天女と魔年 後編 第十四話 二人
彼女の首筋からは、いつもとても甘い香りがする。私を惹きつけてやまない、彼女の味を思わせる香りだ。
自分の病の発症を抑えるためと理由をつけて、私はこの時間だけは変わらず勝ち取っている。子どもに煩わされることのない彼女と過ごせる唯一の時だ。
口の中に甘い味が広がって、私の下の彼女の身体から力が抜けていく。
噛み跡を舌でなめとると、彼女の身体が淡く震えた。
私が頭を起こすと、彼女はその月に似た瞳をうるませて見上げてきた。
私は彼女の様子を見ながら、今回も血を摂取しすぎていないことを確かめる。
「マクシミリアン・・。」
濡れた声で名を呼ばれた私は、こくりと唾を呑む。
彼女は相も変わらず美しい。たとえ、子を産んで母になったとしても。
できることなら、このまま彼女を抱いてしまいたい。
彼女の疲れや身体のことも考えず、子どもたちのこともどこかに追いやって、この欲が治まるまで、いつまでも何度でも。
私はぎゅっと目をつぶって、彼女から離れた。
「カミュスヤーナを連れてこよう。」
「待って、マクシミリアン。」
珍しく彼女が私の服を引いて、私のことを引き留めた。
「どうした。リシテキア。」
私は内心何を言われるのかと怯えながら、平然を装い彼女に応える。
「久しぶりに話をしましょう?」
「・・だが・・。」
私は彼女の方を見やる。こちらを見つめる彼女の姿は、今の私にとっては毒でもある。授乳のために胸をはだけやすい、薄い布地の寝巻に近い服を着ているから、私が少しでも手を伸ばせば、簡単に脱がしてしまうことも可能ではある。
彼女は私がそんなことを考えているとは、少しも思っていないのだろう。少し首を傾げて、仰ぎ見るように私を見つめた。
「ほんの少しのお時間で構わないのです。」
彼女はそう言うが、私は彼女から言われることが何なのか怖い。
2人の子どもが生まれてから、私も子どもたちの面倒を見ているとはいえ、それは微々たるもので、負担は彼女に多くかかっている。私は何の助けにもなれていないのだ。自分が得た魔王としての力は、子育てには何の意味ももたない。
私は彼女に言われるのを恐れている言葉は、私とやはり一緒にならない方がよかった。私のことを厭うているといったものだ。
今は、リシテキアは子どもたちの世話で疲れている。だが、少し落ち着いて改めて考えてみれば、彼女は思っていたよりも、いい生活を送れていないことに気づくだろう。
彼女は子を産んだとしても、まだ若い。希望すれば、天仕の住む地に行くことは難しいとしても、家族の元に戻って新たな生活を送ることは可能なはず。
でも、今の私は、もう彼女がそれを望んだとしても、了承することができないのだ。私はもう彼女を手放せない。
きっと珍しく口論になり、彼女は泣くだろう。それが予想できるから、私は彼女と話をするのを避けている。それより、そんな不毛な話し合いをするくらいなら、彼女を休ませてやりたい。
カミュスヤーナはおとなしいから、一緒にしばらくの間は寝ていられるだろう。
エンダーンは私でないと眠らせられないので、そろそろ世話をしている侍女が音を上げる頃でもあった。
私は本音を隠して、でも、こちらも本心から彼女へ労いの言葉をかける。
「君は疲れているだろう?寝られる時に寝ておいた方がいい。カミュスヤーナとなら、一緒に寝ていることができるだろう?」
「それは・・そうだけど。」
彼女は私の言葉に渋々同意した後、服から手を外した。
私は外された服を引き寄せ、寝台から出ようとしたところ、背中に柔らかい感触がのしかってくるのを感じた。彼女が私の背中に身を預けている。
「マクシミリアン。私のことが嫌いになった?」
「・・私が君を嫌いになることなど、ありえない。」
背中に感じるその柔らかさとぬくもりに、安堵したかのように大きく息を吐くと、彼女はそれをため息と思ったのか、身体をピクリと震わせた。
「じゃあ、何でそんなに私から離れようとするの?」
彼女が背中からかける問いかけには涙がにじんでいた。私は彼女を泣かせたいわけじゃない。私は身体をひねって、彼女の上半身を抱きしめた。彼女が胸の中で息を詰めた。
彼女がいつも何かを問いかけようと、口を開くのを何度も見てきた。
私はその度に別れを切り出されるのではないかと怯えている。
君の方こそ、私のことを嫌いになったのではなかろうか。
私には、彼女のように問いかける勇気は出ない。
そんなことを思いながら、彼女の背を撫でていると、彼女の身体の硬さが少しやわらいだ気がした。私は彼女から身体を離す。彼女の顔は見られなかった。
「今は君の身体が心配なのだ。ゆっくり休みなさい。」
彼女を背にして部屋を出る。今度は彼女も私を引き留めなかった。




