379.来たのね
目的地の自然公園に近付くにつれ、緑が増えていく。
丘陵の田園で田植えをしている人たちが、夏の始まりを謳う。
そんな牧歌的な光景は、どこか月野瀬にも似ていた。
やがて自然公園に辿り着き、併設されている駐車場にバイクを停める。
田畑や住宅地の中にある、山のような場所だ。
木々のトンネルを抜けると拓けた広場へと出る。近くに立てられた地図によれば運動広場に小野球場、神社に調整池などかなりの広さがあるようだ。週末だが都心からは電車でアクセスがしにくいらしく、利用客はまばら。
幸いにして、撮影している場所がどこなのかはすぐにわかった。とある小径の入り口に規制線が引かれ、立ち入りを制限しているところがあったからだ。ついでとばかりに数台のバンが停まり、機材を運ぶスタッフの姿もある。
春希は気楽な感じでぐぐーっと大きな伸びをして、軽口を叩く。
「さ、いっちょぶつかってきますか!」
「おう、行ってこい。ダメだったら骨くらい拾ってやるから」
「その時は頼むね」
そして互いに顔を見合わせ不敵な笑みを浮かべ、撮影場所へ向かう。
隼人は春希の一歩後ろを付いていく。
ほどなくして春希の姿を見つけたスタッフが、何人かこちらへやってくる。
春希はそのうちの初老で小太りの男性にニコリと笑い、礼儀正しく頭を下げた。
「今日はよろしくお願いします、監督」
「あぁ、よろしく頼むよ。それにしても驚いた。本当に来るとはね」
「ちょっとしたアクシデントがあったけど、間に合ってよかったです」
「ははっ! アレをちょっとしたで済ませるのはさすが真央くんの娘というか、こりゃ大物になりそうだ!」
「ふふっ、そうなるといいですね。それで、他の人たちは?」
「あぁ、もう現地に入っているよ」
「じゃあ私もすぐに準備して向かいますね」
春希は近くのスタッフに促され、バンへ向かう。着替えやスタイリングをするのだろう。
それを合図に、他のスタッフたちの動きも撮影に向けて活発になる。
そんな中、隼人が手持ち無沙汰で立ち尽くしていると目立つというもの。しかもティンクルのイベントスタッフのジャンパーを羽織っているので、かろうじて関係者とわかるが、下は御菓子司しろの制服姿だ。場違い感が甚だしいのは事実。さすがにここにきて気恥ずかしくまってきていると、先ほど春希が挨拶していた監督がやってくる。
「君は……えっと、春希くんのマネージャーかなにかかな?」
「あー、その――」
隼人はそこで言葉を区切って考え込む。
ここで「はい」と肯定して、無難にやり過ごすのは簡単だろう。その方が、色々と事を波立てないというのもわかる。
けれど今、春希は自分の母親と本音でぶつかろうとしているのだ。
だからここで変に取り繕うのも違う気がして、隼人もまた偽りのない言葉を返した。
「幼馴染です。小さい頃からの相棒というか、今日は困ったことがあったっていうか沙紀さん……同じ春希の幼馴染の子と一緒にどうにかしようと思って、ここへ」
「ほぅ、あの〝舞姫〟とは別の幼馴染ね。キミも何か彼女のように何かできたり?」
「俺は特に、なにも。あ、他に流したりしないので個人的に写真撮っていいですか?」
「ふむ、一応こちらでどんなのを撮ったのか、チェックさせてもらうけどいい?」
「はい、構いません。もし都合悪そうなものがあったら消します」
「話が早くて助かるよ。そうだ、台本読む?」
「いいんですか?」
にこにこしている監督から手渡された台本は付箋がいくつも貼られており、ページも擦り切れている。パラパラと捲ればペンによる書き込みも多い。
隼人は使い込まれた台本を、壊れものを扱うようにして目を通す。多くの注釈のおかげで、するする内容が頭に入ってくる。
――千尋。
それが映画のタイトルだ。
田倉真央が演じる千尋という女性は、総合商社でいくつものプロジェクトを動かしてきた、いわゆるバリキャリである。周囲に人を寄せ付けず、ストイックといえば言葉は良いが、ワンマンで淡々と仕事をする姿は一匹狼の孤高な存在と思われている。
物語は国も絡む地方の大型資源開発プロジェクトで、千尋が現地の責任者のとある初老の人物と出会うところから始まる。
彼との出会い以降、千尋はこのプロジェクトを成功させるべく、なりふり構わず手段も択ばず動いていく。それこそ人が変わったように、鬼気迫る様子で。
やがてその理由として、現地責任者が千尋の因縁の相手だと明かされる。
元々千尋は地方の裕福な生まれで、何一つ不自由せずに育ってきた。
しかしある日、両親が信用していた人に騙され多額の借金を背負ってしまう。
これまでの生活が一変し、どんどん落ちぶれ、周囲の目も冷ややかに。
居た堪れなくなった千尋は、単身都会へ飛び出したのだ。
彼は千尋の家をめちゃくちゃにし、人を信用できなくなった原因を作った人物だった。
しかし今までがむしゃらに働くことで忘れようとしていた記憶が、彼との出会いで蘇り、復讐を誓う。
幸いにして、彼は千尋のことを覚えていないようだった。
きっとそれだけ多くの人を騙してきた証左であり、今回も同じように食い物にされている人がこのプロジェクトの裏にいる――その確信をした千尋は、誰よりも働く傍ら彼の周囲を調べ上げていった。
使えるコネや手段は何でも使った。時にはグレーな取引を持ち掛けたり、業界の大物に女の武器を使って取り入り圧を掛けてもらったりも。
そしてついには証拠を揃え、彼を追いつめ、詐欺と横領で失脚させる。
またこの大型プロジェクトも大成功を収め、千尋はその立役者として更なる出世も果たす。傍から見れば大成功だ。物語もさぞ盛り上がることだろう。
しかし気付けば千尋の周囲には誰もおらず、1人になってしまっていた。
手段を択ばなかった千尋は、自分を窘めてくれた数少ない友人も拒絶し、慕ってくれていた大切な人も危険な橋を渡るからと自ら遠ざけた。
虚しさから胸にぽっかりと穴が空いた千尋は、プロジェクト終わりでリフレッシュを兼ねた休暇を取って故郷へ。
そこでかつての幸せだったころの自分が目の前に現れ、対面することになる。
春希はその、過去の自分の役だ。
(これは……)
隼人は直感的にこの映画が、田倉真央の半生を綴ったもののように思えた。
春希の役なんて、まるでそのために用意されていたかのよう。
その時、準備を終えた春希がやってきた。髪は豪奢な感じになるよう編み込まれ、着ている衣装も楚々とした上品なもの。深窓の令嬢といった姿。
春希は監督ににこやかに笑って言う。
「お待たせしました。いつでも行けます」
「あぁ、行こうか」
「はい」
監督と春希が移動を開始すると、スタッフたちもすぐさま後に続く。
隼人も慌てて彼らの背中を追う。
規制線が張られた奥の森の小径をしばらく歩くと、視界が広がり、膝に届くくらいほどの背の小さな早咲きのひまわりの花畑が目に飛び込んでくる。
その中央には、スタッフに囲まれた田倉真央がいた。
ただそこに居て映画の打ち合わせをしているだけなのにやけに存在感があり、周囲を圧倒しているのはまるで女王さながら。いや、春希にとってはラスボスだろうか。
こちらに気付いた真央は睥睨するかのように、隼人や監督、春希たちを見回す。
その時一瞬どうしてか真央と目が合い、射貫くかのように目を細められる。
「……ッ」
隼人の背中にぞくりとしたものが駆け抜けていく。
揺るぎない意志、何かの覚悟が籠められた目だった。
それはどこまでも燃え盛る炎、もしくは極限まで研ぎ澄まされた刃。
これが大女優、田倉真央。
周囲の空気が引き締まり、緊張の糸が張り巡らされていく。
そんな中、真央はより鋭くした眼光を春希に向け、咎めるように言う。
「来たのね」




















