代償
アラームが耳を引っかいた。
慌てて飛び起き、布団を蹴散らすようにしてスマートフォンのスヌーズを叩き切った。
9時。
胸のあたりがキュッと締まる感覚――思考が一瞬、過去のあの光景に引き戻される。
瓦礫、血の匂い、魔物、優斗、綾。
あの古城の冷たい石床、マヤとのやり取りが胸に残っていた。
部屋を見渡すと、古城へとつながるあの扉があった。
戻った。
時間が戻った。
ヤマの言う「チャンス」が、現実になっていた。
だが、時間が無い。
今日は、綾の方が一限早いため彼女は大学にいる。
対して勝樹は綾より遅い授業のため遅く起きたわけだが、綾を助けるには今から大学に行くしかない。
スマホで連絡した所で信じてもらえないし、直接会ったほうが行動を変えられるはずだ。
しかし、そうなると優斗はどうなる?
優斗と駅で待ち合わせをして一緒に行く約束をしている。
悩んでいる時間が勿体ない。
優斗には早めに行こうと連絡をする。
急いで顔を洗い服を着て朝食を取る。
「何急いでるの?」
母親が不思議そうに声をかけてきた。
「母さん、今日は家から出ないで!何があっても外に出ないでね!」
「何言ってんのよ?」
勝樹の言葉に苦笑いを浮かべ取り合ってもらえなさそうだ。
「親父は?」
「仕事よ。」
親父にも連絡を残す。
外に出来るだけ出ないで、何かあった時は身の安全を第一に行動して。
タオル、簡易の包帯代わりになるもの、ライト、携帯の予備バッテリー、手袋、最低限を鞄に押し込んでいく。
バッグの重みが、心の重さに似ていた。
玄関を出る前に、もう一度母の顔を見た。
彼女は普段どおりこれから何が起こるか分からないいつもの笑顔。
ドアを閉め、自転車を蹴り出すようにして駅へ前回より一本早めの電車に乗るべく急ぐ。
駅前のコンビニでは、慌ただしくペットボトルの飲み物、高カロリーチョコ、缶詰、保存の効く物を買う。
バックは何時もより膨らんでいる。
電車に乗りスマホの時間を気にする。
親は大丈夫なのか?
魔物達が襲ってきたあの時間前に優斗と綾に合流できるだろうか?
打てる策は他に無いか?
最善策だったか?
魔物襲来まで残された時間は少ない。
車内で、勝樹は頭の中でシミュレーションを繰り返す。
時間的に綾と合流出来たとしても魔物襲来直前か少し前。
大学で篭城が良いかもしれない。
講義棟の配置、図書館の人の流れ、屋上への道。
綾の時間割と講義棟の場所、教室の番号。
綾は講義室にいる可能性が高い。
だとすれば、直行せずにまず学内の要所を押さえ、避難経路を確保した上で綾を確保――というのが理想だが、理想と現実は違う。
最短で綾と優斗の合流の方が良いか。
前回見た魔物を思い出す。
どんな姿、能力。
危険度を自分なりに整理する。
いつの間にか降りる駅についた。
足早に改札へ向かう。
人の波の中で目を凝らす。
改札近くで、優斗が見つかり大きく手を振る。
向こうも手を振り返してくれた。
背中に衝撃が走り、足元がもたついて膝から崩れ落ちた。
「うわっ!」
同時に、誰かの体重が自分の背に乗っかる感触。
慌てて体を起こすと、うつ伏せのまま自分の上に覆いかぶさっていたのは、見知らぬ女性だった。
短く切りそろえた髪。
小麦色の肌に、目鼻立ちの整ったハーフのような顔立ち。
さっと顔を上げると、慌てた声で彼女が謝る。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
彼女がすぐに体をどけ、散らばった荷物を拾い集め始める。
雑誌やパンフレットが足元にばらばらと広がっていた。
勝樹は手を伸ばしてそれらを拾い、ふと表紙に目が止まる。大学のロゴと見覚えのある校舎写真。
自分たちが通う大学のパンフレットだ。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえ、大丈夫です。怪我はしてませんか?」
勝樹は膝を擦りながら立ち上がり、素早く周りを見回す。
胸の奥で針が振り切れる音がして、時間の重さを思い出す。
「これからこの大学に行くんですか?」と、彼女が尋ねる。パンフレットを抱え直しながら、少しはにかんだように笑った。
「そうです。見学に行くつもりで」
「じゃあ、一緒に行きますか? そこの学生なんです」
彼女の視線が、優斗の方へ一瞬滑った。
またすぐに勝樹へ戻ってくる。
時間は待ってくれない。
綾は一限で既に大学にいるはずだ。
彼を急がせる心臓の鼓動が、足を早めろと命じる。
「本当にいいんですか? お言葉に甘えます。私、霧島レイナといいます」
「霧島レイナさん。俺は山田勝樹。よろしく」
彼女は小さく会釈をして、にこりと笑った。
その笑顔は、どこかしら人懐っこかった。
「じゃあ、行こうか。改札で優斗と合流して、それから一緒に歩こう」
「はい、お願いします」
そう答えた彼女の声に微かな安堵が混じるのが聞こえた気がした。
背中に手を回すようにしてバッグを調節し、勝樹は改札の方へ視線を戻す。
勝樹は小走りに距離を詰めながらも、ちらりとレイナの顔を横目で確かめる。
雰囲気ぎりぎり冷たくもあり、同時に妙に知っているような感触がした。
気のせいかもしれない。
三人は改札を抜け、駅前の雑踏へ足を投じる。
行き先は同じだが、心の向かう先は少し違っている。勝樹の中では時計の針がやけに気になり、足取りは自然と速くなる




