2.母 リリ・フラマン(2)
義母はキッチンの灯りをすべてつけるのではなく、橙色の手元灯だけをつける。以前義父に明るすぎると怒られたからなのだと思う。
鍋にスープストックを入れ、火にかける。調味料はスプーンに一杯分。
溶いた卵を流し込み、塩をぱらりと振って、とろみをつける。最後に青い葉をぱらぱらと散らした。
「眠れないときには、たまごのスープがいいのですって。不安をやわらげてくれるのよ」
キッチンの調理台の片隅、子どもが腕を広げたくらいの小さなスペースが義母の書斎だった。彼女は皆が寝静まると、そこで何かを書きつけたり、翌朝の仕込みをしながら本を読んでいたりした。
リリは、眠れないとき、こっそりと部屋を抜け出して、そんな義母の横顔を眺めるのが好きだった。
二人で、ふうふうと息を吹きかけながらスープを飲み干した。
お腹の底がじんわりと温まってきて、リリはやっと眠たくなってきた。それから義母と子ども部屋に戻り、絵本を三冊読んでもらった。
「あなたは賢いわ」
義母が感心したように言う。
「文字を覚えるのも早かったものね。これからの時代は、女性にも学問は必要よ。きっと生き方を広げてくれるわ」
そういう義母の顔はせつなそうで、彼女はその機会を望んだが得られなかったのだろうかとリリは思った。
「ねえ、リリ。あなた最近眠れてないわよね。……なにかあったの?」
義母は、遠慮がちに訊いた。
リリは迷ったが「ククという人のことについて、知りたいです」と言った。
義母の目が三角に吊り上がった。それは、初めて見る表情だった。
「わたしは、捨てられた子どもなのでしょう?」
リリはたいていのことは我慢できる性格だったけれど、このことだけは知っておきたいと思った。
だから、渋る義母に、再度ククについて教えてくれるよう頼み込んだ。
彼女はなんともいえない表情をして、それから、ぽつりぽつりと語りはじめた。
ククは、義母の幼馴染だったという。
彼女たちが子どものころ、大陸は不安定だった。解放王ミューゼットは大陸の統一を目指しており、それに反発する貴族や彼らに雇われた者たちを中心に、各地で暴動が起きていた。
家族とはぐれて途方に暮れていた義母は、国外に逃げ出そうとしていたククとその母親に出会った。
そして、それからは三人で家族のように身を寄せ合って暮らしたのだそうだ。
「ククのお母様、ミュミュさんはね。私にとても大切なことをたくさん教えてくれたの」
義母は一緒に寝台に入り、背中をさすってくれた。
「私は平民の孤児だったから学がなかったわ。ミュミュさんも平民だけれど、暴動が起こる前はとても大きな店を経営していたそうよ。女性でも学ぶことは大切だと、彼女は繰り返し言っていたわ」
しかし、その後ククの母ミュミュは亡くなってしまう。
呆然としているククを連れて、義母はさらに北へ、北へと逃げた。そして他の孤児たちと身を寄せ合って暮らしたのだが、彼女には迎えが来た。
「私は平民だと思っていたけれど、父親は貴族だったの。とはいっても、そのすぐあとに貴族ではなくなるのだけれどね」
そうしてククは、一人になってしまった──。
気づくと眠りに落ちていた。義母に抱きしめられたまま。そしてもちろん、翌朝それを見つけたロージーはまた癇癪を起こすのだった。