12.シュシュ・フラマン(求婚編)
私の様子に思うところがあったのだろう。
グリハルトさんはくしゃりと寂しそうに笑って、いつものように胸元から小箱を差し出した。その中には、彼の瞳の色の指輪が入っている。
細身の指輪だ。そして二粒の宝石がついている。一つは楕円形で薄い青。もう一つは小粒の菫色。グリハルトさんの瞳と同じ、美しい二色だ。
「なあ、そろそろ頷いてくれてもいいんじゃないか?」
「いえ、だって私は……」
私はいつも、その指輪を受け取ってしまいたい気分になる。──でも。
「悪女の系譜だから、か?」
「……!」
その言葉に、全身から力が抜けていくのを感じた。本当に彼の求婚を断るつもりなら、それを言えばいいだけだったのに、レックスの変わりようを思い出して言い出せなかった、そのことを。
「ええ、……そうです。調べたんですね」
「いや、違うんだ。結果的には、祖母が君の現状を調べることにはなったが、それは身辺調査をするためじゃない」
「──いいんです、慣れてますから」
私はそう言って自嘲した。
嫌な女だなあと、また一つ自分のことが嫌いになる。グリハルトさんは私の両肩をそっと支えるように掴んだ。
「違うんだ。君は、祖母の恩人の家系なんだよ」
「恩人……?」
予想外の言葉に、驚いてぽかんとグリハルトさんを見つめる。
「何から話したらいいのか……。まず、あの夜、──君が首都天空駅のレストランでひどい言われ方をしていたとき。祖母と俺もその場で食事をしていたんだ」
「レストランで……?」
はっとする。
そういえばあのとき、デザートを私にごちそうしてくれた老婦人がいた。そして、運んできてくれた方が、とても整った顔をしていて、私と同じ、珍しいオッドアイ──。
「……あまりにひどい暴言だった。母親の影に隠れるようにしながらも、君を見て名残惜しそうにしているあの男に腹が立った」
グリハルトは、忌々しげに言った。その表情に嘘はないように思えた。
「君の給仕を代わらせてもらっただろう。デザートまで出し終えて、着替えている間に君はもういなくなってしまっていた。そのときは、仕方がないと思った。見知らぬ女性を追いかけるのもどうかと思うしね」
「グリハルトさん……」
「だが、一週間ほど経ったあと、祖母が俺のところに来て言ったんだ。君をそばに置きたいと」
「ミリア会長が?」
「ああ。わけを聞くと、君の曾祖母に当たる人が、恩人なのだそうだ」
私の曾祖母、ミュミュ・ラボリ。
悪女であるチュチュ・コスメーアの娘だ。父親は不明で、夫がいたが離縁され、後に若くして亡くなったという。
ほかの先祖たちの来歴が、皆トラブルに満ちたものだったから、きっと、彼女が不貞を働くなどで離縁されたのだと、私は思い込んでいた。
「解放王ミューゼットは三カ国を統一した。歴史的に見るとすんなりと進んだほうではあるが、血が一切流れなかったわけではないんだ。祖母の少女時代は各地で暴動が起きていて、祖母はそのせいで死にかけたことがあるらしい」
現代では考えられないできごとで、まるで夢の向こうの話のようだ。
「ミュミュさん、君の曾祖母に当たる人はね、祖母を助けたせいで亡くなったんだ。彼女にはまだ幼い子どもがいて、その子を託された。でも、祖母自身もまで少女に過ぎなかったし、逃亡していたし、気づいたらその子は行方不明になっていてね。ようやく見つけたときには、もう亡くなったとされていたそうだ」
グリハルトさんが痛ましそうに視線を落とす。
「君のお母さんが生まれていたことは知らなかった。だからそれ以上祖母は調べるのをやめていたのだが、君は顔立ちも似ているそうだし、あのいけ好かない母親が喚き散らした来歴もある。だが、何よりその名前を聞いて確信したそうだよ」
「名前?」
「そう。君のシュシュという名前。君の家系では、女性に"くり返す音”の名前をつけるのだそうだ。あまりない名前だろう?」
じわじわと不思議な感情が広がっていく。
「ミリア会長の恩人が私の先祖にいるわけなんですね。でも、だからといって、社長が私に縛られることはありません……。もうそういう時代でもないじゃないですか」
「すまない、話の順番が良くなかったな」
グリハルトさんは困ったように頭をかいた。それからひとしきり何かを考えたあと、私に向き合ってきちんと座りなおす。
「まず、──この求婚は、俺が望んでしているものなんだ」
「え?」
「君を見かけたとき、最初に感じたのは、気の毒だということだった。だが、仕事で君の人柄に触れていくうちに、とても気遣いのできる女性なのだと知った。君はいつも、言われたことをただやるだけじゃなくて、その結果どんなことが起きるか、誰が関わっているのかといったことを無意識に判別している。
俺は、終業後、君を見かけるたびにずっと口説いてきたつもりだったんだが、君は驚くほど気づいてくれなかっただろう? だから、祖母に頼んで、機会を設けてもらったんだ。──本当は今すぐ承諾してもらいたいが、まずは、君に男として見てもらえたら……。それで俺にとっては第一歩なんだ」
「グリハルトさん……。でも、……それでも私はお受けできないんです」
「まだ家系のことを気にしているのか? 俺も、祖母も、そんなことは気にしない」
グリハルトは、困ったように頭をかいた。風が吹いてきて、銀色の髪がさらりと揺れる。珍しい銀の髪。
「でも、いくらなんでも……プリュイレーン王家の末裔の方に嫁ぐことなんてできません。私の祖先が罪を犯して、あなた方の歴史を変えてしまったかもしれないんですもの」
私はそう言い切った。