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殺し屋と奏でるサーカス  作者: お菊
第一幕
9/14

終幕


 その子は涙で頬を濡らした不思議な子だった。


 母親が主催である演奏会の午前スケジュールを、観客席の一番後ろで桜満は待機していた。

 午後の部である自分の演奏時間にはまだ時間があって、他の出演者が奏でるピアノの曲を聴いている。

 一般用出入り口の通路前に、席に座らず佇む大小二つの人影が、演奏を観覧する桜満の視界に入った。

 演奏会には、母の知り合いばかりが招待されていることを桜満は知っていた。佇む二つの影もその知り合いだろうと近づいて話しかける。

「座らないの?」

 親子のように見えた二人は手をつないでいて、近づく桜満に目を向けた。

 実際は全く似ていない二人だったが、子供の桜満にとって目の前に佇む影が親子ではないと見抜くことは到底無理なことだった。

「ああ、すぐに出るから」

 父親と思わせる男は若く、まだ二十台半ばほどで、紳士的な雰囲気を漂わせている。着ている黒いのスーツも体の形を捉えてとても美しく見えた。それを同じ黒のネクタイで、さらに引き締めている。

 手を繋いでいる子どもは、漆黒のフードを深く被って、コートを着込んでいる。桜満は傍によってフードの中を覗き込むと、その子が同い年位の少女だと黙認した。

 少女は白い肌に吸い込まれる様な瞳をもっていて、桜満は人目でその心を奪われ囚われた。しかしそんな少女の異変に気づき、眉をひそめる。

「どうしたの?」

 薄暗い中でよくは見えなかったが、少女の頬には涙がつたっているように見えた。

「悲しいことがあったんだ」

 答えたのは男の方で、少女は一言も声を出さない。

「悲しいこと?」

「ああ。とても悲しいことがね。でもいつまでも泣いてはいられない。ほらこの子に笑われてしまうよ?」

 そう言われて、少女は細い指で頬の涙を拭う。

「あの、午後の部は聴いていきますか?」

 桜満は目の前で涙を流す少女を放っておくことができず、目配りしながら男の方に話しかけた。

「いや、ただ立ち寄っただけなんだ。招待されているわけではないから、すぐに出て行くつもりだよ」

「じゃぁ僕が招待します。だから午後の僕の演奏を聴いていってくれませんか?」

「きみの演奏?」

 意外な提案に大小異なる二つの影は、少し驚いたように目を合わせている。

「はい!僕のピアノ。元気を出してもらえるように弾きますから」

「きみの?」

 少女の問いかけに、桜満の心臓はどきりとする。想像通りの澄んだ声に頬を赤らめる桜満だが、舞台上の照明が放つ光が届かないホールの後部通路では、それを相手に悟られることはない。

「うん。僕の」

 少女は渋る男を見上げ、握る手に力を込めた。

「おい弓削、終わったか?」

 すると突然どこから現れたのか、桜満の後ろには長身のこれもまた黒いスーツ姿の若い男が立っていた。けだるい雰囲気を漂わせて、ズボンのポッケに両手を突っ込んでいる。

「ああ、悪いな櫛笥。この子がね」

 少女と手をつないでいた男は弓削と呼ばれ、桜満に軽くほほ笑んだ。

「なんだ、このガキは」

 屈んで桜満を覗き込む櫛笥と言われた男は、訝しげに眉をひそめる。

「この子にピアノを聴かせてくれるというんだ」

「ピアノ?」

 確かめるように、櫛笥は少女を窺う。すると少女は弓削の手をより一層強く握りしめて、その思いを伝えようとした。櫛笥にも視線を向けて、同じように意思を伝える。

「櫛笥、少しだけだ。いいだろう?」

 頼まれた気だるさが抜けない態度の男は、短くため息をついて頷いた。

「わかった。じゃぁ聞かせてもらおうか」

 男二人にはよほど少女がかわいいのだろう。

 かわいい少女の頼みなら、蔑ろにするわけにはいかないとあからさまに態度を変えた。

「ありがとうございます!えーっと、名前はなんていうの?」

 ぱっと明るい眩しいくらいの、桜を咲かせたような満面な笑みを作り、桜満は緊張しつつも少女に話しかけた。嬉しさによる興奮と、緊張が増す自分に心臓は内側から強く桜満の胸を大太鼓のように叩く。

「――――――はるか」

 桜満の耳には少女の声が、解けた氷のように沁みわたる。

「はるか、もう泣かないで。僕は桜満、元気出してね」

「おうま、うん。楽しみにしてる」

 桜色を散りばめた笑顔の桜満に、やさしく照らし出す月のような笑顔で少女も微笑み返した。



「それで、悠のクランケ化はもう大丈夫なのか?」

 弓削と櫛笥はまだ出入り口前の通路に残り、先に席へ座らせておいた悠を見つめていた。

「予断はできない。それに彼女のことがあってまだ二日だ。悠の精神状態が未だに不安定な乱れを見せている」

「くっそ!あいつに続いてなんで悠まで……」

 櫛笥は眉間にしわをよせ、目の前の手すりを握る手がしびれるほど力を入れる。

「彼女がクランケと化してしまった以上、悠もただでは済まないだろうね。本社で調べあげられるのは目に見えてる」

 弓削も下くちびるを噛む仕草をして、震えるこぶしを手すりに押し付けた。

「そんなことさせるかよ。あいつらのためにも、悠だけは幸せにしてやらねぇと気が済まない」

「それは私も同じだよ。悠だけは守ってみせる」

 二人は視線を合わせると、同時に頷いて見せた。



 桜満はまがったネクタイを母親に直されると、舞台に上がりピアノの前で一礼して、客席の一番後ろへ視線を向けた。そこには約束した通り、悠が弓削と櫛笥に挟まれる形で座っている。その姿を見ると桜満の早まった鼓動は、いつの間にか穏やかな海のように波を和らげた。

 桜満がピアノに向かいあい椅子に腰掛けると、それと同時に拍手は鳴りやんで、ホール内は静寂に包まれる。

 桜満の考えることは一つだけだった。

 少女が悲しまないような、元気になる曲を弾くこと。

 それだけだ。



「――――悠?」

 弓削が悠の様子がおかしいと気付いたのは、桜満が椅子に腰をかけようとしたときだった。

 櫛笥も悠をふと窺うと、強烈な攻撃を受けたかのような衝撃が胸を突いた。

「おい!」

 フードの中から覗く少女のような顔をもった悠の瞳は、いつもの眩い月の色が消え去り、真っ赤に揺らぐ、血の色をしていた。

「悠……大丈夫か?」

「弓削、急いで外に――――――」

 弓削が悠の右手を包み、櫛笥が腕を掴んだときだ。悠は二人の男の手をその冷たい手で、優しく握り返した。

「――――――お願い、最後まで……」

 悠の口から懇願の願いが洩れた。

 静寂を破る深遠で悠然な音がそれを重ねる。


 そして待ち焦がれた銀盤の音色は、重い一音を弾ませた。


 悠の頬を、涙がつたう。

「悠、お前……?」

 弓削は人差指でその雫をすくった。

 櫛笥も同様に、涙を流す悠を優しく撫でる。

「――――――キレイな、音色……」

 悠がフードを取り去ると、人目を引く白銀の髪がさらりと揺れ、輝く月の瞳が佇んでいた。






「まじかよ」

 凱はすでに、劇場の入り口になどにいなかった。

 悠たちが中へ入ってからすぐに、警備員が見回る時間とルートを確認すると、同じく割られた硝子戸から中へ侵入したのだ。

 しかし一人として警備員と遭遇せずに、“それ”を見つけたのは偶然ではなかった。

 防音のために敷かれていた鳶色の絨毯を、柘榴を撒いたように赤く鉄臭い血が飛散していたのだ。

 何か大きなものを引きずった跡が、窓のない真っ暗な通路の奥へ続いていて、それは扉の前で切断したかのように途切れていた。

 人の気配のない扉を開けると、ゴミ捨て場のような異臭が鼻をついた。

 ブラインドの下ろされた部屋は暗く、凱は持っていた懐中電灯で足元を照らす。そして光を延長して壁へと長く走らせると、部屋の角には数人の警備服を着た男が、重なるようにその場へ置かれていた。

「こいつら……クランケの餌にでもなっちまったのか?」

 一番上に仰向けになって、両手を万歳でもしているかのような格好で置かれていた男に、凱は懐中電灯を当てると、首筋や胸、手足などを調べ始めた。

 目は見開いたまま、瞳孔が開ききっている。歯が数本ないのは以前からのようで、舌は口からだらりと垂れていた。一緒に血反吐を吐いた跡が残り、襟首はどす黒く汚れている。

「なんだ?どこも喰われてない。それにこの耳……」

 負傷の跡はどもにもなく、たいして体に損傷は見当たらなかった。

 しかし頭部の左右に誰しもが持っている穴に、どろりとした混濁の液体が流れ出ていた。それをつまんで指の腹でなでると、凱の脳裏に最悪な帰納が、しおりをはさんでおいた本のページのように脳裏に浮かぶ。

「くっそ、騙された!」

 凱はアクセルを全開にしたような速さで、部屋を一気に飛び出した。

 暗い通路を何の迷いもなく走り抜ける。突きあたって右へ曲がると、大ホールと小ホールを繋ぐロビーに出た。しかしそこで通路を迷うことはない。明らかに異常な振動と音に、悠たちの居場所はすぐにでもわかった。

 何段も飛ばして階段を上がり切って走ると、すでにその意味を成さない大ホールの入口が、ぽっかりと大きな穴を開けていた。中からは崩れさる壁の崩壊が、音となって伝わってくる。

「悠っ!」

 凱が中へ飛びいると、異様な光景が目に入った。

「な、んだ?」

 悠は言うまでもなくクランケとの死闘を繰り広げている。しかしその背後で、桜満がピアノの前に座っているのだ。すでに弾く準備ができているのか、大きく呼吸を整えているのが見てとれる。穂波と優沙希が走り寄り、桜満のその行動にどう対応していいのか困っている様子だ。

「こんな時に何してんだよ、あいつは」

 崩れかけたホールの階段を一歩踏み出すと、凱の視界に入っていた悠がクランケの攻撃により、乱れなく並ぶ座席へ叩きつけられる。備え付けの頑丈な椅子は、無残にもその列を乱して破壊された。

 そしてそれが合図だったかのように、桜満の旋律がホールに広がる。

 悠は桜満の演奏を耳にすると、全ての動きを止めた。


 懐かしのレクイエム。

 悠の耳には、遠い過去に、それでいて昨日のように、心地の良い、美しい音色が届いた。


 急に動きを止めた悠に、クランケも同様に行動を虚無にする。相手を観察するように紅目をギラつかせ、悠の出方を待った。

 クランケの荒い息遣いと、せん湲を表す音色だけがホールに響く。

 桜満の指は鍵盤を撫でるようにしなやかで、そして時には力ずよく跳ねた。ホールの動かない空気をなだらかに、様々な音階がふき抜ける天井まで届く。

 悠はそれに聞き入って、微動だにしなかった。

 凱はそれを見計らい、精いっぱいの力ずよさで、思いっきり叫ぶ。

「悠!そいつは寄生型だ!この間やったはずのクランケだよ、生きてやがったんだ!」

 凱のその一言は、決して遅くはなかった。それを悠は確かめるようにクランケへ視線を戻すと、月のグレーが鋭くそれを射抜く。

人から人へ、体をまるで服を着替えるように変えていく。脳を措かして全てを奪う寄生型のクランケは、たちの悪いウイルスのようなものだった。

 切りつけた顎や足から血を垂らしているクランケは、表情を一切変えないまま、その不気味な牙を覗かせる口を、大きくつり上げて笑って見せた。

「なんだ。やっぱり生きていたの」

 悠はそれを憫笑して返してみせ、クランケの半分もない己の体を、真正面に向かい合わせた。

「――――――でも、もう終わりだよ」

 血反吐のついた刀をひと振りして血を除け掃うと、青光りする刃を悠は見据えるように横一文字に構えた。西洋風な格好に不釣り合いの、滑稽な鍔をあしらった刀は、むしろ悠のその美麗な姿によく似合っていた。

「一瞬だ」

 唐突に悠の口から、終わりを意味する合図が、静かにクランケを襲った。

 悠は床を蹴り込んで体を捻ると、振り上げる刃がクランケの大腿部を骨まで抉り、鈍い音を響かせる。


 グガァァァッ!


 迸る鮮血にクランケは咆えるように喘ぎ、無様にもバランスを崩して仰向けに倒れた。


 流れる旋律は、悠の追い討ちを見透かして、艶やかな曲幕を披露して―――

 そして――――――


 悠は俯角の位置へ走り寄ると、地面に倒れ付したクランケの脳天に、刀の切っ先を鉛直に勢いよく突き刺した。

 柄を両手に渾身の力を込めて、後頭部を貫通させる。

 寄生型のクランケを幾度も狩ってきた悠は、その息の根を止める方法など、因循のように知っていた。

 クランケの意識が入った脳を突いて、その働きを止めさせる。

横たわるクランケの紅い目は、だんだんと白濁した色に変わっていく。

「さよなら」

 悠の声は冷たく、何の感情もこもってはいなかった。 

 一瞬力んだクランケの体は、そこで生命を果たし、身動きひとつしなくなる。

 刀を突き立てた頭部の下は、墨地のようにどす黒く、血を溜めた。

 同時に演奏された曲の最後の一音が、高らかに鳴り響いた。

 桜満のピアノが終曲を迎え、余韻が悠の体を温かく包みこんで、長い一夜の幕が下りた。





「どこ行ってたんだ?」

 櫛笥は年中無休二十四時間営業で、雰囲気が大正を思わせる喫茶店の一番奥にあるボックス席に、白いカップに入ったブラックコーヒーを一口飲むやいなや、目の前の椅子に座り込んだ弓削を睨み付けた。

「別に?どこにも」

 水とおしぼりを持ってくるウェイターに、弓削はアイスティを注文して、櫛笥とは目を合わせようとはしない。その隣に並んで座る、和仁にだけは隠れて、不慣れな肩目をつむる仕草をして見せた。

「じゃぁその内ポケットのものはなんだ?」

 しらを切ろうとした弓削に、櫛笥はすかさず突っ込みを入れる。

 人生の半分以上を共に生きてきた仲だ。お互い大抵相手が何を考えているか、言われなくても分かってしまう。

 そのため櫛笥もたった今弓削がどこで何をしてきたかなど、大凡の見当はついていた。己の能力の一つである透視眼(クレア)を使って、弓削が持っているはずのない物を、スーツの内ポケットから見つける。

「――――――あ、返すのを忘れていた」

 言って取り出したのは、銅製のシンプルな鍵だった。手の平に納まる小さな鍵を見つめ、弓削は小さくため息をつく。

「ったく。結局は手を出さずにはいられなってことか?」

 櫛笥はくるくるとカップに入ったコーヒーを回したスプーンで、弓削を指しながら呆れたように言う。

「そういうお前も結城を無理やり起こしただろう。怪我はまだ完治していないのに」

 櫛笥の言ったことなど気にもしていないように、弓削は向かい合う和仁を窺いながら攻めに転じる。

「こいつは、自身が悠のことを心配してだな」

 ポンと和仁の肩を叩き、櫛笥は弁明を求めるかのように視線を向ける。和仁は困ったように軽くうなずいて見せたが、弓削はしらじらしいと鼻で笑った。

「言い訳はするな」

「――――――で、結局どうだったんだ?」

 待ちかねたのか、櫛笥は耐えきれない様子で報告を求めた。

 弓削もため息をついて、ふと思い出したかのように笑顔に戻る。

「問題はなさそうだ。結城、きみの方はどうだったんだ?」

 運ばれてきたアイスティのグラスに立てられたストローを持て余しながら、弓削は安堵したように肩をなでおろして、和仁に期待感を持ってい聞く。

「悠の、あんな表情を見るのは久しぶりでした……」

 和仁のどこか遠くを見つめるような雰囲気は、嬉しさと悲しさの狭間を行き来しているようだった。

「あんな?」

 櫛笥は訝しげに眉をひそめて見せて、和仁の醸し出す雰囲気に同じく浸かった。

「あんな笑顔はいつ以来だったか――――――」

「そうか。……幸せそう、だったか?」

「ええ、とっても」

 四十代前半の年よりも若く見える色男二人と、まだ年若い美青年は、夜が空けるまで店を出ることはなく、久しく語りあう姿は窓から照らす月明かりに揺れて、一層と濃く浮かび上がっていた。





 夏も終わりだというのに真夏日と化したこの日は、路地で発見された男の死体に寄生していたクランケを取り逃がし、桜満を狙った同一のクランケを倒してから三日目の昼下がりだった。

 あの後かすり傷程度しか負っていなかった桜満は、自分のアパートで何の予定もなく、二日間引きこもっていた。しかし二日目の夕刻に、メディカルホームの穂波から電話が入り、翌日にホームへ来てほしいという内容だけを伝えられた。

 そして今はホームのラウンジで、ホームのスタッフ全員と対面している。

「桜、おめでとう」

 悠は一通の茶封筒を桜満に手渡すと、優しくほほ笑んだ。

「え、あ。ありがとうございます?」

 何の事を言われているのかわからず、桜満はとりあえずお礼の言葉を返すが、語尾が疑問形になっていた。

「今後ともよろしくね」

「お兄さんよろしくお願いします!」

「おめでとう桜くん!」

 穂波や優沙希が続いて混乱する桜満だが、さらに凱の異様なまでの笑顔に、何が起こっているのかさっぱりわからなかった。

「あの、いったい……」

「正社員昇級?」

「え?」

 悠が唐突に言った最後が疑問符のついたセリフは、桜満の耳を右から左へと通り抜けた。

「ん?」

 首をかしげて揺れた白銀の髪を、桜満はそんな時でも綺麗だと思ってしまう。

「つまり、お兄さんはメディカルホームの、正社員になったってことですよ」

「まじで?」

「よかったわね、これで就職活動には苦労しないわよ」

「うちは給料いいぞ~!これからは先輩だ。優しくかわいがってやるから、なっ!」

 桜満は凱に肩を抱かれたと思ったら、その腕はそのまま首の方へまわり、ぎゅうぎゅうと締め付けられる体制になってしまった。

 態度とは裏腹に、凱は仲良くなろうという気などないのだろう。その力技は本気だった。

 何かの格闘技で使われるような技に、桜満は思わずギブアップの意味で凱の腕を叩きまくる。

「つまりって、何で、いったい、どういうことなんですか?」

 息が絶え絶えになりながらも、桜満は思った疑問を投げつけた。

「桜満くんのピアノの音色には、悠さんのクランケ化を防ぐ要素が含まれている、って言ったらわかるかしら?」

 穂波が凱の腕を解きながら話した内容を、桜満は一瞬疑ってみせる。

「――――――えっと、それ、本当ですか?!」

 悠は桜満を落ち着かせる微笑みを向けた。

「簡単に言うと、そうかな」

「そう言えば、“それ”いつから分かってたんだ?」

 凱が訝しげに悠へ聞くと、優沙希も同じく興味心身のようで身を乗り出している。

「えーっと。十年くらい、前かな?」

「はぁあ?!」

 思ってもみなかった年月に度肝を向かれたのは、凱だけではなかった。

(ああ、やっぱりそうなんだ……)

 先日の戦いで桜満は十年前に行われた演奏会での出来事を、懐かしい映画を見るように思い出した。当時初恋だった女の子が、メディカルホームの代表である大神悠だと気がついたとたん、ピアノを弾かなければならないと体が動いていた。

 実は初恋の相手が男の子だったということなど通り抜け、約束という自分への暗示を桜満自らかけていたのだと、過去の自分を振り返っている。

「それは悠さん以外知ってるんですか?」

 穂波の質問に、悠はすぐさま答えた。

「和仁と、あとは弓削さんと櫛笥さん」

 桜満以外のスタッフには、一生分にも近い沈黙が流れ、そして一生分に相当する長い凱の悲痛がホームを木霊した。

「俺らは聞いてねぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――!!!」



 人間いつ何がおきるか分からない。

 十年前にはすでに始まっていたかのような桜満の壮絶な人生は、いま決定したも同然だった。

 メディカルホーム正式スタッフとして働くのは、幼い悠に出会ったあのときに、すでに決められた彼の運命だったのかもしれない。

 それはずっと昔からの決まりごとのようで、一瞬にしてピアノの音色と同じく流れて行く。

 夏の日差しはいまだに残り、蜃気楼を作っている。

 夏に咲いていた桜は、満開だった。



ありがとうございました。第一章終わりました。

続きは第二章から。


まったく続きを考え付いたいなかったので、少し書きためてからアップします。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


感想などいただければ参考になります。

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