代償
スマホに表示された数字が早く時を刻んでいるかのように見える。
もう二十数分しかない——胸の奥が冷たくなると同時に、動かなければという衝動が体を突き動かした。
「授業にはまだ時間あるけど、どうするんだ?」
優斗が、首をかしげながら訊く。
迷っている猶予はない。
先ほどの駅でぶつかった女性、霧島レイナ。
「霧島さんは学校の見学だったよね? 事務所はあっちだから。」
彼女が指差した先を確認すると、事務室の窓際に受付の張り紙が見える。
霧島は軽く会釈して歩き出した。
「ありがとうございます。もし受かったら先輩ですね? その時はよろしくお願いします」
振り返りざまに一度深くお辞儀をし、事務所の扉に吸い込まれていく。
霧島を見送ると、勝樹は優斗に向き直った。
「もう少しで綾の授業も終わる。優斗は綾と一緒に体育館に来てよ」
「体育館? 授業は別の教室だぞ?」
優斗は不思議そうに眉を寄せる。彼にはまだ状況を説明するわけにもいかない。
勝樹は口元を引き締めて頷いた。
「わかってるって。ちょっと用事があるからさ。ちゃんと綾連れてきてよ?」
優斗は渋々とした顔をしたが、すぐに目を細めて冗談めかす。
「お前、まさか。分かった安心しろ、綾は俺が連れてくる。当たって砕けろ!」
優斗は慌ただしく教室の方へと走り出す。
なんかよく分からない事を言っていたが優斗の背中を見送る。
体育館へ向かう道は、いつもより足取りが早い。
石畳が靴底の裏で鳴る音が、自分の鼓動と同期するようだった。
途中で見かける生徒たちは何も知らず、談笑しながら教材を抱え、ただいつもの一日を生きている。
その無垢さが、逆に胸の中の恐怖を深くする。
体育館の扉を押すと、冷たい空気が肌を撫でた。
中は午後の太陽が高い窓から差し込むが、今日はどこか鈍い光に感じられる。
授業で使われていないため誰もいない。
勝樹はためらわずに倉庫の扉へと向かった。
あの倉庫には、体育器具のほかに古い金属バットや折畳み椅子、跳び箱など、即席の武器になり得るものが鎮まっているはずだ。
扉を引くと、埃っぽい匂いと古いゴムのにおいが混ざって鼻を突く。
倉庫の中は雑然としているが、彼の目は自然と必要なものだけを探し出した。
重い金属バットを肩にかけ、摩耗したロープを数本ほど引き出す。
跳び箱を数個縦に積み、折り畳み椅子を3列に並べて即席のバリケードの基礎を作る。
マットは衝撃吸収に使える——彼は頭の中で配置図を組み立てながら手を動かす。
時間は容赦なく減っていく。
「窓はここから割られやすいから…」と、無意識に呟きながら窓際のカーテンを引き下ろし、折り畳み机をその前に押し込む。
消火器を三箇所の出口近くに移し、暗闇でも使えるようマジックで大きく「消火器」と書き直す。誰でも一目で分かる工夫だ。
今の自分では魔物相手に単純な武力だけでは足りない。
そして即席の道具で可能な限りの隙を作ること——それが生存率を上げる。
倉庫の作業をしている間にも、外の校舎からは履物の音や先生の声が途切れ途切れに聞こえてくる。
遠くの木の葉が一瞬だけ止まり、鳥の鳴き声がひとつ消えた。勝樹は胸の中で短く息を吸った。
残り時間が数分、彼はスマホを見て冷や汗を流す。
どれだけ準備してもしたりない。
「優斗、綾を頼む」——何度も何度も、口にしなくても頭の中で繰り返す。
勝樹は倉庫から出し終えた道具を肩にかけ、体育館の中央へと足早に戻った。
扉の外、校庭の向こうに薄い風が走った。空の端が一瞬だけ暗くなり、彼の首筋を冷たい汗が伝う。
準備はまだ不完全だが、できることはすべてやった——そう自分に言い聞かせると、自然と背筋が伸びた。
静かに、しかし確実に、時間は迫っている。




