狐の草枕
あれは戦争が終わって間もない頃でした。内地の連隊から父が復員して、家族を呼び戻しました。兄と奥多摩の叔母のところへ預けられていたわたしは、住み慣れた小石川へ戻ってきたところでした。
この当時、昭和二十年春の東京大空襲を切り抜けて『不燃神話』が守られていた文京区ですが、五月の空襲でついにB29のナパーム弾に焼かれ、大被害を受けたとのことでした。
住処を離れていたわたしたちも父も、地元の空襲にはあまり、気にするところがなくて、焼け野原になったのは、下町の本所の辺りばかりだと、たかをくくっていました。
もともと板前だった父は、勤めていた料理屋が焼失して、営業再開を諦めたのに見切りをつけ、小石川の小さな土地で、居酒屋を開業しました。これが本店、『たまのくら』開店のいきさつです。
戦後間もない頃でしたから、客は引きも切らないものの、父の悩みの種は、酒や酒肴の調達でした。
三合飲めば目がくらんで失明する、とまで言われた当時の密造酒には、工業用のメチルアルコールが流用されていました。
それでなくても一般の酒蔵でも戦前の三倍醸造、と言う悪法のせいで、水飴と人工アルコールで三倍に水増しした質の悪い酒が、普通に売られていたのです。
お客の健康を害するそんな蔵元と手を切り、縁のある良心的な酒蔵と長年取引をし、支えあってきた父の努力は、並々ならぬものだったと思います。
また、酒肴です。
ひと串100円の焼き鳥と言えば、今は最も安くて、コロッケと並んで食卓のお惣菜にも手軽に使われていますが、最初はちゃんとしたお肉など出せるはずもなく、いわゆる正肉の余ったところ、鶏や豚の売り物になる肉を獲ったあとの棄てるしかないところでした。
「放る(棄てる)もん」と言われたホルモンを上手に使い、お客さんを喜ばせるのが、町の居酒屋の腕でした。
鳥屋で棄てられていた腸は、綺麗に洗って糞をこそいで、塩焼きにすると、新鮮なコリコリ食感が絶品でしたし、骨について離れない豚肉を醤油と酒とザラメで煮込んで、トロトロにした軟骨チャーシューなどは、今もお客さんが楽しみにしてくださいます。
そんなわけでどうにかこうにか、忙しい店を切り盛りしていた父ですが、やはり大変なのは、眠らないことのようでした。
夕方から朝の五時くらいまで、営業を続ける父は、ろくな睡眠時間もなく、ほとんど不眠不休で働いている状態でした。母親もそれに付き合い、仕事の終わった明け方などは、わたしたちの朝食の用意を整えると、二時間と休む暇もないまま、店の仕入れや夕方からの営業の仕込みに時間を費やしてしまうのです。
「いつか思いッきりさ、後のことはなあんにも気にせず、眠ってみてえもんだねえ」
何かと言うと父は、口癖でこんなことを言っていました。働き者の父ですし、昭和の男はがむしゃらに働きましたから、父がそんなことを言うのを誰も本気になどしておりませんでしたが。
するとそんなある日のことでした。
父が、仕入れに出た買い物の帰り、突然何かを持ってきました。どうも常連さんの闇屋さんから譲ってもらったみたいですが。
「こいつは昔々の草枕なんだってよ」
草枕とは、枕の中で一番古い、平安時代頃から使われている枕なのだそうです。わたしたちがよく知るもののように、布張りの袋の中に何か柔らかい詰め物をしてあると言う点では、変わりはありません。
しかし昔の人は、この枕に香草を詰めたそうなのです。それも畳に使うい草や蓮やすすきなど、気持ちの安らぐ草を入れたらしく、時にはこれにお香を焚きしめて、心地よい香りに包まれて安らかに眠ったとのことです。
京都のさるお寺から、闇賭博の末に質流れしてきたと言ういわくつきの品を、父は思いきって買い取ってきたそうなのです。もちろんうさんくさい品で思いきったと言っても値段はさほどでもないですが、母は口を尖らせていました。
「どうするんだよ。仕入れの金を全部使っちまって」
「そんなの、ぐっすり眠れりゃ、ばっちり稼いでやるよ。それよりかかあ、こいつでおれは今夜から思いっきり眠るぜ」
仕事明けの朝方、コップ酒一杯をお供に、ラジオを聞きながら毛布にくるまって眠るのが父の楽しみでもありました。
と、言っても、ほとんど朝までお客あしらいをしているわけですから、眠ると言ってもちょっとした仮眠で、ほんの二、三時間したら、また仕入れに出かけてしまうのですけど。
だから父が言う「後のことはなあんにも気にせず」思いきり寝たいと言うのは、そう言う父の叶わぬ夢だったのでしょう。しかしくしくも、その叶わぬ夢を叶えてしまったのが、あの草枕でした。
「ああ、よく寝た」
ある朝、いきなり父が起きてきたのです。毛布を被ってから、まだ、五分と経っていません。それなのに、父はもう寝るだけ寝て、せいせいしたと言う顔をしているのです。
「もう三日くらい寝過ごしちまったんじゃねえかと思ったよ」
ほんの五分寝ただけで、父はそんなことを言って母をあぜんとさせました。
「いやあ、長年の夢が叶った。これで、ばっちり働けるぜ」
母は変だとは思ったのですが、それから本当に父は、ばりばり働き出したので、文句を言うことも出来ませんでした。
例の草枕は、居間に万年敷かれているこたつ布団の端に転がっていて、もう風景の中に溶け込んでいました。
それは地味な草色をして、近所のお寺の隅に転がっている、誰も使っていないお座布団にそっくりでしたが、なるほど頭を載せてみると、ふわりと柔らかい、春めいた草の香りがするのでした。
「おい、今、何時だ」
父が心配そうに母へ、尋ねるようになったのはそれからほどなくしてからのことでした。どうも、寝すぎるようなのです。
「昨日は、十年もどこか外国をさまよってる夢を見てなあ」
これはあんまりにも覚めないから、本当に十年経っているに違いないと、一生懸命目覚めたら、まだ一時間も経っていなかったそうな。
「願ったりかなったりじゃないか。まだたった一時間しか経ってないんだし、もっとゆっくり寝たら?」
母が言ってやると、父は何故か心配そうに声をひそめるのです。
「いや、そいつはまずいよ。一時間が十年だぜ。おれはいつか、本当に戻れなくなるような気がして怖い」
もちろん誰も、父を相手にしなかったのですが、やがてとんでもないことが起きました。
「寝るのが怖い」
と、言っていた父が、今度は本当に目覚めなくなってしまったのです。仕入れはもとより仕込みの時間を過ぎても目覚めてこない父を見て、家族みんなで青くなりました。こんなことは初めてです。まさか本当に、夢から覚めなくなってしまったのでしょうか。
母はさんざ揺すったり叩いたりした挙げ句、近所の医者を呼びましたが、父はぐっすり眠っているだけ。何をしてもお手上げでした。
「なんだ、おやっさん倒れたッて!?」
そうこうするうちに、近所の常連が集まって大騒ぎ。それでも父は目覚めないのでした。
「闇屋のバカを連れてきたぞ!」
誰かが草枕のことを言い出したのか、闇屋を連れてきました。闇屋は草枕の売り主ですが、まさかこんなことになるとは思ってもみません。やっぱりあれはまずかったんだなあ、バチが当たったんだなあと、ぼやくだけでした。
「どうしたら目が覚めるのかね……?」
母が心配そうにぼやいたときでした。客の中から一人、
「私がやってみましょうか」
と、手を挙げた人がいたのです。それは煤けた背広を着た、顔の生白い男の人でした。
三十前後にも、五十前にも見え、一度見たら忘れないような顔なのに、ふと目を離したら忘れてしまいそうでした。わたしはただ、その唇が不思議なくらいに真っ赤だったのを覚えていました。
「お医者さまかい?」
「ま、似たようなもんだ」
と、その人はそつなく言うと、眠っている父の額に、何か指で描きました。それから二の指を自分の唇に当て、何事かこそこそつぶやいたあとで、
「エイッ!」
と、一発大きな気合いを入れました。すると、どうでしょう。あんなに叩いても揺すっても起きなかった父が突然ぱちっと目を開き、がばっ、と跳ね起きたのです。
「あー、死んだと思った」
と、父は呑気なことを言います。また、何年も眠り込んでいた夢を見ていたのかと、母が尋ねると今度は、八十年だととんでもないことを言いました。
「ずっと、中国かどこかの仙人が住む山で修行させられてたんだよ」
ちっとも楽しくない夢だった、と父は、大きなため息をつくのです。
それから父は何事もなかったかのように店を開き、心配させた客たちにお酒を振る舞いましたが、父の目を覚まさせてくれた背広のお客さんは、いつの間にかいなくなっていました。
「おかしいなあ、あの人どっからきた誰だったんだろう」
わたしたちは首をかしげましたが、答えが出ないものは、気にしても仕方ありません。その夜も馴染みのお客たちが入れ替わり立ち代わりし、父も母も細かいことは、すっかり忘れてしまったのでした。
次の日、わたしが気づいたのですが、草枕はありませんでした。あのどさくさに、背広の客が持っていったのだろうと、父は気にしていませんでした。そして、そのうちそば殻の枕を買ってきて、代わりに愛用し始めました。
しかしわたしだけは知っていました。草枕の行方も、背広のお客さんの正体も。実はあの人はあれから、子供のわたしの夢の中へ現れたのです。
「お前はあの男の娘だな。若いから、これからどこまでも行けるようになるだろう。お前の父を私が救った代わりに一つ、約束を果たしてくれないか?」
と、その人は頼み込んできました。それはやはり、あの草枕のことです。
「実はあれはあの枕には草でなく、狐の毛が入っているはずなのだ」
それは、九尾の狐の尻尾の毛なのだそうです。九尾の狐と言えば、とても長く生きた狐の妖怪です。子供のわたしには恐ろしかったですが、わたしは草枕から言われた通りに狐の毛を抜いたのです。
「九尾の狐と言うのは、九つ分の一生を生きる妖怪だ。その尻尾と言うのは、その狐のまず一生分の寿命と記憶が詰まっているのでな」
それで父が目覚めなかったのが分かりました。父は、九尾の狐の一生分の生涯をずっと夢に見させられていたのです。あれ以上、眠っていたらもう、戻れなくなってしまうところだったようです。
「愚かな呪い師のせいでこの枕が作られたのだ。私もようやく、何度目かの生涯を費やして、この狐の毛を回収できた」
しかし、その人はもう、今の一生を使い果たしたので、次の一生に行かなくてはならないのだそうです。
「だからお前に頼んだぞ。私の名前を調べて訪れるがいい。そこに、かつては狐であった石があるはずだ」
お客さんは最後に自分の名前を告げて、消えていきました。
「私は、安倍晴明」
それからわたしは大学生になり、旅行で大阪を訪れました。安倍晴明の母、葛の葉をまつる神社を訪れるためです。
晴明の父、保名はこの信太の森に棲む狐の化身、葛の葉と恋に落ちて晴明を産んだと言われているそうです。
狐の毛は、そこへ納めてきました。それが本当に葛の葉の毛だったかどうかは分かりません。それでも、わたしにとっては忘れられない思い出です。