天女と魔年 後編 第六話 微睡
私が防護室に戻った時には、彼女は硬い床の上に横になって、規則正しく寝息をたてていた。
私は彼女を起こさないように、寝具以外の物を部屋の隅に並べ、寝具を部屋の空いたところに広げた。できれば、寝台ごと運び入れたいところだったが、さすがに通路や入口を通せない。
身体に身体強化の術をかけた後、横になっている彼女の脇腹と、膝の後ろに腕を入れて持ち上げる。魔術発動禁止の結界は、先ほど部屋を出た時に解除しておいた。
やはり思ったより、体が冷えている。そして、翼が邪魔である。
寝具の上に、羽が身体の下敷きにならないように、彼女を横たえる。顔にかかった髪を軽く後ろに払ってやった。
彼女を起こさないよう注意しながら、顔の輪郭を指先で撫でていく。
そう、私はずっと待っていた。彼女が自分の元に帰ってくるのを。
私が病に負けることなく生きてこられたのは、唯々彼女がいつか戻ってくると自分に言い聞かせてきたからだ。私が死んでしまっていたら、戻ってきた彼女がどんな顔をするか。せっかく作った彼女の居場所を、守れずに朽ちていくのは嫌だった。
ただ、将来の確証なしに、ひたすら希望にすがっているのは、私の心をすり減らした。
さすがにそろそろ危なかった。実際、彼女が先ほど入ってきた時には、幻覚だと本気で思ったし。自分で死ねないなら、彼女に殺してもらいたいと思ったのは確かだ。
彼女がいない世界は、とても色あせていて、どこかむなしかった。
私は彼女の身体を見下ろした。
湯あみをしたおかげで、鈍く私を刺激していた感覚は鳴りを潜めている。
2年半という年月は、確実に彼女の身体を女性らしく成長させていた。指先で体の線をなぞると、その柔らかさと滑らかさに驚かされる。
だが、先ほどの彼女の様子から察するに、彼女のほうこそ私を異性とは考えていないのではないかと思う。平気で私との距離を詰めるし。
彼女の翼が何とか私が彼女に襲い掛かるのを押しとどめたのだ。それすらもわかっていないだろう。この先を考えると、頭が痛くなる。
別れる前に、結婚するとか異性としてみるとか言ったことを、覚えているかも怪しい。
私は彼女の左手を探った。その薬指には私が渡した装身具が嵌っている。その装身具から、赤い宝石を取り外す。そして、彼女の横に自分の身を横たえた。
仰向けになった状態で、赤い宝石を目の前にかざす。
「そちが見たすべてを示せ。」
赤い宝石が鈍く光り、私の頭の中に、彼女が過ごしてきた2年半の情景が、ひらめく。隣に寝ていたリシテキアが、ぬくもりを求めてか、私のほうにすり寄ってきたので、その肩を抱いてやる。
彼女は私に言った通り、両親をちゃんと説得したようだ。さすがに毎日訴え出るのはどうかとは思うが、結局2年半もかかったのだから、よくやったといえるだろう。
普段はどこかの施設で、医療研究をしていたようだ。
身の回りには、特別親しい関係の異性はいなかったらしい。いたら彼女を問い詰めて、あちらに帰らせないとならないかとも思ったが、杞憂だったようだ。どちらかというと、弟のアルフォンスの方がいろいろあったようだ。後半にいくにつれ、アルフォンスは必ず同じ少女の側にいる。
2年半の中で見えるのは、何度もこの赤い宝石を撫でる姿、無理やり浮かべる笑顔、夜に声を押し殺して泣く様子。私と同様、彼女もこの期間を耐えていたということ。
私は、赤い宝石を口に放り込むと、音を立てて嚙み砕いた。もう少し結界付与の強度を上げたものを作り直さなくてはならないな。2年半の間、彼女に危険はなかったようだが、こちらではそうもいかないだろう。合わせて位置特定などの機能も付与しておくか。
身体の向きを横にして、寝ている彼女を胸の中に抱え込む。寝ている彼女は起きることもなく、なぜか私の胸にその頬をこすりつける。
少なくとも、今はこの胸の中にあるぬくもりは消えない。
彼女の身体の柔らかさと温かさに、自分の瞼がゆるゆると下がっていく。
やらなくてはならないことも、考えなくてはならないことも山積みだが、今はいったんすべて忘れて、この幸せに揺蕩うのも一興だろう。
「おかえり。リシテキア。」
私の言葉は声になったのかわからないが、胸の中で彼女がフフッと笑ったような気がした。




