6.シュシュ・フラマン(婚約破棄編)
この集合住宅では、不要物は魔札を貼って部屋の前に出しておけば、回収部屋に自動収集される仕組みになっている。
特に仕分けする必要はなく、なんでも入れて大丈夫。勢いのままどんどん袋に詰めては部屋の前に出し、また袋に詰める。それを繰り返していたら、部屋の中にあったものはほとんどなにもなくなってしまった。
「──長い間、いっしょにいたものね」
最後に袋に詰めたのは、この間もらったばかりの婚約指輪だった。
大きな宝石がついているのが倹約家の彼にしては意外だった。彼は裕福な家に生まれたようだったけれど、私たちのデートはいつもお金のかからない場所ばかりだったから、こういうものをもらえるとは思っていなくて感激したのを今でもよく覚えている。
優しい大地の色の宝石は、レックスの瞳と同じ色。
何年か前まで、私は人前でうまくしゃべることができなかった。
母が義父と再婚するまでずっと働き通しで、人と関われる機会があまりなかったからなのかもしれない。
一度失敗した。それからはとにかく人前では言葉を出さないようになっていた。でも、ちょっと朴訥なところがある彼のそばだと安心できて、少しずつ慣れてきて──。今では初めて会う人とでも、それなりに話をすることができるようになった。
価値観が似ていることも嬉しかった。
学生時代、周囲の友人たちの多くが、どこか軽薄なところがあった。王政時代では醜聞になるようなことばかり。
気のいい人たちではあったのだけれど、私はどうしてもそういうふわふわとした軽い感じだけは受け入れることができなかった。
たぶん、そういう忌避感のようなものが顔に出てしまったのだと思う。それはレックスも同じだった。
共通の友人であるその人は、眉を寄せて、呆れたように「おまえら、二人揃って頑固すぎるだろ」と言った。
「昔と違って政略結婚もない。いろんな相手と付き合ったって、なんの問題ないはずだ。むしろ、そのほうが最終的にはいい結婚ができると思うけどな」
「おまえの場合は、同時に複数の女性と付き合ったり、あまりにも短期間で相手を変えたりしているから苦言を呈している」
レックスの言葉に、その人は不快げに眉をひそめた。かと思うと、にやにや笑いながら言ったのだ。
「おまえら、ためしに付き合ってみろよ」
私は、そのときのレックスが返した言葉に心を打たれた。
この人となら、ずっと一緒にいられるのかもしれない。そんな予感があった。
でも、そんなのは夢にすぎなかったのである。
目をつむって指輪を袋に放り込み、玄関の外へ置いた。心臓が早鐘を打つようにどくどくと鳴っていた。
それからサロンの予約と、上級学校の資料請求を終わらせて、ふらふらとバルコニーに出る。
やるべきことはやりきれた感じがある。少しだけ気持ちが落ち着いた。
またぽろりと涙がこぼれ、鼻の奥が熱くなった。私は手の甲で乱暴に目元をぬぐった。
どれくらいそうしていたのだろう。東の空が白んできたのがわかった。地の端から少しずつ明るくなってきて、日の出前後には、空が美しい桃色に染まることがある。
「シュシュちゃんの目の色みたいで綺麗ね」と昔母が言ってくれたので、私は明け方の空がいちばんに好きだった。
私と母の目の色はどちらも桃色だけれど、少しだけ色味が違う。母は森の木の実のような色の目だけれど、私の目は美しい桃水鳥のような色をしているのだ。
「そうだ、あれが残ってた」
そう決意して、私は今日押し付けられた、不快な封筒を開いたのだった。
「読んだら破いてやるんだから!」
--------------------------------
シュシュ・フラマン氏 調査結果
《本人》シュシュ・フラマン
幼少期は母と二人で貧しい暮らしをしていた。母親が仕事をしている間、一日中図書館にこもっていたとされる。
母の再婚後、大学まで進学。大学では優秀な成績を収めている。論文の受賞歴などを考慮され、現在は国立魔導研究所職員。
《母》リリ・フラマン
幼少時に母の幼馴染であるリーザ・ブランの養女となる。
実の娘のように育てられたが、義母リーザの死後、義姉ロージーの婚約者を誘惑し、出奔。シュシュを出産している。
義姉・婚約者・義父の三人は、シュシュが出奔した直後にトラブルになったと見られ、全員亡くなっている。
のちに現夫である資産家のフラマン氏と再婚し、一男一女をもうける。
《祖母》クク・ラボリ
幼少時に母を亡くし、貧民街に身を寄せる。素行不良。
娼婦として生計を立てていたと思われる。
客の子を身ごもり出産したが、男に逃げられ、幼馴染の嫁ぎ先に生まれたばかりの娘を捨てて行方不明に。
《曾祖母》ミュミュ・ラボリ
チュチュ・コスメーアの娘。父親不明。母チュチュが開いた洋服店を大きくした。仕事上でもパートナーだった夫には離縁されている(?)。暴動に巻き込まれ、子供をかばって死亡。
《高祖母》チュチュ・コスメーア
コスメーア男爵家長女。学園時代に王太子であったリグレット・ルヴィ・プリュイレーンを誘惑し、第二王子に毒を盛っている。処刑予定だったが、何者かの手を借りて逃亡。
今回の調査でその後の足取りがわかっている。逃亡後は各地を転々としながら商売をしていたが、若くして病死している。
同封物:
母リリ・フラマン(旧姓 リリ・ブラン)と義父ブラン氏、義姉ロージー、義姉の婚約者が写ったもの。
義姉の婚約者は、ミントグリーンの髪の毛をしている。
--------------------------------
翌日、私は髪を短く切った。男性のように髪を短くしても、床に散らばったミントグリーンの髪がおぞましく感じられ、染めてもらった。
視力はいいほうだったけれど、片目だけに魔眼をはめた。桃色ではなくて、雨の色のものを探した。
まったく同じ色の魔眼はなくて、濃淡の差は出てしまい、結局オッドアイは変えられなかったけれど、少しだけ安心した。
住んでいた集合住宅を引き払い、家族の誰にも告げず、別な大陸の上級学校へと逃げた。