4.かけっこ
(はるきか……)
隼人は午後の授業中ひたすら、彼女の――はるきのことを考えていた。
月野瀬の田舎の山奥で、野山を駆け巡り一緒になって遊んだ幼馴染。
『あ、釣れた! ボクも釣れたぞ、はやと!』
『わかった、わかったから叩くな!』
――ああ、そういえば。
先程のように、春希は興奮するとバシバシと背中を叩く悪癖があったなと思い出す。
交わす言葉のノリも当時と同じことをされれば、つい『はるき』と呼んでしまうのも無理はない。
(二階堂さんは、はるきなのか?)
山奥の田舎である月野瀬に相当詳しくなければ、それこそ地元の者じゃなければ、源じいさんのことなどわかりはしないだろう。
ジト目で二階堂春希を観察する。
やはりと言うべきか、どうしたって隣の席の女の子が、この清楚可憐で大人しそうな美少女が、猿の妖怪じみた幼馴染だとはにわかに信じられなかった。
「……む!」
「……っ!?」
そんな隼人の視線に気付いた彼女は、千切った消しゴムをデコピンの要領でぶつけてきた。痛くはないのだが、その幼稚とも言える行動に吃驚してしまう。
(子供か!)
二階堂はるき――春希は、そんな隼人の驚く顔を満足気に眺めたあと、鼻を鳴らして前を向く。その際にちょこっとだけ見せたピンク色の舌が、猿の妖怪と言われた事への抗議のように思えた。
◇◇◇
そうこうしているうちに、本日の授業も終わる。
教室は瞬く間に喧騒を取り戻し、学生たちは退屈から解放される。夏至の近い6月の空はどこまでも青く、まだまだ明るいのだと主張している。遊びに繰り出すのは絶好の天気だ。
「なぁ霧島、これから皆でカラオケに行くんだけど、一緒にどうだ?」
「そうそう、歓迎会も兼ねるし奢るぞー」
「転校生がどんなの唄うか気になるな!」
「いや、俺はその――」
調子のよい、そして好奇心の強いグループに囲まれる。
彼らとしてはごく自然な誘いなのだろう。しかし田舎で同世代との交流がなかった隼人は、どうすれば良いのかと躊躇ってしまう。
(それに、カラオケ自体行った事ないし……)
あやふやな態度でまごついていると、強引に肩に手を回され連れていかれそうになった。
「てわけで、行くべー」
「ちょ、おいっ」
「ダメッ!」
しかし、それに待ったと鋭い声がかかる。
「え?」
「うん?」
「二階堂、さん……?」
「…………ぁ」
彼らにしても意外な相手だったのか、彼女――二階堂春希を注目してしまう。
そして春希本人も予想外な声だったのか、驚く顔も一瞬、咳払いして向き直る。
「……えっと、その、こほん。ダメですよ、放課後色々案内してって頼まれてるんです。ね、霧島くん?」
「そっかぁ、それじゃあ仕方ねぇな。二階堂さんが相手してくれるなんて羨ましいぞ、この!」
「え、いや、二階堂さん……っ?!」
言うや否や羨ましそうにする男子達の視線を背に、春希は強引に隼人の鞄を掴みながら強引に引っ張っていく。
隼人を引っ張る力は、その細腕からは信じられないほど強く、有無を言わせない。どちらかと言えば、引きずられていると言ったほうが良いかもしれない。
そして、そんな調子で校舎を案内するわけでもなく、昇降口に直行して校外へと連れ出された。
「おい、一体どこへ連れて行く気だ?」
「いいから、いいから!」
学校を飛び出した隼人は、春希に引っ張られる形で住宅街を小走りに進む。
傍から見られれば美少女に無理矢理連行されている図である。
さすがに情けないやら恥ずかしいやらで隼人の顔も熱を持つ。
春希はそんなこと知ったことかとばかりに前を駆ける。
しかしそれは、かつての子供時代を彷彿させる構図でもあった。
(ははっ! ……まったく、変わらない、な!)
土手やあぜ道の代わりに、アスファルトを蹴飛ばしている。ただそれだけの違いだった。
「どこに向かってるかは知らねぇけど、遅ぇよ」
「むっ?!」
隼人はあの時と同じように、早足を競って春希を追い抜こうとする。
するとあの時と同じように、春希も負けじと足を早める。
隼人が前へ、春希が前へ、抜いて抜かれて全力疾走。2人の顔には不敵な笑み。互いの手は繋がれたまま。
「あはっ!」
「ははっ!」
意味がわからなかった。
だけど一緒に走る、ただそれだけで楽しくなった。
かつての出来事と感情を思い出され、理屈を飛び越えて目の前の美少女がはるきだと、はっきりと理解させられる。
たとえ昔と姿が変わってしまっていたとしても、たしかに変わらないものがある――それがなんだか無性に嬉しかった。
「さ、着いた。ここだよ」
「え、ここって……」
住宅街にある、さほど珍しくも無い一軒家。ここがどこかだなんて、聞くまでなくわかる。
互いの家に遊びに行くなんて、かつてならよくある事だった。
「うん? どうした、隼人?」
「……なんでも」
背中まで伸びた長い髪、少し冷たい小さな手、かつてと違う綺麗な顔立ち。
機嫌よさそうにケラケラ笑う顔が、少し恨めしい。
だけどここで帰ってしまうと、なんだか負けたような気がして――そんな幼稚じみた想いで「お邪魔します」と呟いた。