ずっといっしょ
塾の帰り道。彼氏と二人でいつもの道を帰っていたら、道端で人がわあわあと騒いでいた。一様に上を指差しているのでつられて見上げると、ビルの屋上に人が立っている。
二車線の道路の向かい側に立つビルは見上げるほどに高い。その屋上に立つ人影は小さく見えるが男の人だということは分かった。朧げに目鼻ぐらいは分かるがはっきりとは見えない。
何であんなところにいるんだろう。
不思議に思うのと同時に周りから「飛び降りだ」「危ない」という焦った声が聞こえる。
やだ。怖い。
彼氏の腕を掴んで身を寄せるが、彼は心配そうに屋上を見上げるだけ。どうにか思い止まらせてあげたいのだろうけど、道路の向かい側だから私たちにはどうにもできないよ。
優しいのは彼の長所だけど、優しすぎるのはちょっと心配。
「警察はまだか」「嘘だろ」など言葉が飛び交うが誰一人そこから動こうとしない。
まるで、この悲劇の結末を見逃してなるものかとでもいうように。
飛び降りる体制を整えているのかぐずぐずと動くたびにあちこちから悲鳴があがる。
本当に飛び降りるなら早くすればいいのに。
死ぬ覚悟があれば、あんな人目につく場所でしなくたっていいのに。目立ちたいみたいじゃない?カッコ悪い。
大体、あいつがうだうだしてるから、優しい彼が心配して動けないんじゃん。
目障りだと睨み上げていると、男の体が大きくぐらりと揺れた。糸の切れたマリオネットのように頭から真っ逆さまに落ちた。
「離れろっ」
「危ないぞ」
悲鳴と怒声が響き渡る中、やけにゆっくりと落ちていく姿が目に焼き付いた。なによりも、見えるはずのない口元が歪な笑みを浮かべていたことも。
それもすぐに街路樹に隠れてしまい見えなくなる。そして、物が落ちる音が聞こえた。まるでただの物が落ちたような音だった。
そこからは悲鳴と喧騒で周囲が溢れかえった。
道路の向かい側のせいか、街路樹があったせいか、落下した姿を見ることはできなかった。落ちた付近を避けるように野次馬が集まっている。中にはスマホを掲げている人も数人いた。
近づいてくる救急車やパトカーのサイレンが聞こえてくる。
できることなんてないよ。帰ろう?
彼の腕を引いて催促すると、優しい彼は落ちた先へ両手を合わせてから歩き始めた。
あの飛び降り事件から一年が経った。
無事に高校に入学した彼と私は毎日楽しく過ごしている。
高校の制服は彼にとっても似合っていて、本当にカッコいい。彼を好きになる女がいないか、彼が浮気しないか、それだけが不安で仕方ない。
サッカー部に入った彼は、瞬く間に人気者になった。彼女である私は毎日やきもきしている。
今日はサッカー部のみんなで晩ご飯を食べた。私はサッカー部じゃないけど、彼女だから一緒に来ちゃった。だって、彼と離れるなんて不安なんだもん。
「お前、今日も告白されてただろ」
「え?なんで知ってるんですか」
彼が驚くが、私も驚きだ。
誰?誰なのよ。私が目を離した隙に近寄るなんて、マジで呪ってやる。
「たまたま見えたんだよ。見た感じ、断ったんだろ?」
「ええ、まぁ…」
当たり前よ。私という立派な彼女がいるんだもの。断るに決まってるじゃない。
駅に向かう途中、前方の街路樹の根本に花束が置かれていた。
それを見た誰かが「なに、あれ。ココで誰か事故ったん?」と聞いてきた。
他の人も花束を見つけ、去年の飛び降りの話になった。
「オレ、それ見たわ。塾の帰りだったから向こうの歩道だったけど」
彼の言葉に周りの子が「マジかよ」「落ちたの見た?」など好奇心で聞いてくる。
彼は向こう側だったから見てないことや、飛び降りた人を悼んでる様子だった。
その時、目の前に黒い人影が落ちてきた。突然で驚いたけど、他の人は誰も気が付いていない。
花束の近くに落ちた影は飛び散っていて、それが小刻みに揺れて集合していく。
「あんな所から飛び降りる勇気があるなら、生きるほうに頑張れなかったのかなって今でも思うんだ。……痛かっただろうな…」
花束の近くで彼が手を合わせる。彼に倣って、他のみんなも手を合わせた。
偶然にも落ちた人影の正面だった。
人影は俯いたままゆっくりと起き上がると、すぅと手を伸ばしてきた。彼のほうに。
私はその手を容赦なく叩き落とした。
少し優しくされたからって図々しい。近寄るんじゃないわよ。
威嚇すると弱々しく怯えて湯気のように上に昇っていった。たぶん、屋上に戻るんだろう。
成仏もできずに何度も飛び降りてる地縛霊のくせに、彼に手を伸ばすなんて厚かましいにも程があるわ。
彼は私だけのものよ。誰にも渡さないんだから。
歩き出した彼の腕にギュッと抱きつくと、彼は反対の手で私の手に触れてきた。
もう、好き。
「どうかしたのか?」
「ん。いや、去年ぐらいから左肩から腕が妙に重いんだよな」
「それ、飛び降りした地縛霊が憑いてるんじゃね?」
ちょっと変なこと言わないでよ。あんなものに憑かせてやるわけないじゃない。
「いやいや。それよりもヤベェのいたじゃん」
「あー、ストーカー女。中坊にストーカーすんなよなぁ。マジでキモイ」
「接近禁止令が出てるんだろ」
「うん。まぁ……引っ越しもしたし、あれから接触はないから大丈夫だと思う」
苦笑する彼の顔を覗き込む。
現実で会えないなら魂を飛ばしちゃえばいいのよ。
貴方は優しいから、酷いことを言う友達にも怒ったりしない。でも、大丈夫。彼女の私が、代わりに怒ってあげるから。
私と彼の仲を裂こうとするなんて酷いわよね。
誰にも渡さないわ。
ずっと、一緒よ♡