374.春希の窮地
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ベイエリアには広大な臨海公園と、多目的広場が広がっている。
そのすぐ傍には巨大な屋外ステージも設置されており、大規模なイベントスペースとしても打ってつけの場所だ。
現在ティンクルの単独ライブを見るため、人波が押し寄せている。
このイベントでは元々、ステージ前方のみ有料優先観覧エリアを設けるのみだけだったが、ここ最近の春希の人気を鑑みて告知寸前になって有料化した。会場の安全確保と人数コントロールのためだ。それでも想定以上の盛況ぶりといえよう。
ステージ近くにある商業ビルの一画が、今回のイベントの運営拠点だ。
そこで控室として使ってる一室で、春希はパイプ椅子に腰かけ苦虫を噛み潰したような顔して頬杖を突きながら、これ見よがしに大きなため息を吐く。
対面に座る桜島清司は、困った顔で芝居がかったように肩を竦めた。
「今日の撮影に参加しないと、春希くんを降板させる……まったく、してやられたね」
「…………そうね」
今、春希は窮地にいた。自然と唇を強く噛みしめる。
田倉真央が引退作とする映画を撮影している――その情報を察知した清司は約束通り、あらゆるコネや手段を使って春希の出演を取り付けてくれた。場数こそ少ないが、重要な役どころを強引に。
かなり無理をしてくれたようで、周囲にもいい顔をされてないらしい。
間接的にも主演の田倉真央が、露骨に反対しているというのも聞いている。
しかし田倉真央という長年第一線で活躍し続ける大女優と、今を時めく人気アイドルの春希――その母娘共演は映画製作サイドとしても魅力的に映ったのだろう。そうした打算のもと、勝ち取った役だった。
本日、映画は春希も登場する重要なシーンを撮るらしい。
とはいえ、その辺に関してどうこういうのは今更だろう。
予定されている映画の撮影の時刻は13時から。場所はここからどれだけ急いでも2時間以上かかる。時刻を確認すれば10時半過ぎ。間に合うには今すぐにでもここを出なければならない。
一方、このハーフアニバーサリーイベントは12時開始。完全に被っている。
映画サイドからの連絡が入れ違いになったとは聞くものの、今日のハーフアニバーサリーイベントに重ねてきたことには作為的なものを感じる。
それを裏付けるように、本来春希の役どころになった若手の実力は女優が、既に現地入りしているから気にしないでとまで連絡がきているのだとか。
春希は今、母と共演するために撮影場所に駆け付けるか、ティンクルのライブに出るかの選択を迫られていた。何とも厄介な事態になったものだ。迷う時間はもう残り少ない。
春希がまたも悩まし気にため息を吐くと、清司が自嘲する。
「これに関しては、僕の政治力不足だった、すまない」
「……いえ」
内心『どうだか』、と鼻白む春希。
春希の目的は母との共演、芝居を通じての語り合い。
だが清司の目的は、ティンクルの成功だ。それぞれ目指すものが違う。
もしかしたら今回の件も、敢えて清司が仕組んだ線も否定できない。
母との共演の機会なんて、これが最初で最後だろう。それがわかってるからこそ頭の冷静な部分は、今すぐ母のところへ向かえと主張している。
だけどそうすると、当然ながらティンクルのハーフアニバーサリーイベントをダメにしてしまうのは明白。一体どれだけの人の期待を裏切ることになることか。このイベントの成功に向けて動いている、人と物と金の規模がわからないほど子供じゃない。
ティンクルだって、なんだかんだ愛着もある。
それらを全て台無しにして、果たしてちゃんと母と向き合えるだろうか。
母にはもう、自分は1人でもちゃんとできるという説明も兼ねている。
それに何より多くの人を裏切った自分が果たして、沙紀や隼人の隣に立てるだろうか。
春希はギュッとアイドル衣装の胸を掴む。
腹の奥底にはぐるぐると、悔しさや歯痒さといった嫌なものが渦巻いている。
今にも吐きそうだ。
どうしていいかわからない。
この自分でもどうにもできない力に翻弄される感覚は、ひどく覚えがあった。
かつて月野瀬で、隼人と離れ離れになったことを思い返す。
(ボク、は……)
ここまで頑張って駆け抜けてきたというのに、もうどうにもならないのだろうか。
そんな諦めが心を侵食しようとしたその時、ふいに控室の扉が勢いよく開け放たれ、茉莉が威勢のいい声を響かせた。
「待たせたわね、おばさん!」
「話は聞いたぜ、春希っ!」
そして続いて聞こえてきたこの場にいるはずのない想い人の声を聞いて、春希は驚愕交じりの間の抜けた声を漏らした。
「…………え?」




















