天女と魔年 後編 第十九話 純血
時は少しさかのぼる。
境界転移陣には、まだしばらくあろうところで、魔物の群れに襲われてしまった。
私には身を守るすべがない。羽を出して飛んで逃げればいいとも思ったが、目に見える範囲に荷馬車が見えた。天仕であることが露見するのは避けたい。
ひとまず森に入って、逃げることにした。血を流しているわけでもないから、何とか逃げ切れるかもしれない。幸い月の明かりで、森の中は暗くはなかった。積もっている雪が反射して明るいくらいだ。
しばらく走っていると、背後で魔獣のうめき声と、ひゅっと剣が空を切る音が聞こえてきた。
誰かが魔獣を倒している?もしかして、もうマクシミリアンが追い付いてきてくれたのか?まだ、カミュスヤーナを預けられていないのに。。私は腕の中にいるカミュスヤーナを見やる。腕の中のぬくもりが気持ちいいのか、すやすやとよく寝ている。抱いている私が息を切らして走っていることなど、気づいてもいないのだろう。
私は、足を止めて、後ろを振り返った。
何かがこちらに近づいてくる音は聞こえない。やはり、魔獣は誰かに討伐されたのかもしれない。ならば、先ほどの道に戻って、境界転移陣のほうに進みたい。このまま森の中を進んでも迷って、時間を取るばかりだ。
私は恐る恐る走ってきたところを引き返した。
しばらくすると、こちらに背を向けて人が立っているのが見えた。体つきからして男性だろう。身体には簡易鎧を身に着けている。だが、彼は確実にマクシミリアンではなかった。
なぜなら、彼の背中には大きな白い羽が生えていたからだ。
「天仕・・?」
私が思わずつぶやくと、立っていた人物がこちらを振り返った。私の姿を認めると、その口の端をにやりと上げた。
「やっと見つけた。リシテキア。」
「・・クレーメンス。」
青い髪、黒い瞳を持つクレーメンスは、手に持っていた剣を軽く振った。剣についていた魔獣の血が地面の雪を赤く染める。
「魔獣どもを屠ってやったぞ。喜べ。」
「何が目的?」
私の問いかけに、彼は私の方へ歩み寄り、手に持っていた剣を突き出した。
「もちろんそなただ。リシテキア。私は運がいい。」
「なぜ、私を探すの?私は既にあの地を離れているでしょう?もう、あなたたちとは関係はないはずよ。」
クレーメンスは、私の問いかけを鼻で笑った。
「そなたは、はぐれだ。はぐれは定期的に狩られ、王に供物として献上される。そなたもその対象だ。」
彼の言葉に、私は動きを止め、カミュスヤーナを抱く腕に力を込めた。
彼が言っている『はぐれ』は、他種族の血が流れている天仕のことだ。天仕という種族は血統を重んじる。他種族の血が流れている純血統種でない天仕『はぐれ』は、天仕の住む地では虐げられる対象となっていた。定期的に狩られ、王に供物として献上されているというのは初耳だが、純血統種の天仕であれば、そういうことをしていても驚きはない。
問題は、私の腕の中のカミュスヤーナも、彼らにとっては、はぐれになってしまうことだ。さすがにクレーメンスも、抱いている赤子が私と全く関係がないとは思わないだろう。
「だが、リシテキア。私はそなたが狩られることを惜しいと感じる。」
彼の言葉に、私の身体がピクリと反応する。
「私はそなたのことが忘れられないのだ。これから私の側で以前のように奉仕をしてくれるのであれば、命だけは助けてやろう。」
クレーメンスの言葉に、私は身体が震える。あの時のことは思い出したくもなかった。せっかく、彼に会えて、愛されて払拭したはずの情景が、私の脳裏に湧き上がってくる。
私はその情景から目をそらして、彼に問うた。
「・・王の命に背くということ?」
そんなことをすれば、純血統種である彼でも、ただでは済まないだろうに。
「それはいろいろやりようがあるからな。」
彼は突き付けていた剣を鞘に納めると、私の頬に手を伸ばしてくる。その手は、私の頬に触れる前に、私の腕の中にいるカミュスヤーナを指差した。
「なんなら、その腕の中にいる赤子のことも見逃してやってもいい。」
「・・・。」
私は唇を噛み締める。正直強要される奉仕などしたくはない。あの時は最後まではせずに済んだけれど、今度はそうもいかないだろう。はぐれを下等種だと思っている彼なら、まぐわうことなど忌避してくれるかもしれないが、それは彼次第だ。
マクシミリアンに助けてほしいところだけど、それは望めない。私は彼に何も言わずに出てきてしまっている。
それでも、少なくともカミュスヤーナの命が助かるなら。
「本当にこの子は見逃してくれるのね?」
「そうだな。ここでそなたが私のものになるのなら。」
「・・・わかったわ。」
私の了承の言葉を聞くと、クレーメンスは私の腕の中にいるカミュスヤーナに手を伸ばした。カミュスヤーナを、彼を包んでいる白い布ごと取り上げる。
「やめて。返して!」
「これから行うことに邪魔だから、取り上げたまで。」
クレーメンスは、布の端を開いて、中のカミュスヤーナを覗き込んだ。そして、びくりと体を震わせ、視線をカミュスヤーナに固定させた。しばらくすると、彼は顔を苦しそうに歪めた。
「あぁっ!貴様、何をする!」
クレーメンスは自分の頭に手を当てて大きく呻いた。手に持っていたカミュスヤーナが、布に包まれたまま地面に落下する。
「カミュスヤーナ!」
私は落下したカミュスヤーナを取り上げて、再度腕の中に抱え込む。腕の中の彼は、その大きな赤い瞳を細めて笑う。彼の無事に安堵したと同時に背中がジンと熱くなった。
「邪魔をするな!リシテキア!」
クレーメンスは、手に持った剣をこちらに突き付けた。
「赤子のくせに術を行使するなど、生かしておいては危険‥うぅっ。」
彼は、再度こちらに向かって剣を振り上げようとしたが、頭を抱えた。頭が痛むのか呻いている。
私は背中がジンジンと痛く熱くなって、声が出せない。
視線を横に向けると、クレーメンスは、一度鞘に納めていた剣を抜いていた。私はその剣で切り付けられたのだ。カミュスヤーナに向けられた刃を、私の身体でかばったような形で。
カミュスヤーナは、クレーメンスに何をしたのだろう?まだ赤ん坊だし、そんな力もないはずなのに。術を行使?そんなことができるの?
腕の中のカミュスヤーナは、私と視線が合うと、その小さな手を伸ばす。私は、カミュスヤーナの赤い瞳を見て、同じ瞳を持つ彼のことを強く思った。マクシミリアンに会いたいという気持ちが、心の中にあふれる。
助けて。マクシミリアン。
歪んできた視界に、今願ったばかりの彼の姿が映った気がした。




