっただろうにと思いながら、それを声に出そうとして、失敗。掠れた『ひゅー、ひゅー』という音だけがロッテの口から漏れた。
「……ん? なんだ? 喧嘩でもあったのか? なんか血の匂いがするけど? くんくん……」
犬か! と、心の中だけで突っ込む。後、安堵の息が漏れる。良かった。気付いてくれた、と。
「――!? ろ、ロッテ! お、おい! どうしたんだ、お前! おい、しっかりしろ!」
ようやく気付き、慌ててロッテに駆け寄るカール。ロッテの肩に手を置き、ガクガクと上下に揺さぶるその仕草に、思わずロッテが眉を顰めて。
「――――ゆら……ば……」
『揺らすな、馬鹿者』と言い掛けて声に出せない事を悟り――同時にロッテは意識を手放した。
次回からちょっと過去編を挟みます。ようやく……ようやく此処まで来た!




