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美園の勘違い

フローライト第百十七話。

朔の絵が美術関係の雑誌に載り、朔自身のインタビューも掲載されてから、次回のアート、絵画のコンテストに応募しないかという話が来た。入賞すると賞金だけじゃなく、若き画家たちの活動を支援する支援金が定期的にでるだけでなく、展示会などにも優先的に展示してもらえるようになる。


黎花のギャラリーからも何人か応募することなった。朔の他にもあの拓哉ともう一人松本優輝ゆうきが応募することになった。


優輝は非常に穏やかな性格で、黎花のギャラリーの中では珍しいキャラクターだった。知らないうちに皆に気配りし、黎花を助けていた。普段は朔のように、企業からのポスターの依頼やパンフレットなど主にパソコンに向かっての仕事が多いと言う。


「僕は引きこもりな生活なんだよね」と言う優輝は偏屈な感じは全くなく、むしろ明るい。オリジナルのキャラクターが朔のように受けて、今度はグッズ化されるんだと喜んでそのイラストを美園にも見せてくれた。


「わー可愛い」と美園が言うと「そう?」と喜んでいた。


どこかユニークなクマのイラストがラインのスタンプにもなってると言う。朔も横でのぞきこんでいる。


「朔、最近体調どう?」


優輝が朔に聞いた。


「・・・大丈夫・・・」


「そう?それなら良かった」と優輝が笑顔を朔に向けている。


「松本さんって何歳なの?」と優輝が行ってしまってから朔に聞いた。


「たぶん、二十八くらい」と朔が言う。


「そうなんだ」


黎花のギャラリーの中では年上の方だろうなと思う。


 


数日後、美園の仕事のことで事務所と少し揉めることが起きた。新曲のMVを少し趣向を変えようというのだ。今までの感じではなく、少しお色気部分、つまり少し身体の露出度を上げて欲しいというのだ。


「でも、そんな雰囲気の曲でもないけど?」と美園が言うと、こないだの美園の彼氏の露出で少し売り上げが落ちたと言うのだ。


「藤森來未ほどじゃなくていいからさ」と言われて少し反発心が湧いて「少し考えます」と返事をした。


マンションに戻ってから、パソコンを開いて來未の動画を見てみた。


(そもそもまったくジャンルが違うじゃん)とバカバカしくなる。


アトリエから朔が出てきて「おかえり」とソファに座ってパソコンを見ている美園に抱きついてきた。


「ただいま」と美園が少し憮然としたまま言うと、朔が気が付いてパソコンの画面を見た。


「あ、藤森來未見てたの?」


「まあね」


「あ、新しいMVだね」


「そうだね。今度私もこういうのやらされるかも」


そう言ったら朔が美園から身体を離して「えっ?!」と驚いた。


「これ、美園もやるの?」


「これほどじゃないけど、身体をもっと出せってさ」


「・・・出すの?」


「どうしてもとなったら仕方がないかもね」


「断れないの?」


「んー・・・とりあえず頑張って断ってみるけど・・・難しいかもね。基本的に事務所の意向には従わないといけないから、その辺は普通の会社と同じだね」


「・・・俺、やだな・・・」


「私もやだよ」


「みんなが美園を見るんでしょ?」


「そうだね。見てもらうためにわざわざそうするんだから」


「美園のことをみんながそういう目で見るんでしょ?」


「そうだね」


「断ろうよ」


「断るよ。そのつもりだけど無理なこともある。売上げが落ちるとね、元取らないとならないから」


「売上、落ちたの?」


「そうみたいだよ」


「・・・何で?」


「こないだの騒動がちょっと影響したらしいけど、朔のせいじゃないから」


「俺とのことのせいで?」


「だから朔のせいじゃないから」


「でも、俺のせいだよね?」


「朔?何でも自分のせいだと思わないで。朔が世界を動かしてるわけじゃないでしょ?」


少しイラついていたのか、きつい言い方になってしまった。


「・・・・・・」


朔が立ち上がってリビングから出て行く。今はコンテストの絵の製作中で、朔もかなり敏感になっているのは知っていたが、元々はこういう口調が自分なのだ。いつもは意識して優しく言うようにしていた。


(はぁ・・・私もまだまだだな・・・)


美園はリビングを出てアトリエに向かった。ドアをそっと開けて朔の様子を見ると、横を向いて床に寝転んでいる朔の姿が見えた。


「朔?」と美園が声をかけても返事もなくそのまま動かない。


「朔」と近くまで行って後ろから肩に手を置いた。


「朔、ご飯どうする?何か食べたいものある?」


美園が聞いたら朔が「食べたくないから」と言う。


「どうせ昼も食べてないんでしょ?夜くらいは食べないと」


「いらない」


「朔、さっきはごめん。きつく言って。ちゃんと断ってみるから」


「・・・・・・」


「だからもう気にしないで。ご飯食べようよ」


そう言ったら朔が起き上がって美園に抱きついてきた。


「ほんとに断ってね」


「うん、大丈夫」


ほんとのところは厳しかったが、美園は朔を安心させるためにそう言った。


近所のスーパーに朔の気分転換も兼ねて一緒に行った。店内は遅い時間にもかかわらず割と人が多い。美園がカートにカゴを入れて押すと「俺が押してあげる」と朔が言った。


「せっかく来たから、買いだめしとこうかな」と美園が言うと、朔がはりきって「じゃあ、色々入れよう」と言う。


「また卵焼き作って」


朔が卵を見て言う。


「いいよ」と美園は十個入りの卵のパックをカゴに入れた。


「朔は何が好き?料理で」


「んー・・・ビーフシチューかな」


「そうなんだ。知らなかった。じゃあ、それ作る?」


「え?美園が?」と朔が驚く。


「うん、あ、シチューの元使ってね」とカレーやシチューの元が置いてある売り場に行く。


「あ、これがいいよ」と朔がシチューの元の箱をてにした。


「それ?食べたことあるの?」


「うん、昔、よく食べた」


「そう」


きっと朔の母親が作っていたんだろうなと少し切なくなる。


レジに並んでいると少し離れたところからスマホを向けられているのに気づいた。一応サングラスと帽子と隠してはいたが、バレるときはバレる。清算して袋に買ったものを詰めていると、やっぱりその人が少し離れたところから写真を撮っているようだったが、美園は放っておいた。関わればそれをまた撮られるのがわかっていたからだ。


「美園」と朔が袖を引っ張って来た。朔の方に顔を向けると「撮られてるよ」と言う。


「うん、放っておいて」


「いいの?」


「いいの。関わるほうが面倒なことになるよ」


「ん・・・」


 


朔と一緒に車に乗り込んでいると、またその人が写真を撮っている。


(いい加減しつこいな)と思いつつも美園は無視した。


運転席でシートベルトを締めていると、朔が助手席で「また撮ってる」と言った。


「そうだね。しつこいよね」と美園はエンジンをかけた。


自我は美談が大好きだが醜悪な記事も好む。そして人の私生活にもかなりな興味があるが、まさかお隣の生活を見に行くわけにはいかないので、こうやって有名人のスキャンダラスを覗いて批判しては自分のストレスを発散させるのだ。


(飢えた獣みたいだな)とたまに美園は思っていた。


「美園は強いね」と車が動き出すと朔が言った。


「何で?」


「全然動じてないから」


「あーさっきの?あんなくらいじゃうちの人は誰も動じないよ」


「うちの人って利成さんや奏空さんのこと?」


「そうだよ。あと、明希さんや咲良もね」


「そうなんだ・・・咲良さんも強いね」


「咲良は元々だよ。それに元女優だからね。売れなかったけど」


「売れなかったのは何でだろう?あんなに素敵なのに」


朔がそう言うので美園は「アハハ・・・」と少し笑った。やっぱ朔は咲良が好きなんだなと思う。


「咲良くらいのレベルは、この世界ゴロゴロ転がっていて間に合ってるんだよ」


「ふうん・・・じゃあ、美園は?売れてるでしょ?どういう基準なの?」


「基準はないかも?どのみちそう言う人生設計だからね。だけど芸能界は自我社会の最高傑作みたいだから、普通の人は少ないかな」


「最高傑作?」


「奏空が言ったんだよ。創造的な世界かと思いきや、すべて”力”がものをいう世界。政治と一緒だね」


「よくわからない。それが何で最高傑作なの?」


「んー・・・神様の世界を真似して作ってる真逆な鏡の世界なんだよね。絵画で言うと作品よりもその人がどれだけかばかりに焦点が当たる。本当はそれは逆なんだよ。自我のパーソナリティなんて一瞬で崩れるようなちんけなもので、だから何とか賞だとか、特別感を出して武装してるんだよ。でも、奏空は逆にそれを利用してそこに入った。自我の最大の注目を集められるのはそこだから」


「じゃあ、俺が目指してる賞もちんけなもの?」


「んー・・・朔はね、まだその発展途上だからね、奏空と一緒だよ。ある程度昇りつめないと本当にやることができない。それまでは自我を満足させているのも手だよ」


「まったく美園のいうことわからないんだけど?」


「あーそうか・・・ごめん。要するに朔はそういうこと気にしないで絵を描くことに集中することがいいって話し」


「・・・芸能界がそういう世界なら、何で美園はそこにいるの?」


「んー・・・本当はやる気なかったんだよ。適当にダラダラ生きていたかったから。だけど朔がいなくなって朔が私のことを忘れないようにって芸能活動したんだよ。テレビに出てれば、きっといつか連絡くれるんじゃないかって」


「俺からの連絡のためって、前にも言ってたけど本当に?」


「そうだよ。嘘なんか言わないよ。それだけのためと言っても大袈裟じゃないからね。その延長線上に今があるって感じ?私が芸能活動してる方が朔にプラスになると思うんだ」


「どうして?俺は美園がそばにいてくれる方がいい。今はいつも忙しいでしょ?」


「忙しい時もあり、ヒマな時もあり、浮き沈みは激しい世界。そのうち売れなくなってヒマになったら、朔が嫌と言うほどそばにいることになるよ」


「美園は売れるよ、ずっと」


「アハハ・・・。ありがと。でも、私はどっちでもいいんだよね。職業は私自身じゃないから。利成さんはそもそもの目的が別なところにあって、それを楽しむためには一番いい世界だと思ったらしいよ」


「利成さんの目的って?芸能活動じゃないの?」


「うん、実は、利成さん、まったく芸能界に興味ないって言ったら驚く?」


「え?驚く」


「じゃあ、教えるね」と美園は微笑んだ。


「何?」


間を空けると朔が言った。


「それは、何と女性です」


「えっ?」


「とことん、女性とするって決めてきたみたい。それにはやはり地位や名声、お金、容姿、こういうのが必要というか、便利。男だけじゃない、女性だってそういう上っ面には弱いからね」


「えー・・・」と朔が引いている。


「がっかりした?朔が憧れてやまない天城利成の正体は、皆が噂するように”女たらし”だったのよ」


美園は可笑しくなって笑った。


「・・・がっかりはしないよ。利成さんの作品は素晴らしいことには変わりないから」


「そうだね。利成さんが表現しているアートは私も好きだよ」


「うん・・・」


 


次の週、週刊誌に美園の記事が載った。こないだのスーパーでの写真入りで。どうやらマスコミ関係者だったらしい。同棲をうたったその記事は今度は事務所で問題になった。


「美園ちゃんはそもそも奏空さん路線じゃなく、天城利成路線だからある程度のことはいいんだけどね」と切り出され、「今回は相手の方の家庭状況なんかも載っちゃってるからね」と言われる。


そうなのだ、美園に関しては大した記事は書けないが、前回同様、朔のことが根掘り葉掘り描かれている。朔が自閉症の障害を持っていて高校を中退。母親が自殺して父親を朔が殺しそうになったことなど、一体どこからこんな内輪しか知らないような話まで仕入れてくるのだろうと、美園は不思議だった。


「同棲をいったん解消したらどうだ?」と言われる。もちろん美園は断った。強制されるなら芸能界をやめるつもりだった。けれど強制はされなかったが、「こないだのMVは引きうけてもらうよ」と、少し強めに言われた。


その記事は朔に見せたくなかったが、そんなことは到底無理だった。朔はネットでそのことを知ってその週刊誌を購入して見てしまっていた。美園が帰宅すると、その週刊誌がリビングのテーブルにのっていた。


「朔」とアトリエにこもって、一心不乱に今回のコンテストに出す作品に絵の具を塗っている朔に声をかけた。


「朔」と返事がないので部屋の中まで入った。


「何?」と朔が絵の具を塗りながら答える。


「ご飯食べよう。今日は買って来たから」


「・・・後でいいよ」


「・・・朔、ごめんね」


「何のこと?」


「記事、見たんでしょ?」


「ああ、美園が何で謝るの?」


朔が美園の方をやっと見る。


「私のせいだから」


「何でも自分のせいにするなって、こないだ美園が言ってたよ」


「そうだけど、これは私の仕事のせいでしょ?」


「・・・ほんとのことだからいいよ。俺は確かに障害あるんだろうし、父親殺しそうになったしね」


「・・・・・・」


「・・・後で食べるから先に食べてて」と朔がまた絵の方に向き直った。


美園は何も言えず、そのままアトリエから出てリビングに戻った。買って来たお弁当を食べながら何となく嫌な予感がする。自分は朔のために芸能活動をしてきた。最初は朔を探すため、それから今は朔の絵を皆に広めるためだった。


芸能界が自我の作った最高傑作なら、神の創った最高傑作は朔の絵だ。朔の絵は人の本質に触れることができる。奏空は皆に光を届けたいと言った。奏空の歌で皆が励まされ、楽しい気持ちを与え、癒しを与えるなら、朔の絵はもっと奥の方の人の本質のハートを開くのだ。


いきなり大きな音が聞こえた。朔のアトリエの方だ。美園の嫌な予感は当たった。朔のコンテストで張りつめていた精神が、今回の記事で破裂し爆発したのだ。


美園が慌てて朔のアトリエのドアを開けると、朔がさっき綺麗に塗っていた絵を真っ黒に塗りつぶしていた。周りにキャンバスが散らばっている。その中には、コンテストに三作品出すつもりで完成してた一つの作品もあった。


(あっ)と思ってその絵に走り寄るとキャンバスが破れていた。もう修復不可能なほどに。


「朔!」と美園は言った。


朔は返事もせずに絵を黒く塗りつぶしている。


「朔!」と美園は朔の右腕をつかんだ。


「離せ」と朔が暴れたので、美園の服に黒い絵の具がついた。


「朔!やめて!コンテストに間に合わなくなっちゃう」


「コンテストなんていいんだよ。そんな下らない賞なんていらない!」


「朔?そんなこと言わないで。朔の絵は朔だけのものじゃないんだから」


「俺の絵は俺のものだよ!」


「朔の絵は、皆が必要なものなんだよ。だから朔だけのものじゃない」


「誰が?誰が必要だって?俺の絵なんて全部捨てて燃やしてしまっていいんだ。捨てて良かったんだ!お母さんは俺の絵なんて守らなくて良かったんだよ!」


朔が叫んだ。朔の意識がまたその過去に戻ってしまっている。


(ああ、朔のお母さん、もう朔を呼ばないで・・・)


朔が叫んだ後、いきなり窓を開けた。何をするのかと思ったら、持っていた絵の具や筆を全部窓から投げ始めた。ここは最上階だ。こちら側の窓はマンションとマンションの間の細いスペースになっているだけで人は通ることはなかったが、絵の具も拾いに行くのは一苦労するであろう場所だ。


「朔!やめて!」と美園は慌てて朔の腕を押さえた。


「離せ」と朔がすごい力で美園を突き飛ばした。その勢いで美園は後ろに飛ばされちょうどあったキャンバスの木の枠に腕をぶつけた。


「痛っ・・・」


美園が腕を見ると、関節の上のあたりが切れて血が出てきた。美園が腕を押さえると朔がハッとして美園のそばに来た。


「美園、大丈夫?」と朔が焦って美園の腕を見た。


「大丈夫」と美園は言った。朔の精神を落ち着かせるには今、どうしたらいいのだろう?そう思いながらどうしていいかわからなかった。


「ごめん・・・」と朔がようやく落ち着いた声を出した。


「朔、いいよ。大丈夫。だから朔もちょっと落ち着いて」


「うん・・・」


朔が部屋の中を見回した。窓から風が吹きこんできた。美園は腕を押さえながら(ああ、このままじゃダメだ)と思った。こんなことの繰り返し・・・何だか同じところを空回りしている気がする。朔はあの過去の世界に相変わらずいるのだ。


「朔、私、朔をダメにしてないかな?私、朔を助けるどころかその逆をやっちゃってない?」


「・・・どうして?どうしてそんなこと言うの?」と朔が驚いた顔をする。


「朔が落ち着いて絵を描ける環境が必要だと思って・・・でも、私のことが朔を乱してない?」


「・・・どういうこと?」


「私が邪魔になってる気がした・・・黎花さんのところの方が朔は安定するんじゃないかって・・・」


「黎花さんのところって・・・美園は俺が嫌になったの?」


「違うよ。ただ私が、朔の絵を描くことを邪魔しちゃってる気がしたんだよ」


「俺が嫌?離れて欲しいの?黎花さんのところに戻って欲しいの?」


「違うって朔!」


美園が叫ぶと朔が「違わない!」と怒鳴った。それから自分の膝を思いっきり叩いた後、床を両手で叩き始めた。


「朔、やめて」


美園の目から涙が溢れだした。ダメだ、二人でいると・・・すぐにお互いに物語の中に取り込まれてしまう。どこかそう思っている自分がいたが、それでもどうしようもなかった。


「朔、ほんとにやめて」と泣きながら朔の腕をつかんだ。


「美園が離れるなら、俺、美園のこと殺す・・・」


「・・・・・・」


「それから俺も死ぬ・・・」


(ああ、そうか・・・)と思う。朔は母親と共に死にたかったのだ。けれど置いて行かれた。朔がいるのに先に行ってしまったのだ。


「朔、死にたいならそれでもいいよ。でも、死んでも何も変わらないんだよ?朔は相変わらず闇の中にいる・・・」


「闇でも何でもいい!美園がいなくなるならそうする」


朔が美園の両手首をつかんで力を強くこめてくる。そしてすがるような目で美園を見つめてきた。


── 美園ちゃんには執着してるから・・・だから朔はこっち(生)に来た・・・。


黎花の言葉だ。けれどそれと同時に死が顔を出すようになった。死は”生”のもう一つの顔だ。


「朔・・・おいで」と美園は朔の頭を胸に抱くように引き寄せた。今の朔は小さな子供でただ駄々をこねているのだ。そんなところに言葉なんて何の意味があろうか?


朔が急に大人しくなった。その朔の頭を撫でながら美園は知らないうちに英語でアメージンググレイスを口ずさんでいた。利成の母親の麻美さんが美園が幼い頃、時々口ずさんでいた曲だった。


朔はじっと聞き入っているようだった。一フレーズ歌い終わると朔が「それ、何の歌?」と聞いた。


「利成さんのお母さんの麻美さんが私が子供の頃よく歌ってたんだけど、讃美歌だって」


「そうなんだ・・・もう一回歌って」と朔が美園の胸にまた顔を埋めた。


美園がもう一度歌い終わるまで、朔はじっと聞きながら美園の手をつかんで弄んでいた。歌い終わると「ありがとう」と朔が言った。


それから朔が身体を起こすと美園の腕を見て、「あっ」と言って「ちょっと待ってて」とだいぶ前に咲良が持ってきてくれた消毒液と絆創膏を持ってきた。そして美園の切れて血がまだ滲んでいる腕に消毒液をつけた。


「痛っ」と美園が顔をゆがませると。「痛い?」と朔が心配そうに美園の顔を覗き込んだ。


「大丈夫」


美園が言うと朔が「ごめんね・・・」と言いながら絆創膏を取り出している。


それから一緒にアトリエを出てリビングに行った。


「俺がお茶入れてあげる」と朔が言う。


美園はソファに座って朔が貼ってくれた絆創膏を見た。


(私といると朔を乱すと思ったけれど、乱した朔を落ち着かすのも私じゃないとダメなのかもしれないな・・・)


美園への執着が朔を人間臭くする。けれどそれは今は必要だ。”生”への執着が死があると信じることで得られているのだとしたら、それがまだ人々には必要なように・・・。


ご飯を食べ終わると、朔が「ちょっと外行く」と言う。


「どこ行くの?」


「絵の具、取りに行く」


「えっ?ちょっと待って。私も行くから」と美園は立ち上がった。


 


懐中電灯を手に歩いて行く。マンションとマンションの間には柵が張られていた。その割と背の高い柵に朔が足をかける。


「朔、危ないよ。ちょっとどいて。朔が台になって。私が行く」


美園は言った。朔が身体を丸めて馬乗りの要領で美園が足をかけた。それから柵に足をかけて向こう側へジャンプした。


「美園、大丈夫?」と朔が言う。


「大丈夫。懐中電灯ちょうだい」と朔から懐中電灯を受け取った。美園が自分の部屋の窓を見当つけて歩いて行くと、絵の具が散らばっているのが見えた。


その絵の具を拾い集めて筆を探したが見当たらない。「美園!」と朔の声が響いた。


「待って!筆がないの!」と美園は叫んだ。


「筆?!いいよ、筆は!」と朔が言う。


懐中電灯であちこちを照らしたが見当たらないので、明るくなってからまた見ようと思い、美園は踵を返した。柵の前で隙間から朔に絵の具を渡してから、さて帰りはどうやって上ろうかと思う。行きは朔に台になってもらったのだ。


「美園、昇れる?」と朔が心配そうに言う。


「んー・・・ちょっとやってみる」と美園は柵に足をかけたが、滑ってやっぱり登れない。


朔も向こう側から上ろうとしているが、やっぱり足が滑ってしまう。


「これはまずいね」と美園が言うと、「家から何か台、持ってくる」と朔がいう。


「待って、反対側はどうか見てくるからここにいて」と美園は反対側の方へ歩いて行った。


(あちゃー)


反対側もまるで同じだった。鍵ももちろん閉まっている。仕方がないのでもう一度朔のいる方へ戻った。


「どうだった?」と朔が聞く。


「ダメ、こっちと同じだった」


「やっぱり何か持ってくるよ」


朔がそう言ってマンションの入り口の方に走っていった。けれどまたすぐに戻って来た。


「どうしたの?」と美園が聞くと、朔の後ろから「はーい!美園」と奏空がニコニコと顔を出した。


「奏空?!どうしたの?!」と美園はびっくりした。


「いやーやっぱ俺って美園のピンチがわかるみたいだね」と奏空が笑ってから続ける。


「たまたまこっち側来たから、美園どうしてるかなって思ってお土産を持ってきたんだよ。電話何回かかけても通じないからそのまま来ちゃった。いやーそこで朔君と会えてよかった。美園が柵の中に閉じ込められてるなんてダジャレ?」


「は?」と美園が言うと「朔君と柵をかけてみました」と奏空が楽しそうに言った。


「あーいいから、早く助けてよ」


「はいよ、では、奏空、次、昇りまーす!」と奏空がふざけて片手を上げてポーズを取った。


奏空がそのまま柵に足をかけ器用に上って、あっという間に美園の方へジャンプした。


「はい、百点だね」とジャンプしてから親指を立てる。


「もう、いちいちうるさい」と美園は言った。


「うるさいとは何事ぞ?せっかく姫を助けに来たのに」と奏空は真面目な顔でふざけたことを言う。


「いいから、四つん這いになって」と美園が言うと、「は、姫、かしこまりました」と地面に四つん這いになった。


美園が思いっきり奏空を踏んで柵の上に上って反対側にジャンプして降りると、「おー素晴らしい」と奏空が手を叩いた。まったくいちいち騒がしい。


でも、あれ?と思う、さっきまでの朔との重たい感じがすっかりなくなっているのだ。


(さすが、最強な奏空)


奏空がこっち側にジャンプしてくるのを見ながら思う。


「姫、お怪我はございませんか?・・・あれ?」と奏空が美園の腕を見る。


「血が出てるよ。どこかにぶつけた?」


言われて自分の腕を美園が見ると、さっき朔が手当してくれた部分から血が滲んでいた。


「あ、これは大丈夫」


美園が言うと、「絆創膏、取り替えた方がいいよ」と言ってから朔の手の中の絵の具を見た。


「絵の具、どうしたの?」


「あ・・・落としちゃって・・・」と朔がモゴモゴと言う。


「そうなんだ」と奏空が特に気にした風でもない言い方で言った。


 


部屋に入ると奏空が「二人にお土産」と地方のお菓子やお酒をリビングのテーブルに置いた。


「どうしたの?それ」


「ライブで行った時買ったんだよ」と奏楽がソファに座った。朔はアトリエに絵の具を置きに行っている。


「ライブ、奏空は絶好調?」


「もちろん、絶好調だよ」と奏空が笑顔を作った。それからソファの横にあった週刊誌を見て手に取った。


「珍しいね、こんなのあるなんて」とパラパラとめくっている。


「奏空、知らないの?」


美園はのんきな奏空に言った。


「何が?」といいながら週刊誌をめくる手を止めた。ちょうど美園の記事だ。


「おー・・・美園じゃん。どうしたの?」と週刊誌を読み始めた。その表情がだんだん真面目な表情に変わっていく。


「この写真、どうしたの?撮られたの?」と聞かれる。


「そうだよ。スーパーでね」


「そうか、俺も昔、コンビニで撮られたな」と何だか懐かしそうだ。


「咲良と?」


「そうだよ。咲良と買いものに行った時ね」


「ふうん、何か懐かしそうだね」


美園が言うと「そうだよー美園。その頃まだ俺と咲良もラブラブだったからさ~」と奏空が情けない声を出した。


「そう?その頃だって咲良は利成さんが好きだったんでしょ?」


「あーそれ言わないでよ。そこは置いて置いて、ラブラブだったんだからさ」


「へいへい」


答えていると、朔がリビングに戻って来た。手には絆創膏が入った袋を持っている。


「美園の絆創膏、貼り直す」と朔が言う。


「うん、いいよ。自分でやれるから」


「いい、俺がやる」と朔が言うので、美園は腕を差し出した。朔が貼ってある絆創膏を剥がして新しいのを貼る。


「どうやら俺が来て正解だったみたいだね」とそれを見ながら奏空が言った。


 


「なるほどね、これを盾に事務所からお色気MVを強要されたと・・・」


奏空が美園が入れたお茶を飲む。


「強要じゃないかもしれないけど、言い方がね」


「そうか、言い方は仕方ないね。商売だからね」


「美園、やっぱりそのMVやるの?」と朔が聞いてくる。


「そういうことになりそうだよ」


「朔君、そんな心配しなくても大丈夫だよ。全部脱ぐわけじゃないからさ」


奏空が明るくそんなことを言うので、美園は「当たり前」と口を挟んだ。それでも朔がうつむいているのを見て奏空が「朔君、また肩揉んであげる」と言った。


奏空が朔の背中から肩を揉んでいると、朔がだんだんリラックスしたような表情に変わっていった。


(あーこれは、定期的にやってもらおうか?)と思っていたら「朔君、しばらく定期的にやってあげるよ」と奏空が言った。そして美園の方を見てニコッとアイコンタクトを取ってくる。


(全部お見通しね)と美園は思うが、今はその方が助かった。



「じゃあ、美園、定期的にうちに来なよ。咲良も朔君に会いたがってたよ」


帰り際の玄関で奏空が言った。


「咲良が?」と美園が言うと「そうだよ。咲良は朔君が好きだから」と奏空が言った。


「えっ?」と急に朔が赤くなっている。


(は?どういうこと?)と美園は朔を見た。


年上の女は朔には要注意だなと美園は思う。


「じゃあ、今日はお風呂にでも入ってゆっくり休んでね」と奏空が朔に言い、手を振ってから出て行った。


リビングに戻ると、朔が「傷痛む?」と聞いてきた。


「大丈夫だよ。擦りむいただけだから」


「・・・じゃあ、お風呂入れる?」と朔が遠慮がちに聞いてきた。さっきの奏空の言葉を実行しようとしてるのだろう。


(でも、いい機会かな。ゆっくり寝ればまた気持ちも安定するよね)


そう思って「大丈夫、入れるよ」と言った。


「じゃあ、お湯入れて来る」と朔が嬉しそうに言う。


 


傷のところには、念入りに絆創膏を貼ってからお風呂に入った。


(あーでも、MV撮るのに傷作ってたらまた文句言われそうだな)と少し思う。


湯船に入ると朔がいつもみたいに後ろから抱きしめてきてから言った。


「美園、さっきの歌また歌って」


「えー、ここだと響くよ」


「響いてもいいじゃない?美園の声は綺麗だから」


「んーじゃあ、少しね」と美園は歌った。朔が美園の手をさっきのように弄んでいた。


「すごい不思議な曲だね」


朔が美園の胸を撫でてくる。


「そう?讃美歌だから何か不思議な雰囲気があるのかな?」


「讃美歌ってクリスマスとかにかかってるやつ?」


「そうだよ。きよしこの夜とかね」


「ん・・・」


朔が美園の胸を今度は強めに揉んでくる。そうしているうちにだんだん気持ちが興奮してきたのか、美園に口づけてきた。舐めるようなキスをしながら美園の膝を触ってくる。膝を触って来る時は大抵朔が興奮しているときだ。


「朔、ここでしないでよ」と美園は唇が離れた時に言った。


「何で?」と美園の膝を触りながら聞いてくる。


「ここじゃ嫌だから」


「誰もいないよ」と朔がまた口づけてきた。


「とにかくやだよ。ベッドにして」


「ん・・・」と朔が渋々やめる。


 


ベッドに入ってから朔が「MVやるの?」と聞いてきた。


「やりたくないけどね」


美園が答えると朔が「・・・咲良さんって・・・」と急に咲良のことを言ってきた。


「何?急に咲良?」


「・・・咲良さんは美園みたいにMVとかやってないの?」


「あーそれは前に言ったかもしれないけど、奏空のグループのMVに出てるよ」


「あ、そうか。それ今見れる?」


「さあ、どうだろう?何せかなり古いからね」


「そうか・・・」


「何で見たいの?」


「えっ?何となく・・・」


「ふうん・・・朔、咲良が好きなの?」


「・・・好きだけど、変な意味じゃないから」


「じゃあ、どういう意味?」


「・・・どうって言われても・・・」


「わからないんだ?」


「いや、だから美園のお母さんだし・・・」


「ふうん・・・じゃあ、おやすみ」と朔に背中を向けた。


「美園、していい?」と朔が背中から腕を回してきた。


「・・・いいよ」と言ったが不機嫌そうな声になってしまった。


朔がそれでも美園の胸を触ってから、すぐにパジャマのズボンと下着を脱がしてきて入れようとしてきた。けれどあまり濡れてなかったのでなかなか入らない。朔が置きがって舌で舐めてきた。いつもは美園がイクまで舐めてるが、今日はまたすぐに入れてきた。


「美園」と名前を呼んでくる。


美園は朔を受け止めながら、朔を乱すのも収めるのも私・・・?と今日のことを思い出す。


「朔・・・」と美園も朔の名前を呼んだ。朔が口づけてくる。


「美園・・・」と朔の動きが早くなっていき、「もう・・・出る」と朔が言った。


「中にしないで」と美園が言うと「ん・・・」と朔が言う。



奏空にマッサージをしてもらったのがかなり効いたのか、朔はセックスの後、ぐっすり眠ってしまった。美園は朔の寝顔を見ながらその髪をひと撫でした。


(絵、またやり直しだな・・・)と美園は今日のことを思い出していた。


朔は何度も過去の世界に戻ってしまう。むしろ戻りたいのかもしれない。


──  美園が離れるなら、俺、美園のこと殺す・・・


── それから俺も死ぬ・・・。


死は美園にとって怖いものではなかったが、朔を今死なせてはいけないことはわかっていた。


(私・・・逃げようとしちゃったな・・・)


前に黎花が朔を持て余したら戻してと言われた。その時は冗談じゃないと思った。持て余すことなどないと自信があった。なのに・・・朔を傷つけた・・・。


(朔を黎花に返すというのは、朔にとっては自分に見捨てられることと一緒なのだ。朔は自分に母親を投影している。だから私を殺して自分も死ぬと言った・・・)


(あーだけど・・・)と今日の奏空を思い出す。


奏空は最強だな・・・そんなこと思ったこと今まで一度もないけど、今日は奏空が羨ましかった。奏空の明るさに今日は間違いなく救われたのだ。


(朔・・・)


一緒にいようね・・・。


美園は朔の寝顔にそう語りかけて目を閉じた。

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