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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

理由シリーズ

命を掛ける逃亡者はいつだって傍に味方がいるわけで

作者: 返歌分式

※『勇者が生き残るのは一握りの可能性であるわけで』と少し繋がっています。

 ぴちゃり、ぴちゃり、



 汚染された液体が、独房の中に音を立てて落ちていく。

 この独房には光が入らないせいで、その液体の色は分からないが、決して向こうが透き通って見える透明ではないことは分かっていた。

 何もすることがない私は部屋の隅で、天井から滴り落ちてくる黒に近い何かを目で追い続ける。



 ぴちゃん、ぴちゃん、

 


 少し音の鳴り方が変わったような気がした。

 断続的に鳴るこの音は、床に小さな川を作っている。

 床に入る元々デザインされたであろう溝と、不自然な切れ込みに沿って、鉄格子の外にへと漏れていっていた。

 私としては、自分が居座るこの牢屋の中が辺り一面何かよく分からない液体で水浸しにならないで済むということに、微かな安心感を持つ。


 こんな狭いところに、ある意味もう『住んでいる』といったレベルに達しているこの牢屋を、好き好んで居心地を悪くさせたくはない。

 あぁ本当に良かった。

 小さな川が鉄格子の外に向かってくれて。



 コツ、コツ、コツ、



 液体が床に弾かれる音と重なって、誰かが牢屋が連なるこの階に下りてきたようだ。

 私は顔をあげて鉄格子の方を見る。

 この部屋は牢屋が向かい合わせの形で並ぶので、私が鉄格子に目を向けたことで向かいの牢屋の中が見えてしまった。


 向かいの牢屋には、言葉では表現しにくい形をした人間が、ここから逃げ出そうと壁を引っ掻いている。

 あの奇怪な形をした怪物のような容姿の人間は、ここの研究者で言う『失敗作』だ。

 私も『失敗作』と判子を押された人間の一人。

 今の私は人の形をしていない。


 実験室である白い部屋で、ところどころ鏡のように反射する磨かれた部分があったので、実験が施され身体を駆け巡る激痛の最中、私は興味本位で見た。自分の今の姿が知りたくて、見てしまった。


 右手の爪が硬質化し異様に伸びており、顔の部分である頭には、よく分からないゲル状のものが覆いかぶさっている。

 赤いゲル状の何かのおかげで首と頭の境目が分からず、身体の皮膚はところどころ剥げていた。 


 他にも何か酷いところがあったような気がするが、それだけを見た後、自己主張する痛みによって目を逸らしてしまったので、それ以上は知らない。

 もう見たいとも思わないので、まぁいいのかもしれないが。

 

 一歩一歩、確かめるように歩いてくる足音。

 私はその足音の主が誰なのか、なんとなく分かっていた。

 鉄格子の前をにやにやと下卑た笑みを広げる男が、作業着のポケットに手を突っ込みながら歩いてきた。


 あぁやっぱり。

 こいつも物好きだよなぁ。


 同じ男として私には理解できない。

 あの薄汚い男の目的は、ここにいる『失敗作』か『成功作』か分からない人間を抱くことだった。

 しかも、声からしてその人間は多分男。


 同じ男として理解できない。

 こんなところにまで来て抱く価値のある程、その男は美しいのだろうか。

 私にはよく分からない。


 男が私の鉄格子の前を通り過ぎ、やがて足音が聞こえなくなった時に、牢屋の施錠を外す音が聞こえた。



「よぉ。元気にしてたかぁ? ……あー、お前。まぁーた飯食ってねぇのかよぉ。痩せちまうぜぇ?」



 壁を引っ掻く音や何かが這いずり回る音以外に聞こえないこの場所で、一際大きく響いてくる声。

 小汚い容姿と合って、聞くに堪えない粘着質な声だ。

 毎回毎回応えない相手に、よく話しかけるものだ。

 私はあの男が会っている人間の、喘ぎ声以外の声を聞いたことが無い。


 きっと応えるのが嫌で無視を決め込んでいるのだろう。

 それか、もう人間としての意識が無くて、聞こえる声は生理的に漏れるもの、かだ。


 結局それは私にとってどうでもいいことなのだが。



「あ゛ー。ここってマジ汚ぇよなぁ。臭ぇし。お前だけ俺の部屋に連れ込んじまおうかなぁ。

あ、でもあのいけ好かない上司さんが許してくれるはずが無いかぁ。

あいつも大概お綺麗な顔してっけど、何考えてるか分かんねぇしなぁ。

怒ってるところは見たことないけど、研究中興奮してぷるぷる震えてることはよくあるから、怖ぇしぃー。

あ゛ー。なんで俺こんなところで働いてるんだろうなぁ。お前のことが好きだからかなぁ?

あひゃひゃ! それじゃあ俺、めちゃくちゃ一途ってことだよなぁ? あひゃひゃひゃひゃ!」



 自分の発した言葉に「それだったらマジ笑える」と笑う男。

 私はもうそろそろ始まる頃かと思い、近くに置いてあったぼろぼろの布を手元に引き寄せて、私の頭を覆うゲルに突っ込んだ。

 前は耳として機能していた場所に、だ。


 布を突っ込んだことで、不思議なぐらいに音が遮断される。

 普段聞くことは無い自分の心臓が鼓動する音に紛れて、微かに声が聞こえたが、私はそれを全力で無視をした。

 落ち着くときとか、そういうときには素数を数えるのが良いとよく聞くが、本当なのだろうか。

 残念ながら私はいい大人であっても、学が無いので素数というものがなんなのかは分からない。よって実践することは不可能に近かった。



 ぴちゃ、ぴちゃ、



 水音が、聞こえる。

 私は滴る黒い液体を、部屋の隅で目で追う。


 これは水が落ちる音、これは水が落ちる音、これは水が落ちる音、…………、…………。



 何分か、何十分かは分からないが、おそらく結構な時間が経ったのだろう。

 私の視界にあの下卑た男が、心なしか晴れ晴れとした顔で戻ってくるのを見た。

 それを見て、ゲルに突っ込んでいた布を取り除く。



 ぴちゃん、ぴちゃん、



 すぐさま聞こえてきた音。

 それと一緒に、疲れ果てた荒い息が聞こえてくることに、気付いた。

 私はそれを全力で無視をする。


 何も出来ない私にとっては、それはどうでもいいことなのだ。












 それから数日後、かは分からないが多分数日後に、またあの男はやってきた。

 にやにや緩みきった顔をぶら下げて、よたよたと足元おぼつかない足取りで。

 私はいつものごとく、布をゲルに突っ込む。

 そして落ちる液体を無心で眺めるのだ。


 自分が何故生きているのか、何故死のうとしないのか、そんな哲学的なことをぼんやりと考える。

 だが行き着く先はいつも決まって同じだ。

 


 どうでもいいのだ、私は。

 生きるのも、死ぬのも。 



 食事が運ばれてくるからそれを摂取する。

 摂取したから私は生き長らえる。

 生き長らえるから私は惰性で生きてみる。


 ただそれだけのことなのだ。



「…………?」



 私は首を傾げる動作をした。

 自分の思考に疑問を持ったからではない。

 布で阻まれた聴覚が、悲鳴らしきものを拾ったからだ。


 私は恐る恐る布を引っ張り出す。誰かの荒い息遣いが響いている。

 なんだ、まだ続いているじゃないか、と布を再度詰めようとしたとき、その荒い息遣いが少し変だということに気がついた。



「ひ、ひ、ひ…………っ」



 粘着質なあの声が、懇願に似た、断片的な悲鳴をあげている。

 私は何事かと思い部屋の隅から鉄格子にへと移動する。



「ひぎ、や、め…………っ」



 あと数秒そんな言葉が続いた後、牢屋が連なる地下に静寂が訪れた。

 私は疑問に思う。

 いつだって、壁を引っ掻く音や這いずり回る音が聞こえていたここで、何故今聞いたこともないような静寂に包まれているのか。

 向かいの牢屋を覗いてみると、いつも壁を引っ掻いている人間が、壁に向かって爪をたてた状態で止まっていた。


 どういうことだろう。そう思った瞬間、静寂が破られて、いつも通りの音たちが溢れかえった。



 ギ、イィィィィ



 古い鉄格子が開く音。

 下卑た男が帰るときの音かとも思ったが、私はなんとなく違うと思った。



 ぺちゃっ、ぺちゃっ



 そんな、軽く跳ねて床に広がる水を弾けさせる音がした。

 結構重量がありそうなその音に私は興味をそそられ、鉄格子にまだかろうじて変異していない左手をかけた。

 そして覗くように顔を押し付けて、音がしている方向へと目を向ける。



 バシャンッ



 あ、こけた。 

 私は心の中で声をあげた。

 視界に広がる暗く長い廊下の先に、何か動くものが映りこみ、あれはなんだと思ったと同時に、それは地面に吸い込まれた。


 しばらく床に転がる何かを見ていると、それはもごもごと動き出して這いだす。

 ずるっ、ずるっと遅い動きで這う姿は、さながらゾンビのようだった。

 両手を前に突き出して這う人間のその手が、何も変異していないことに気付いた私は、あれ、と思った。



 ずっ、ずっ、



 地面を這う人間が、私の鉄格子の前まで来た。

 そして私は驚く。

 苦しそうに顔を歪める横顔が、まるっきり『人間』の顔をしていたからだ。



「おい、お前」



 その『人間』の顔を認識した後、私は衝動的に声をかけてしまっていた。

 床を這っていた『人間』は、私の声に反応してこちらを見る。

 濁っていない無垢な黒の瞳がこちらに向けられたと知った私は、思わずその綺麗な色に息を呑んだ。


 ぼろぼろな着衣を着た、細い男。髪の毛は伸び放題で、だが手入れがされているのか艶やかな色を孕んでいた。顔の輪郭ははっきりとし、肌は吸い付きたくなるほど白い。

 黒と白のコントラストが美しい、人間だった。


 『人間』は、私を見て不思議そうな顔をする。

 私はそんな顔をする『人間』を見て、どう見ても成人している男に、子供のようだという印象を持った。



「ここから、逃げるのか」


「うん」



 自分でも馬鹿なことを訊ねていると思ったが、男は子供のように笑って頷いた。

 私は興味をそそられた。

 この男は、逃げてどうするのだろう。



「逃げて、どうするんだ」


「どうする? ……外、行きたい」


「外に行ってどうするんだ」


「んー? 分からない」


「分からないのか」



 目的も無いのに、何故外になど出ようとするのか。

 私はそう考えて、思い至る。


 私が何故ここから出ないのか。

 それは、私はもう『人間』じゃないからだ。

 異形になってしまった私は、決して『人間』が住む世界に溶け込むことができない。

 私は諦めてしまっていたのだ。

 『人間』の世界で、生きることに。


 だが彼は、私の前にいる彼は『人間』の姿をしている。

 私と違って、ここから出られれば『人間』として生きていけるだろう。

 私と彼の違いは、そこなのだ。


 だから彼は外に憧憬するのだろう。だから彼はここから出て行くのだろう。

 私は納得して、一つ、二つ頷く。



「そうか。頑張れよ。……ところでお前、なんで床を這っているんだ? 歩いていけばいいだろう」


「うん。そうしたいんだけど、足、切られちゃって」


「切られた?」


「そうだよ。ほら」


「……あぁ本当だ。右足が、無いな」



 薄汚れた灰色の囚人服のズボンの裾をあげて、彼は切られた断面を見せてくれた。

 大分前に切られたようだ。ぼこりと盛り上がった肉が、なんとも気持ちが悪い。



「ねぇ、君」


「なんだ」



 痛そうだ。そう呟いた私に、彼はわくわくした瞳で鉄格子に近付いてきた。

 手を伸ばせば、軽々と捕まえてしまえる距離まで来て、彼は私に問いかける。



「なんでここから出ないの?」


「私には、ここから出る術が無いからな」


「そんなに立派な爪を持っているのに?」


「あぁ。一回出ようとして鉄格子を壊したことがあってな。それ以来さらに強固な牢屋に入れられてしまった。ここの牢は硬くて、出られないんだよ」


「そうなんだ」



 男は残念そうにするのでもなく、可哀想にと哀れむのでもなく、ただ私が言ったことに、言葉どおり「そうなんだ」といった顔をして頷くだけだった。

 そんな様子の男を見ていて、私は少し不安に思った。



「お前、ここから出られるのか?」


「牢屋から、出たよ」


「その後だ、その後」


「その後?」


「見張りをどうやってかいくぐる気だ?」


「え? 見張りなんて、いるの?」


「……考え無しだったか」



 呆れて思わず溜息を吐く私に、男は不思議そうに首を傾げる。

 私が呆れている理由が分からないのだろうか。

 さきほど感じた『少々の不安』は、『大きな不安』となって、私はどうしようか考えた。


 この様子だと、床を這って階段を登り、上で見つかってまた牢屋行きだろう。

 私は、それがたまらなく嫌だった。

 異形の私ならともかく彼は『人間』なのだから、ここから出て『人間』らしく生きて欲しかった。


 『人間』の世界に置いてきてしまった自分の子供の姿が重なる、無垢な彼に、外に出て普通の暮らしをして欲しかった。



「あ、そうだ。ねぇ、君ってここから出たい?」


「なんだ。お前は私をここから出す方法でも知ってるのか」


「これ」



 囚人服に引っかかっていた鍵を、私の前に掲げて見せる彼。

 リング状の鉄に何本も束ねられた鍵を見て、私はあの下卑た笑いの男の腰にも同じ物がついていたことを思い出した。



「……鉄格子の、鍵か」


「うん。ねぇ、出たい?」



 男は私に訊ねる。

 私はしばしの間沈黙し、ややあって頷いた。


 別に、私は外に出たいわけではない。ただ私は、この男が心配だったのだ。

 私はこの男を無事に外に出してやりたかった。

 

 頷いた私に、彼は淡い笑みを浮かべて、鉄格子に縋るようにして錠に手をかける。

 何本も何本も鍵を鍵穴に差込み、開けようと試みる。



 カチッ



 軽い開錠の音が鳴り、男は笑顔になる。



「開いたよ」


「そうか」



 私は鉄格子を開けて外に出た。

 牢屋の中以外の景色を見るのは、およそ久しぶりだった私は、新鮮なのか懐かしいのか分からない微妙な気分を味わうように、ぐるりと周りを見る。



 ずっ、ずっ



 その音に、足元を見る。

 彼は、私の足元を通り過ぎようと床を這っていた。



「おい」


「うわっ?」



 無防備な背中に左手を押し付けてその進行を止め、驚いて止まっているところに服を引っつかんで持ち上げた。

 猫のように持ち上げられた男は、床に左足だけをつけて、心許なそうな顔をして私を見る。

 私は、にぃっと笑った。



「協力してやる」


「協力?」


「あぁ。ここから出してくれた礼だ。お前片足が無いんだったな。ならお前は大人しく私に抱かれていろ」


「……え?」



 彼は私の言葉に、不安そうな顔をした。

 私はそれを見て、もしかしてあの下卑た笑いの男のことを思い出しているのかと思い至る。

 不安にさせたくはない。

 私はカハハと笑って安心させてやることにした。



「私の腕の中にいろ、という意味だ。勘違いするな」


「…………ホント?」


「私はつまらないひっかけはしない主義でな。言葉どおり信じていいぞ」


「……そっか。……うん。分かった」



 異形になったことと伴って異常な力を手に入れた私は、今まで大の男を姫抱きにする、なんてことはできなかったが今は軽々とそれをこなし、階段を上がっていく。

 階段を上がりきったとき、私の視界に入るのは白い廊下で、暗い廊下に見慣れていた私は小さく眩暈を感じた。


 とりあえず、と適当に歩く。

 白い廊下にはぽつぽつとスライド式、おそらく自動ドアのような原理の扉が数多くあった。

 不用意に開けてここの人間に遭うのは嫌だな。

 そう思った私は道なりに従って歩を進める。


 腕の中の男を見ると、彼は私の進行方向を見ていたが、私が見ていると気付いた途端顔をあげて、不思議そうに首を傾げる。

 私は彼が何故不思議そうな顔をしているのか分からずに、私も首を傾げた。


 そうやって会話もなく進んでいると、先に十字路があるのが見えた。

 さて、どの方向に進むべきかと考えていると、十字路の曲がり角から人間が現れ、私は足を止めた。


 淡い栗色の長い髪を後ろでゆるくしばり、髪の毛の色と同系色の法衣と似たローブを着こなす男。

 私の腕の中に収まる彼とはまた違った美しさを持った男は、整った顔をこちらに向ける。

 造りものめいた、人形のような無機質な男は、その目だけ異常に強い意志を有し、無表情に目を細めて「あぁ、」と声をもらした。



「俺の予想の範疇を超えている。いや、考えたことも無かったな。ふむ。どうしようか」



 恐ろしく平坦な声。

 私は悲鳴をあげると思っていた男が思いの外冷静なことに戸惑い、悩む。

 美丈夫は私と、私の腕の中にいる男を見たあと、顎に手を添えて思考のポーズをとった。



「それを食べるのか」


「……何を言っているんだ。食べるわけがないだろう」


「ほう。君は俺と意思疎通ができるのか。これは驚いた。是非俺の研究室に来て欲しいものだが、まず俺の命の保障が先だな」


「何を言っているんだお前」


「俺はまだやるべきことがあるのでな。ここで命を終わらせるわけにはいかない。さて君。『失敗作』であろう君は、俺に何を望む」


「お前に何も望みはしないぞ、私は」



 マイペースに淡々と喋る男の扱いに困った私は、本当にどうしようか悩んだ。

 命乞いにしても、もっとマシな物言いができるだろう。



「おい、変態! 何立ち止まってんだよ、邪魔だカス」


「俺は今命の危機に直面している。立ち止まらざるを得ない。それと私は変態ではない。いつになったら覚えるのだ、被験者act4」


「うるせぇ黙れ。俺から見たらお前は変態……って、わーぉ。ぐちゃぐちゃじゃん」



 走る音と共に聞こえてきた声。

 栗色の男の後ろからひょこりと顔を出してきた男は、私を見た瞬間、顔をしかめた。

 首に大きな、機械の輪をつけた青年。

 実験時に着せられる白い服から覗く腕には、縫い目や注射の跡、痣が広がっていた。



「えぇー? マジかよこれ。おい変態。俺のために命散らしてくんないか? 俺逃げるし」


「俺のために命を散らしてくれないか、ふむ。そっくりそのまま返そう。俺は彼女のために生きなくてはならないのでな」


「ハッ、うっぜぇ。……つーか、なんかその化け物、大人しくねぇか?」


「……見た目は化け物だが、中身は一応人間だ」


「うぉ、喋った。……あー、謝るよ。ごめん。化け物なんか言って」


「あぁ。いいぞ」



 人間と話していることに戸惑う私は、どうしたらいいのか分からなかった。 

 自分の言った言葉どおりに、私は見た目は化け物でも、中身は人間のつもりだ。

 だから極力人を殺したくはないと思っている。

 なので会話をしてみたのだが、結果はよく分からないことになった。


 どう対処すればいい。

 見下ろすと、やはり不思議そうにしている彼と目が合った。



「ふむ。失敗作、君はどこに行くつもりだ」


「……この男を、外に出してやろうと思ってな」


「は? そいつを?」



 坦々と紡がれた質問に、つい本当のことを言ってしまった。

 私は小さく舌打ちをする。

 首輪をつけた青年は、ぎょっとした顔をして私をまじまじと見た後、栗色の男を見る。



「おい、変態」


「変態ではないのだが」


「こいつら、外に出してやれよ」


「何故俺がそんな面倒臭いことを」


「お前だから言ってんだろ。他の奴らだったら、喋るこいつを逃がしたりなんかしねぇだろうし」


「俺も逃がしたくはないな」


「……しょうがねぇなぁ。おい変態。よく聞けよ。暴れずに実験受けてやるから、こいつら逃がしてやれ」


「何? 君が暴れずに実験を受けるだと? あぁ、なんということだ。十回中十回俺の実験を断り、暴れ、逃げ出す君が、自ら進んで実験を受けるなどと……。ふむ、了解した。君の願いを聞こう、被験者act4」



 栗色の男がこくりこくりと顔を上下させ、こちらに青の視線を向ける。

 私は今繰り広げられた会話の真意が分からずに、ただ混乱するだけだ。

 この青年は、私と彼を外に出してくれるために交渉してくれた。


 何故、とそう問う前に、栗色が口を開く。



「では、失敗作。外に向かう扉まで案内しよう」


「…………」


「できれば定期的にこの研究所に足を運んで欲しいものだが、無理なのだろうな。非常に残念だ」


「うるせぇ変態。黙って案内してやれ」


「君がうるさい。俺は変態ではない」


「黙れ変態。マジ死ねよクソが」



 暴言を吐き捨てる青年は私に身体を向けると、羨ましそうな、泣きそうな表情を浮かべて笑った。

 私は青年が何故そんな顔をするのかが分からなかったが、何かとても悲しい気持ちになる。



「あんた、そいつのこと、大事にしてやれよ」


「?」


「無くなってから気付くもんだからな。そういうのって」



 言い終えると青年はくるりと背中を見せる。

 私は、迷った。


 私はこの男を外に連れて行ってやった後、この研究所に戻ろうと思っていた。

 化け物の私が、『人間』の世界で生きれるわけがないからだ。

 私はあの牢獄で一生を終えようと考えていたのだ。

 私や彼のために、おそらく身体を呈したのであろう青年の言葉を、無碍にしたくはない。


 だが、私は、私は『人間』の世界では生きれない――――



「良かったね」



 下から、声がした。

 驚いて視線を下げると、無邪気に彼は笑っていた。



「俺も君も、外に出られるんだって。楽しみだね」


「…………あぁ、そうだな」



 迷う。

 私は、どの選択をすればいいのか。 



「あぁそうだ。被験者act4。俺の部屋から適当に俺の服を持ってきてくれないか」


「は? なんでだよ」


「何、異形が外をうろうろするのは大変だろうからな。それに彼の服もぼろぼろだ」


「…………些細な気配りができるお前が気持ち悪い」


「金も持ってきてくれないか。入って右の机に財布が置いてある」


「お前が現金をもってるのが想像できないんだけど……。まぁいいか。お前の部屋、どこだよ」


「実験室の隣だ」


「あれの隣って、お前悪趣味すぎだろ。マジ気持ち悪い」


「よく喋るな被験者act4。耳が腐りそうだ」


「腐れ。んで死ね」


「断ろう」



 青年が小走りに離れていくのを見送り、私は栗色の男に目を戻した。

 栗色の男は「こちらだ」と言って歩き出す。

 私はその背中についていく。


 途中、カードキーを扉の横に設置されている読み取り機に通しているところを見て、私は自分が幸運だったことに今気付いた。

 この男に出会わずに、虱潰しに外への道を探していたとしても、結局見つからなかっただろう。



「先に行ってんじゃねぇよ変態!」


「俺は変態ではない。ご苦労だったな」



 怒りに声を荒げた青年が私たちに追いつき、持ってきた紫色の大きなローブと、普通の服を手渡してきた。

 それに革張りの長財布を渡されて、私は狼狽する。

 何か言おうと前を向いたときには、二人は私を置いて進んでいたので、慌ててその後ろを追いかける。



「いいのか、これ」


「俺はそれをあまり使わないからな。いらん」


「……礼を言おう」


「ふむ。礼なら、俺の研究所に通うということでどうだ」


「おい変態。実験中暴れるぞ」


「…………それは困るな」


「仲良しだね、二人とも」


「はぁっ!? お前、喋ったと思ったらなんだよそれ! うぜぇからやめろ!」


「仲良し、か。よく分からないな、その単語の意味が」



 笑う彼に、心底嫌そうな顔をして振り向く青年。

 その前を歩く栗色の男は、前を向いたまま声を発した。

 声には、理解が出来ないという色が浮かんでいる。



 

 そして、私たちは外へと続く長い階段の前まで来た。

 私の前を歩いていた青年が、立ち止まる。

 私は訝しげに青年を見ると、青年は諦めの面持ちで長い階段を見ていた。



「被験者act4。君はそこにいろ」


「分かってるっつぅーの。俺も死にたくねぇし」


「ふむ」



 栗色の男は階段を上っていく。

 私は青年と男の背中を交互に見、そんな私を見ていた青年がははっと笑った。



「ほら、さっさと行けって」


「君は何故ここに残る」


「この階段を上るとな、この首輪が爆発する仕組みになってんだよ」


「……そうか」


「おう。じゃーな。気をつけろよ」


「……あぁ」


「ありがとうね。被験者act4さん」


「お、おう……。できればその名前、やめてほしいんだけどな……」



 口元をひくつかせて手を振る青年を置いて、私は階段を上がっていった。


 長い長い、緩くカーブを描く階段を上がり、終着点である扉の前にいる男の傍に行く。

 男はカードキーを機械に通すと、今までとは違う、横にスライドをするのではなくドアノブを押して開いた。



 光が、降り注ぐ。



 私は久しぶりに見た太陽の光に、目を細めた。

 暗闇に慣れていた目が、痛みを訴えてくる。



「着いた。俺はここまでだ。では、行け」


「私に命令をするな」


「ふむ、そうか。ならば、行け」


「人の話を聞かない人種だな、お前は」


「行け」


「…………」



 早くしろ、と言動でも行動でも示す栗色の男をねめつけ、私は一歩を踏み出した。

 扉から踏み出した世界は、綺麗だった。


 荒れ果てている、疲れきった世界。

 壊れたビルに、傾く建物。晒す岩肌に、赤茶色い地面が広がる光景。

 感じる風は、荒み濁った乾いた色。


 私は、それを全て美しいと思えた。

 これが、私が異形になる前に住んでいた世界。



 バタンッ



 後ろで音がして振り返ると、そこに栗色の男はおらず、高いコンクリートの塀と閉められた扉だけがあった。

 私は、この期に及んでまだ迷っていた。

 この男を逃がした後、あの扉を通ってもいいものか。


 いや、あの栗色の男は私に研究所に通えと言っていた。

 ならば私は、――――……



 私は彼を地面に降ろす。

 彼は左足を地につけ、私を支えにして立った。

 大きな深呼吸を何回かして、嬉しそうに微笑む。



「外だ」


「あぁ、外だな」


「地面だ」


「あぁ、地面だな」


「空もあるよ」


「あぁ、青いな」


「出れたね」


「そうだな。出れたな」



 純粋な笑顔を浮かべて、私より背の低い彼は私を見上げた。

 そのまま「行こうか」と言われれば、私は黙ってついていくのだろう。


 私は、『化け物』の私は、あの牢獄で一生を終えるべきなのだ。

 だが世界は、そう考える私に酷いものを見せてくれた。


 あぁ、私は迷っている。

 どうしようもなく迷い、どうしようもなく渇望している。



「それじゃ、行こうか」


「…………あぁ」



 跳ねながら進む彼を支えながら、私は歩き出した。








なんだかアメリカの映画の終わり方みたいなんだ、ぜ……。


というわけで、はい、BLです。

一人称視点の化け物との絡みがなくても、れっきとしたBLです。


精神が壊れて年齢退行した綺麗な男の人と、魔物と戦い、勝ってしまって目をつけられた異形の怪物。

そんな感じ。


繋げるつもりは無かったんだけども、設定的に出せると思ったので、栗色の平坦男と被験者さんに出てもらいました。

被験者act4の名前は、栗色の男の問いかけに答えなかったために、そのまま呼ばれることになりました。


一つでも短編の設定が続いたら、連鎖のように妄想が広がっていくのが困ります。


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― 新着の感想 ―
[良い点] お上手です。 [一言] 他作品との繋がりを意識しないでも、違和感なく読めました。
2010/07/16 07:57 退会済み
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