天年と人女 前編 第八話 返礼
呼び出された音響室に足を踏み入れると、椅子に座って、アルフォンスが窓の外を眺めていた。窓の外は青空。彼の髪の色だ。
「アルフォンス様。お待たせしてしまいましたか?」
呼びかけると、彼はこちらを振り向き、椅子から立ち上がる。
「いえ、急に呼び出してしまい、申し訳ありません。」
「・・アルフォンス様。もう少し口調を砕いていただけると嬉しいのですが。」
私がそういうと、彼はキョトンとした顔をする。
「ああ、すまない。どう話していいかが分からなくて。」
「私はアルフォンス様より年下ですよ。もっと、気楽に話していただいて結構です。」
彼は、私の言葉に少し表情を緩めた。
「フェリシア。来てくれてありがとう。エルキュールは、一緒ではなかったのか?」
「兄さまは、今日は婚約者のシャルリーヌ様とお帰りになられました。」
彼は小さく「婚約者」と私の言葉を復唱する。
「ええ、アルフォンス様がいらっしゃるのなら、帰りも送ってもらえと言われました。ご迷惑でしたか?」
「いや、それはいいのだが、エルキュールに婚約者がいたのかと思って。」
「兄さまは次期領主ですから、早めに婚約を調えたのです。私が休んでいる時はたまに帰りが一緒だったりしていたのですが、院ではあまり関係を持っていないようなので、お気づきではなかったかもしれませんね。」
「その・・フェリシアも婚約は済ませているのか?」
彼が私に向かって問いかけた。私は軽く首を傾げて答える。
「私は、この通り虚弱ですから、結婚は諦めていますけど。たぶん、子どもも産めないでしょうし。」
「それは・・。」
彼は何かを言いかけて、そのまま口を噤んでしまった。そのまま言葉は続きそうにない。
「今日は何のご用事ですか?」
私が問いかけると、彼はハッとしたようにこちらを見つめる。
「いただいた菓子・・とても美味しかった。だから、礼をしようと思って。」
「お口にあったならよかったです。」
彼は部屋の中央に椅子を置くと、その椅子に腰かけるように告げる。私は、彼の言葉に従って腰を下ろした。
彼は、部屋をぐるりと見渡すと、私から少し離れたところに立つ。
「目をつぶってくれたほうが嬉しい。」
「はい。わかりました。」
彼が何をする気かがよく分からないが、私は言われた通りに目を閉じた。
彼の方から息を吸い込む音がした後、朗々と伸びた声が私の耳をうつ。
これは・・聞いたことがある。たしか、自然と空の美しさをたたえる歌だ。
私は彼の美しい歌声に耳を傾けながら、彼の髪色に似た青空とその下に広がる草原を、頭の中に思い浮かべる。
すごい・・綺麗。
変声期前なのか、男性にしてはまだ高めの声で、広い音域を綺麗に歌い上げている。
だから、音響室を待ち合わせ場所に選んだのかと腑に落ちる。
剣技もできて、医学の知識もあり、歌もうまいなんて、なんて才能にあふれているのだろう。それに比べて、私は身体も弱くて寝込んでばかり、周囲の人を困らせてばかりで、駄目駄目だなぁ。
ずっと聞いていたかったが、歌は終わりを迎えてしまった。
「すごい、すばらしいです。アルフォンス様。」
手を叩いて、閉じていた目を開くと、なぜか視界がゆがんだ。
「フェリシア?」
彼が慌てたように私の目の前にやってきて、床に片膝をつく。その動作もすべてゆらゆらとして見える。
「なぜ、泣いている?」
「え?」
目元に手をやると、手先が濡れた。彼が言っているように私は涙を流しているようだった。
「とても・・感動してしまって。」
彼が自分のハンカチを取り出し、私の涙をぬぐってくれる。
「泣かせるつもりはなかったのだが。」
「いえ、素晴らしい歌声でした。聞かせていただきありがとうございます。」
心配そうに私を見つめる彼に、私は笑ってみせる。
「家族以外で聞かせたのは初めてだったので、喜んでもらえてよかった。」
「他の方は聞いたことがないのですか?では、私が一番のりですね。」
そう答えると、彼は軽く視線をそらした。
「この先、他の者の前で歌うつもりはない。」
「なぜですか?とても素晴らしい歌声なのに。」
「せっかくの礼なのに、他の者に聞かせたら、特別感が出ない。」
真面目に答えを返されて、私は思わず笑ってしまった。彼は、私の様子を見て、顔をしかめた。
「なぜ、そこで笑うのだ。」
「いえ、何か嬉しいなぁと思いまして。でも、この間のお菓子は診察のお礼だったのに、またそれに返礼されてしまっては、いつまでたっても終わらないのではありませんか?」
「そうだな。では次は私に何をくれるかな?」
彼は明らかにこのやり取りを面白がっている。それが分かって、私は話に乗ってみることにした。
「素晴らしい歌への返礼ですか。。気後れしてしまいそうですね。何か、欲しいものなどございますか?」
彼が動きを止めて、少し迷うようなそぶりを見せた。でも、私はその答えを聞くことができなかった。突然のひどい寒気と身体の震えに襲われたからだ。
「フェリシア!」
彼が弾かれたように動き、私の身体を包んでくれたことは分かった。
「アルフォンス様。・・寒いです。」
私の言葉が聞き届けられたのか、身体が強く抱きしめられ、彼のぬくもりを感じた。
その内、全ての感覚が遠くなって、目の前が真っ暗になった。




