進:一
無造作に結い上げた茶色がかった総髪
髪と同じ色をした目
汗を弾く白い肌
女の男装姿と言っても通るようなその容貌の持ち主は、この伊東道場に来て五年になる藤堂平助その人である。
「将来の君の活躍を信じよう」と、防具など稽古に必要なものは全て買い揃えてくれた伊東。素性も定かでなく無一文だった自分を受け入れ、文武共に指導してくれる伊東を平助は尊敬し「伊東先生」と呼んでいた。
また、長介とよく似た顔と優しさを併せ持った山南にも、平助は親しみを感じ心酔していた。
──そんな山南は、ここ数ヶ月ほど伊東道場に顔を見せなくなっていた。
「山南さん、最近来ませんね。どこかへ行ったんですか?」
平助はほつれた稽古着を縫いながら、傍らで本を読む伊東へと視線を移した。
「おや、聞いていなかったかい?」
「伊東先生には言ってたんですか……俺には何も言わないのに……」
しゅんとなった平助を見て伊東は言う。
「犬みたいだなあ」
「どこがですかっ!痛っ!」
顔を上げた拍子に指に針が刺さり、平助は悲鳴を上げた。
「ほら、人に言われてすぐムキになる。君の悪い癖だね」
真面目に言った伊東を見てむくれ、針が刺さったところから血を絞り出した。
「そんなに肩を落とさないでくれよ。犬みたいだって言ったのは、一途だってことだよ」
「一途……?」
「そう。 いつも山南さんにくっついているからね。犬が尻尾を振るときのように本当に嬉しい顔をして」
「端から見たら俺、そんな風に見えるんですか……」
「いいじゃないか。山南さんも嫌がっていないよ」
「なら良かった。……って、俺の質問は山南さんについてなんですが」
「ああ、そうだったね。山南さんはね、市ヶ谷にある試衛館に行ったよ」
伊東は栞を挟み本を閉じて言った。
「試衛館? 道場ですか?」
「そうさ。……おい平助どこへ行くんだ? まだ縫い終わってないじゃないか」
ふと手を止めて立ち上がった平助を見上げて伊東は問う。
「試衛館とやらに行ってきます」
「そりゃあ……?」
「山南さんを取り返してきます」
「ははは、まぁ行って来なよ。出稽古のつもりで楽しんで来なさい」
「遊びじゃありません!」
勢いよく飛び出した平助を見送り、伊東は溜め息をついて思った。
(犬は飼い主の元に帰る、か……)
■■■
「たのもーう!」
江戸市ヶ谷にある試衛館の門前で、平助は叫んだ。
「はーい、そんな声は道場破りですか?」
くるりとしたつぶらな目をして、玄関にぴょこっと顔を出した長身の青年。掃除でもしていたのだろうか、片手には雑巾を持っている。平助と同じくらいの歳だろうか。
「山南さんはどこにいるかお尋ねしたい」
平助は極めて冷静に言った。
「山南さん?五日くらい前に食客になった人かな、その人なら……」
「平助?」
その青年の後ろからひょっこりと顔を出したのは山南。
「山南さん! 帰ろうよ、心配して迎えに来たよ」
長身の青年は残念そうな顔をして「心配されるような道場かなぁ、試衛館は」とぼやく。
「おいおい平助、心配する必要はないよ。少なくともここの食客は皆楽しくていい人ばかりだ。どうだ? 平助もここに……」
「俺は山南さんを取り返しに来たんです! 伊東先生にもそう言って来たのに、そんなことできません!山南さんは俺の父みたいな人なんだから」
「山南さん、懐かれてますね。でも平助さんとやら、山南さんは返せないなぁ」
青年はいじわるな目をして口角をあげ、平助を上から見下ろした。
「……どういう意味だ」
眉間に皺を寄せ、平助も睨み返した。
「山南さんは自分から望んで食客になったんだ。そして俺たちも山南さんが必要だ」
「そこまで言うのは理由があるんだろな。よし、お前俺と勝負しろ。俺が負けたら食客になってやる。勝ったら山南さんは返してもらうからな!」
「平助、私は承諾してないぞ」
前に出ようとした山南を制し、青年は「大丈夫ですから」とにこにこして言う。
「お前なあ!大丈夫だなんて自信はどこからくるんだ!」
平助の顔は真っ赤になっている。
「やってみりゃわかるさ。その勝負、受けて立つよ。俺は沖田宗次郎。よろしく、平助さん?」
「まあ、いいんじゃないか?」と山南は苦笑して肩の力を抜いた。「そういえば、平助と宗次郎は同い年じゃないか?勝負が楽しみだなあ」
平助はその言葉を聞いて目に炎を灯した。
「さぁ、道場へ行こう」
宗次郎は平助に中へ入るよう促し、その後について道場へ続く廊下を歩く。
その途中にある一室の前を通りすぎた時だった。
「なんだ、あのガキゃあ」
「女が男装してんじゃねぇか?」
「違ぇねぇ」
笑う二人の声に平助は苛立ち、宗次郎の袖を引いた。
「……ねぇ、黙らせてよ」
「あんたが悪いんだ。そんな顔してるから」
「宗次郎、口を慎まないか」
口を挟んだのは最後尾を歩いていた山南。「私が黙らせてこよう」と、先ほどの部屋へ向かう。
しばらく後ろを見ていた平助に、宗次郎は「ほら行くよ」と促して歩きだした。
二人が道場に入り、宗次郎は正座して防具を着けている平助をまじまじと見て言った。
「それにしても、平助は本当に十九?」
「……悪いか」
口角を上げてからかうように言う宗次郎に、平助は低い声で答えた。
「そんな怖い顔やめてよ。せっかくの可愛い顔が台無しだ」
「生まれつき。仕方ないよ」
「生まれつきその顔なんて羨ましいなぁ。俺は生まれつき色黒だしさ」
「背高いし、少なくともガキには見えないだろうし、俺はそういうのが羨ましいけどな」
「でも、剣は負けないからね」
宗次郎は竹刀を平助に向け、笑顔で言った。
「嫌だね。俺は山南さんと帰るんだ」
「おうおうおう、道場破りかい」
「宗次郎に挑むなんざ、怖いもん知らずじゃ」
ドカドカとやって来たのはさっきの二人と山南。
あっ、と平助は道場の入り口を振り向いたが、すぐに目をそらす。
「そんな無視すんなよ。さっきのは悪かったって」
「新八も正直に謝ってるんだ。気にするなよ」と、山南も平助をなだめる。
平助は新八と呼ばれた男を見る。色黒で筋骨隆々としたその男のニカッと笑って白い歯を見せる姿に、平助は目を奪われた。
「宗次郎との勝負、楽しみだ」
新八の隣にいたもう一人が笑う。色白で長身、端正な顔立ちの彼は左之助と呼ばれた。
「左之助。お前は正直だが、言葉を選ぶのは慎重にしなさい」
山南がたしなめ、「悪かったよぅ」と左之助は頭を下げた。
平助は困った顔をしてうつむき、手拭いを広げて面を着け始めた。
先に準備が整った宗次郎が立ち上がって言う。
「俺は始めていいよ。あんたは準備できたか?」
「うん。山南さん、審判頼んでいい?」