日常?
「もういやだー!」
朝の光が薄く差し込む家の狭い部屋で、山田勝樹大声を上げながら目を覚ました。
枕も、布団そして当然ながらパジャマも汗で濡れていた。
夢、あれは夢だった。
古城、塔、ヤマの声。
暗い玉座の間で感じた冷たさと、何よりも自分が何度も殺されたという悪夢。
それらを思い出すたびに胸の奥がぞわりと震え、現実の空気が温かく感じられた。
「夢だ、夢だよな……」
勝樹は自分に言い聞かせるようにつぶやき、布団を跳ねのけて起き上がる。
枕元に置いてあるスマートフォンの画面には大学の時間割、今日の講義名、そしてアラームの残滓。
12月1日。
時計はもうすぐ電車の時間を示す。いつもの日常が呼んでいる。
古城の光景を頭の中で何度も思い出す。
大声を上げたせいか、母親が勢いよくドアを開けた。
「どうしたの?」
「悪い夢をみたんだよ。大丈夫。」
自分に言い聞かせるように答えた。
「そう、なら良いんだけど。ゲームばかりしてるからだよ。早く着替えてね。」
洗面台にある鏡に映る自分は昨日と何一つ変わっていない。
髪の寝癖を整えながら自分の顔をいつもより眺めている。
悪夢だったと安心するために。
朝食を手早く済ませ、厚着の服に袖を通し、大学のバッグを肩に掛ける。
玄関を出ると、向かいの部屋に住む老人がいつものように新聞を読み、朝の挨拶を交わす。
外に出ると、冬の冷たい空気に身を震わせる。
空気は冷たく、歩幅を少しだけ速めて駅へ向かう。
駅の改札をくぐるとホームにはまばらに人がいる。
都会のような通勤ラッシュとは程遠い。
勝樹は定期を機械にかざし、プラットフォームのベンチに腰掛ける。
「おはよう。今日も寝坊しなかったのね」
聞き慣れた声。
その人物、彼女の姿を見た瞬間、勝樹の心臓はほんの一拍だけ早くなる。
彼女は黒髪をさらりと整え、大学生らしい清潔感のある服装。
人の目を引く容姿だが、彼女は決してそれを誇示しない。
むしろいつもどこか控えめで、勝樹の前では時折、年上の姉のように振る舞う。
彼女の名前は天城綾。
隣に住んでいる幼馴染。
綾はにっと笑って彼に近づいた。
彼女の声はいつもより少し柔らかい。
そこにいるだけで、勝樹は世界の騒音が少しだけ遠くなるような気がする。
彼は大げさに見えないように気持ちを整え、無造作に肩をすくめる。
「あぁ、おはよ。今日は一応、ちゃんと起きたよ。」
電車が来た。
勝樹と綾は電車に乗り、空いている座席へと座り。
彼女も彼の隣に腰を下ろした。
電車が走り始め、窓の外を流れる景色がゆっくりと変わっていく。
田畑のは作物はなっておらず土だけの風景、飼い犬を散歩させる老夫婦、コンビニの看板。
勝樹はふと、自分が夢の中で見た風景と、目の前の現実の風景を比べた。
古城の威圧的な黒い石壁は、人の活動と自然寒さとは正反対だ。
夢のことは否定した。
否定することで、心のどこかにある「もしも」が小さく丸まる。
「今日はどんな授業?」
綾が質問する。
彼女は授業のスケジュールをいつも気にしてくる。
卒業に必要な単位を優先的に取るようにしているので二人で同じ講義を受けることは多いのだが、勝樹は卒業に必要な単位以外はあまり取る気はない。
勝樹は時間割表を取り出し、目で追う。
「午前は情報、午後は哲学だよ。昼はいつもの食堂でいいかな?」
「うん、最近あそこ、お気に入りなんだ。落ち着く。窓際の席が空いてたらそこでお昼にしよう。」
綾の提案に、勝樹は頷いた。
彼女はいつもそうだ、大学生になっても綾の隣には自然と人が集まり、その明るさに吸い寄せられるように、いつも誰かが話しかけに来る。
だが今は、勝樹と綾だけの時間だ。
大学の最寄り駅に着くと、人々の流れが一斉に大学の方向へ向かう。
キャンパスは広い。
古いレンガ造りの建物と、近代的なガラスの研究棟が混じり合う風景は、この街の大学らしさをよく表している。
朝の講義に向かう学生たちの足取りは軽く、時折仲間と笑い声がこぼれる。
同級生や先輩、サークルメンバーが綾を見つけて挨拶
して校内へと歩んでいく。
綾は笑顔で応えていく。
勝樹の袖を引いた。
「ねえ、今日、優斗いるかな?」
「あー、今日は、たぶんいるよ。呼んでみるよ。」
優斗は頼りになる友人だ。
スマホを取り出し連絡を送る。
ゲームも好きだし。
多少ジャンルが違うけど。
大学の講義室は朝の空気と同じように、規則正しい緊張感が漂っていた。
情報工学の教室はやや広めで、開いたノートパソコンの画面が幾つも光っている。講師がスライドを投影し、アルゴリズムの話を始める。
勝樹はノートを開き、講義の要点を丁寧に書き留める。
だが彼の心は講義だけに向かっているわけではない。
ときどき、綾の横顔に目をやる。
彼女は真剣に講義を聞き、時折メモを取る。
その姿は自然体で、しかしどこか凜としている。
講義が終わると、三人は図書館前で待ち合わせをした。
合流した時、優斗はいつもの笑顔で彼らを迎えた。
太い眉、日焼けした肌、肩に垂れた猟銃の小さなパッチワーク風キーホルダー。
「おう、今日も出勤してますよー」
優斗は大げさに胸を張る。
「勝樹、ちゃんと朝ごはん食べたか? 顔が死んでるぞ」
「お前に言われたくはないな……」
勝樹は苦笑いをし、三人は何時もの食堂へと向かい、昼の時間をゆっくりと過ごす。
話題はゲームの話、講義の課題、次のサークルの飲み会のこと。
外は冬の冷たい風が身にしみる。
大学生活は忙しくても、友人と話すこの機会を大切にしたいと思う。
「そういえばサ終したんだよな?」
優斗がスマホをいじりながらゲームの話を始めた。
「まぁな。」
「お前が好きそうなゲーム見つけたぞ?」
スマホを見せてきた。
その瞬間、ヤマの顔と夢が浮かぶ。
「暫くはいいかな?」
ゲームが好きな勝樹の意外な言葉に二人はキョトンとする。
「どうしたの?」
「いや〜。」
二人の不思議そうな表情に思わず「夢」の話をすると優斗は大笑いした。
「ゲームのやりすぎだ!いや、ショックが大きすぎたか?何にしても傑作だ!」
「も〜優斗くん、笑いすぎ。」
優斗が爆笑するのを止めながらも、自らの笑いを必死に我慢する綾。
(ゲームのしすぎだな)
「お前は相変わらずFPSか?」
優斗はFPSが得意だ。
その類のゲームばかりしている。
勝樹はその手のゲームが苦手。
避けてきた。
彼らにとって何気ない日常。
「こんど焼肉行こうぜ。」
「あん?BBQだろ?」
午後の講義は哲学の演習。講師が問いかけるのは「人は何のために生きるのか」というありふれたが奥深いテーマだ。
学生たちは輪になって座り、一人ずつ意見を述べる。
「私たちは、何かを守るために生きることもあると思うんです」と綾は静かに述べる。
「家族であったり、信念であったり、あるいはただ、大切な人の笑顔を守るため。それが重荷になることもある。でも、それを選ぶことの尊さは、私は手放したくない」
勝樹の胸の中で、自分が抱えている何でもない日常は、実は誰かを守るための小さな選択で成り立っているのだろうか。
と少し考えてみた。
演習が終わると、キャンパスは夕方の光に包まれていく。
学生たちはそれぞれの場所へ散らばり、図書館へ向かう者、サークルのミーティングへ行く者、アルバイトへ向かう者それぞれだ。
三人は大学の門を出て、駅へと戻る道を歩いた。
途中、商店街の小さなパン屋に立ち寄るのが彼らのいつものコースだ。
パンの香りが漂い、店先のショーケースに並ぶ菓子パンに、思わず顔がほころぶ。
「勝樹、今日の夜はどうする? 家で勉強する?」
綾が訊く。勝樹は首をかしげる。
「多分、家でレポートを書いて、それから少しゲームかも。優斗は?」
「今日? 今日はバイトで夜も遅い。」
優斗の言葉には、どこか満ち足りた響きがあった。三人は別れ際にそれぞれの行き先を告げ合い、別れた。家の近くになると綾はいつものように声をかける。
「分からない所があればいつでも呼んでね?」
勝樹は微笑む。
「わかってるよ。」
彼の中で、古城の冷たさはだんだんと記憶の隅へ押しやられていく。
夜、自室に戻ると、ゲーム配信アーカイブを開いた。
どれくらいみたか分からないが勝樹は静かにパソコンを閉じ、布団に潜りこもうとした時、布団の中に違和感があった。
不思議に思い布団をめくるとスクロールがあった。
夢でみた、使い方が分からず投げたあのスクロール。
体から血の気が引いた。
そして、先ほどまで無かったあり得ないものが壁にあった。
木製の年期の入ったドアが。




