代償
最初の通報は「公園で複数の奇形生物が人を襲っている」という、あまりに現実離れした内容だった。
無線は次々に、似たような情報で埋まっていった。
交番の警察官はいつものとおり「急行」する。
公園のベンチに座る老夫婦を襲った影。
現場までは数百メートル。
通勤ラッシュで混んだ歩道を走ると、視界に血の塊と、硬直した奇形の犬が入る。
同じ数分のうちに、別の110通報が来る。
郊外の路上で「犬か何かに子供が襲われた」の通報。
受けたオペレーターはいつも通りの質問を読み上げるが、通報者の声が途切れ途切れで、周囲に複数の断末魔が聞こえる
「こちら通信指令。公園通り交番、110番通報。高齢者負傷。動物による襲撃との通報。至急確認せよ。」
「了解急行します。」
「現場到着。負傷者2名確認。出血多量。至急救急車要請。付近に動物確認、犬?動きが速い!うわぁ!」
「どうした?応答せよ。応答せよ。付近をパトロールしている隊員に救援要請する」
「救急2号車到着。負傷者3名。咬傷確認。出血多量、意識なし。」
「うぉ!なんだ!この犬噛みついて…」
「○○駅、こちら快速312号。ホームでトラブル発生。人が倒れている。救急要請する。」
「犬のようなものがホームを走っている。」
「……犬?」
「人に飛びついている!」
悲鳴が大きくなった。
「ドア閉鎖。車内安全確保。」
「外に人が倒れてるぞ!」
「何だあれ……!」
「お客様にお知らせします。現在ホームで緊急事態が発生しています。安全確保のため車内で待機してください。」
小さな町でも郊外でも同じ光景が繰り返される。
住民はパニックに近い恐怖を抱き、通行は止まり、SNSには血の映像と叫びが溢れた。
先に到着した警官は目を疑った。
血だらけのジャケット、床に散らばる子供のぬいぐるみ。
だがその視線は、“小さな人影”へと釘づけになっていた。
ただの獣ではなかった。
身長は子どもほどだが、姿勢は人間のそれに近く、筋肉は異様に引き締まっている。
頭髪はなく、耳は尖り、肌は煤けた緑色。
右手には古びた短剣、左手には木製の棍棒のようなものを振っている。
目の光は狡猾で、口元には鋭い歯がちらついていた。
ゲームや物語に出てくるゴブリン。
今目の前にいるのは、武器を手にし、人を襲った事実がある「危険な個体」だ。
ゴブリンは一度身をかがめるようにして唸った。
短剣をぎゅっと握る。
近くにいた民間人が固まり、震えた声で「やばい、こっち来る!」と叫ぶ。
警官は無線に急報する。
「対象は武装個体。手には短剣のような物を所持。現在一対複数の危険あり。応援要請、至急。」
「了解。現在全パトロール救急出動中であり応援には時間がかかる。」
距離を取りながら、拳銃を腰から抜く。
拳銃を両手で構え、腰を落として安定させる。
眼前の咄嗟の光景を、訓練で叩き込まれた判断基準に当てはめる。
(相手は短剣を所持、接近すれば致命傷を与えうる。射程は数メートル。市民が周囲にいる。まずは言葉で制止、それが不可能ならば致命的な危険を防ぐための発砲――しかしこの事案に当てはまるのだろうか?)
「警告! これ以上近づけば発砲する! 動くな!」
警官の声は出来るかぎり冷静に、しかし明瞭に出された。
ゴブリンは低い咆哮とともに攻撃態勢に入った。
短剣を振り上げ、前へ跳ぶ。
距離は一気に縮まる。
民間人は各々逃げ出すが足をもつれさせ倒れこむ人も居る。
警官は撃つタイミングを決める。
狙撃訓練で教わった通り、急所を狙うのは最後の手段だ。
しかしこの場合、他に選択肢はなかった。
相手は刃物で接近を仕掛け、周囲に民間人がいる。
「発砲! 発砲する!」
警官の合図とともに二度、三度と乾いた銃声が響く。
最初の弾はゴブリンの腹部を穿ち、相手はもつれ倒れる。
だが倒れた直後、まだ手の短剣を握ったまま跳ね上がろうとする気配があり、巡査は連射で胸部を撃ち抜く。
やがて、ゴブリンの動きはゆっくりと止まる。
空気が凍るような静寂が生まれ、遠くで車のクラクションが鳴った。
警官は震える手で安全装置をかけ、腰に戻す。
警察無線がすぐに鳴る。
「こちら指令。現場状況を報告せよ!」
警官は短く、正確に答える。
「未確認生命体武装しており、民間人への被害拡大の恐れあり、警告ののち射撃対象停止。市民数名負傷。現場に残存の複数個体の可能性あり。応援要請を継続。」
警官の身体が震える。
現場の映像と被害報告は都道府県を飛び越え、中央へと届いていく。
午前中の段階で、地元警察本部はただちに都道府県警本部、次いで本省の対策課へ報告を上げた。
スマートフォンの画面を通じて瞬く間に世界中に拡散していく。
都内でも局地的な襲撃が拡大し、交番だけでは手が足りない。
街の防犯カメラは次々と異形の姿をとらえ、沿岸部や郊外の路上では小規模ながらも致命的な被害が確認された。
警察署の執務室は、外の騒音とは別種の静けさに支配されていた。
モニターに映るライブ映像のフレームごとに映る惨状が、空気を重くする。
壁の時計の秒針が規則正しく刻む音だけが、絶え間なく聞こえる。
署長の机の上には、さっきまで争うように飛び込んできた報告書の山。
現場の無線記録、救急搬送の一覧、通報された動画のキャプチャ。
画面の端には、発砲した若い警官の映像が止まったまま映っている。
警官の顔は青ざめていた。
署長はその目を見て、自分の胸の中に沈む重さを確かめた。
担当の警務課長を呼んだ。
声は低かったが、命令に迷いはない。
「課長、現場の最新を。被害は?」
課長が差し出す紙片をなめるように目で追う。
被害者数、被害状況。
「拳銃弾で停止した個体」「拳銃では効かない硬質の個体が確認された」という二律併記が、赤いボールペンで強調されていた。
被害が拡大していく。
現場は大混乱。
人手が足りない。
「路地の狭さ、住宅密集、避難民の数を考えれば、個人の発砲で対応を続けるのは自殺行為です。市民の安全を優先するなら、より精密に、より装備された部隊が必要です」
誰もが何をしていいかわからない。
署長は握りしめたペン先が小さく震えるのを感じた。
「わかった。特殊機動隊に出動を要請する。今すぐ書け」
課長がパソコンを立ち上げる。
署長は口述した。
「件名:特殊装備・特殊武装部隊出動要請(緊急)。発出日、現在時刻。発出者、○○警察署長。宛先、都道府県警本部長。現場は○○市○○町の公園周辺、住宅地。一部路地で武装個体の群が発生し、通報多数、負傷者多数。現場は狭隘で民間人密集。拳銃・警棒等の現行装備では制圧が困難。拳銃が有効であった個体と、弾を弾く硬質個体が混在。即時の特殊部隊投入を要請する。要請装備:精密狙撃チーム(暗視・熱感知装備含む)、機動突入チーム(防弾シールド、侵入装備)、非致死性制圧工具(閃光・催涙)、医療・救護連隊の同行、証拠保全班。到着目標:要請後2時間以内。任務は住民保護、残存個体の制圧、避難誘導、救護所の警護。指揮系統は現場署長と特殊隊長の相互連携。理由:市民の生命に差し迫る危険が存在し、現場の通常武器では被害を防げないため。」
課長が文字を打ち込み、署長はその画面に目を走らせる。
「法的根拠も明記しておけ。刑法の正当防衛・緊急避難の適用可能性、警察官職務執行法に基づく職務執行の必要性、緊急事態につき上位機関の迅速審議を求める文言を。出動に伴う民間被害の最小化方針と、使用可能弾薬の種別についての協議要請も付けてくれ。」
課長は頷き、打鍵を速める。
数分後、応答音が戻る。
スクリーンの文字列が白く点灯する。
「△△県本部、受領。特殊機動隊に展開を指示。到着は最短で約一時間半、ただし交通状況による。弾薬・装備は別途調整。現場連絡は現場指揮官と調整せよ」




