第3話:【契約】ラスボス団長との政略結婚〜愛はないが、地位と命は守られる?〜
黒の竜騎士団長、ゼフィール・クロムウェルの低い声が、部屋の空気を震わせた。
「俺の妻になれ」
その言葉は、求愛ではなく、命令だった。
私は目の前の巨躯を見上げる。冷たい仮面の下の表情は読み取れないが、彼の碧色の瞳には、一切の迷いがない。まるで、獲物を前にした捕食者のような、強い意志だけが宿っていた。
「……団長、ご冗談を」
私は笑おうとしたが、声が震える。
「わたくしは、王太子殿下の婚約者ですわ。それに、団長はご存知でしょう? わたくしは愛のない、金と権力に飢えた悪女ですよ」
「知っている」
ゼフィールは一歩、私との距離を詰めた。その瞬間、彼の纏う冷気が、私の肌を刺す。
「先日の庭園でのお前の冷酷な言動、そして老執事を切り捨てたときの薄情さ。全て、知っている」
私の"悪女"としての振る舞いが、全て彼の耳に入っていた。しかし、彼はそれを責めない。
「だからこそ、だ」
ゼフィールはそう言って、初めて明確に、求婚の理由を口にした。
「俺に必要なのは、王族の甘い言葉に惑わされず、地位と権力を冷静に見定める冷徹な配偶者だ」
「冷徹な配偶者……」
「俺は、国王陛下直属の騎士団長でありながら、竜の血を引く異端として、常に宮廷の監視下に置かれている。貴族の令嬢たちは、俺の力は恐れても、その異端な血を嫌悪する」
ゼフィールの声には、孤独と、諦念のような響きがあった。
「だが、お前は違う。王太子すら切り捨てるほどの強欲さを持つお前なら、俺の異端な血など、些細な問題だろう。地位と富さえあれば、お前は俺の側にいる。それで十分だ」
――そういうことか。
彼は、自分の立場を理解し、愛ではなく利益で結びつく妻を探していたのだ。そして私の演じた"愛のない悪女"の振る舞いが、彼の目には最も信用できる証拠に見えたらしい。
私は急速に頭を回転させた。
【現状】
王太子アルベール殿下との婚約は、確実な破滅フラグ。
婚約解消には、王家からの地位の剥奪、家門の没落が伴う。
ゼフィールは"ラスボス"だが、王族ではない。彼の妻になれば、王太子の支配圏から脱出し、婚約解消の代償を回避できるかもしれない。
「……面白い」
恐怖はあった。だが、それよりも生き残るという強い意志が勝った。
「団長、あなたの提案、受け入れましょう。ただし、条件があります」
私は悪役令嬢の仮面を被り直し、冷酷な目でゼフィールを見据えた。
「わたくしたちの結婚は、あくまで政略です。そこには愛などという不確かな感情は一切存在しません。わたくしは団長に侯爵家の後ろ盾と社交界での地位を差し上げる。その代わりに、わたくしはあなたの地位と力、そして富を最大限に利用させていただきます」
「ああ」
ゼフィールは簡潔に頷いた。
「わたくしの目当ては、あなたの愛ではなく、あなたの持つ強大な力。それは、王太子の断罪からわたくしを守るに足る力だと理解していますわ」
「それで構わない」
ゼフィールは一歩踏み出し、私の顎を指先で軽く掬い上げた。その指先から伝わる熱と、その体格からくる威圧感に、私の心臓は警鐘を鳴らし続ける。
「お前が愛を求めないというのなら、好都合だ。俺の心は常に冷静でなければならない。だが……」
彼の低い声が、わずかに熱を帯びたように感じた。
「お前は俺の妻となる。愛はなくとも、責任は伴う。お前の体と心は、俺だけのものだ。他の男の影をちらつかせるような真似は許さない。これは契約に含まれる」
「……っ」
その言葉は、まるで所有物への執着を宣言しているかのようだった。彼の強い視線は、私の碧い瞳の奥まで見透かそうとしている。
「承知しました。わたくしは、裏切りのない、最も強欲で美しい悪女の妻になりますわ」
「結構」
ゼフィールは私の顎から指を離し、再び冷徹な仮面の下に戻った。
「では、準備を整えろ。婚約成立の報は、明日には王宮に届く。王太子殿下への挨拶は、俺が共に行く」
彼はそう言い残すと、驚くほど静かに私の部屋から去っていった。
ドアが閉まると同時に、私はソファに崩れ落ちた。
「ラスボスとの政略結婚……? これで王太子との破滅ルートは回避できた。でも、今度は最強の男を夫にしてしまった」
王太子の断罪からは逃れたかもしれない。しかし、その代わりに、私はこの世界で最も恐れられる竜騎士団長の所有物となったのだ。彼の「お前の体と心は、俺だけのもの」という言葉が、まるで呪文のように脳裏に響く。
それは、愛のない契約のはずなのに。
(第3話・了)
(次話予告:【王宮激震】元婚約者、王太子アルベール殿下を公開で切り捨てる)




