9.シュシュ・フラマン(求婚編)
「おいおい、ばあちゃん。グリちゃんはないだろう。俺は来年で三十だぞ」
グリハルト社長が呆れたように笑う。二人の様子を見て、仲のよい家族なのだなあと目を瞬かせた。
それにしてもなにか既視感がある。どこかで会ったことがあるだろうか。
「ふふ、うちの孫、顔だけはいいでしょう?」
ミリア会長の言葉に我に返った。
社長の言葉が聞こえなかったかのように、ミリア会長はにこにこと祖母の顔をした。それから私の手をそっと包み込み、「あなたも孫になってくれたら、私はうれしい」と囁いてくれた。
その目は吸い込まれそうなくらいきらきらしていて、自分でもどうしてそう思ったのかわからないけれど、とても複雑だった。悲しそうにも、嬉しそうにも、期待しているようにも、後悔しているようにも見えて──。
「では、あとは若い人とお二人で」
ひらりと身を翻すと、ミリア会長はヒールの音をこつこつと鳴らして出口へ向かっていく。
「か、会長……!」
すがるような私の声に、ミリア会長は振り返ると、にっこりと笑った。色素の薄い、透き通った湖のような瞳が、シャンデリアの光をゆらゆらと灯しながらこちらに向けられる。
「シュシュさん、あのね、私、かわいい孫に紹介してもいいと思っているくらい、あなたのことを”確かな人”だと思っているのよ! それを忘れないで」
「祖母がすまないな」
グリハルト社長は苦笑しながら、スープと前菜を洗練された手つきで並べ、私の前、先ほどまでミリア会長が座っていた席に腰を下ろした。
「だが、求婚の件に関しては、俺も同意している」
驚いてぱっと顔を上げる。
「おや、やっと目が合った」
グリハルト社長はくつくつと笑った。
私は頬に熱が集まるのを感じた。彼のような美しい男性はほかにはいない。仕事以外では彼ときちんと話したことがなくて、どうしても目を合わせることができず、ずっと、彼の形の整ったくちびるに視線を落としていたのだ。
「でも、どうして私を……」
そもそも、フェプラーダ社のような国内随一の会社に私が入社できたことも奇跡のようなものなのだ。
母が再婚してからは、義父となる人に学ぶ機会を与えられたから、学問に関しては自信をもって努力してきたといえる。
とはいえ、傾国の悪女を祖先に持ち、代々トラブルの絶えない複雑な家庭環境なのだから。このような大きな会社であれば、事前に調査されていてもおかしくないだろうに。
調査、と頭の中で反芻していやな記憶が蘇ってくる。
二年前、この場所で婚約破棄をされたとき。押し付けられた調査結果を見るべきではなかった。あれは、私の心を完全に折った。
まるで砂時計の砂が落ちていくかのように、私の心のなかにあったさまざまな綺麗なもの──愛情だとか自信だとか、そういうものが失われていくのを感じていた。
今のこの髪色も、少年のような短髪も、水色の魔眼も。すべてはひび割れた心を守るための鎧のようなものだった。
「俺のことが嫌じゃないのなら、チャンスをもらえないだろうか」
「チャンス?」
「ああ。友人からでいいんだ。一緒に出かけたり、君と話してみたりしてみたい。俺は、君のことをもっと知りたいんだ」
「どうして私なんか……」
「君がいいから求婚している。俺は、俺なりの目線で君の人となりを見てきたつもりだ。そもそも、祖母に出張ってきてもらったのは最終手段だ。口説いていたんだが……──君にはまったく伝わってなかったけれどね。もし理由が知りたいならまた会ってほしい。というのは卑怯かな」
グリハルト社長はくつくつと笑った。