363.アイドルイベント③
『ありがとうございました~♪』
司会の言葉と共に、およそ2時間弱の駆け出しアイドルイベントが終わりを告げた。
この場にいる誰もが春希の歌の余韻に恍惚とした表情を浮かべ、終了への残念そうなため息を吐いている。そして心を掴まれたまま、その場に立ち尽くす。
また周囲には、春希のステージ中にその歌声に惹かれてやってきたのか、イベント開演前に比べて明らかに人が増えていた。すし詰め状態で身動きも取れなさそうだ。
やがて照明が元に戻り、日常へと切り替わる。
周囲が徐々に騒めいていく中、姫子がふいに色のない声で感想を零した。
「はるちゃんだけ、別次元だったね……」
すると恵麻も、どこか呆然としたふうに言う。
「うん……すごい、ってのはわかってたつもりだったけど、こうして舞台で見ると全然違ったね」
「オレ、正直二階堂が他のアイドルと比べて、ここまで差があるとは思わなかったわ」
伊織もまた、放心した様子で春希への称賛を呟く。
隼人も複雑な表情で、「あぁ」と同意を示す。
耳をそば立てると、周囲から「沼った、今日から推す」「噂以上」「誰だよ、親の七光りって言ったやつ」といった声が聞こえてくる。どこもかしこも春希の話題一色だ。
他の同業者たちと比べても、春希は別格だった。
観客席とステージが遠い。月野瀬と都会とは、比べ物にならないほど遠い。そのことを改めて見せつけられた。
姫子もそれをひしひしと感じているのだろう、硬い表情で遠くを見ている。
しかし姫子はふいに口元を緩めため息を吐き、まるで世話がかかるんだからと言いたげな小さな声で呟いた。
「まったく、追いかける方の身にもなってよね」
「……姫子?」
そして姫子は自分と同じだよねと微塵も疑わない視線を向けてくるも、隼人は咄嗟にその意味がわからず妹の名前を呼ぶにとどめる。姫子の目は強い意志が籠められており、それがどうしてか一輝にも重なり、余計に困惑している。
「それよりおにぃ、あれ見て」
「あれは……」
姫子に促されてステージの方へ視線を移す。
そこでは、速やかに機材が撤去されると共に物販ブースがステージにまで拡大して展開されていた。なるほど、この空気だ。商機を逃す手はないのだろう。
すぐさま物販ブースへと向かう人の流れができていく。
同時に周辺の人混みが緩和されると、伊織が皆に訊ねてきた。
「これからどうしよっか、グッズ買い足したくなったとかある?」
隼人は困ったように鼻を鳴らして答える。
「いや、その気持ちはちょっとあるけど、あの人の多さは勘弁」
「あたしもおにぃと同じかな。事前に買っていたもので満足しときましょ、というか足がかなり疲れちゃいまして……」
続いて姫子が弱ったふうに言えば、恵麻も苦笑しながら口を開く。
「よく考えたら3時間以上立ちっぱなしだし、私もさすがに休みたいかも」
確かに立ち見だったこともあり、隼人も疲労を感じている。
まずは休憩が必要だろうと思い、その旨を皆に告げた。
「とりあえず、どこか座れる場所へ移動しよう。伊織、どこかいい場所知ってるか?」
「ん~、近場だとホールにいくつかベンチがあったはず。まずはそこに向かおうぜ」
皆も伊織の言葉に頷き、人混みを掻き分けながら移動する。
しかし残念ながら他の人も考えるのは同じなのか、休憩スペースはどこも埋まっていた。中には行儀悪く、地べたに座る人たちも。
さすがにそこまではしたない真似はできず、シャインスピリッツシティ内の飲食店も見てみるが、どこも満席。列を作っているところもある。
それだけ、先ほどのイベントで人が集まっているようだった。
結局、シャインスピリッツシティ内で落ち着けるところが無さそうなので、別の場所へ行くことに。
外に出たところで、恵麻がやれやれといったふうにため息を吐いて肩を落とす。
「皆、考えることは一緒かぁ」
「はるちゃん、それだけ多くの人の注目を集めたってことですね……」
姫子も同じように肩を竦め伊織も頭の後ろで手を組み、呆れた様子で言う。
「今だってずっと周囲から二階堂の話題ばっか聞こえてくるからなぁ」
「そう、だな……」
隼人も何とも言えない曖昧な笑みを浮かべて答える。
ここまでの移動中もあちこちから先ほどのイベントでの春希の話が聞こえてきた。
その中には「差を見せつけてた」「他の人が霞む」「前座になっちゃったね」といった、相対的に春希以外のアイドルの評価を下げるものも少なくない。
力量差があったのは事実。言われても仕方はないとはいえ、彼女たちも真剣なのだ。
思わず眉を顰めていたその時、ふいに傍を通りがかった女子グループから聞き逃せない声が聞こえてきた。
「正直さ、ティンクルの茉莉って春希の引き立て役だよねー」
周囲によく聞こえる、大きな声だった。その後に「わかるー」「レベルが違うというか」「どこかの大御所の孫だっけ?」「七光り乙って感じ」といった言葉が続く。
春希と同じユニットの茉莉は、格好の比較対象だ。彼女を嘲笑うような声を聞いて、正直気分のいいものじゃない。ぎちりと奥歯を噛みしめ拳と強く握りしめたところで、ふいに肩を掴まれ我に返る。
「おい、隼人」
「っ、伊織……っと、変なとこ見せた」
「いいって。まぁ気持ちはわからんでもないけどさ」
伊織に窘められ、バツの悪い顔をする隼人。感情が顔に出ている自覚はあった。
先ほどの女子たちの声は周囲にもよく聞こえていたのだろう。姫子と恵麻もまた、彼女たちへの反感を滲ませた顔で苦笑い。
するとその時、視界の端で急に駆け出す人影が見えた。
地味なパーカーに大きな黒縁眼鏡をかけた、パッとしない女の子だ。
しかし一瞬彼女の横顔を捉えた隼人は、どうしてか居ても立ってもいられなくなり、すぐさま彼女を追いかけた。
「悪ぃ、今日はもう先に帰っててくれ!」
「おにぃ!?」「隼人っ!?」「霧島くん!?」
突然の行動に驚く3人の声を置き去りに、隼人はわき目も振らず全力疾走。彼女を見失わないよう、必死になって後を追う。
(……くそっ!)
自分でも何やってんだ、と思う。
だけどどうして彼女を追うのかの理由は明白だった。
似てたのだ。
どこか諦めを悟ったような暗い顔、他人を拒絶するかのような濁った瞳、何もかも信じられないと全身で不満を発している癖に、誰かに縋るかのように助けを求めている――初めて出会った時のはるきとそっくりだった。放っておけるはずがないではないか。
やがて交差点の曲がり角で追いついた隼人は、彼女の腕を掴む。
「ちょっと待ってくれっ!」
「えっ!?」
いきなり男に腕を取られた彼女はビクリと身体を震わせ振り返り、驚きと警戒心に彩られた目を向ける。息を切らせて追いかけてきた男に対して、当然の反応だ。
隼人も自分がやってることが、不審者のそれという自覚は十分にあった。
現に街中ということもあり、周囲からも訝しむ視線を向けられている。必死に弁明の言葉を探すも、そもそも衝動的にやったこと。適切なものが中々思い浮かばない。
「の、のど飴舐める?」
「は?」
それでも何とか必死にひねり出した隼人の言葉に、彼女――茉莉は間の抜けた声を上げた。




















