#49 文姫の“反転”
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蔡邕は微笑み、私も頷く。文姫はまだ、少し追いつけてないみたい。
「蔡邕。貴方……仙術が使えるわね?」
「……はは。遠い昔、好きな女性を振り向かせようと必死に学ぼうとした時期があった。というだけです」
私の問いに、蔡邕は自嘲気味にそう返した。
「私に仙術は扱えませんでした。ただ少し、五行に理解があるだけですよ」
悲しそうに眉を下げた彼には、まだ何か隠していることがある。そう思ったけれど、それ以上私は踏み込めなかった。
「……そうなの」
ただ小さくそう返す。
「えっ、それってもしかして……お母さまのことですか?」
振り返れば、キラキラした瞳。文姫はあまり空気を読めない。こういうところが、仙術を修得する遅さの原因でもあるかもしれない。こいつ文才はあるのに、なんでこんなところで鈍感なんだ……。
「ああ。まあ、そういうことになるかな……」
「ちょっと文姫? いまはそんなお話聞いてる場合じゃないでしょ。練習練習!!」
頭を掻いて少し言いづらそうにした蔡邕の言葉を遮り、私は文姫を呼び止めた。
「ええ!? いいじゃないですか〜。お父さまはなかなか、お母さまのことをお話してくれないんですから〜」
「なに言ってるの! もうこっちも時間がないの。漢詩大会は一週間後なのよ! さあ!」
「でもでもでも、もごっ!? む〜〜!」
まだうるさく抗議しようとした文姫の口に茶菓子を詰め込んで、私は彼女を引っ張って蔡邕から引き離す。
去り際、安心したように、でも少し寂しそうに、蔡邕はぺこりと頭を下げたまま顔を上げなかった。
***
「そう、集中。私と一緒に、呼吸を合わせて」
庭の奥。私は文姫と二人手を繋ぎ、ゆっくりと呼吸する。
「あ、あの……いつまで……」
何分そうしていただろう。ついに痺れを切らした文姫が声をかけてくる。
どういうわけか、その顔は少し赤い。
「いつまでもよ?」
「いっ……いつまでも!?」
「そう。五行が巡るまで、焦らないの」
文姫は驚きと羞恥が混ざったような顔でこちらを見ているが、これは仕方ない。
蔡邕とのやりとりでわかったことは、五行は常に変容し続けている。ということだ。
手の指はそれぞれ分かれているが、掌では繋がっている。それはつまり、五行もそうであるということ。
無理やり流し込もうとしても、漏れていく。私は五行を“木”と“火”しかうまく使えないと思っていたが、本当はそうではないのかもしれない。五行が体内を巡れば、あるいは私自身も──自ずから然り。
今回、先に術言を唱えるのは私だ。だからたぶん、五行を“呼び込む”役目は私。
つまり、私自身が五行を体内に宿さないと、文姫に伝えられる力はずっと小さくなってしまう。
「大丈夫、落ち着いて文姫。貴女が感じられるように、うんと濃い五行を流し込んであげるから」
「う……うんと濃い、五行?」
「そうよ。私の中を巡った五行を編んで、貴女に流すの。……指先から」
そう言って、少し強く手を握る。
「あっ。小紅さま……」
文姫の顔がさらに赤くなる。なんだ……? 呼吸も少し、乱れてないか?
「な、なななんか意識したら急に……」
「急に?」
もじもじと、文姫が身体を捩り始める。ちょっと、気が散るじゃないか。
「何してるの文姫、集中して。これじゃ、五行が巡らないじゃない」
「だ、だってだって、小紅さまが変なこと言うからじゃないですかぁ!」
「べ、変なことなんて言ってないわよ。何を思ってるの貴女!?」
意味がわからない。だけど顔を真っ赤にしたこの娘のことだ。まさか……何かに影響された?
私は最近の文姫の行動に頭を巡らせる。そういえば、寝所に何か巻物を持ち込んでいたような……。
「文姫……貴女、そういえば昨日の夜も何か書物を読んでいたわね」
少しキツく睨めば、文姫はびくりとその肩を上げる。
「え、ええ!? あ、いや……そうですね。陛下がくれたあの巻物を……」
「嘘おっしゃい。あれは朝に私が読んだけど、貴女が夜中に読んでいた巻物は、朝も枕元に置いてあったじゃない」
「あ、あれぇ!? そ、そうだったかなぁ〜??」
目を泳がせる文姫。明らかに、こいつは嘘をついている。
合わせたままの両手を絡み付けるようにして引き寄せる。
そのまま、私はそっと文姫の耳に口を寄せ、吐息を混ぜてこういった。
「悪い子……お仕置きが必要ね」
その時一瞬だが、何かが身体の中を通り抜ける。
濃い何かが、文姫の中に注がれていくのがわかった。
え、五行が……?
ひゅ……
息を呑む音。そして文姫は目を回して倒れた。顔を“真っ赤”にして。
はぁ。私も前世で読んだことがあるからわかるぞ。でもな、その歳で“反転”ものはやめておけ。
どっちも男やどっちも女なんて……いや、いいぞ。わかる。でも、いまじゃ無いだろ。
仙術も恋愛ものの書物も、まずは“正”から。
ため息をつきながらもパタパタと袖で文姫に風を送る。
こんなことしてる場合じゃないけど、文姫には一旦あの“卑猥な読み物”を止めさせよう。
これじゃ、いつまで経っても手を繋げない。でも……。
「ほんの一瞬だったけど、ちゃんと流れたわ」
手を握ったり開いたり。それだけでも、五行は動く。
次は、成功させられる。そんな予感が、確かにあった。
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