進:三
「えーっと、近藤先生、源さん、トシさん、新さん、左之さん、山南さん、宗次郎」
「正解。よくできました」
試衛館の食客になって三日が過ぎた。「平助は俺に負けたんでしょ?」と宗次郎はつけあがり、平助は仕方なく宗次郎の言うことを聞いている。
今朝も朝食を食べに広間へ向かっているときに宗次郎に捕まり、皆の名前を覚えられたかどうか聞かれ、答えたところだ。
食客になったその日のうちに皆に紹介され、その夜は顔と名が一致できるよう宗次郎に教え込まれた。
天然理心流四代目宗家の近藤勇。
切れ長の目、薄く幅広い眉に大きな口。と言ういかつい顔立ちでおまけに肩幅が広く筋肉質な体格だが、笑うとえくぼができる。芯は強いが人を非難できない、優しくお人好しな性格の持ち主だ。
一番年上の井上源三郎。
小さく細い目と垂れ眉で穏やかな顔つきだが、頑固な一面を併せ持っている。日に焼けた顔は年中黒く、実年齢よりも五歳ほど上に見える。年長者のため父のように親しまれており、剣術に対する貪欲さは人一倍強い。
近藤の一つ歳下の土方歳三。
色白で端正な顔立ちは、今まで何人の女性を惚れさせたのだろうか。頭の回転が早いが、人の裏ばかり読んでしまい、意外と臍曲がりな性格だ。実家は薬屋でしょっちゅう薬の行商をしているが、仕事の合間によく試衛館に来ては稽古をしている。
平助の五つ歳上の永倉新八。
色黒の筋骨隆々とした大きな男らしい容姿と、チャキチャキの江戸っ子で正義感が強いさっぱりした性格だ。いつもは仏頂面だが、笑うとくしゃりと愛嬌がある顔を見せる。神道無念流を修めており、剣術においては誰にもひけをとらず負けず嫌いだ。
新八の一つ歳下の原田左之助。
背が高く、土方に並ぶほど容姿端麗な彼は、剣ではなく槍を遣う。腹に一文字の切腹した跡があり、その自慢話を聞かされた者は数知れず。松山藩を脱藩し、空腹で倒れそうになっていたのを永倉に助けられたという。江戸に来て五年は経っているらしく、伊予弁と江戸弁が混ざったような口調になることがある。
「こう見えても記憶は得意なんだ」
平助はにやりと笑い、広間の戸を開ける。
「──あ」
開けた瞬間、目に入ったのは見知らぬ顔。
「あれ? 山口、久しぶり!」宗次郎が喜んでいる。
切れ長の目にはっきりとした眉を持ち、真っ黒な総髪を高く結い上げている山口と呼ばれた男はそこで飯を食べていた。隣には近藤もいる。
「おはよう。ああ、久々に暇ができたらしくてな、早朝には道場に入り込んでいたらしい」
と近藤が説明した。
「久しぶり、宗次郎。して、その方は?」
落ち着いた低い声で言い、平助に目線を移した。
「あ、そういえば知らなかったか。こいつは藤堂平助。三日前に食客になったんだ」
「はじめまして、山口さん。宗次郎と同い年で、北辰一刀流を学んでいました」
「山口一だ。 敬語は使わないで構わないよ。 俺も同い年だから」
薄く微笑んで山口は言った。
「お前ら、飯はまだだろう。左之が起きる前に食べてしまいなさい」
と、近藤が二人の分の飯を盛り始めた。
「あっ。近藤先生、俺がやりますよ」
宗次郎が飛び出し、近藤の手から茶碗としゃもじを取り上げて代わりに盛る。それを見て平助も負けじと飯の用意をした。
「そういや、暇ができたなんて、何かあったの?」
味噌汁をすすりながら宗次郎が山口に問う。
「家が安定してきたんだ。金は返せた」
宗次郎と山口は平助に見向きもせず話をしている。
話の内容が全くわからず、仲間はずれにされたような気がして、平助は口を開く。
「ねぇ、何の話してるの? 話の内容、全然掴めなくて面白くないよ」
「何、ガキみたいな事言ってんの」
「なっ……」
「知らないのだからしょうがない。ついでに話そう」
平助の頭に血が昇る前に、山口は冷静に言った。
「山口は落ち着いてるなぁ。平助も見習わなくちゃ」
「宗次郎なんかに言われたくないね。で、山口。話を聞かせてよ」
「あぁ。俺の父は株を買って御家人の身分を手にしたんだが、俺の兄はそれをいいことに、博打やら女遊びやら手当たり次第に金を使ってしまったんだ。父はそれに怒り、兄を追い出してしまった」
「その借金を返し終わったってこと?」
「そうさ。でも、兄はもう帰って来ないからな……」
兄が好きだったんだろうな、と平助は思ったが、家族の大切さは誰よりもわかるつもりだからあえて口に出さない。
「兄がいたのに一って名前なのは、改名したから?」
「そのとおり、父が改名させたんだ。兄を二度と家には戻さないんだろうよ。武士の恥だ、と言ってな……」
「そうなんだ。兄がいるのに一って名前、おかしいと思ったんだ」
真顔で言う平助が可笑しくて、山口は笑った。何がおかしいのか、と平助はきょとんとする。
「ははは、嘘だよ。俺が生まれたのが正月だからということらしい」
「えっ嘘なの?信じたのに」
平助はむすりと言ったが、生真面目そうな見た目の山口が冗談も言えるような人だということに内心嬉しかった。
その時、ガラリと戸が開けられた。
「うおっ、山口じゃねぇか!久しぶりだなぁ」
入って来た途端に大声を上げたのは新八だ。その後ろに眠そうな左之助もいる。
おはようさん、と山口は返した。
「なぁ平助さんとやら、あんたの素性も聞かせてくりゃしないのかい?」
山口は御家人言葉でにんまりと言った。こんな表情もするのか、と平助はまたもや嬉しくなる。
「俺らも聞いた事ぁねえぞ。ついでに聞きてぇな」
と新八が言うと、左之助も首を縦に振る。
「聞きたいのかぁ……じゃあ、どんな感じだと思う?」
平助はにやりと言った。
「え、お坊っちゃんじゃない?」
宗次郎が平助を小突いて言う。
「いやあ、学問とか作法とか覚えにゃいかんのじゃろ?俺にゃあ我慢ならん」
左之助が茶碗に飯を盛りながら言った。
「……俺の父親ね、もしかしたら、大名かもしれない」
当然、そこにいた皆が えっという顔をした。
「大名ってぇと……なんでこんな所にいるんだ」
それまで微笑みながら聞いていた近藤が言う。
「ほじゃけんど大名の子がこんな所におるか?」
あり得ねえ、と左之助は平助を小馬鹿にした。
「俺は父の顔を覚えていないよ。 母に育てられたから」
「ああ、落胤ってことかい」
山口が言う。
「そういうことだね。母は花屋の娘でね。俺を身籠ったことがわかってから、実家と縁を切って長屋で暮らし始めたらしい。俺が九つの時に母は亡くなったけど、俺はある呉服屋に拾われて……その人も斬られて死んじゃって、山南さんのいた伊東道場に行った」
「──なんか、複雑なんだな」
新八が溜め息をつき、宗次郎がいつになく真面目な顔をして問う。
「でも、山南さんとは何の関係があったの?」
「関係はないけど……行き着いた道場にいただけ。呉服屋の人にそっくりなんだ。声も顔も性格も。 間違えてその人の名前で呼んじゃうこともあったよ」
と平助は笑い飛ばすが、皆は黙ったままだ。
「そんな湿気た顔しないでよ。ほら、せっかくの飯が冷めちゃうよ」
自分は気にとめてなどいないとでも言うかのように、再び飯を食べ始める。
「そうじゃな、気にせんのがよかけん!」
左之助は笑い飛ばして飯を掻きこんだ。
「父親が誰だかわからないなんざ、よくあることだもんな」
と新八は笑い飛ばして励ましているようだ。
「いつか本当のこと教えてよね」
と宗次郎はからかった。
生まれのことを話す勇気があったわけではないが、何かの拍子ですらすらと言葉が出てきたのには自分でも驚いた。そして、思ったほど神妙な話にならずに済んだことにも驚いた。