代償
上下左右がわからない暗闇。
まるで濃い海の底に沈み、海流に全身を委ねているようだった。
肺の奥が締めつけられ、身体の輪郭がじわじわと溶けていく。抵抗する力はなく、ただ「消える」という予感だけが確実に近づいてくる。
そのとき、流れに逆らうような手応えが胴体を引っ張った。意識にかかっていた圧が一気に減少し、半透明だった自分の縁取りが急速に鮮明になる。
「っはっ!」
大きく息を吸った。
喉が焼け焦げるように痛む。
死の手触りがまだ指先に残っているはずだったが、目の前には見慣れた景色。
古城の謁見の間が広がっていた。
天井の石、長く垂れた燭台、淡い影。
玉座にはいつものように、頬杖をついたヤマが目をつぶり休んでいた。
ヤマが勝樹に気づいたのか薄目を開ける。
勝樹を視界に捉えたが直に目を閉じた。
「生き返った?マヤが助けてくれたのか?」
ヤマは答えない。
まるで勝樹がそこに居ないかのように。
「なぁ?あの魔物は一体なんなんだ?ヤマがやったのか?おい、答えろよ。優斗が死んだんだぞ!」
大声を上げ謁見の間全体に響く。
ヤマの目が再びうっすらと開くと小さな声で話し始めた。
「そして貴様も死んだ。それで終わりだ。」
言葉は簡潔だった。
勝樹の胸に冷たい鉤が突き刺さる。
「でも!俺はここにいる!優斗を助けてくれ!何で魔物が出てきたんだよ?」
ヤマは明らかに冷たい視線を向けていた。
「沢山の人が死んだんだ。お前のせいなのか?」
静寂がほんの少し訪れた。
「だから貴様は『小僧』なんだよ。」
「なんだと?」
ヤマはその様子を斜めに見て、小さく嘲るように笑った。
「卑怯とは何も努力せず、産み出さず、不平不満を言うことしかできない者のためにある。以前そう話したのを覚えているか?今の貴様はまさに卑怯者だ。手を振り払い、何も学ばず、友を見殺しにして喚く。優斗とやらは小僧のせいで死んだ。そしてコイツもな。」
ホログラフィのように立体映像が空間に結ばれ、勝樹の目の前に場面が流れ出す。
映像には綾が映り、複数の男に囲まれていた。
手が伸び、掴むような影。
綾の叫び。
勝樹は全力で手を伸ばすように叫ぶが、映像の綾に触れることはできない。
手ごたえは幻のようにすり抜ける
「おい、なんだよこれ。やめてくれよ!綾にそんな事するな!」
綾にたかる男たちを殴るが感触がない。
「貴様の選択の結果だ。あと、数分すれば貴様は消えてなくなる。それまでソイツの姿でも見ていろ。」
綾の悲鳴が響く。
勝樹の身体が薄くなる。
悔しさ。
無力。
後悔。
自然と勝樹は土下座をしていた。
「お願いです、助けてください。」
ヤマは眠る。
「お願いします。助けてください。」
反応は無い。
勝樹の身体が更に薄くなる。
「なんでもします。だから、助けてください。チャンスを下さい。」
「ほぉ?『何でも』か。」
ヤマの目が開きオッドアイが光る。
「小僧、何でもだな?どれほどの代価を厭わぬか?」
本能がやめろと叫ぶがそれをねじ伏せ、か細い声で答えた。
「何でもします。だから助けてください。」
「いいだろう。チャンスをくれてやる。ただし、全ては対価だ、有効に使うがいい。…代償に大量の血を集めろ。」
勝樹は耳を疑った。
何の血を? どれほどの量を?
何にしてもそれがヤマの条件。
「どれくらいの量ですか?」
「言っただろ?大量だ。質は問わない。魔物の血、人の血、混じっていようが構わぬ。集めて持ってこい。何の血なのか小僧に一任する。」
勝樹は呻いた。
これがつまりは「合意された隷属」であることを意味する。
だが、彼はそれでも同意した。
目の前の選択肢は二つしかない:消えること、あるいは代価を祓い続けるか。




