すきやきうまうま
「帰ったぞォ! おい妹ォ、てめえろくにメッセの返信しねーとか、いい度胸してんじゃねーかアァン?」
「あ、お、おかえりー……」
「えっと……お邪魔しています」
「あらァーン! あなたが木雨雪 羽純ちゃんねっ! びっくりさせてごめんなさァい、お噂はかねがね! 真美華の兄の須野原 甚八でぇす。バカで自堕落な妹だけどぉ、無理のない範囲で仲良くしてあげてねン♡」
「外国の方?」
「純日本人だよ」
我が家のドアを勝手に開けて入ってきたのはピンク髪のツーブロック、ストライプスーツに身を包んだ筋骨隆々190センチの色黒オネエであった。世間知らずの羽純がこんな日本人が存在しないと思うのも無理もない。
「えーっと……あの、私がいて大丈夫かい? ご兄妹の時間を邪魔してもいけないし、もしあれだったら席を外すが……」
「あらァいいのよ気ィなんか使わなくて! 私たまーにしかここに来ないからね! この子、1人にしたら掃除もろくにしないしお風呂キャンセルしちゃうから、誰か見張ってくれてた方がいいのよー。こんなとこで良ければいつまでもパラサイトしちゃってちょーだい。あ、お夕飯持ってきたわよン! この子が全部やってくれるから、お客さんはゆっくりして頂戴ねッ! それよりもだ妹ォ、なんでェあの配信はァ? 羽純ちゃんにゲーム実況なんかさせやがって、脳わいてんのかよアァン!?」
「そっ、それなんスけどねえ〜!?」
流れるように胸ぐらを掴まれ、思わず揉み手しながら視線を逸らす私だった。
須野原 甚八、10個離れたこの兄貴は“エヴァンズフルーリー”という婦人向けアパレルブランドの社長兼デザイナーをやっていて、日本中を飛び回っている。通販番組にもよく名物社長として出演していて、また自身もWeTubeで5万人の登録者数を誇るインフルエンサーである。つまりは、私のウィーチューバーの師匠なのだ。ついでに、この部屋の家賃や私の生活費、あとWeTubeプレミアムは兄貴が払っているので本当に頭が上がらない。
そんなわけで私は、奴隷として兄貴が持ってきたすき焼きの具材を切らされながら、今の私たちが抱えている問題を白状させられたのだった。羽純と配信を始めてみたこと、羽純が戦えなくなったこと、危険が多いダンジョンでの撮影が現実的ではないこと。背後の兄貴の圧と和室でゲームをやってる羽純の気配を感じながら小声でそう説明し終えると、兄貴は「あら、そう」と低い声で呟いたのだった。……そして。
「ところで、神器が使えなくなっちゃったそうだけれど、羽純ちゃんはダンジョン配信を続けるつもりはあるの?」
「はわっ……!?」
すき焼きが煮えるや、兄貴は無遠慮にも目の前の羽純へそんなことを言いやがったのだった。食卓の空気が一気に凍り付く。羽純はというと兄貴の買ってきた常陸牛を口の側まで持ってきていたが、そのままゆっくりと箸を下ろし、肉を卵に戻すのだった。そうして、行儀良く両手を膝の上に乗せ、顔を上げる。
「私は冒険者としての生き方しか知らないし、昨日のダンジョン配信が正しいことなのかもまだよく分からない。だけど、楽しいと思った。これを続けたいとも思う」
「羽純!? で、でもさあ〜! ホラ、羽純の神器、攻撃力無くなっちゃったんだよねえ? それじゃーダンジョンに行くこと自体めっちゃ危ないんじゃ……」
「もちろん、真美華の言うとおりダンジョンは危険な場所だ。しかし、敵を倒せなくとも私のスキルは顕在だからな。冒険者としての実力……生き延びる力は失っていない、と思う」
「え……?」
羽純は「失礼。絶刀、顕現」と呟き、神器を出現させる。昨日もダンジョンで見せてもらった、持ち手だけの刀がその場に姿を現した。
“スキル”、それはダンジョンの中でだけ発動する人智を超えた超人的な力だ。《登攀》、《剣術》、《ファイアーボール》、神器に初めから備わっていることもあるが、基本的にはモンスターの討伐や各々の研鑽で身に付き、また成長してゆく能力である。羽純は目を細めて刀身があったであろう場所を見つめる。
「この刀には今まで培ってきたスキルが、そして私の体には木雨雪流剣術が今も息づいている。オルタナにいた経験も、ダンジョンやモンスターの知識もある。戦えなくとも、私はあそこで生き延びる術を知っている。だから撮影も大丈夫じゃないか、とは、思うんだが……」
「ふーん、そうなのねえ。じゃあ木雨雪ちゃん、あなた何層ぐらいまでなら潜れそうかしら?」
「ダンジョンにもよるが、戦闘を回避しながら潜って帰ってくるだけなら6層あたりだろうか……」
「ろ、ろくぅ……!?」
「……木雨雪 羽純、質問の仕方を変えるぞ。お前は、妹を守りながら何層まで潜れる?」
「ならば浅層、3層だ。リスクを冒していいなら4層だが、そのためには真美華自身に努力してもらわないといけないし、それより先の階層は真美華を諦めないといけないリスクがある。できれば、そんなことはしたくない」
「羽純……」
あらゆるダンジョンは全9層であり、1〜3層が浅層、4〜6層が中層、7〜9層までが深層と大別され、深い場所に行けば行くほどその危険性が上がる。そのうちの6層まで攻撃力ゼロで行って帰ってこられるなんて、あまりにも規格外だ。私の呆然を他所に、羽純は続ける。
「確かにダンジョンは、安全が保証される場所じゃない。それでも私は真美華とダンジョンでの配信をやってみたいと思ったんだ。まだ配信というものの本質は分かっていないが、ダンジョンのために生きてきた証をちゃんと形にしてみたいし、エンジョイ勢としての生き方に向き合ってみたくなった。だから……お願いします。真美華さんと一緒に、ダンジョン配信をさせてください」
兄貴の威圧感に身じろぎもせず、羽純は厳かなまでに美しい姿勢で頭を下げるのだった。うっすらと湯気の立つすき焼き鍋を挟んで、静かで重たい沈黙が流れる。兄貴はしばらく羽純の頭を見つめていたが、やがて大きなため息をつき、じろりと私の方を見て「分かったかよ」と呟くのだった。
「妹ォ、これが羽純ちゃんの答えだ。ダンジョンに日和ってんのは、おめーだけだボケコラ」
「……うん」
「正直に話してくれてありがとう。それでは、木雨雪 羽純さん。遠方に住んでいるこの子の両親に代わって……ふつつかで怠惰な妹ですが、どうかよろしくお願いします」
隣に座った兄貴に後ろ頭を押さえられ、羽純に頭を下げる。私の頭の向こうで「はい、お任せください」という羽純の声が静かに響く。




