#55 白檀
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馬車を離れた私たちは、李儒に先導されて一つ目の門を潜った。
王の住まう正殿に続く道は長く、暗い。敷き詰められた白砂利の道だけが、真っ直ぐに闇の中を伸びている。
「ここも、もう王宮の中でしょう? どうしてこんなに暗いの?」
お母さまが前を行く李儒に尋ねたが、「私にはわかりかねます」彼女は淡々とした口調でそう答えた。
そのまま歩くと二つ目の門が見えてくる。
僅かばかりの灯火に照らされた門に近づけば、門柱は所々塗装が剥がれて、どこか見窄らしいとさえ感じた。
「そういうこと……」
それを見たお母さまは何か感じ取ったようだ。
門には武装した衛兵が待機していたが、彼らの装備はあまり手入れされているようには見えなかった。それに、服装も少し乱れている。
彼らは腕を組んだまま、李儒に簡単な確認をしただけで私たちを通した。身体検査のようなものは特にない。
あまつさえ、通り過ぎ様に一人の衛兵があくびを打って、隣の兵士から小突かれている。
とうに日が暮れたからということもあるだろう。
しかし彼らの立ち振る舞いには、微塵の緊張も感じられない。
皇帝自らの召集によって、中華全土から大勢の国賓が集うという今日この日にも関わらず、である。
「……だらしないわね」
誰に向けるでもなく、お母さまがぽつりと言う。
その言葉どおり、これなら前を歩く李儒の方が、よっぽど“兵士”として相応しいように思えた。
「……」
前を歩く李儒は振り向かない。
ただ私たちを置いていかないように、ゆっくりと歩を進める。
「さあ、見えました。あれが南宮……その正殿です」
李儒が指差す方には、東西に一直線に伸びた巨大階段。その最上部はうっすらと明るい──正殿はその先だ。
とは言っても、私の背丈ではその影の先端しか見えなかったけれど。
視界の端まで続く階段は、ざっと見ても百段近くあるように思う。
これを登るのは、体力のない私からすれば正直キツい。
(うわ……これ、登るの?)
(小紅さま。よかったですね、鍛えておいて)
そんな文姫の言葉に励まされ、正殿へと続く階段に足をかける。
(もう少しですよ。頑張って)
(いいから、振り返らないで足元を見なさい。転んだら、音でバレちゃうかもしれないんだから)
そんなやりとりをしながらお母さまたちに続く。
徐々に、正殿があらわになる。
満点の星空の下、堂々と聳え建った正殿は、先ほどまで見てきたどの建物とも全く“違う”。
内外を照らすため無数に灯された油灯が目に痛い。
並び立つ柱は全て鮮やかな朱塗り、屋根瓦は夜でもわかるほど派手派手しい黄。
壁、天井、柱の至る所にあしらわれた金・銀の装飾が、これでもかと言うくらいに油灯の光を反射する。
大酒でも振る舞われたのか、そこから聞こえてくるのは無数の男たちの笑い声。女たちの甲高い騒めき。
数年ぶりに開かれた皇帝直々の催しに、隠しきれない高揚をぶちまけたような──乱痴気の宴。
(ど、どういうことですか? さっきまで、あんなにそこかしこ全部ボロボロだったのに……)
文姫が困惑したように呟く。
(きっと、ここに贅の全てを集めているんだわ……)
一言で表すと、“下品”あるいは“悪趣味”──荒廃した建造群の中にあって、それを意にも介さないような富の集中。まるで、スラム街に建てられた超豪華カジノだ。
三ヶ月ほど前、東の廃塔の上から眺めたあの王宮がいま──目の前にある。
あの時は遠くてよくわからなかった。他と比べて少しばかり大きな建物にしか見えなかった。
でも近くで見るそれは、あの時感じたよりずっとずっと大きくて、歪で……“醜悪”だった。
「噂には聞こえていたけれど……。まさか、ここまでとはね」
お母さまの声が低く落ちる。
「もう少し近くを歩いてください。人が多いので」
李儒がそう言えば、お母さまはそっと着物の裾を指差した。
私たちはお母さまの影に隠れるようにそれを掴む。
会場の大広間は既に無数の招待客で溢れかえっており、壇上にはもう既に複数の出場者も上がっているようだ。
「どいてください。出場者が通ります」
淡々と告げた李儒が、両手を広げて道を開く。
酔った客たちが不機嫌そうに振り返るが、彼女には全く怯む様子がない。
背中から見たその佇まいは、まるで数々の死地を潜り抜けた一流の武人のよう。
無秩序に屯していた大衆の波が割れて行く。
壇上に向けて、一本の道が出来上がる。
「“後ろ”、ちゃんとついてきていますか? 進みますよ。波が戻らぬうちに」
無表情で振り返った彼女が、一瞬だけお母さまを確認する。
心なしか、その言葉は“私たち”に向けられているような気がした。
初めてしっかりした灯の下で見る彼女の髪は、少しだけ青かった。
「……ふう。李儒、あなた随分と頼りになるのね」
お母さまの声に、どこか安心の色が混ざる。
「ええ。“主人”の命により、“今宵は”黒赤蝶さまの護衛ですので。死んでも“貴女たち”を守ります」
淡々とした声が、ほんの僅かに熱をもったような気がしたのは、私の気のせいだったろうか。
でも、李儒の背中から香る“白檀”の主人が誰なのか、私には思い出せそうな気がした。
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