将来ラスボス化する男の子に一生懸命話しかけたら最初は無視をされたけど闇堕ち阻止のためにあなたは一人ではないと伝えたら
目が覚めると見慣れない天井がそこにあった。木組みの素朴な梁。優しい光が差し込む小さな窓。ここはどこだろう?
前世の記憶が洪水のように押し寄せる。トラックに轢かれたこと。意識が途絶える直前の強い衝撃。
ああ、ここは前世で夢中になって読んでいた異世界恋愛ファンタジー小説、運命の螺旋と黒曜の騎士の世界だ、と。主人公は自分。キュメリア・エルフィン。
平凡な人だったはずが物語のヒロインの親友、というませたお嬢様令嬢に転生してしまったらしい。物語のヒロインのクリアナは心優しい男爵令嬢。
今、最も警戒しているのは彼女の婚約者である漆黒の瞳を持つ美少年、カイルータ・バルドウィン。カイルータは物語のラスボスとなる男。
幼い頃の悲惨な経験から心を閉ざし絶望の中で強大な力を手に入れ、世界を破滅へと導く存在なのだ。闇落ちを防ぐことこそ転生した使命だと本気で思う。現在、十三歳。カイルータは確か十五歳。
物語が大きく動き出すのは彼が王立学園に入学してからで、それまでの猶予はあとわずか。幸いなことにエルフィン家は王都でも有数の名家。
クリアナの実家、アッシュフォード家とも親交がある。カイルータと接触する機会はきっとあるはず。
初めてカイルータと顔を合わせたのはアッシュフォード家の庭園。クリアナに連れられて行ったお茶会で木漏れ日がキラキラと舞う中で、彼は一人離れた場所に立っていた。
噂通りの美しさ。黒曜石のような瞳は深く、どこか憂いを帯びている。整った顔立ちには年不相応なほどの陰。
「カイルータ様、キュメリアです。クリアナとは幼馴染でして」
緊張しながら声をかけると、彼はゆっくりとこちらを向いた。視線は冷たく、認識していないかのよう。
「……」
無言のまますぐに視線を外した。挨拶すら返してくれないなんて。これが未来のラスボス。それでも諦めるわけにはいかない。闇落ちの原因は、過去の出来事にあるはずなのでそれを探り、心の傷を癒すことができれば未来は変えられるかもしれない。生きるために。
それからというものカイルータを見かけるたびに、積極的に話しかけるようにした。好きな本の話。興味のありそうな歴史の話。時には、くだらない冗談を言ってみたりも。
最初は完全に無視されていたけれど、根気強く続けるうちにほんの少しだけ反応が返ってくるようになった。
「……そうか」
「別に」
といった短い言葉だけれど、大きな進歩だ。
ある日、学園の図書館でカイルータを見つけた時に、難しい歴史書を読んでいた。隣の席に座り、別の本を開く。沈黙が流れる中、意を決して話しかけた。
「カイルータ様は、歴史がお好きなんですね」
顔を上げ、少しだけ驚いたような表情を見せた。
「……興味があるだけだ」
「歴史は、悲しい出来事も多いですけれど、人々の強さも感じられますよね」
彼は何も言わなかったけれど、漆黒の瞳の奥にほんのわずかな揺らぎが見えた。
それから、図書館で時々顔を合わせるようになったし、言葉を交わすことは少ないけれど同じ空間にいることに、以前のような張り詰めた空気はなくなったように思う。
そんなある日、学園でいじめられている子を見かけたのは、陰湿な言葉を浴びせられ、地面に突き倒されている光景。見過ごすことができず、すぐに駆け寄った。
「やめてください!」
いじめっ子たちは、顔を見て舌打ちをした。
「なんだ、お嬢様か。関係ないだろ」
「関係あります!人を傷つけるような真似は許しません!」
毅然とした態度で言い返すと、いじめっ子たちは面倒くさそうにその場を離れていった。倒れていた子に手を差し伸べると怯えたように顔を上げる。その時、背後から低い声が聞こえた。
「……大丈夫か」
振り返ると、そこにカイルータが立っていた。彼は、いじめられていた子を静かに見下ろしている。驚いた、カイルータが他人に関わるなんて。いじめられていた子はカイルータの姿を見てさらに怯えたように震えた。
「だ、大丈夫です……」
カイルータは何も言わず、その場を立ち去ろうとしたが慌ててその背中に声をかけた。
「カイルータ様、ありがとうございました」
足を止め、振り返らずに呟く。
「……別に。たまたま通りかかっただけだ」
言いながらも耳がほんの少しだけ赤くなっているように見えたのは、気のせいだろうか。この一件以来、カイルータとの間に、ほんのわずかな変化が生まれた気がする。
以前よりも、表情が柔らかくなったような。時折、ほんの少しだけ視線を向けてくるような。
学園の祭りの日。クリアナと一緒に模擬店の準備をしていた。賑やかな喧騒の中、ふと視線を感じて顔を上げると少し離れた場所にカイルータが立っている。
一人、祭りの喧騒とは無縁のように、静かにあたりを見渡している姿は、どこか寂しそう。意を決して彼に近づいた。
「カイルータ様、何か見ていかれませんか?手作りのクッキー、美味しいんですよ」
少し驚いたようで。
「……お前が作ったのか」
「はい。もしよかったら、一緒に回りませんか?」
沈黙の後、小さく頷いた。信じられない。あのカイルータが、一緒に祭りを見て回るなんて。ぎこちないながらも祭りの屋台を見て回った。
金魚すくい。射的。お面屋さん。
カイルータは特に何かを買うわけではなかったけれど、興味深そうに足を止めていた。休憩しようとベンチに座ると、カイルータはふいに口を開く。
「……お前は、なぜ俺に話しかけるんだ」
問いに少し戸惑った。正直に話すべきだろうか。
「……カイルータ様は、とても聡明で、優しい方だと思っていますから」
それは、嘘ではなく奥底には、きっと優しい心が隠されていると信じているから諦めずに向き合ってきたのだ。カイルータは言葉に少しだけ目を丸くする。
「優しい、か……」
どこか自嘲的。
「過去に、辛いことがあったと聞きました。でも、過去は変えられなくても、未来は変えられます。私は、カイルータ様が、幸せな未来を歩んでほしいと思っています」
カイルータは深く目を伏せ、長い沈黙が流れる。相手はゆっくりと顔を上げた。漆黒の瞳には、これまで見たことのない、かすかな光のカケラ。
「……お前は、変わった女だな」
それは、批判の言葉ではない。ほんの少しの興味と、戸惑いが混じったようなそんな声音。祭りの後もカイルータに積極的に話しかけ続けた。
好きな本を一緒に読んだり、学園の庭園を散歩したり。言葉を交わすうちに少しずつ、心の壁が崩れていくのを感じた。
過去の辛い経験をぽつりぽつりと語ってくれる。両親を早くに亡くし、親戚に冷遇されたこと。誰にも頼ることができず、孤独の中で生きてきたこと。
言葉に耳を傾けた。悲しみに寄り添い、痛みを分かち合いたいと思うから。
雨の日、図書館でカイルータを見つけたら、窓の外の雨を物憂げに見つめていた。
「雨、嫌いですか?」
そっと声をかけると、向こうはゆっくりと振り返る。
「昔、雨の日に、嫌なことがあった」
「そう、なんですね……もしよかったら、話して……くれませんか?」
しばらく躊躇した後、ぽつりぽつりと語り始めた内容。幼い頃、雨の中で一人ぼっちで泣いていたこと、誰も助けてくれなかったこと。雨の音を聞くと孤独が蘇ってくるのだと言う。
隣に座って、震える手に自分の手を重ねた。
「もう、一人じゃありませんよ。大丈夫ですからね」
驚いたように見た瞳は濡れていた。雨のせいではない、温かい涙。
「ああ……ありが、とう」
声はかすれて震えていた。以来、カイルータは少しずつ変わっていく。以前のような鬱々とした影を潜め、穏やかな笑顔を見せるようになった。
他の生徒とも少しずつ言葉を交わすようになったみたい。大きな変化はクリアナとの関係。以前は表向きな婚約者というだけだった二人に、穏やかな態度が芽生え始めていた。
カイルータが、クリアナの優しさに、少しずつ心を開き始めたのだ。物語の事件となる出来事の一つに、カイルータが窮地に陥る事件がある。
それは、彼が王立学園に入学して間もない頃に起こるはずだ。その事件が起こる前に、手を打つことにした。
エルフィン家を使い、身辺警護を強化したおかげで、物語通りに罠に嵌められることはない。事件は未然に防がれ、カイルータが絶望に打ちひしがれることもなかった。
春が過ぎ、夏が来る。学園の庭園には、色とりどりの花が咲き誇っている中でカイルータと二人で木陰のベンチに座っていた。
「あの時、キュメリアが助けてくれなかったら、今の俺はどうなっていただろうか」
遠い目をしながら言う。
「カイルータ様は、一人で抱え込みすぎです。もっと周りの人を頼ってもいいんですよ。クリアナ様も、アッシュフォード家の皆様も、私も」
男は優しく微笑んだ。
「ああ。そうだな」
漆黒の瞳にはもう絶望のような色はなかった。代わりに穏やかさが。未来は、まだわからないけれど少なくとも、絶望に満ちたラスボスの姿はもうそこにはないだろう。隣でゆっくりと立ち上がった。
「行きましょうか。クリアナ様が、私たちを探しているかもしれませんし」
カイルータも立ち上がり、隣に並んで歩き出した。横顔は穏やかで、眩しい希望に満ちていた。空にはどこまでも続く青い空が広がっている。この世界に転生して、本当に良かった。
闇落ちを止めることができたかどうかはまだわからないけれど、彼の中に平穏が生まれたのだから。
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