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第百四十三話 シオン・バウムガルデンは松代浩太に恋をするか?


「……とまあ、私のいた国での国政はこう云った感じで運営されていますね」

「……なるほど。政体としてはライムが近いのか? 執政官の様な役職があり、その人間が政策決定を行うと?」

「あー……まあ……」

「違うのか?」

「いえ、違わないのですが……民主主義国家ですので、ある程度は似ていますが。私と綾乃が暮らしていた国は『都道府県』とか『市町村』と呼ばれる自治体に分かれていたんです。それぞれのトップである首長は直接、選挙で選びます。執政官、みたいなモノですかね?」

「ふむ。では……そうだな。大統領はどうやって選ぶ? その執政官の中から選ぶのではないのか?」

「いえ、それはまた別の人間が行うんです。国の行く末を決めるトップは間接的に選挙で決めるんですよ」

「間接的に?」

「各自治体の中で国家の運営をする人間を決め、その人間の互選で国のトップを選ぶ、という感じです」

 直接選挙と間接選挙の違いを述べた後、説明が足りなかったかと思い浩太が口を開きかけるも、シオンが浩太のその動きを手で制した。

「なるほど。つまり……テラの公爵は直接的に選挙で選び、テラやラルキアやローラ、或いはチタン等から選ばれた代表者が互選で宰相を選ぶ、という訳か」

「そうですね。概ねその考えで間違えありません」

「そうなると、テラのトップとテラから選ばれた国政の代表者はどちらが権勢を持つ事になる? どちらも政治家という点では同じ『職業』だと思うが?」

「一概に比べられるモノでは無いので何とも言えませんし、人によってまちまちでしょうね。ラルキアの首長と、テラ選出の一年目の代表者ではラルキアの首長の方が……言い方は悪いですが、『格』は上でしょう」

「なるほどな。それにしても……ややこしい政治体制だな?」

「否定はしません。意思決定までに時間が掛かりますし、優良な意見でも手垢が付けば愚策にも成り得ますので。ただまあ……民主主義の最も優れた点は、どんな暗愚なトップが就任したとしても、自分で選んだと思えば諦めも付きますからね。上から押し付けられる君主よりは良いかと。ああ、別に陛下を悪し様に言っている訳ではありませんよ?」

「それぐらいは分かる。だが……ふむ。そういう考え方もあるか」

 そう言って、興味深そうにシオンは頷き手元の紅茶のカップを引き寄せて一口。カップを優雅に置くと徐に辺りを――すっかり人の入れ替わった店内を見渡して驚いた顔をして見せた後、浩太に向かって済まなそうに頭を下げた。

「……すっかり話し込んでしまったな。済まない、コータ」

 そんなシオンの言葉と態度に、こちらも驚いた様に辺りを見回し浩太は小さく苦笑を浮かべて見せる。

「いえ……頭を上げてください、シオンさん。私の方こそ話に夢中になってしまいました。私ばっかり話をしてしまいましたね」

「いや、それは私が強請ったからだ。お前のせいではない」

「いえ、私が」

「いや、私が」

「……」

「……」



「「……ぷっ」」



 見つめ合い、同時に噴き出す浩太とシオン。

「……分かった。それではお互いが悪かったという事で」

「……そうですね。それが一番良いでしょう」

 そう言って浩太もシオンに倣うように紅茶のカップを傾ける。その姿を眩しそうに見つめながら、シオンは言葉を続けた。

「それにしても……いや、失礼だろうがまさかこれ程『実』のある外出になるとは思わなかったな」

「ええ。それに関しては私も同感です。まさか……これ程『楽しい』とは」

 もう一度、二人で見つめ合いどちらからともなく苦笑を浮かべて見せる。

「時間を忘れる程話したのは久しぶりだ」

「私もですよ。喫茶店に入ったのはまだ午前中でしたから……ああ、道理でお腹も空くはずですね」

「だな。長話をしてしまった。コータの話は非常に興味深く……為になった」

「いえ……シオンさんの聞き方が巧かったからですよ」

 珍しくそんな殊勝な事を言うシオンに少しだけ照れた様に右手を小さく振って見せ、浩太は掛け値なしの本心でそう口にする。


 コミュニケーション能力で重要なのは『喋り方』ではなく『聞き方』であるとはよく言われる事である。所謂、巧い聞き方は幾つかあるが、共通して言える事は『どれだけ相手に気持ちよく喋って貰うか』であり、シオン・バウムガルデンはこの『能力』が非常に高い女性であった。天上天下唯我独尊、我儘放題し放題のシオンが? と思われるかも知れないが、よく考えて見て欲しい。シオン・バウムガルデンという女性は『世界に恋をしている』と言い切り、自らの知識欲を満たす為だけに浩太を召喚した張本人である。その知識欲は非常に高く、そんなシオンに取って、どんな本にも載っていないだろう『異世界の知識』を語る事の出来る浩太の喋る内容は千金にすら値するのだ。そりゃ、聞くだろう。

「聞き方が巧い? 口が達者だとは言われた事があるが、その意見は初めてだな」

「喋り上手は聞き上手、とも言いますしね。聞き上手だと思いますよ、シオンさんは」

 話す話を真剣に聞き、時に相槌を打ち、時に納得し、時に話の邪魔にならない程度に疑問を挟み、そしてそれが揚げた足を取る様なある種の嫌味さのない純粋な疑問であり、納得する解答を得ると無邪気な笑みを見せて感謝をする。およそ、普段のシオンからは想像できない、兄事するかの様な姿勢は浩太にとっては好ましく映り――まあ、浩太だって人間だ。ぶっちゃけると、人間、誰だって自分の知ってる蘊蓄を興味深く聞いてくれて尊敬する様な態度を取られたら気持ちよくなる、という話である。

「何時もそれだったらいいのに、シオンさん」

「お前の言う『それ』が『どれ』かが、皆目見当が付かん。私はいつも通りのつもりだが……」

 しかも素で、だ。加えて相手が見目麗しい美女と来れば、話がつまらない道理はない。常識的に考えて。

「まあ、デート中にする会話ではないかも知れませんがね、政治形態の話など。相変わらず知識欲が凄いですよね、シオンさん」

「決して能力が高くないからな、私は。コータ、お前と一緒だ。分からない事があれば、『努力』をするだろう?」

 茶目っ気たっぷり、そう言って見せるシオンに浩太も苦笑で返すしかない。実際、浩太とシオンはよく似ているのだ。

 まず、基本的に努力の人であるという点。天才的な発想等はお互いに持ち合わせておらず、机の上のペーパーテストの点では優秀である。同程度の頭の回転の速さであれば、会話がスムーズに成立しやすいのは容易に推測出来るかと思う。銀行に入行した当初、『そんな仕事、別に取扱要領を見なくても仕事していれば覚えるんじゃない?』と浩太に言い切った綾乃とではこうはいかないし、ソニアだってタイプ的には綾乃寄りだ。

 エリカとエミリはどちらかと言えば浩太寄りではある。物事を考える道程も、それを理解する工程も浩太に近しく、話が合うと言えば合うが……それでも、この二人はどちらかと言えばまだまだ『浩太頼り』である点は否めない。

「……少し、お腹が空いたな? 昼食はどうする?」

「そうですね……シオンさんは何を食べたいですか?」

「なんでも良いぞ。昼だし……軽食で良いんじゃないか? サンドイッチとか。此処で食べるか?」

「……言い方悪いですが安上がりですね、シオンさん。デートならもう少し、格式ばった所を指定したりしません?」

「ああいう所は疲れるからな」

 さらにさらに、この二人は生活レベルも似ている。浩太は根っからの平民の出であるし、シオンにしたって煌びやかな親族はいるモノの、彼女自体は大学教授の娘でしかない。お互い一般的な生活レベルではあるが、さりとて豪華絢爛な生活をしていた訳ではないのだ。離婚原因の一番は浮気であろうが、上位に来るものに『生活レベルの不一致』と云うのが来るのは周知の事実であろう。ごくごく普通の家庭環境である一般庶民が、毎日フルコースが出る様な環境に置かれたら、ストレスで体を壊す事だってあり得るのだ。言い方は悪いが、こと恋愛事において『気を使わなくても済む』というのは結構重要な要素だったりする。

「此処で食べるのもイイですが……それでも、折角ですから違う所に行きませんか? シオンさん、どっか無いです?」

「そうだな……ああ! ではあそこにしようか。量も多く、値段も安いのに味はそこそこ良い店があるんだ!」

「穴場的なお店ですか?」

「ラルキア大学と学術院に連綿と受け継がれる由緒正しきお店だ。貧乏学生と貧乏研究者に優しい店だな」

「大学生はともかく……給料安いんですか、学術院?」

「研究は金が掛かるからな。そこそこ貰ってはいるだろうが、経費部分が多い。休みもないから、使う暇が無くて溜まるには溜まるが」

「……あの部屋に置いてるんですか? その、それって結構危険な気がするんですが?」

「心配するな。私だってバカじゃないさ。両親に預けているに決まってるだろう?」

「胸張っていう事じゃないですよ、それ?」

 からからと笑うシオンに溜息を吐き、浩太は机の上の本を手に取って立ち上がる。

「本当に良いんですか、先に読んでも?」

 劇場を後にし、その足で宣言通りに本屋で購入した『魔法少女プリティ・リズ ~始動編~』を掲げて見せる浩太。『魔法少女プリティ・リズ ~胎動編~』が公開中という事もあり、ラルキア一の蔵書数を誇る本屋にさえ前作に当たる『始動編』は一冊しかなく、共同購入という形で始動編を購入したのだ。遠慮がちにそう問いかける浩太にシオンは鷹揚に頷いて見せた。

「テラ出張もあったし、仕事も溜まっている。先に私が読むと何時になるか分からんからな。コータが先に読んでくれて構わない」

「ですが……」

「いいさ。但し、ネタバレは厳禁だぞ?」

「……」

「なんだ?」

「アリアさんから聞いたのですがシオンさん、推理小説の犯人の所に丸して『こいつが犯人!』って書いてたらしいですね? そんな人が言いますか、それ?」

「発想が逆だ。私ならし兼ねないから、釘を刺しているんだよ」

 おかしそうに笑ってそんな事を言うシオンに、もう一度溜息。

「分かりました。では、ネタバレは控える方向で」

「そうしてくれ。と……立ち上がるのはもう少し待ってくれるか、コータ」

 席から立った浩太にもう一度座ってくれと乞い、訝し気な浩太が席に着いたのを確認してシオンは入れ替わりに席を立つ。

「……ええっと……?」

「化粧直し、と云うやつだ。それとも、直截的に言った方が良いか? 水分を取り過ぎたので、単純に――」

「さっさと行く!」

 嫌そうに顔を顰める浩太にニヤリとした笑みを浮かべて、シオンは席を立ってトイレに向かった。


◇◆◇◆◇


「……疲れた~」

「本当に。帰ってきたら浩太に肩を揉ましてやる」

「そんな事を仰らずに。でも……本当に疲れましたわ」

 エリカ、綾乃、ソニアが順々にそんな感想を漏らし、書類を避けたテーブルに『ぐでー』とだらしなく突っ伏す。およそ淑女のする姿勢ではないそんな姿勢を見つめ、苦笑を浮かべながらサイドテーブルに置いてあったサンドイッチの乗ったトレイを手に取った。

「お疲れさまでした、皆さま。どうです? お時間も宜しい様ですし、そろそろお昼になされたら? 簡単なモノですが、厨房をお借りして作ってまいりましたので宜しければどうぞ」

「お、いいね! 『エミリちゃんお手製サンドイッチ』って所?」

「お手製、という程大したモノではありませんが」

「謙遜しちゃって~。エミリのサンドイッチ、本当に美味しいし!」

 先程までのぐーたらは何処へやら、突っ伏していたテーブルからぴょんと立ち上がると、トタトタとエミリの下へ駆け寄る綾乃。その姿に苦笑の色を深くし、エミリが手に持ったトレイを差し出す。

「どうぞ、アヤノ様」

「ありがと! では――ん! ふほふほひひぃ!」

「……美味しいのは分かったからちゃんと食べてから喋りなさいよ、アヤノ。頂くわね、エミリ」

「どうぞ、エリカ様。ソニア様も」

「ありがとうございます、エミリさん」

 エリカ、ソニアの順にサンドイッチを手に取り、口に運ぶ。レタスとハムとマヨネーズにマスタード、至ってシンプルなそのサンドイッチだが、綾乃の言う通り口の中で広がる芳醇な味わいにソニアが目を細めた。

「……本当に美味しいですわね、これ」

「ありがとうございます、ソニア様。ですが、この様な簡易なモノでお褒めの言葉を頂戴するのは些か恥ずかしいです」

「――んぐ! いや! エミリ、これ本当に美味しい!」

「ありがとうございます」

「王城の厨房だし、ハムやレタスは当然一級品よね? マスタード……は、まあ違うだろうし……と、なるとマヨネーズ? マヨネーズになんか隠し味が入ってるカンジ? なんとなく、レモンっぽい味がするけど?」

「隠し味ではありませんが……そうですね、このマヨネーズは一から作ったモノですが、酢の代わりにレモンを入れておりますので、レモンの風味がするのでしょう」

「全卵? 卵黄?」

「卵黄のみです。全卵はどうしても、水っぽくなりますので。ただ、卵白も混ぜた方が色味は優しいのですが……今回はマスタードも使いましたので」

「ああ、そっか。どうせ黄色になるって?」

「そういう事に御座います。テラでは中々、作る機会も無かったのですが」

「それ――ああ、なるほど。新鮮な卵、テラでは中々手に入らないか」

「ラルキア王城は何時でも産みたての卵が手に入りますので。日を置いた卵でも作れない事は無いのですが、どうしても……」

「ちょっと出るもんね、臭味」

「そうです」

 心持、楽しそうに話すエミリと綾乃。そんな姿を見るとは無しに見つめて、エリカは隣のソニアに声を掛けた。

「……知ってた、マヨネーズの作り方?」

「……知る訳ありませんわ。マヨネーズは、『マヨネーズを下さい』と言えば出て来るものだと思っておりました」

「……奇遇ね、私もよ」

 流石、王族コンビ。そんな二人にジト目を向けて、綾乃は小さく首を振った。

「止めてよね、エリカもソニアちゃんも。っていうか、なんかシオンみたいな事言ってるよ、二人とも」

「な! し、シオンと一緒にしないでよね! 私だって少しぐらいは料理出来るもん! こないだだってホラ! あの鶏肉料理、美味しいって言ってたじゃん!」

「わ、わたくしもです! さ、サラダ! サラダが作れます!」

「……アンタ達がそれでいーならいーけど。浩太、狙ってんでしょ? 毎回毎回、鶏肉料理とサラダだけ出すつもり? あ、ちなみに私は和洋中、なんでもいけまーす」

「わ、和洋中の意味が良く分からないけど、自慢しているのは分かったわ!」

「い、イイのです! 料理が出来なければ、作れる人を雇えば宜しいのですわ!」

「何処のアントワネット様よ、ソニアちゃん。まあ、二人ならそれぐらい出来るだろうけど……ねえ、エミリ? やっぱり料理が出来た方が良いわよね?」

 綾乃の問い掛けに、少しだけ困った様に眉根を寄せるエミリ。敬愛する主君と、妹の様に可愛らしい隣国の姫君だ。どの様な解答が正解か悩みながら、それでもはっきりと口を開く。

「……別段、料理が出来るのが女性としての最上級の魅力であると申すつもりはありません。ですが、やはり自身の作ったモノを『美味しい』と称して頂けるのは幸せな事に御座いますよ?」

「「う、うぐぅ」」

「それに……何事もそうですが、出来ないよりは出来た方が良いに決まっております。コータ様もそう仰られるのでは?」

 迷った割には、ぐうの音も出ない程の正論。胸に突き刺さったか、エリカとソニア、二人が揃って肩を落とす。

「「……はい」」

「……うわー。エミリ、一刀両断だね? 流石の私もそこまでは言えないわ」

「……え? い、いえ! その様なつもりは御座いません! あ、あくまで一般論で御座います!」

『ずーん』という重い空気を背負う二人に慌てた様にエミリがフォローに入る。そんな三人を少しだけ微笑まし気に見つめ、綾乃はトレイの上からサンドイッチを手に取って、美味しそうに口に運んだ。


◆◇◆◇


「……ふむ」

 トイレの前に備え付けられた鏡の前。映る自身の顔に、何時もよりちょっとだけ『優しい』表情が浮かんでいる事に驚き、シオンは小さく苦笑を浮かべて見せる。

「……まあ、仕方ないか」

 理由なんて一つしかない。今日のデート、シオンにとっては『楽しい』モノだからだ。


「……なにが『聞き上手』だ、あのバカめ。お前の方が話し上手じゃないか」


 浩太の話は面白い上に、要点を整理して噛み砕いて教えてくれる。疑問を覚えた事に対する質問にも、イヤな顔一つせずに解答をしてくれる。シオンは学術院の主任研究員という要職に就いていながら、『頭を下げる』という事に痛痒を感じる性格ではないが、頭を『下げたい』訳では無いのだ。誰だって知らない事を『知らない』という事は勇気のいる事でもあるし、そういう意味ではシオンの――言ってみれば『しょうもない』質問にも小馬鹿にする事もなく真摯に対応してくれる浩太の話し方は好意的に映った。

「……」

 鏡を見つめたまま、胸から上しか映らないその鏡から全身が映る距離まで後ろに下がってみる。スタイルには自信があるシオンであるが、今、鏡に映るシオンのその姿は野暮ったい白衣姿だ。

「……」

 流石に、コレはない。なんだかんだ言ってもコレは『デート』であり、そういう意味では着飾った、とまでは言わないでも、ある程度は小奇麗な服装をしてくるのが常識だ。こんな格好、連れて歩くコータの方だって恥ずかしいに決まっているし、『やっぱりシオンさん、ダメですね。残念な人ですよ』と軽蔑した様な目で見られ――

「……っ! きょ、今日はなんだか暑いな!」

 そこまで想像し、誰に聞かれている訳でも無かろうに、まるで言い訳するかの様にそう言って白衣を脱ぐ。そうして、もう一度自身の全身を鏡に映し、うんと頷いて――

「……前髪、乱れていないか?」

 ――離れていた鏡から距離を取り、自身の前髪をちょんちょんと整えて見せる。ちょんちょん、ちょんちょん、ちょんちょんと、右に左に髪を弄る事たっぷり五分。ようやく納得したのか、うんと一つ頷き、シオンは鏡の――


「……に、にこぉー」


 鏡の前で、笑顔を浮かべていた。ご丁寧に、擬音付きで。

「……な、なかなかイケてるんじゃないか?」

 見目自体は麗しいであろう自分の笑顔に満足した様に頷くと、シオンはトイレのドアを押し開けて喫茶店の店内に戻る。窓際の席で興味深げに今日買った本を広げる浩太の姿に、少しだけ胸が高鳴った。

「……待たせたな、コータ」

「……随分長かったですね。何したらこんなに時間かかるんですか?」

 見ていた本から顔を上げ、不満そうな顔をして見せる浩太。

「――あ」

 その姿に。

「……あれ? シオンさん?」

 先程までの胸の高鳴りが嘘の様に、心臓が凍えた。

「――あ……そ、その……す、済まない! ちょ、ちょっと……そ、その……悪かった」

「…………へ? あ、ああ、いや! こっちこそ済みません! そ、そんな謝って貰う程の事じゃ無かったんですが! え? ど、どうしたんですか、シオンさん?」

「お、怒ってないのか……?」

「怒ってませんよ! あー……なんか、済みませんでした。感じが悪かったですね」

 そう言って、頭を下げる浩太にシオンの凍えた心臓が少しだけ温かさを取り戻し――


「――あれ? シオンさん、白衣を脱いだんですか? なんだ。最初からその格好で居ればいいのに。似合ってますよ、シオンさん」


 ――その言葉に、破裂しそうな程に心臓が速い鼓動を刻む。

「そ、そうだろう? このシオン・バウムガルデン、やれば出来る子なんだ!」

「やれば出来る子って大体、やらない子なんですけどね。ま、それはともかく……それじゃそろそろ行きましょうか。シオンさんのおススメでしょ? 楽しみにしていますよ?」

 そう言って笑む浩太に、シオンも同様に笑顔を浮かべて。

「……なんだ、その手は?」

 そんなシオンの目の前で、浩太が右手を差し出した。その浩太の行動に訝し気な表情を浮かべるシオンに、浩太がきょとんとした顔をして首を捻って見せた。

「なにって……決まってるじゃないですか」

「……決まってる? 一体、何を――っ!」

 シオン、気付く。気付いてしまう。


 ――あ、これ、アレじゃね? 手を繋ごうって事じゃね、と。


「あ、い、いや! そ、その、なんだ! それはアレだ! だ、大丈夫だ!」

「大丈夫って……はい?」

「う、うん! 別に問題ないぞ! 大丈夫だから!」

 顔を真っ赤にし、両手をわたわたと振って見せるシオン。

「いや、でも……白衣持ったままシオンさんを歩かせるのもちょっと……」

「うん、本当になんの問題もない! 白衣を持ったまま――」

 一息。


「――――白衣?」


 ……あれ? なんか、違う。そう思い、向けた視線の先では浩太が首を捻ったまま。


「だから、白衣を持って行こうかと――うわっぷ! なんで投げるんですか!」


「五月蠅い! さっさと持って歩け! 勘定はお前がしておけよ!」

 思いっきり白衣を浩太に投げつけると、シオンは肩を怒らせたまま店を後にした。

 


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[一言] あれ? シオンさん可愛い?
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