第7話:【仮面の下の素顔】ラスボス団長が貧しい街で見たもの
夜が明け、太陽が"黒竜城"の冷たい窓ガラスを照らしていた。
昨夜、私はゼフィール団長の呪いによる苦悶を鎮める"特効薬"として、彼の激しい抱擁を受け入れた。彼の体温と、まるで私を喰らい尽くすかのような独占的な熱に晒され、私は朝まで一睡もできなかった。
ゼフィールは、呪いが鎮まると同時に、私をベッドの端にそっと横たえた。
「……セシリア」
彼はかすれた声で私の名前を呼んだ。その声には、昨夜の獣のような熱はなく、深く疲弊した、孤独な一人の男の響きだけがあった。
朝。
ゼフィールはすでに冷徹な騎士団長に戻っていた。
「お前との契約は、夜間も継続される。昨夜のことは、一切口外するな。さもなくば、お前の命を断つ」
そう言いながら、彼は私に向けて、黒の軍服の袖口から一枚の金貨を滑らせた。
「これは、お前の献身への報酬だ」
「……金貨、ですか」
愛のない政略結婚。彼の愛ではなく、富と地位を求めた私への、彼なりの誠意だった。
「その顔はなんだ。お前は金に飢えた悪女ではないのか?」
「もちろんですわ」
私はすぐに悪女の仮面を被り直した。
「ですが、夜の看病という過酷な労働に対して、金貨一枚では安すぎますわね。次は、領地の権利書くらいを要求させていただきます」
私は高慢に笑い、金貨を受け取った。ゼフィールは一瞬、眉間にしわを寄せたが、すぐにフッと笑いをこぼした。
「相変わらずの強欲さだ。いいだろう。期待している」
彼はそう言って、冷たいキスを私の額に落とし、そのまま竜騎士団の仕事へと向かっていった。
昼過ぎ。
私は侯爵家から持ち込んだ資産の整理のため、王都の下町に近い商業区へ向かっていた。
ゼフィールは私に、護衛として騎士を付けることを拒んだ。
「お前は俺の妻だ。俺の女を狙う愚か者はいない」
と、彼は私自身の安全すらも、自分の力の証明として扱っているようだった。
馬車から降り、人ごみの中を歩いていると、ふと、路地の奥から子供たちの甲高い笑い声が聞こえてきた。
「団長、ありがとう!」
「また来てね!」
団長? まさか、この下町で?
好奇心に負けた私は、人目につかないように路地の陰に身を潜めた。
そして、目撃した光景に、私は思わず息を飲んだ。
路地の奥には、簡素な建物が建っており、そこから十数人の孤児たちが顔を出していた。その孤児たちの中央に、黒いローブを深々と被り、顔を隠したゼフィール・クロムウェルが立っていたのだ。
彼は、いつもの黒い軍服ではなく、平民の服を身に着けていたが、その威圧的な体躯は隠しようがない。
ゼフィールは、子供たち一人ひとりに、パンと、小さな焼き菓子、そして一袋の銀貨を配っていた。
「風邪をひく前に、新しい服を買う金だ。誰にも見せるな」
彼の声は、昨夜私に向けられた声と同じ、低い声だった。しかし、その声には、宮廷で聞く冷徹な響きも、私に見せる独占的な情熱もなく、純粋な優しさと、静かな安堵が混ざっていた。
私は知っている。彼は竜の血を引く異端者として、国内で最も嫌悪され、恐れられている。その彼が、貧しい孤児たちに、秘密裏に支援を行っていたのだ。
「ラスボス……が、慈善活動?」
ゲームのシナリオにも、宮廷の噂にも、そんな設定は存在しない。ゼフィールは、極悪非道の冷血漢という仮面を被ることで、誰にも知られることなく、この国で最も弱い存在を守っていたのだ。
私の心が、激しく高鳴った。それは恐怖ではない。彼の"真実の素顔"を知ってしまったことによる、罪悪感と、強烈なドキドキだった。
彼は、私が演じた"冷酷で強欲な悪女"とは真逆の存在だった。
彼の強大な力は、弱い人々を守るために使われていたのだ。そして、その裏の顔を守るために、彼は敢えて"ラスボス"として恐れられることを選んでいた。
「……やはり、あなたは恐ろしい。これほど大きな秘密を、誰にも明かさずに……」
私はゼフィールのギャップに、完全に魅了されていた。
その時、一人の孤児がゼフィールのローブの裾を掴み、彼に何かを尋ねた。ゼフィールはしゃがみ込み、その小さな頭を優しく撫でた。
「大丈夫だ。お前たちは、俺が必ず守る」
その優しい笑顔は、私がこれまでに見た、王太子や他の貴族たちの作り物の笑顔とは違い、純粋で、温かかった。
私はその光景を目に焼き付けた。
「私も、あなたとこの秘密を共有する共犯者となる。愛のない契約妻として、この美しい秘密を守ってみせますわ」
私はそう心に誓った。
孤児たちとのやり取りを終えたゼフィールが、路地から出ようと顔を上げた、その瞬間だった。
私は慌てて身を隠したが、私の華やかなドレスの裾が、路地の石畳にわずかに触れて音を立てた。
ゼフィールはピタリと足を止め、私が隠れていた路地の陰を、冷徹な狩人の目で鋭く見つめた。
彼の顔には、一瞬にして、"優しさ"の仮面が剥がれ落ち、いつもの"冷酷なラスボス"の仮面が戻っていた。
「……誰だ」
低い声が、まるで威嚇のように響く。
私は息を殺し、心臓の音を抑え込む。ここで見つかれば、彼の"秘密"を知ったがために、命はないかもしれない。
ゼフィールは数秒間、その場を動かなかった。しかし、やがて何も見つけられなかったと判断したのか、無言で踵を返し、人ごみの中へと消えていった。
彼の姿が見えなくなってから、私はようやく胸を抑えて息を吐いた。
「危なかった……。これが、ラスボスの秘密を覗いた代償、かしら」
私の心には、ゼフィールへの恐怖ではなく、もっと深く、強い感情が芽生えていた。
(第7話・了)
(次話予告:【共犯者の妻】団長の屋敷での夜〜秘密を共有した夫婦の甘い抱擁〜)
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