#48 万物
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劉辯に会わなくなり、文姫と二人で仙術の練習をすること数日。
あの日、彼と一緒に術を成功させた時の感覚を思い出しながら、私たちは今日もお互いの手を握る。
「んん〜。なんかちょっと違うんだよなぁ」
「ぅぅ……不出来な侍女で申し訳ないです」
まだ透過の術は成功できていない。
正しい手順をなぞっているはずだが、五行がうまく身体を通っていかない。文姫と繋いだ左手から、何かがこぼれ落ちていくような感覚。まだ“輪”になってない。
漢詩大会まで、あとちょうど一週間後。そろそろ成功させないと間に合わない。そんな焦りが、私たちの動きをますます固くする。
「五行は身体に宿ってる?」
まずは基礎的なところから。五指に意識を集中させて、自身の身体に五行を宿す。
文姫にこれができなければ、いくら私の仙力が強くても途中で五行の“輪”は切れてしまう。
「小紅さまから教えてもらった不思議な感覚っていうのは、正直まだ感じ取れていません……」
「そう……」
少し俯いて答える。焦ってはダメだ。
“印の組み方”に“術言”、そうした目に見える“正解”を覚えることにかけて、文姫は天才だった。でも、五行を感じるにはセンスがいる。
私の仙力は五感でも感じられるほど大きかったから、感覚を掴むのにそれほど苦労はなかった。ただ──“反転の手相”という落とし穴にはまっただけで。もし最初から正しい手順を踏めていれば、すぐにだって感じ取れたかもしれない。
でも、文姫は違う。仙力を持ってはいても、たぶんその力はそこまで強くない。
『五行を理解し、その身に宿すことが、仙術発動の絶対条件になる』──そう劉辯は言っていた。
五行の理解……そもそも五行ってなに? なんとなくはわかるけど、なんとなくしかわかんない。
私はちゃんと……理解してるのかな? その“五行”ってやつを……。
文姫にちゃんと教えてあげられないのが、ただ、すごくもどかしかった。
「小紅さま、文姫。頑張っておいでですな。さあ、そろそろお茶にしましょう」
後ろから優しい声がかかる。蔡邕だ。
「蔡邕ぅ〜〜。ダメだ私……。全然文姫にうまく教えてあげられないや」
「はて……? そうですか? 私には少しずつですが上達しているように見えますが……」
「ん〜。そうかなぁ?」
「そ、そうです! 小紅さまは全然下手なんかじゃありません! 私の才能がないんです!」
蔡邕は微笑み、文姫も私をフォローしてくれる。なんていい家臣たちだろう。でも、仙術を使えるようにならないと意味がない。その優しさに甘えてはいられない。
私は茶をぐいっと飲み干す。まだ少し熱すぎたのか、喉が勝手に拒否した。
「う……ごほっごほっ」
「だ、大丈夫ですか!?」
文姫が優しく背中をさすってくれる。
それを見ていた蔡邕が、そっと前に歩み出て空を見上げた。
「文姫……五行はうまく意識できているかい?」
背を向けたまま、蔡邕は話しかける。
その言葉は、なぜか妙に核心をついていた。
「お父さま……、少し難しいです」
「はは、そうか」
くるりと振り返った蔡邕は、右手を見せながら左手で親指をそっと触る。
「では、木とは何かな?」
「……木? うう〜ん。あの木ですか? 梅とか、桃の……」
「じゃあ、火は?」
次に、人差し指を立てて蔡邕は続けた。
「火はわかります。お料理で使う釜戸の……あの火ですよね?」
「土は?」
「土は簡単です。いま立っているここが、その土の上です」
文姫は嬉々として答える。
「……ふむ。その感じだと、金は金。水は水だって思っているだろう?」
優しく、でも少しだけ意地悪な顔をして彼は微笑んだ。
え? 違うの?
「はは。その顔だと、小紅さまもまだ五行をよくご存じないようですね」
そう言って、蔡邕は手を広げた。
「五行とは“万物”です。自ずから然り。すなわち、全てのものがその交わりによって形を成している。つまり木は木でなく、火は火でなく、土は土でなく……金も水もまた、五行“そのもの”ではありません」
蔡邕の言葉は難しい。それって……どういうこと?
「じゃあ、わかりやすいものに例えましょうか。先ほど小紅さまが飲んだお茶。文姫、あれはなんだろうね?」
「お茶……? 五行で言えば、“水”……でしょうか?」
「三十点……と、言ったところですね」
そう言って、蔡邕はこちらを向いた。私は答えを探す。
「お茶は……茶葉を温めた水で蒸らし、抽出したもの。その中には、たぶん“木”の五行も含まれているわ」
絞り出した答えに、蔡邕は満足そうに頷く。
「六十点。まだ、いけそうですね」
「はい! 温めた水には、“火”も入ってると思います!」
文姫が手を挙げて答えた。
「そう、これで八十点。あとは……?」
「え……まだ五行が入ってるの?」
思わず尋ねた。その問いに、蔡邕はそっと両手を前にして首を振る。
「“入っている”……という言い方は、実はあまり正しくはありません。“茶”もまた、五行“そのもの”なのです。茶碗は土を焼いたもの、湯を沸かした器は金属……全ての交わりが満ちて、いま茶は“茶”としてそこにある」
蔡邕の言葉に、私たちは静かに茶の入った急須を見つめる。
「誤った理解のまま飲み干そうとすると、喉を詰まらせる……。大切なのは、“巡り”です」
「巡り……?」
また難しい言葉が出てきた。もう頭がこんがらがりそうだ。私と文姫は思わず首を傾げる。
「はは。なに、茶はいつまでも同じ茶ではありません。という意味です。さあほら、もう一杯どうぞ」
蔡邕は急須から茶を注ぐ。私は茶碗を受け取り、そっと口をつけた。
もう熱くない。するりと喉を通って、優しく胸の奥に溶けていく。
「……ね。これが、“自ずから然り”です」
蔡邕は静かに微笑んだ。
そうか……五行は巡るもの。無理に形を変えるものじゃない。自ずから然り。満ちるのを待って、流すんだ。
「文姫、わかったかもしれない!」
自然と、言葉が弾む。
「ええ!? ずるいです! 教えてください!」
「“待つ”の。焦るんじゃなくて、ゆっくりゆっくり……私たちの五行が巡るまで」
「待つ……」
「どうやら……正解にたどり着いたようですな」
その答えを聞いて、ようやく蔡邕はしっかりと頷いた。
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