第1話:【転生】最推しゲームの悪役令嬢になりました
「ええい、早く私を部屋へ運びなさい!」
キンと耳障りな声が、頭に響く。
この声、聞き覚えがある。それも、痛いほど鮮明に。
私は、使用人たちに担ぎ上げられる形で、豪華絢爛な侯爵令嬢の自室へと運ばれていた。額には冷たいタオルが当てられている。どうやら、階段を踏み外し、気を失っていたらしい。
体を起こすと、目の前に化粧台の鏡があった。
――見慣れた、知らない顔。
真っ白い肌に、燃えるような朱色の髪、そして意志の強そうな碧色の瞳。身にまとう絹のドレスは、最新の流行を取り入れた高価なものだ。
「……セシリア・ローゼンタール?」
思わず、口から出たのは、私の前世の名前ではない、別の名前だった。
セシリア・ローゼンタール。
この体は、私が前世で熱中していた恋愛ファンタジーゲーム『花冠の乙女と五人の騎士』の登場人物。そして、間違いなく、悪役令嬢だった。
私は混乱を抑え、鏡の中の自分をまじまじと見つめる。
そうだ。私は、残業続きで朦朧とした頭で、新作ゲームの発売日を指折り数えていた、ただのしがないOLだったはずだ。それが、どうしてこの、完璧すぎるほどの悪役令嬢の姿に……?
前世の記憶が鮮明に戻ってきた瞬間、私は背筋に冷たいものを感じた。
このゲームの悪役令嬢セシリアは、高慢ちきで傲慢な性格が災いし、最終的にはヒロインを虐げた罪で、婚約者である王太子に断罪され、家ごと没落、国外追放という悲惨なバッドエンドを迎える運命なのだ。
今はゲーム開始の三年前。セシリアが王太子に夢中で、ヒロインに嫌がらせを始める、まさに"破滅ルート"の入り口だ。
「マズい……このままでは、あの断罪イベントが発動してしまう」
震える手で頬を覆う。この世界に転生してしまった以上、あの地獄のような結末だけは絶対に避けなければ。国外追放はともかく、慣れない異世界で路頭に迷うなど、OL時代より辛い。
「……セシリア様、まだ顔色が優れませんわ。少し休まれては?」
心配そうに侍女が声をかけてくる。優秀で献身的な侍女だ。悪役令嬢にも優しい、なんて、セシリアの悪女ぶりが際立つ設定も思い出して、思わずため息が出た。
とにかく、生き残るためには、ゲームのシナリオを根本から変える必要がある。
そして、セシリアの最大の破滅フラグは、王太子への執着だ。
王太子はヒロインと結ばれる運命。その邪魔をしたからこそ、セシリアは断罪される。ならば、私が王太子から手を引けばいい。
だが、ただ手を引くだけでは、高慢な侯爵令嬢の"セシリア"は納得しないだろう。この世界の人々は、セシリアが王太子を愛していると信じ切っている。
「……ふふ、決めた」
私は鏡の中の悪役令嬢の顔で、不敵に笑ってみせた。
「破滅を避けるためには、悪役令嬢の座を降りる、のではなく、悪役令嬢の役割を全うするしかない」
ゲームのセシリアは"悪女"になりきれていなかった。ただの嫉妬深い、幼稚なワガママ娘だったから、周囲も助けてくれなかったのだ。
これからは、私の前世の知識と、この侯爵令嬢の持つ地位を最大限に利用する。王太子が心底愛想を尽かすような、そして、誰も私に干渉しようと思わないような――"筋金入りの悪女"を演じきってやる!
――そう、この世界で"悪役令嬢"の役割を演じきれば、やがて王太子は自ら私を切り捨てるだろう。それは"断罪"ではなく、"婚約の解消"に変わるはずだ。
私はその日の夕食後、すぐに王太子に手紙を届けさせた。内容は、次の王家主催のティーパーティーでの面会を求めるものだ。
__________
数日後。王宮の庭園。
「セシリア、先日は階段で転倒したと聞いた。体はもう良いのか?」
王太子アルベールは、相変わらずの甘い笑顔で私に気遣いの言葉をかけてくる。彼は、ゲームではヒロインにだけ一途な好青年だ。現在の私にとって、彼は破滅を呼ぶ"疫病神"でしかない。
私は上品に微笑む"セシリア"の仮面を被り直し、冷淡に言い放った。
「ええ、殿下のご心配に及びませんわ。それよりも本日は、今後の私たちの関係について、明確にしておきたいことがありまして」
「……明確に?何だ?」
アルベール殿下の眉が、かすかに動く。
私は、ここで彼を怒らせてはならない。あくまでも"愛が冷めた傲慢な女"を演じなければ。
「殿下、わたくしはもう、あなたに"愛"を感じていませんの」
「な……!?」
殿下は目を見開いた。周囲の侍従たちも息を飲んでいる。予想通りの反応だ。
「そもそも、この婚約は侯爵家と王家との政略でしかありません。わたくしは侯爵令嬢として、王妃の座に必要な地位は差し上げますが、愛などという不確かなものは提供できません」
突き放すような口調でそう言い切る。演技とはいえ、胸が少し痛んだ。前世の私が、このセシリアの境遇に感情移入していたからだろう。
「な、何を言っているんだ。セシリア、君はいつも私を慕ってくれていたではないか!」
「それは過去の話ですわ。わたくし、最近気が付いたのです。殿下に執着する時間がもったいないと。わたくしは、あなた様の隣に座るにふさわしい完璧な王妃となることにしか興味がありませんの。愛などという情熱は、ヒロインにでも差し上げればよろしいでしょう?」
"ヒロイン"を、あえて強調する。
アルベール殿下は困惑と怒りで顔を真っ赤にしたが、周囲の目があるため、大声は出せない。彼は私の突然の変化に、動揺を隠せないでいた。
「セシリア……君が一体何を考えているのかわからないが、婚約を解消するつもりはない。王家の決定だ」
「それはもちろん存じ上げておりますわ。ですが、わたくしは愛のない妻として、冷酷に義務を果たすだけです。覚悟なさいませ、アルベール殿下」
私は高慢に鼻で笑い、立ち上がった。これで、王太子の私への気持ちは確実に冷えたはずだ。
――これで、私は破滅ルートから外れた。後は、王太子がヒロインを見つけ、私を疎ましく思うのを待つだけ。
侯爵令嬢セシリアは、"冷酷で強欲な悪女"を演じきる決意を胸に、庭園を後にした。
しかし、その時、私は全く予期していなかった。ゲームのシナリオには存在しない影が、庭園の隅から私を静かに見つめていたことに。
黒い軍服を纏い、顔の半分を仮面で覆い隠した、無骨な男。
黒の竜騎士団長、ゼフィール・クロムウェル。
彼は、王宮でも"冷酷なラスボス"として恐れられ、近寄る者すらいない、最強の騎士団長だ。
彼の碧色の瞳が、庭園を去る私の姿を、どこか獲物を見定めたように、冷たく鋭く射抜いていた。
(第1話・了)
(次話予告:【ラスボス登場】黒の竜騎士団長は、私の「悪女」ぶりをどう評価する?)




