第1話 カヴァティーナ
私は、ずっと自分が生まれ育ったヴレーメン村という名前に既視感を覚えていた。というと変な話に聞こえるかもしれない。なにせ、自分が生まれ育った村なのだから、村の名前に馴染みがあって当然である。しかし、それとは違った、客観的に以前どこかで聞いたことがあるな、というもやもやした感じがしていた。そして、そのもやもやはヴレーメン村の中で一番綺麗と言われている男の子と遊んでいる最中に突如解消した。
あれは私が物心つき始めた頃の話だった。その日もまだ雪が少し残っていて寒い中、いつものように村の子供たちと遊んでいた。そして、帰り際にふと木の上にいる彼、ウーヴェを見つけた。彼は同じ村で生まれ育ったはずなのにどこか垢抜けていて、まるで王子様のような容貌だった。彼は聡明で、どこか大人びていたため、村の子供たちに溶け込めずに常に一人だった。そんな彼を見つけた私は、何を思ったか、彼に話しかけたのだ。
「なにやってるの? 私もきのぼりしていい?」
彼は私の方をチラッと見ると頷いたので、さっそく木によじ登って彼の隣に腰を下ろした。彼は本を読んでいた。興味本位で本を覗いてみたが、活字ばかりでよくわからなかった。そのまま会話もなく時が過ぎ、私はふとページをめくる彼の横顔を見つめた。やはり、彼は村一番の美少年と言われるほど美しい。どうしてこんなに美しいんだろう、と思いながら彼の綺麗なみどりの目を見つめている最中に、突然思い出した。
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「君の本当の気持ちに寄り添えるのは僕だけだ。必ず、君を幸せにすると誓う。だから、一緒に行こう」
綺麗な顔立ちをした、美しい翡翠色の瞳を持つ天才魔法使いウーヴェ・ゾルガーは、卒業パーティーの日、彼の最愛の恋人であるシャルロッテの手を取り、会場に入る。会場はすでに多くの人で賑わっていた。やがて厳かにオーケストラの演奏が始まり、ダンスがスタートする。ウーヴェとシャルロッテはくるくると回り、いつまでも幸せに踊り続けていた。
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もう遠い昔に例のゲームをプレイした記憶が蘇った。
あれは確か18禁の恋愛シミュレーションゲームだった。18禁なのでもちろん官能的なシーンもあった気がする。
ゲームの名前は、【シャルロッテ】。
話の内容は、ヒロインである貧しい少女シャルロッテがある日突然魔法の力に目覚め、魔法使いを育成する学校に通う、というファンタジーな感じだ。そこで出会った攻略対象の男子生徒と恋に落ち、途中で何度か選択肢が現れ、その答え方によってエンディングが変わる。私は攻略対象の見目麗しい男子生徒たちの中でウーヴェ・ゾルガーが一番好きだったので、彼のルートを3周はした。他に王子様やお貴族様などの攻略対象もいたが、やはり平民出身のシャルロッテの気持ちを一番よく理解できる平民出身の優しい彼が一番良かった。
そしてその彼が今、目の前にいる。確か、彼はこのあと、特殊な魔力を持っていることが発覚し、ゲームの舞台である魔法都市にある魔法使いを育成する著名な学校に入るために村を出る。思い出した、ゲームの中のどこかで彼の故郷の村としてヴレーメン村の名前が出ていた。そして、特殊な魔力を持つ彼は学園の中で魔法においては右に出る者がいない天才とされ、首席で卒業し、偉大な魔法使いとなる。
全てを思い出した私は、あまりの衝撃に木の上からずり落ちそうになった。しかし、彼が慌てて手を伸ばして引き上げてくれたので、大事には至らなかった。
「大丈夫?」
彼が心配そうな表情で覗き込んでくる。
「だ、大丈夫、だと思う。ちょっと色々思い出しちゃって…」
「思い出した?何を?」
彼は怪訝そうな顔をして聞いてきた。そこで私は、動揺のあまりついうっかり口を滑らせてしまった。
「ウーヴェのこと。」
「僕のこと?」
彼はさらに訝しげな表情になった。ゲームの中で、当たり前だが彼は、決められた、選択肢にあるセリフしか話さない。しかし、ここは現実だ。彼は選択肢にない言動をすることもあり得る。とはいえ、私はヒロインではないし、そもそもゲームの本編すら始まっていないからストーリーに影響する可能性は低い。しかし、それにしても存在しないはずのゲームの登場人物と直に話せるなんて、面白い。私はよせばいいのに、色々根掘り葉掘り聞いてみたくなった。
「そう。ねぇ、やっぱりウーヴェはいつかこの村を出て行くの?」
彼は私の突拍子も無い質問に面食らったのか、質問に質問で返された。
「どうして?」
「だって、ウーヴェはすごい魔法使いになれる素質を持ってるから。さっき思い出したの」
「…誰から聞いたの?」
「誰かから聞いたわけじゃなくて、知ってるの」
「他には何を知ってるの?」
「なんでも! 私ウーヴェ・ゾルガーのことならなんでも知ってるよ」
そう、なにせウーヴェは私が一番好きだったキャラクターだったから、彼のことについては攻略サイトその他諸々を使ってよく調べた。
「やば、私もう帰らないと!」
気がつくともう日は沈みかけている。明確な門限などはないが、流石に真っ暗になってから帰ると怒られてしまうだろう。
私はぴょんと木から飛び降りると、走り始めた。
「ちょ、ちょっとまって」
後ろから彼の声が聞こえてきた気がするが、無視した。
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翌日、私は【シャルロッテ】の主題歌を口ずさみながら親に言い付けられて井戸の水を汲んでいる時、ウーヴェがやってきた。
「やっと見つけた、マグダレーネ」
私は驚いた。いや、まさか彼が私の名前を知ってるとは思わなかった。
「どうしたの、ウーヴェ・ゾルガー?」
「なんでフルネームなの? まあいいや、君に話がある」
なんだか彼のことを意識しすぎてしまい、ついついフルネームになってしまった。
彼はいつになく真剣な表情だ。なんだろう、話って。私はドキドキした。
「話って何かな」
「君が昨日言ってたことは本当?」
なんだ、話ってそのことか。私は心底がっかりした。
「本当だよ」
私は水を汲む作業を再開した。あまり遅れると親に叱られてしまうかもしれない。
「どうして君がそれを知ってるの? 何か他にも知ってることがあるの?」
「うん」
「じゃあ全部話して。代わりにこれ全部運んであげるから」
そう言うと彼は今しがた汲み終わったばかりの水桶をひょいと持ち上げた。
正直、家まで水を運ぶのは重いし遠いし大変なので、あまりやりたくなかった。なので、単純な私は二つ返事で頷いてしまった。
「いいよ、わかった。でも、今から話すことは二人だけの秘密だから絶対に他の人に言ったらダメだよ!」
家に向かって歩きながら私は知ってることを得意げに話した。そして、全部話し終わった後に彼は一言、こう言った。
「それ、全部妄想だよね」
「違うもん! これから本当に今言ったことが起こるんだから!」
「根拠は?」
「根拠は…ないけど、でも、本当なの!」
根拠を聞かれ、私は一瞬言葉に詰まったが、それでもムキになって言ってしまった。
「ふーん。まあ、話は面白くないこともなかったし、将来小説家になれるかもしれないね」
私は彼の私を小馬鹿にしたような態度にムカつき、思わず涙目になりながら叫んでしまった。
「もう!ウーヴェなんて大っ嫌い!」
私は彼の手から水桶を引ったくると、後ろを振り返らずに走り去って行った。
私は家に着くと、シーツにくるまって泣いた。どうして、彼は信じてくれないんだろう。あんな人、大嫌い。そんな小馬鹿にしなくてもいいのに。ゲームの中の彼はこんな人じゃなかった。もっとヒロインに優しかった気がする。そうか、私はヒロインじゃないからあんな態度なんだ。そうよ、私は所詮本編にすら出てこない村人A。彼にとっては、ただの同郷出身者でしかない。でも、だからって…。
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今振り返れば、全ての悲劇はここから始まっていた。もし、私が何も思い出さず、原作通り進んでいったとしたら、それこそ私はただの村人Aで、登場人物と深く関わることもなく平凡な人生を歩んでいただろう。しかし、ここで私は余計なことをしたから、お互い意識せざるを得ない関係に追い込んでしまった。よく、好きの反対は嫌いではなく無関心だと言う。興味関心のない相手との恋愛は成立しにくいが、嫌いな相手ほど実は可能性がある、ということだ。
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あれから私は怒りやら悔しさやらで泣き疲れて眠ってしまった。目を覚ましたら頭もスッキリしていたので、改めて考えてみると彼の言うことにも一理ある気がした。確かに、この世界が【シャルロッテ】の世界とは限らないし、証拠もない。たまたま、同じ名前の、似た容姿の、同じ名前の村出身の人がいた、というだけなのかもしれない。それに、ヒロインだっているかどうかもわからない。
そう考えると、私は彼にひどいことを言ってしまった。あとで謝りに行かないと。
私は後日、家にあったお菓子を勝手に持って行ってウーヴェを探し回った。彼は木の上にいた。私は木によじ登って彼の隣に座った。
「ウーヴェ、この間はごめんなさい。大嫌いなんて言ったけど、ほんとはそんなに嫌いじゃないから」
うそ、本当は好き。でも、そんなこと言えなくて違う言葉になってしまった。
「ごめん、僕も言い過ぎた。」
彼は申し訳なさそうな顔をしていた。そこで私は秘蔵の仲直りアイテム〝月餅〟を二人分取り出す。これは、どこか遠くの異国のお菓子らしいが、とても美味しい。
「仲直りの印にこれあげる! 」
私は月餅を彼に渡した。すると、彼は興味深そうにまじまじと月餅を見つめている。
「一緒に食べよう! 美味しいよ」
私は彼を誘って月餅を食べ始める。うん、やっぱり控えめな甘さが程よく美味しい。彼は私の様子を見て恐る恐る食べ始めた。
「どうだった?」
「まあまあ、かな」
「そう」
彼にとってはいまいちだったらしい。やはり、異国の菓子は口に合わないのか。
ともかく、私たちはこの件以降仲良くなり、木の上でまったり過ごしたり、昼寝したりと緩やかな交流が続いた。
-数年後-
私が【シャルロッテ】のテーマソングを歌いながら村を歩いていた時、なにやら穏やかじゃない声が聞こえてきた。野次馬気分で見に行った私は青ざめた。いじめの現場を目撃してしまったから。いや、ただのいじめだったらよくないけどよかった。しかし、いじめられてるのがウーヴェだった。いじめの主犯はレオン。彼はかっこよくて(私はそうは思わない)、運動神経がいいリーダー格の男の子だ。彼に恋した女の子はたくさんいる。でも、特に特定の恋人がいるという噂は聞いたことがない。
とにかく、そんな彼が子分を連れて寄ってたかってウーヴェをいじめている。私は、物陰に隠れて聞き耳をたてることにした。
「なあ、お前のかあちゃん元娼婦だったって本当か?」
「駆け落ちしたってきいたぞ」
「本当の父親なのか?」
「あはは」
彼らは下品に嗤った。そういえば、乙女ゲームにそんな設定があった。ウーヴェ・ゾルガーの母親は元高級娼婦で、どこかの貴族の息子と駆け落ちするようにこの村に来た。そんな経緯もあって村のコミュニティには入れずに村八分のようになってしまった。だからウーヴェはヒロインと出会うまでずっと孤独だった、的な。
「お前、娼婦の息子なんて恥ずかしくないのか?」
職業に貴賎はない。
「お前のかあちゃん金のために股開いたのか」
「一晩で最高いくら稼いだんだ?」
「村から出て行けよ」
「「あはは」」
罵倒されているのにウーヴェは何も言い返さない。口をつぐんだまま、黙って耐えてる。
どうして何も言い返さないのよ。
私は、溜まったものが吹き出すような、そう、まるで火山が噴火するかのような怒りを覚えた。
もし、これが彼じゃなければ、私は悪いけど自分に害が及ばないようにそのまま立ち去っていただろう。でも、彼なら話は別だ。ウーヴェは、私の大切な友達だから。これ以上傷付けられてるのを見たくない。彼を救いたい、自分はどうなってもいいから。
私は、その辺に転がっている石ころを一つ取ると怒りに任せてレオンに向かってぶん投げた。
「いて」
石は見事に彼の頭にクリティカルヒット。彼は痛そうに頭をさすりながら犯人を見つけようと辺りを見回した。
私は続けてポカンとだらしなく口を開けてる彼の子分に向かって石を投げた。
「「いたっ」」
彼らも犯人の姿を見つけようと辺りを見渡すが、私の姿は見つからないようだ。
ついに痺れを切らしてレオンが叫んだ。
「おい、誰だよ、出てこいよ!」
完全に喧嘩腰になってる割には涙目で、まだ後頭部をさすっている。
「私よ」
私は仕方なく、物陰から飛び出した。
「お前か?」
レオンは驚いた様子で私を見る。ウーヴェも信じられない、とばかりに目を見開いている。
「そうよ」
女が石を投げて攻撃したことが意外だったのだろう。
「本当に、レーネがやったのか」
「だからそう言ってるじゃない。 貴方達が聞くに耐えられないあまりにもひどいことを言ってるから、ついカっとなってやってしまったわ」
私は怖くて震えているウーヴェの元に向かうと、彼をぎゅっと抱きしめて彼の耳元で囁いた。
「もう大丈夫よ。誰にもウーヴェを傷つけさせない」
私はそっと腕を離すと、彼を守るようにレオンの前に立ちはだかった。
「これ以上ウーヴェを侮辱するのは私が許さない。やるなら私にやりなさい」
レオンは一瞬たじろいだ。そして、諦めたように子分に声をかけた。
「行くぞ。女をいじめるのは趣味じゃない」
レオンは子分を連れて立ち去った。
「お前、女に守られて恥ずかしくないのか」
そして、去り際におそらくウーヴェに向けて捨て台詞を吐いた。
「あんな奴のこと、気にしなくていいのよ」
嵐が去った後、私はウーヴェを慰めた。
「レーネは、僕を軽蔑しないの」
「友達を軽蔑なんてするわけないじゃない」
「あいつが言ったこと、聞いてたんでしょ? 全部本当だよ。僕の母親は昔王都で王族や貴族を相手にする高級娼婦をやっていた。おそらくそこで父さんと出会って、結婚しようとしたけど父さんの実家に猛反対されて駆け落ちしたんだ。村の人間もその事実を知ってる。だからゾルガー家は村八分にされてるんだ。村の子供たちも僕には近づかない。たった一人、君を除いては。このままじゃ次は君がハブられる。もう僕には関わらない方がいい」
彼は、言葉とは裏腹に悲しい目をして言葉を紡いだ。そんなの、家の事情なんてあなたには関係ないのに。
「いつか、こんな日がくると思ってた。私、この村はあまり好きじゃないわ。閉鎖的だし、コンサバティブだし、何もないし。まあ、田舎だから仕方ないんだけどね。それになにより、あなたを傷付ける人間がいることに許せない。あなたはいずれこの村を出て行く。だから、それまでの間、あなたの味方が一人くらいいたっていいじゃない」
そう、原作通り彼はそのうち村を出て、魔法学園に入学する。そこではいじめられることもないし、彼の出自を気にする者もいない。いや、平民だからという理由で見下されることはあるかもしれないが、他にも平民仲間がいるはずだし、なによりシャルロッテがいる。だから、それまでは、村にいる間は、私が彼を見守っていたかった。彼と一緒に過ごしているうちに情が湧いてしまった。
「ありがとう、レーネ。僕は、レーネとずっと一緒にいたい」
「私もよ、ウーヴェ」
私は曖昧に笑って誤魔化した。
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この事件以降、私はウーヴェと過ごすことが多くなった。村の子供たちと疎遠になったわけではないが、やはりレオンのことがあって完全には溶け込めなくなった。そしてなぜかレオンが事あるごとに私に構ってくるようになった。
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それから数年後、私はふと思い立って彼を村の祭りに誘ってみた。
「ウーヴェ、今年はお祭り行く?」
「行かない」
まさかの即答だった。そして、その理由も察した私は残念そうに言った。
「そっか。今年はウーヴェと一緒に行こうと思ったんだけど…。まあいいか、今年は彼と行くわ」
「誰」
ウーヴェの顔色が変わった。
「レオンよ」
なんとびっくりすることに、あのレオンが私を祭りに誘ってきたのだ。最初は何の冗談かと思ったが、奴は真剣だった。どうやらあの事件以降私は奴に変に興味を持たれたらしかった。
「レオンと一緒に行くの?」
「誘われたからね」
「ふーん。レオンのどこがいいの?僕の方が勉強できるし、運動神経もいいし、顔も悪くない。なのにどうして…。まさか、レオンが好きなの?」
いや、それはない。あと前半部分、それはそうだけど自分で言うのか。やっぱり、攻略対象の人ってちょっとナルシスト。そもそも、一緒にお祭りに行くのに顔も頭も関係ない。彼は何を張り合っているのだろうか。
「違うわ。そもそも私が探しているのはボーイフレンドでも勉強のパートナーでも一緒にスポーツやる人でもなくて、ただ一緒にお祭りに行く人なの。」
私は呆れ混じりに呟いた。
「わかった、じゃあ僕が行くよ」
「本当に!? やった!」
私は彼と一緒にお祭りに行ける喜びで小躍りした。計画通り。レオンには申し訳なかったけど、自分にその気がないのに承諾するのも悪い気がした。それに、彼なら相手に困らないだろう。
ああ、何を着て行こう。いや、服は決まってるけど、お化粧していこうかな。小物はどうしよう。
そうして彼と行ったお祭りはとても楽しくて、何事にも代え難い思い出となった。
しかし、皮肉にもこれが彼と一緒に行った最初で最後のお祭りとなってしまった。なぜなら、別れは突然やってきたから。