11.シュシュ・フラマン(求婚編)
数ヶ月前のできごとを反芻していると、また顔の熱がぶり返してしまいそうだ。
ピクニックシートの上にごちそうが並んだ。私は今日は、サンドイッチを一種類と果物をそのまま持ってきた。
彼と過ごすようになって一年。
何をするときも「シュシュはどうしたい?」と必ず聞かれるので、無理して背伸びしたり頑張ったりするのではなくて、今の自分の気持ちに意識を当てるようになっていた。
気後れしたままでいるのがいやで、料理教室に通った。かんたんに作れるものもいいけれど、お店みたいな味のものが自分の手で生み出せると感動できることも知った。
料理が好きに、得意になってきてはいたけれど、ここのところ、気持ちがざわざわして寝つけずにいた。朝起きて、買い込んだ材料を前に少し考える。
「シュシュはどうしたい?」というグリハルトさんの穏やかな顔が浮かび、「今日はつくりたくないかも」と決められた。
レモン汁と練乳を合わせたペーストを塗った甘酸っぱいサンドイッチだけをつくり、それからまるごとの果物をいくつか持参するだけにとどめたのだった。
「今日のスープもおいしいです」
保温筒の中には、金色に透き通ったスープ。ひと口含むと、ふわっとした香りが鼻に抜けていく。時間をかけてつくった、お店のような味だ。
「口に合ったならよかった」
グリハルトさんがくしゃりと笑う。
「今日のはね、シンプルなコンソメスープなんだけど、牛すね肉と野菜を弱火で煮込むのが大事なんだ。沸騰しないように見守らなきゃいけないから、結構手間はかかるんだけど、そしたら澄んだスープになるんだ」
──私は、料理について話しているときの彼の表情が、好きだ。
目を背けていたことを改めて頭の中で言葉にしてしまった。今日こそ、お別れをしなければいけない。一年、一年もの長い間、私に費やしてくれたのに。
「シュシュのレモンサンドもいいね。俺が作ってきたのも甘い系のサンドイッチなんだ」
差し出されたのは二色のペーストを挟んでくるくると巻いたサンドイッチだった。渦巻き状になった断面が見えるように、ひとくちサイズにカットしてある。
「これはね、シンプルだけどうまいよ。今ばあちゃんが気に入ってるの」
「ジャムですか?」
「そう。あとピーナッツバター」
寒くなってきたからか、濃厚な甘さが沁みた。
「ピーナッツバターはマストでさ、ジャムの2倍くらい。ジャムはなんでもいいんだけど、ブルーベリーといちごにした。寒くなってくるとこういう甘くて、濃厚なのが食べたくなるよな」
そう言うとグリハルトさんは、小さく切ったサンドイッチを口に放り込み、目を細めて笑った。
それから私たちは他愛のない話をした。彼はぼんやりと森の奥に立つ小屋に目をやっている。その表情に、どきりと感情が揺さぶられる。──そして、自己嫌悪でいっぱいになる。
さらりとした銀髪は、細く柔らかい質感で、秋のはじめにしとしとと降り注ぐ糸の雨のようだ。特に目を引くのは、あまり見られない色の瞳。片方は薄い水色で、もう片方はすみれのような色をしている。
伝承にある男神は、きっと彼のような──。そこに思い至って、腑に落ちる。そうか、だから彼が森番なのだと。
解放王ミューゼットは、王家としての財のほとんどを手放したそうだが、この森だけは手元に残した。
「あの、今後は……」
私が言いかけると、彼はにっこり笑って「来週はばあちゃんが三人で美術館の特別展に行こうって言ってた」と言う。
いつもこうして次の約束をしてくれる。自分でもわかっている。とっくの昔にグリハルトさんにひどく惹かれていた。だから、断れない。断りたくない。
でも、彼とだけは。グリハルトさんとだけは結ばれるわけにはいかないのだ。だって彼は──。