#3 孫娘、じいじに会う
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朝の日差しが窓を抜けて差し込む。
チチチ……
鳥の声が耳を打つ。続けて、パキパキという竹の裂ける音。窓の外を見れば、白と黒のもふもふした生き物がそこにいる。
無心に竹を食んでいる。
「そう、パンダね……」
めっちゃ中国だった。
***
夢なら寝れば覚めるかもなんて思っていたけど、どうやら夢じゃないらしい。
私はベッドの端に腰を下ろして腕を組んだ。
「いや〜。これ何? もしかしてあれ? タイムリープ……ってやつ? 別人に生まれ変わる系の」
あれから、少し頭を整理してみた。
なぜ私がここにいるのか、それはわからない。
でも、どうやら“この娘”は何日も何かに没頭していたらしく、相当な寝不足だったことは間違いないようだ。まだ身体に残る怠さが、それを証明している。いや、私も他人のこと言えないんだけどね。
目覚める前の記憶も、なんだか少しずつ思い出せてきたような気がする。私はの名前は『董白』と言うらしい。
この時代、下の名を目下のものから呼ぶのは失礼にあたるらしく、『字』と呼ばれる通り名を使うのが一般的だ。だから、蔡邕は私を“董白”とは呼ばない。
「赤い瞳だから“小紅”──なのかな?」
こちらに来る前と同じ字だ。でもそれは、私が生まれたときにもらった『小紅』じゃない。
私の“小紅”は、生まれた時に色白で、ほっぺたが薄桃だったからついた名だ。ルビーのような赤い瞳はしていなかった。
でも不思議なものだ。五徹という状況と、名前の一致だけが私がここに呼ばれた理由なんだとしたら、あまりにも不遇。
──いや、確かに三国志は好きだよ? 大好きだよ? でもさ、同じ“小”なら『小喬』ちゃんじゃない? いや、確かに私のいまのビジュはめっちゃ良いけどさ! 前世じゃ考えられないくらい良いよ!
五歳児にして将来的なポテンシャル超強なのはもうわかるんだけどさ、問題なのはそこじゃないの!
「ええ〜と。いま西暦でいうと何年なのかな? 蔡邕が生きているってことはまだ董卓は暗殺されてはいないはずだけれど……」
そう。『暗殺』だよ、あ・ん・さ・つ!!
三国志をちょっと齧ってる人間だったら誰だって知っている。
暴虐の限りを尽くした大悪党であるお爺ちゃんは、いつか“呂布”っていう“ 中華最強”の武将に暗殺される。そしてその後、董卓一族は老母を含めた“全員”が処刑されることになるのだ。
その一連の顛末は、呂布とその恋人・貂蝉を交えた三国志で有数のイベントであり、いろんな作品で描かれている。もちろん“萌え剣”でも描かれてる。曹操ルートだとこの二人と戦うんだよな……って、いまはそんなのどうだっていい!!
いまはとにかく、状況が知りたい。
蔡邕親子の口ぶりだとまだ董卓は健在のようだが、あとどれだけ時間が残されているのかまではわからない。
「ああもう、わからん! 蔡邕、文姫、早く来てよ〜」
そんなことを口にした時だった。
どすどすと、誰かの大きな足音が部屋に近づくのが聞こえる。ミシリ。そんな音を立てたかと思えば、扉は蝶番ごと外れて無くなった。
瞬間、無理やり開けられた空間に空気が押し寄せるように、強い風が窓から吹き込む。
「きゃあ!」
思わず私は目を閉じた。パラパラと、屋根から木屑が落ちてくる。埃がたち、私はけほけほと数回むせた。
「小紅!! 無事か!?」
声に、片目を薄く開く。ぬうっと、埃から手が現れる。大きな手。それは私の胸元まで伸びると、そっと顎先に指を添えた。優しい触れ方。
両目を開くと、側に大男が立っていた。私が小さくなったせいもあるだろう。しかし、それを差し引いてもなおわかるくらい、大きな背丈の男。
「お……お爺ちゃん?」
少し、不安だった。だって、明らかにその見た目は私と似ても似つかない。逆立つ髪と髭で覆われた頭は、まるで黒い獅子のよう。太い眉に、力強い眼光──よく見れば、その瞳は暗い赤だ。その赤だけが、私とその男を血縁として結びつける唯一のもののように思えた。
「ああ、そうだよ小紅! お爺ちゃんだ! 倒れたと聞いて、馬を三頭も潰して駆けてきた。どうした? どこか悪いのか? それとも、蔡邕の作る飯が良くないのか? やはり、馬賊の子は乳と血を飲まねばならんのだ。そうでなければ、強い大人にはなれん!」
お爺ちゃん──董卓はその眉尻を下げながら、今度はぎゅうと私を抱きしめて顔を寄せる。うおお、ホリ深ぁッ!! 目力つよッ!! 近くで見ると顔濃いな〜〜。私の好みからはちょっと逸れるけれど、こりゃなかなかのイケメンだね。若い頃はモテたろう。歳は、40代くらいか?
その容姿は数々の作品で見たような、でっぷりと肥え太った顔色の悪い男ではない。筋骨逞しく、力に溢れた一流の武人。そんな印象を受けた。
──こんないい男を“ただの大悪党”で片付けてしまうのは、ちょっともったいない。
「あはは……いや。乳はいいけど、血は少し苦手かな……」
あまりの勢いに驚いたが、その顔は本当に私を心配してくれているように見える。それにしても、馬三頭を潰した? どんだけ急いできたんだよ。
「いいや、ダメだ小紅! こうなったらお前が元気になるまでお爺ちゃんは帰らん! なんたってお爺ちゃんはお前が……」
「あーー!! 仲穎さま、また扉ぶっ壊してる!! 何度言えば分かるんですか、扉には向きがあるんですってば!」
「うるさいぞ蔡邕! いま良いとこなんじゃ! ここはわしが与えてやった隠れ家だ! それに、もうここは使わんのだからよいではないか!」
後ろからやってきた蔡邕が半壊した部屋を見て注意する。お爺ちゃんは、そんなことお構いなしに私の身体をいろいろと触りながら、『もう少し筋肉が……』とか、『だいたい阿樂のやつがナヨナヨしいから……』などとぶつくさ言っている。
「お父様!」
突如後ろから、若い女性の声──
現れたのは、艶のある黒髪に赤い瞳をした気の強そうな女性。もしかしてこの人は──
「……母さま?」
不思議と、胸の奥から安心したような声が漏れた。
何故だろう。頭では「初対面」と分かっているのに、胸の奥がふっと緩んだ。身体のほうが先にその人が「母さま」だって認識しているみたいだ。
「ああ、小紅! 会いたかったわ! 長い間迎えに来れなくてごめんね! ついにお屋敷が完成したの。これからは貴女たちも、一緒に長安に住めるのよ!」
お爺ちゃんから奪い取るように私を抱きしめて、そう言ったのは母──董璃だ。
「……あはは。ええと、長安?」
「ええ、そうよ。長安! 羌族に焼かれた前のお屋敷なんかよりも、ずっとずっと大きくて立派なんですから。もうこんな所に隠れていなくてもいいの」
長安のお屋敷? 隠れる?? 羌族から??
ちょっと情報量が多過ぎて、整理が追いつかない。
「えと……えと、あの。久しぶりに会えたのはすごくすごく嬉しいのですが、実は私、つい先ほど目が覚めたばかりなのです。寝巻きのままでは恥ずかしいので服を着替えたいのですが……」
一旦、間合いを切りたい。そう考えた私はやんわり提案してみる。
「まあ。そうよね! 私ったらつい嬉しくてお話が弾んでしまったわ! それにしても、小紅ももうすっかり女の子になって……これも蔡邕の教育の賜物かしら? 蔡琰、では着替えをお手伝いなさい」
「はい! かしこまりました!」
いつの間にか部屋の隅で待機していた文姫が返事した。その手には既に着替えらしきものが用意されている。
おお、有能侍女ムーブ。やるじゃない文姫さん。
「ほら、お父様、蔡邕。行きますわよ。男たちが居たら小紅が着替えられないじゃないの」
「いや、わしはもう少し小紅と……」
「ダメですよ! こちらでも仕事はあるのですから。お父様が仕事を片付けないと、いつまで経っても出発できないじゃないの。それとも、あと何日も小紅をこんな、扉の壊れた部屋に滞在させるおつもりですか?」
「む!? むぐぅ……!!」
董璃の言葉を受けて、董卓は黙り込む。すげえ、あんな巨漢の武人に正面からもの言えるなんて。母ちゃん、あんた中華最強だよ。
「さあ小紅、ゆっくりでいいのよ。準備ができたら、蔡琰と一緒に行政宮まで来てね。そこで待っているから」
そう言って、お母さまはお爺ちゃんと蔡邕を連れて部屋を出て行く。帰り際、お爺ちゃんが申し訳なさそうに蝶番をいじっていたが、結局どうにもできず扉を入り口に立てかけ直してから去って行った。
***
文姫と二人部屋に残された私は、ふぅと一息つく。
「あの……お母さまっていつもあんな感じ?」
私は、まだあまりはっきりとしない身体の記憶を呼び覚ましながら尋ねた。
「はい! 小紅さまに似て、とてもはっきりされた、いい性格ですよね!」
ニコニコと、文姫はそう答える。
「そうなの……」
さらりと酷いことを言われたような気もするが、あまり気にしないことにする。さて、それよりも。私は文姫に聞きたいことがあったのだ。
「文姫……。貴女は、文姫って呼び名に覚えはあるかしら?」
その問いに、文姫は顔をはっとさせた。一瞬目を泳がせた彼女が見たのは、机の上に置かれた八つの竹簡。
「私は……知りません。でも……」
少し戸惑うように、彼女は続ける。
「倒れられる前の小紅さまは、確かにその名前を口にされておりました」
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