進:四
足が地につく音
剣が空を切る音
剣と剣がぶつかり、弾ける音
そこ──道場にいるのは宗次郎、山口、平助。朝食の後、宗次郎が「久々に勝負しようか」と山口を誘い、それに連れ立った平助は終わりを知らない二人の勝負を見ている。
初動は、始まってかなり経ってからのことだった。
お互いの呼吸を読むのに長い時間を要し、ぴくりとも動かなかった。
沈黙を破ったのは 山口。大きく一歩前に出、宗次郎はそれを柔らかく受けた。鍔迫り合いになるのかと思いきや、またもや山口の先手が出る。それを受けると同時に宗次郎も返す。
それからずっと競めぎ合いが続いている。
お互い一歩も引かず、受けては返し、流すことなど無い。
剣と剣によって響く乾いた音は、動きが速すぎて、一続きに聞こえる。
汗が散る。
同時に剣が飛ぶ。
沈黙が流れる。
「……参ったなぁ。夢中になりすぎた」
そう言ったのは宗次郎だ。参った参った、とケラケラ笑いながら、飛ばされた竹刀を取りに行く。
行く先にいるのは平助。その場にうずくまっている。
「小さい平助がもっと小さくなってる」
「竹刀が当たっちまったかい?」
「痛ぇよお」
と平助はこめかみを押さえながら顔を上げ、宗次郎に竹刀を差し出した。
「ありゃ、弦が切れてるや」
竹刀を受け取り宗次郎は残念そうな顔をする。
「あーっ!」
こめかみから放した手を見て平助が叫んだ。
「何だよぉ。でかい声出さないで」
「血が出ているじゃあないかい。悪かったよ」
山口が差し出してきた手拭いを受け取り、ぶすりとした顔で宗次郎を睨みながらこめかみに当てた。
「そういえば山口。俺の得意技を受けてみて?」
宗次郎は平助に謝りもせず山口に声をかけた。
「そりゃあ怖いね。避けちゃ駄目かい?」
「あ、避けてくれていいよ。……じゃあ、いくよ」
二人は再び竹刀を構える。
やっ、と大きく突きを繰り出し、続けざまに二本目の突きを出す。
山口はどちらともかわしたが、それでもまだ宗次郎の腕は伸びてくる。まさか三本目までもがくるとは思わなかった。
あっ、と反応しようとした頃には、山口の長身が飛んでいた。
「よっしゃあ成功。頭使った甲斐があったよ」
面を外し、宗次郎はキラキラと嬉しそうな顔をする。
「頭使うなんて、宗次郎にしちゃ珍しいや」
黙って見ていた平助が言った。
「いつも宗次郎は力任せだからな。いやあ、しかしさっきの突きは予想外だ」
言葉に反し、それほど驚いたような顔には見えないが、表情が中々変わらないのが山口だ。
「実戦なら、頭、首、胸って一本ずつ下げていくんだ。 名付けて、三段突き」
宗次郎は得意げな表情で、頭、首、胸を指差しながら答えた。
「庭にぶら下がってる木の枝みたいなのは、宗次郎のか」
ふと思い出したように山口が言った。
「そう。吊ってある糸の長さが別々でしょ? ここ五日くらい練習してたんだよ」
「いつになく真面目だな。……何かあったのかい?」
訝しげな顔で山口が問う。
「嫌だなぁ、そんな顔しないでよ。この前、源さんも山南さんも新八さんも左之さんも、得意技を増やしたいって話しててさ。皆三つくらいはあるのに、俺は無くて、悔しかったんだ。この技を考えるのにも三日はかかったよ」
「宗次郎は力の勝負しかしないからなぁ。さっきの試合だって、何も考えずに打ってたろ」
平助がへらっと言った。
「煩いなぁ。んなのわかってるさ」
少し不機嫌になったのか、眉間に皺を寄せた宗次郎を見て、平助は縮こまった。
「怒んなよ。悪かったよ。……山口は何か得意技ってある?」
自分のせいで悪くなった雰囲気を和げるために、平助は話題を山口に向けてみた。
「俺かい? 俺ゃあ……、そういや、何なんだろうねぇ」
柔らかい口調は宗次郎の苛立った心までもを和ませるものだ。
「俺、山口に負ける時は、いつもこれでやられるよ」
宗次郎が竹刀を左手で持って突くふりをする。
「左片手一本突き?」
平助の指摘に宗次郎は「そう、それだ」と機嫌を損なわずに答える。
「そういえばそうかもしれないな。俺は人より左手が器用らしいから、これはなかなか使える」
「いいなあ。なんか格好いいや」
「平助には無理そうだ」
ふふん、と鼻を鳴らして見下すような宗次郎お得意の視線を、平助は負けじと睨み返した。
「お二人とも、そんな意地になりなさんな。じゃあ平助、お前さんの得意技は?」
「お、俺?」
「平助は得意技無いんだな?」
宗次郎がにやにやと挑発的な笑みを見せれば、負けず嫌いの平助の頭にかっと血が昇る。
「あるよ!えっと……抜き胴だ!」
「あぁ、背が低いからそれが妥当だろうな」
うんうん、と納得したように山口が言った。
「そうだね。平助にはそれがお似合いだ」
宗次郎はまたもや見下すような視線を一つ送り、「さあ、甘いものでも食べに行こうかな」と道場を出て行った。
道場に二人残された。
「……山口」
「なんだい?」
「稽古しよう」
「構わんよ」
今なら怒りで山口を倒せそうな気がした。
しかし、怒りは動きを雑にさせるものだ。得意技だと言った抜き胴すらできないまま、「そろそろやめようか」と山口が手を止めた頃には、平助は痣だらけだった。