第3話 さようなら、過ぎ去った日々よ
ウーヴェがいないこの村に興味はない。私は、密かに進めていた移住計画を実行に移すことにした。私は、本編にも出てくる大都市ラストックに出稼ぎに行くことにした。というのも、町に大きな製糸場ができるらしく、女工さんを募集していたから、応募してみたところ、すんなり通った。給金は悪くないし、一日三食寝床付き、福利厚生も充実している、最高の職場だった。
私は親や親族に別れを告げ、ヴレーメン村を発ってラストックに向かった。このことはウーヴェには伝えなかった。
ラストックは、さすが国で3番目に大きい都市(ちなみに1位は魔法都市で2位は王都)と言われているだけあって人も多く、賑やかだった。初日は都心で買い物したりして過ごした。そしていよいよ製糸場に入場することになったが、実際は都心から少し離れたところに建っていた。
製糸場の敷地は郊外だけあってとても広かった。建物がいくつもあって、まるで一つの小さな町のようだった。そして、建物一つ一つが最新技術を駆使して建築されていて、とても綺麗で立派だった。こんな所でこれから働くのかと思うと胸が高揚した。やはり、田舎から出てここにきて良かった。違う環境の中で労働すれば、気持ちも変わって過去のことも忘れられるだろう。
敷地内を案内されたあと、私たちは女子寮に案内された。部屋は2人で1室。ルームメイトはどんな人だろうと少しわくわくしながら待っていたら、ほどなくしてノック音が響いた。
そして、入ってきたのは金髪の可愛い女の子だった。年は同じくらいに見える。
「えっと…、こんにちは」
金髪の彼女は少し緊張した面持ちで挨拶した。
「こんにちは」
「私、ディアナって言います! よろしくね」
ディアナは名乗るとにっこり微笑んだ。彼女の榛色の瞳はキラキラと輝いている。
「私はマグダレーネよ。こちらこそよろしくね」
「うん! ねぇ、マグダレーネはどこから来たの?」
「私はヴレーメン村出身よ」
私の言葉にディアナは小首を傾げた。もしかして、知らないのだろうか。まあ、無理もない。ヴレーメン村は規模も小さく、本当に何もない田舎だから。
「そこって、どこら辺にあるの?」
「北の方よ」
「そうなんだ! 私はね、カーミッシュ出身なの」
カーミッシュといえば、南の方にある山のふもとの小さな町だ。ここからもそう遠くない。規模はそこまで大きくはないけど、街並みなどがとても美しいと聞く。機会があればぜひ行ってみたい。
「そうなのね。」
「うん。父親が狩人で、私も銃とか持ってよく一緒に狩りに行ってたんだけど、両親にお前はもう少し世間を見てこいって言われて、追い出されるようにここへ来たの。」
女の子が狩をするとは、大胆である。少し驚いたが、外の世界ではそれは普通かもしれないと思ったので特に突っ込まなかった。
「そうだったのね。」
「そう。だから私、狩猟なら誰にも負けないよ! 獲物だってたくさん穫れるから」
私は内心、そんなところで張り合っても…と思ったが、それはそれでアクティブでいいかもしれない。
「マグダレーネはどうしてここへ来たの?」
私はその質問に正直に答えるべきか、一瞬すごく迷った。実は私でさえ本当はなぜここにきたのかよく分かっていなかったから。でも、やっぱり彼女はルームメイトだし、信頼を置ける仲になりたい。私は今後の付き合いも考えて正直に話すことにした。とはいえ、正直に話しすぎることもないと思った。
「そうね、理由は色々あるけど…。一番は、過去を忘れるため。ずっとあそこにいたら嫌でも思い出しちゃうから」
「そ、そうなのね。なんか、大変だったんだね」
「…うん」
ディアナはそれ以上は突っ込んで聞いてこなかった。
それから、私はこの良きルームメイトとよくおしゃべりした。表裏のないすごく良い子だというのはすぐに分かった。年も同じだし、仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
翌日から勤務が始まった。最初の方は先輩の社員に仕事を教わりつつ段々慣れていき、許可が出ると独り立ちするシステムだ。覚えることも多くて大変だったが、慣れてくるとちょっとしたおしゃべりを楽しむ余裕も出てきた。
勤務が終わると、皆で寮に帰る。就寝時間まで思い思いに過ごし、時に誰かの部屋に集まったりしながらおしゃべりに興じる。部屋といえば、寮の部屋も日を追うごとに個性が見られるようになった。ある人は人気の俳優のポスターを貼ったり、他の人で宗教画を飾る人もいた。また、恋人の絵姿を飾る猛者もいた。やはり長い共同生活で皆どこかに心の拠り所を求めているのだろう。
就寝時間が来ると、皆翌日の勤務に備えて眠る。充実した生活だった。
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その日はずっと雨だった。私は外に出ることもできず、家の中で仕事をしていた。
いつ雨が止むのかな、と思いながらしとしと降る雨の音に耳を傾けていたら、玄関を叩く音が聞こえた。私は微かな期待に弾む心を抑えて慌ててドアを開けに行った。
「ただいま」
扉の先にいたのは、ずっと待ち続けていた、私の最愛の人、ウーヴェだった。
私は溢れ出る涙を抑えることができなかった。ずっと、待ってた。ずっと、この家であなたが帰ってくるのを待っていた。あなたと再会したら話したいことはたくさんあった。
「レーネ!」
私は未だに信じられない気持ちだった。まさか、彼が帰ってくるなんて。やっぱり、待っててよかった。
でも、なんだろう、この違和感は。何か忘れている気がする。
まあ、どうでもいいや。今は彼が帰ってきたことが重要だ。私ははやる心を抑えきれずに彼の方に向かった。
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「レーネ!」
私はディアナの声でハッと目を覚ました。辺りは明るく、開かれたカーテンから陽の光が差し込んでいた。
「もうちょっと」
私はまだ寝足りなくてもう一度ベッドに潜り込もうとした。目覚めは元々悪くない方だったのだが、最近なぜかやたらと眠くて仕方がない。
「だめよ、もう起きる時間よ」
ディアナに布団を剥ぎ取られたため、試みは失敗に終わった。仕方なく起きる準備をする。そういえば、さっきまで夢を見ていた気がする。それも、久々にあの人が出てきたような。まあいい、夢は所詮夢だ。思い出したところで何にもならないだろう。なのになぜだろう、涙が溢れでてくる。私は同居人に見られないようにそっと涙を拭った。
支度を終えた私たちは、勤務場に向かった。
ここに来て勤務してからもう数ヶ月経った。私たちは独り立ちし、作業場を任されるようになった。
「ねぇ見た、今日の工場長? 超不機嫌だった」
「見た見た! あれは絶対振られたと思う」
「あれ、この間別れたばかりじゃなかったっけ?」
監督がいなくなった途端、女たちはペラペラと喋り始めた。本当、みんなこの手の話題が好きだなと思う。他人のことなんてどうでもいいのに、そんな気になるのかな。
私は目の前の作業に集中する。手元が狂わないように目を離さず注視する。
「…っ!」
集中しすぎたせいだろうか、少しフラッとした。気分もあまり良くない。ここ最近よくある症状だ。おそらく、急に環境が変わったストレスだろう。だからだろうか、最近月のものも来ていない。
「休憩ー!」
監督の声が聞こえ、時計を見ると、もうお昼の時間だった。作業をキリのいいところまで終わらせ、皆とともに食堂に向かう。私はいつも通りディアナたちと一緒にお昼を食べた。
「レーネ、全然食べてないじゃない」
私はため息をついた。食事を前にしても全く食欲がわかない。目の前でディアナが心配している。
「あまりお腹空いてないの」
「昨日も食べてなかったわ。やっぱり医務室に行くべきよ」
「そんな大したことじゃないから…」
とは言うものの、先ほどから気分は悪いままで吐き気まで催してきた。
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
私はもう我慢ができず、行儀悪いことを承知でトイレに向かった。
「っ…」
嘔吐してしまえば少しは楽になった。とはいえ、やはり医師に診てもらうべきだろうか。私は迷いつつ戻った。ディアナに相談すると、問答無用で行けと言われたので、気が進まない中医務室の扉を叩いた。
ここで働いている者は皆、医務室を利用でき、病気になったらいつでも医師に診てもらうことができる。私は今回初めて医務室を利用した。
「本日はどうしましたか?」
男性の医師に聞かれる。
「実は…」
私はここ数日の不調を包み隠さず話した。そして、今日ついに嘔吐してしまったことも。
私の話を聞いた医師は難しい顔で考え込む素振りを見せた。胸の中に不安が広がる。もしかしたら、何か大きな病気に罹ってしまったのかもしれない。
「月経は来ていますか?」
医師は真面目な顔で聞いた。私はあまりに直接聞いてくるので少し面食らったが、業務上仕方がない。私は平静を装って無難に答えた。
「実は最近来てなくて…」
「いつからですか?」
「数ヶ月前からです」
医師はハッとした表情を浮かべた。そういえば、ここに来てから一度も生理がきていない。そんな、まさか。いや、でも…。
私はおそらく医師と同じ結論に辿り着き、青ざめた。
「検査をしましょう」
医師は無言で検査を進めた。私はその間生きた心地がしなかった。どうしよう、最悪の予想が当たっていたら。いや、今までどうしてその可能性に思い至らなかったのか。まあいいい、全ては結果が出てから考えればいい。
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しばらく経ったあと、ようやく結果が出た。
「妊娠三ヶ月です」
私は膝から崩れ落ちた。




