343.勝手に居なくならないでよ、バカ―ッ!
突然、隼人から告げられた言葉に、ぴしゃりと表情を固まらせる春希。そして瞳を揺らし、徐々に泣きそうなものへと変わっていく。まるで隼人の言葉が春希を傷付けてしまったかのよう。
そんな顔を見せられるとドッと後悔が押し寄せ、血の気が引いていき、胸が早鐘を打つ。あまりに空気を読まない、自分勝手なこちらの感情をただ押し付けるだけの発言だ。
一輝は驚きから目をこれでもかと大きくし、みなもはあたふたしながら自分の口を塞ぐ。伊織はおかしそうにくつくつと笑いを抑えて肩を揺らしている。
そんな中、隼人は必死に言葉を探して絞り出す。
「あー……その、ちゃんと食べてるか?」
「……へ? あぁ、うん。身体が資本だからね」
「えっと、新人だからイジメられたりとかしてないか?」
「それも大丈夫、世渡りは昔から得意だからね」
「そっか……」
「うん……」
何ともうわべだけを空滑りするような、空虚でやきもきするような会話。
ただ取り繕うだけのやり取り。上手い言葉が出てこない。
春希との接し方で誤作動を起こしている感覚。
どうすればいい、何をすれば――そんな焦りだけが募っていく中、ふいに再度入り口の扉が勢いよく開かれ、またも白泉先輩の愉快気な声が響く。
「はい、おかわり追加で~すっ♪」
「春希さんっ!」「春希ちゃんっ!」
今度は沙紀と恵麻が、応接室へと入ってくる。
「えっ……」
二人の登場に驚く春希。隼人たちも、まさか新入生である沙紀までここへやってくるとは思わず、呆気に取られてしまう。
そんな中、沙紀は垂れ目がちな瞳を精いっぱい吊り上げながら、ずんずんと大股で一直線に春希の下へ。そして両手で、むにっと春希の頬を引っ張った。
「勝手に居なくならないでよ、バカ―ッ!」
「ひゃ、ひゃひひゃん……」
沙紀は彼女らしからぬ大声で思いの丈を春希にぶつけ、ここぞとばかりに感情を剝き出しにした抜き身の言葉を浴びせかける。
「いきなり目の前から消えたと思ったらアイドルとか、ほんと意味わかんなかったし! 受験だって一緒の学校に行くって言ったのに最初落ちちゃって、補欠で受かるまで約束果たせないって凹んだし、それなのに春希さんってば登校してなくて、このまま辞めちゃうとか他の学校行くんじゃとか、私、私……うああああああああああっ!」
沙紀はどんどん涙声になっていき、最後には泣き出してしまった。今まで彼女の中で張りつめていたものが、弾けてしまったのだろう。
春希もまさか沙紀が泣き出すとは思っておらず、オロオロするも、そっと彼女を抱きしめる。
「ごめん、ごめんね。何も言わなくて」
「ぐすっ、うぅぅ……バカッ、春希さんの、バカ……ッ!」
春希はしがみ付いてきた沙紀の背中を撫でながら、しばらくそのまま彼女をあやす。
「これからはなるべく顔を出すようにするから」
「……ホント、ですか?」
「ホント、ホント。だって出席日数のこととかあるし」
「約束ですからね……っ」
沙紀は涙でぐしゃぐしゃの顏のまま、頬を膨らませて小指を強引に絡ませ指切りをする。春希も目を丸くしつつも、次第に頬を緩めていく。
その様子はまさに久々に再会した親友同士。
隼人はそんな二人を愕然とした様子で見ていた。
まるで自分がすべきことを沙紀が代わりにやってくれたような感覚。
少し遅れて嫉妬と羨望が胸に押し寄せてくる。次に自己嫌悪と焦燥。
やがて春希のスマホが通知を告げた。
画面を見た春希が、バツの悪い顔で少し寂しそうに呟く。
「車来たみたい。ボク、もう行かなきゃ」
そう言って春希は応接室の扉へと向かう。
今の春希を引き留める言葉を持たない皆は、それぞれ神妙な顔でその背中を見送る。
そんな中、沙紀が明るい声を春希に掛けた。
「何かあったらすぐに言ってくださいね! すぐに駆けつけますから。ね、お兄さん?」
「っ、あぁ! だから、ちょっとしたことでも遠慮なく言ってくれよ」
沙紀に声をかけられ我に返り、思いの丈をぶつける隼人。
すると春希は振り返り何度か目を瞬かせた後、ふにゃりと相好を崩した。
「うん、わかった。その時は頼りにしてるよ相棒」
やがて春希の姿が消え、誰からともなく気の抜けたため息が零れる。
隼人は拳を強く握りしめ、窓の外を眺めながら、沙紀に礼を言う。
「ありがとう、沙紀さん。さっきの春希、いつもの笑顔に戻ってた。きっと、沙紀さんが本音でぶつかってくれたからだと思う」
「あはは、私も必死だったというか、恥ずかしい姿を見せちゃって」
「俺も同じように伝えようとしたんだ。でも無理だった……」
「え?」
信じられないと目を丸くする先に、隼人は少し自嘲気味に言う。
「開口一番、寂しかったって伝えたんだ。そうしたら泣きそうというか、傷付いたような顔をさせて、それ以上何も言えなくなって……俺の代わりに言いたいことを沙紀さんが言ってくれたから、最後にいつもの春希を引き出せた」
今まで、それは相棒だった自分の役目だった。
それが沙紀に取って代わられたのは、悔しくも不甲斐ない。芸能界という未知の世界で戦う春希に、今まで通りにできないことがなんとも情けない。
するとしばらく目を瞬かせていた沙紀は、やがて可笑しそうに肩を揺らした。
「ふふっ、お兄さんそんなこと言ったんですか。春希さんの反応も当然ですね」
「へ? どういう……」
わけがわからない。今度は隼人が瞠目する番だった。
どういうことかと問い質すような目を向けると、沙紀はくすくすと笑う。
「大丈夫、春希さんは傷付いたりしていませんよ」
「なら何で……」
「ん~……」
そこで沙紀は言葉を区切り、少し意地の悪い顔を作る。
「私と春希さんは女の子で、お兄さんは男の子って話です」
「はぁ……」
よくわからないと首を捻る隼人に、沙紀は困ったように顔を綻ばせた。
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